沢松奈生子の実家は豪邸!結婚した夫は?元プロテニス選手を解説!
日本のテニス界を盛り上げ黄金の時代を作り出した人物の1人である元プロテニス選手、沢松奈生子さんを覚えているでしょうか。テニスが好きな人もそうでない人も同じ世代であれば覚えている人は多いのではないでしょうか。今回は沢松奈生子さんの実家や夫を詳しくご紹介します。
目次
沢松奈生子の実家や家族を調べてみた
日本人の女性史上初、伊達公子のライバルとしても注目されていた沢松奈生子さんは、現役時代の年収が凄まじいという噂があります。それだけ、シングルスのランキングでは自己最高で14位。全豪オープンではベスト8に進出するなど、テニス界では一目置かれていた存在でした。
そんな彼女の実家がすごいという話もありますが、家族はどういった人達なのでしょうか。また、結婚した相手の男性はどんな人なのでしょうか。今回は、沢松奈生子さんのプロフィールから彼女の実家、結婚についてを詳しくご紹介します。
沢松奈生子とは?
兵庫県出身の沢松奈生子さんですが、父親の転勤先がドイツになったため5歳ごろからドイツに住んでいました。そこで、のちに伝説を残すプロテニス選手としての腕を磨き上げていきます。その後、全日本テニス選手権の女子シングルに初出場ながら優勝するのですが、その時は15歳という若さでした。
また、インターハイでは2年連続で団体での優勝を導きました。少しづつ注目されていった沢松奈生子さん。その後、大きな地震に見舞われながら全豪オープンで戦い、自己最高の成績を残しました。
沢松奈生子のプロフィール
本名 | 沢松奈生子 |
生年月日 | 1973年3月23日 |
現在の年齢(2019年現在) | 46歳 |
出身地 | 兵庫県 |
血液型 | 不明 |
活動内容 | 元プロテニス選手/コメンテーター |
所属グループ | 不明 |
所属事務所 | Wonder Box L.L.C |
主な作品 | ちちんぷいぷい/あさチャン!/ブラックペアン |
沢松奈生子さんは、プロアスリートに関わるあらゆることをサポートするWonder Box L.L.Cという事務所に所属しているようです。ちちんぷいぷいでは、スポーツ解説でテニスについて解説しており、あさチャン!では、金曜日のレギュラーとして出演しています。また、ブラックペアンというドラマにも出演していました。
沢松奈生子の経歴
プロテニス選手として数々の伝説と記録を残してきた沢松奈生子さんの経歴をみていきましょう。素晴らしいプロテニス選手となる前にも、実力を見せつけていた彼女の経歴をみていくとやはりそのすごさが分かるでしょう。
15歳で全日本選手権で初優勝
父親の転勤により、ドイツで腕を磨いていた沢松奈生子さんは片想いをしていた男の子と一緒に写真に写りたいという思いから練習をして腕を上げていたと語っています。そんな彼女は15歳という若さで、全日本選手権に出場します。
15歳という若さ、しかも初出場でありながら初優勝を果たしました。これは日本でも驚かれたことで、雉子牟田明子さんに次ぐ、2番目の年少の優勝記録だったため注目を集めました。15歳で初優勝するというのも驚きですが、初出場で優勝できるというのはなかなか出来ないことでしょう。
1988年にプロデビュー
1988年にめでたくプロテニス選手として、スタートした沢松奈生子さん。プロデビューを果たしたその2年後の1990年に女子テニス協会ツアーで、シンガポール・オープンでの初優勝をつかみました。
この翌年、全仏オープンで前年度に準優所を果たしていたアメリカのジーナ・ガリソンを見事破り4回戦まで勝ち進みます。1992年には4回戦を勝ち進みましたが、当時16歳という若さで天才少女と言われていたアメリカのジェニファー・カプリアティに惜しくも敗れてしまいました。
輝かしい成績を紹介
先ほどもご紹介した通り初めて出場した全日本選手権で初優勝を飾ったのを始まりとして、数々の輝かしい成績を沢松奈生子さんは残しています。その輝かしい成績をご紹介。全日本選手権で初優勝をした同年に、全米オープンジュニア部門でベスト8に進出、ウィンブルドンジュニア部門ではベスト16、そして、団体戦では2年連続で優勝しています。
ウィンブルドン選手権では9年連続で出場しており、16勝9敗という素晴らしい成績を残しています。また、オリンピックにも出場しておりバルセロナ五輪とアトランタ五輪に出場しており2大会連続で出場しています。
1998年に引退
