服部晴治の死因や学歴は?大竹しのぶの元旦那!中村晃子との関係は?

服部晴治さんは、TBSのディレクターだった方で、女優の大竹しのぶさんの最初の夫です。また、服部晴治さんは「イケメン」「敏腕」ディレクターとして有名で、結婚3回・離婚2回と恋多き人でもあったそうです。今回は、そんな服部晴治さんについてご紹介します。

服部晴治の死因や学歴は?大竹しのぶの元旦那!中村晃子との関係は?のイメージ

目次

  1. 1服部晴治ってどんな人なの?
  2. 2服部晴治とは?
  3. 3服部晴治の学歴は?
  4. 4服部晴治の結婚歴は?
  5. 5服部晴治の死因は?
  6. 6息子の二千翔さんにとっての父親
  7. 7服部晴治さんは恋多き敏腕ディレクターだった

服部晴治ってどんな人なの?

服部晴治さんは、TBSのディレクターで、女優の大竹しのぶさんの最初の夫です。大竹しのぶさんより17歳年上で、大竹しのぶさんが出演したドラマ「恋人たち」がきっかけとなったそうです。

当時から、「イケメン」「敏腕」で有名だったとのことで、テレビ業界でも目立つ存在であったようです。47歳と若くしてお亡くなりになっていますが、生涯で結婚3回、子供が4人と、恋多き男性であったともいえます。

服部晴治とは?

それでは、服部晴治さんとは、どのような人物だったのでしょうか。服部晴治さんのプロフィールや、学歴などについて調べてみました。

服部晴治のプロフィール

本名 服部晴治(はっとりせいじ)
生年月日 1940年生まれ(月日不明)
享年 47歳
出身地 不明
血液型 不明
活動内容(職種) プロデューサー、ディレクター
所属グループ
所属事務所(会社) TBS
主な作品 ドラマ「恋人たち」(演出)

服部晴治さんは、1940年生まれで、TBSのディレクター・プロデューサーとして活躍されていました。芸能人ではないことから、あまり細かいプロフィールについて明らかにされていません。また、病気のため47歳という若さでお亡くなりになっています。

服部晴治の経歴

服部晴治さんの経歴については詳しいことはわかっていません。しかし、1980年代のバブル全盛期に、娯楽といえばテレビ、そしてドラマという時代のなか、ドラマを担当する敏腕ディレクターをされていたことから、かなりのやり手であったことが想定されます。

また、仕事ができる分、羽振りもよかったようで、よく銀座で豪遊している姿や、女性を連れて歩く姿が目撃されていたようです。

服部晴治の学歴は?

「服部晴治さん」の名前でインターネット検索をすると、「学歴」というキーワードが多く目につきます。TV局のディレクターともなると、高学歴であることが予想されますが、いったいどのような学歴をお持ちなのでしょうか。

学歴は不明

服部晴治さんの学歴については、実は明らかにされていません。しかし、TV局のディレクター・プロデューサーとして活躍していた人ですから、ある程度有名な大学を卒業しているのではないかと推測されています。

息子は高学歴

服部晴治さんが高学歴だと噂される理由の一つに、息子である「二千翔(にちか)」さんの高学歴が挙げられます。二千翔さんは、高校受験の際「慶應義塾高等学校」「慶應義塾志木高校」「早稲田大学高等学校」といった難関校を受験し、すべて合格しています。

母親である大竹しのぶさんは「桐朋学園大学短期大学部」を卒業しており、そこまで難関校というわけでもないことから、父親である服部晴治さんが高学歴ではないかと噂されているようです。東京大学出身であるという噂もありますが、事実かはわかっていません。

服部晴治の結婚歴は?

生涯で2回の離婚、3回の結婚を経験している服部晴治さんですが、そのなかでも女優の大竹しのぶさんとの結婚は大きな話題となりました。ドラマがきっかけで交際に発展し、結婚に至ったそうです。

また、結婚前にお付き合いしていた女性がいたようで、その女性と交際中に大竹しのぶさんとのお付き合いが始まったらしく、それにより世間からのバッシングされることもあったようです。

前妻は大竹しのぶ

服部晴治さんと女優の大竹しのぶさんは1982年に結婚されました。翌年の1983年には、二千翔さんが生まれ、順風満帆な生活を送られていましたが、結婚から2年後の1985年に服部晴治さんをある病が襲います。

そして、結婚からわずか5年後、その病によって服部晴治さんはお亡くなりになっています。ちなみに当時は重い病や余命について本人に告知しないことが多く、医師から服部晴治さんの状態を告げられた大竹しのぶさんも、本人にはずっと黙っていたそうです。

病と闘っているなか、友人でもあり、のちの大竹しのぶさんの夫となるお笑い芸人の明石家さんまさんに、手紙を書き、大竹しのぶさんのことを頼んだとのことですが、大竹しのぶさん本人はその手紙を見ておらず、2人の秘密となっているようです。