数々の輝かしい成績を残した沢松奈生子さんは、1998年に引退します。1995年の全豪オープン選手権では、ライバルの伊達公子に勝利したのですが、準々決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオに敗れています。また、その後1998年には全米オープンで2回戦で当時16歳だったミリヤナ・ルチッチに敗れたことをきっかけに引退を決意したようです。
引退を決意した年に、東京で行われた大会では2回戦で敗れたことからこの大会が、現役最後の試合となりました。当時は25歳でした。プロテニス選手として、世界ランキングが50位以内を10年間も保っていたのですが、これはなかなか出来ないことです。
沢松家は代々テニスプレイヤーの家系
沢松奈生子さんの家族は代々テニスプレイヤーの家系で、有名な選手でした。テニスが好きな人などは知っているという人も多いかもしれません。家系をみていきましょう。
父親は沢松忠幸
沢松奈生子さんの父親である沢松忠幸さんは、妻である沢松順子さんと共に混合ダブルスで1974年にイギリスのロンドン郊外で行われた大会、ウィンブルドン選手権に出場していた経験もあるそうで両親が同じ大会で戦ったという珍しい家族です。
母親は沢松順子
母親は沢松順子さんは、妹である沢松和子さんと共にウィンブルドン選手権に1970年に出場しています。ダブルスで出場し、ベスト8に入るほどの腕前です。また、1965年にはシングルスの全日本ランキングに7位に入りました。小さい頃からテニスコートが付いている家に住んでおり、必然的にテニスに関わるようになったそうです。
叔母は沢松和子
沢松奈生子さんの叔母は沢松和子さんで、日本人で初めてのプロテニス選手です。ウィンブルドン選手権ではダブルスで優勝しており、4大大会のタイトルを日本人女子選手として初めて獲得しました。現在では、日本テニス協会副会長を務めています。
沢松奈生子の若い頃の画像を紹介
若い頃の沢松奈生子さんの画像をご紹介します。可愛らしい印象がありますが、やはりテニスで戦っているだけあって肌が焼けて健康的に見えるでしょう。笑顔はキュートですが、試合では全く別人のようになるためプロテニス選手というのが良く分かります。
沢松奈生子の西宮の実家は豪邸
沢松奈生子さんの西宮にある実家は豪邸だと話題になっています。母親も住んでいてテニスの腕を磨いていた実家をご紹介します。
実家の住所は?
実家の住所は詳しいことは分からないのですが、西宮市にあることは分かっています。実家は、テニスコートもついているということでしたから、かなり大きな土地と家である可能性があります。曾祖父のときからテニスを行っているため、裕福であったことも分かります。
阪神淡路大震災で実家が全壊
沢松奈生子さんの母も叔母も、実家のテニスコートで腕を磨いていましたが阪神淡路大震災によって実家が全壊してしまいました。沢松奈生子さんは当時、大会に出ていたため危険は無く家族も無事だったそうです。現在はどこに家があるのかは分かりません。
沢松奈生子の結婚した夫や子供は?
プロテニス選手として活躍した沢松奈生子さんの結婚した相手の男性や子供についてご紹介します。夫はスポーツ選手なのでしょうか。
夫は一般男性
スポーツ選手であれば、そういった関係の人とお付き合い、結婚をするというイメージがある人もいるかもしれませんが、沢松奈生子さんの結婚相手は一般男性で7歳上のエリート会社員のようです。夫はスポーツに興味があるそうで、そういったことをきっかけに結婚したようです。
娘が1人いる
沢松奈生子さんには、1人の娘さんがいらっしゃいます。しかし、娘さんに関心しては全く情報がないため、名前や年齢は分かりません。もしかしたら、テニスの選手として見ることが出来るかもしれませんし、全く違う分野での活動を見ることが出来るかもしれません。
沢松奈生子が面白いと話題
沢松奈生子さんは関西弁を使うため、親しみやすい印象があるのはもちろんのこと、コメンテーターとしては選手に対して良い言葉だけを選んで言うのではなく厳しい意見も率直に言うため、興味深いと感じる人もたくさんいらっしゃるようです。解説をするときは身振り手振りで大きな表現をするため、面白いと思う人もいるようです。
沢松奈生子の現在は?
沢松奈生子さんは現役は引退したものの、テニスには関わっており日本のテニス協会の普及本部状況委員にもなっています。また、コメンテーターとしてテニスの解説やラジオなどに出ています。一度、ドラマにも出ていたため今後、女優としての活躍も見ることが出来るかもしれません。
テニス界を盛り上げた沢松奈生子
沢松奈生子さんは、現役時代はテニス界を盛り上げ黄金の時代を作り出した人物の一人としても、今でも人気があります。他の人では無しえなかったことを努力とたたき上げた腕で、やり遂げました。テニス界を語るときには無くてはならない人物でしょう。