2人の馴れ初め

服部晴治さんと大竹しのぶさんの結婚のきっかけは、服部晴治さんが演出し、大竹しのぶさんが出演されたTVドラマ「恋人たち」がきっかけだったようです。1965年発売の立原正秋さんの小説を原作としてドラマ化したものだそうです。

服部晴治さんはとにかく大竹しのぶさんを女優として評価していたようで、ワンカットごとに良かった点を伝えたり、2人で服部晴治さんの作品を観るなどして、お互いがお互いを高めあう関係だったとのことです。

また、服部晴治さんはとにかく女優としての大竹しのぶさんをとても大切にしていたようで、洗い物も「手が荒れてしまうから」としなくてよいといわれていたそうです。

その前に離婚歴が2回ある

服部晴治さんは大竹しのぶさんと結婚する前に、2度の結婚・離婚を経験しています。最初の妻は英語の教師をされていた女性で、ミッションスクールで働いていていたそうです。次の妻は宝石デザイナーということで、どちらも自立した女性をイメージさせます。

最初の妻との間に二人、次の妻との間に一人子供がいるとのことで、大竹しのぶさんの子供、二千翔さんと合計三人の子供がいることになります。そのため、それぞれの離婚の慰謝料や養育費を考えると、相当お金に余裕があったのではないかと考えられます。

中村晃子との関係性

大竹しのぶさんと結婚された服部晴治さんですが、実はその直前まで交際・同棲していた女性がいたそうです。それが、女優の中村晃子さんでした。中村晃子さんは女優としてだけではなく、歌手・声優としても活動しており、紅白歌合戦にも出場しています。

中村晃子さんは同棲当時、服部晴治さんの様子がおかしいと思い、車を尾行したことがあったそうです。すると、信号待ちの際に服部晴治さんと大竹しのぶさんがキスをしているのを目撃してしまい、それが決定打となり別れることになったそうです。

そういった経緯があったことから、「略奪愛」であるとされ、「魔性の女」「泥棒猫」といったイメージがついてしまった大竹しのぶさんですが、その後2人が結婚まで至ったことを考えると、順番は違えど二人の愛が真剣なものだったことがわかります。

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服部晴治の死因は?

47歳という若さでお亡くなりになった服部晴治さんですが、その原因はある病でした。その死因となった病とは一体何なのでしょうか。

死因は胃がん

服部晴治さんの死因は胃がんだったそうです。その当時、重い病や余命について本人に告知しないことが多かったことから、妻である大竹しのぶさんにだけ、その病名と状態、そして余命について告げられたそうです。

その際に告げられた余命は1年と、すでに末期の状態であったそうです。服部晴治さんは自身の病や状態について知りたがったらしく、何度も大竹しのぶさんに尋ねたそうですが、大竹しのぶさんはそのたびにごまかさなければならず、とても苦しかったそうです。

ちなみに、大竹しのぶさんは服部晴治さんの余命が1年であるということを知りながら二千翔さんを出産しています。将来的に1人で育てなければならないということが分かったうえで出産を迎えるということは、大きな不安もあったのではないでしょうか。

息子の二千翔さんにとっての父親

実は、服部晴治さんと大竹しのぶさんの息子である二千翔さんは過去にインタビューで父親について語っています。その際、二千翔さんが物心つくまえに服部晴治さんが亡くなってしまわれたこともあり、服部晴治さんについてはあまり語られませんでした。

そのため、父親というと明石家さんまさんの印象が強いらしいのですが、父親というよりは同居人という感覚だったようです。しかし、その明石家さんまさんも小学生ごろに家に帰らなくなり、なんと小学校の先生から離婚した事実を聞かされたそうです。

その後、大竹しのぶさんが交際されていた野田秀樹さんについても、「最近よく来ると思ったら、またしばらくすると見かけなくなった」と笑いながらあっけらかんと話されていたのが印象的でした。

服部晴治さんは恋多き敏腕ディレクターだった

服部晴治さんについてご紹介してきましたが、その恋多き人生に驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。結婚を3回、離婚を2回経験されており、最後の妻である大竹しのぶさんとは中村晃子さんとの同棲中に恋に落ちています。

大竹しのぶさんとの結婚生活でも、他の女性の影があったそうなのですが、大竹しのぶさんが明石家さんまさんと深い仲になったと思われる時期も、特に責めることもなく、明石家さんまさんに「大竹しのぶさんを頼む」とまで手紙を渡したそうです。

きっと、他の方より愛の形がより緩やかで大きいものだったのでしょう。また、仕事面でも敏腕ディレクターとして活躍していたからこそ、その多き恋が叶えられていたのかもしれません。

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