川添象郎(風吹ジュンの元夫)の現在!離婚理由は?音楽プロデューサーの今に迫る
70年代から数多くの有名歌手を育て上げた名音楽プロデューサー川添象郎さん。しかし、度重なる逮捕騒動や不倫騒動で、世間を騒がせてきたことでも有名です。今回は、そんな川添象郎さんの経歴や現況などについて、詳しく調査していきましょう。
目次
川添象郎ってどんな人物なの?
70年代から数々の有名歌手をプロデュースし続けている川添象郎さんは、名女優の風吹ジュンさんの元夫としても有名です。歌手の個性を巧みに引き出し、人気歌手に育て上げる能力の高さは、多くの芸能関係者に認められています。
今回は、そんな川添象郎さんについて、詳しく取り上げていきましょう。
川添象郎とは?
川添象郎さんはイタリアンレストランを営んでいた父親と、ピアノ奏者であった母親の間に生まれました。高校卒業後には、各国の有名写真家が集まるグループ「マグナム・フォト」や、有名写真家「ルネ・ブリ」などの助手として働き出します。
1959年からはラスベガスやニューヨークで最先端の舞台芸術を学び、各国で舞台芸術監督として数々の実績を残していきました。1970年代からは仲間達と音楽事務所を立ち上げ、音楽プロデューサーとして活躍していきます。
その後は音楽プロデューサーとしてだけでなく、空間プロデュースや家具リース業も成功させ、プロデュースやビジネスの才能を開花させていったのです。
川添象郎のプロフィール
本名 | 川添象郎 |
生年月日 | 1941年1月27日 |
現在の年齢(2019年現在) | 78歳 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 音楽プロデューサー・空間プロデューサー・ミュージシャン・舞台監督 |
所属グループ | 無し |
所属事務所 | V3株式会社代表取締 |
主な作品 | YMO「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」荒井由美「MISSLIM」 |
ショパンピアノコンクールに初めて出場した日本人のピアノ奏者原智恵子さんの息子として生まれた川添象郎さん。幼い頃から芸術全般に興味があった川添象郎さんは、高校卒業後に写真家のアシスタントとして活躍します。
1959年にはアメリカのラスベガスに渡り、舞台芸術を学ぶのです。翌年にはニューヨークでフラメンコギタリストとして活躍すると、舞台の楽器演奏者としても評価されるようになり、1964年にはスペインでフラメンコ舞踏団を立ち上げます。
1970年代に帰国すると、音楽プロデューサーとして海外での様々な経験を活かし、大成功を収めていくのです。音楽プロデューサーとして大活躍した川添象郎さんですが、不倫スキャンダルが多く、現在まで4回の離婚を経験しています。
特に人気女優の風吹ジュンとの結婚と離婚は、大きな話題となりました。また、複数回の逮捕歴もあり、世間を何度も揺るがせたのです。
川添象郎の経歴
川添象郎さんは、日本では音楽プロデューサーとしていくつもの偉業を成し遂げてきた人物です。しかし、数多くのスキャンダルで世間から批判を受けることも多々ありました。以下では、そんな川添象郎さんの経歴について、より詳しく説明していきましょう。
アメリカでミュージシャンとして活動
川添象郎さんは、高校を卒業すると写真家の道を志し、国政的に有名な写真家たちの助手として活躍しました。しかし、舞台や音楽などにも興味が湧いた川添象郎さんは、一念発起し1959年にラスベガスに移り、舞台芸術の勉強を重ねるのです。
翌年にはニューヨークに渡りフラメンコに出会った川添象郎さんは、フラメンコギターにのめり込み、やがてプロのフラメンコギタリストとして活躍します。
この時に川添象郎さんは、有名作曲家の伊藤貞司さんとオフブロードウェイの舞台の楽器演奏を担当し、その舞台のオビー賞受賞に貢献しているのです。
帰国後は音楽プロデューサーとして活躍
1970年頃には日本に戻った川添象郎さんは、村井邦彦さんや内田裕也さん、ミッキー・カーチスさんなどの有名歌手や音楽家と共に、音楽事務所「マッシュルーム」を立ち上げます。
小坂忠さんやフォークロックグループガロなどを世に送り出し注目を浴びると、1972年には村井邦彦さんと共に新たな音楽事務所を創立するのです。その音楽事務所では、川添象郎さんがプロデュースした荒井由実さんや音楽グループYMOなどが大ヒットします。
同時期に、有名ファッションブランドのライセンス開発や他分野の会社経営などでも成功を収めた川添象郎さんの名前は世間に広まっていきました。日本人歌手を積極的に海外に売り出し、国際的にも高評価を受ける名プロデューサーになっていくのです。
空間プロデュースもしていた
川添象郎さんは、80年代には空間プロデューサーとして大活躍しました。川添象郎さんは後楽園のビアガーデンの空間プロデュースを行い、空間プロデューサーとしても注目される存在となります。
また、川添象郎さんはこの時期に、経済的に豊かな外国人向けの家具の貸し出し業でも、高いビジネススキルを発揮しているのです。
数々のスキャンダルで世間を驚かせた
川添象郎さんは、現在までに多くのスキャンダルでも世間を騒がせています。
若い頃に結婚と離婚を2回繰り返していた川添象郎さんは、1981には有名女優の風吹ジュンさんと結婚し、2人の子供も設けているのです。しかし、不倫騒動を起こし、1992年には3回目の離婚を経験してしまうのです。
その後、小出明子さんと再婚しますが、女優の荻野目慶子との不倫が発覚し、離婚してしまうのです。複数回の不倫騒動でバッシングを受けることもあった川添象郎さん。しかし、2007年に一般女性と結婚して以降は穏やかな結婚生活を送っているそうです。
川添象郎の若い頃の画像を紹介
川添象郎さんの若い頃の画像は、ネットには出回っていないようです。音楽プロデューサーとして活動していたので、あまり画像は当時から公開されていなかったことが窺えます。上記の画像は、現在の川添象郎さんの画像です。
写真の真ん中で若々しいポーズを決める川添象郎さんは、現在も目鼻立ちがはっきりしており、若い頃はかなり美青年だったことが分かります。
川添象郎の主なプロデュース実績
川添象郎さんは、現在までに華々しいプロデュース実績をいくつも作り上げています。以下では、川添象郎さんの、主なプロデュース実績について、詳しく取り上げていきましょう。
YMO
「YMO」(イエローマジックオーケストラ)は、川添現象郎さんが1978年に手掛けた音楽グループです。YMOは坂本龍一さんと細野晴臣さん、高橋幸宏さんなどの、才能豊かな音楽家3人によって結成されました。
コンピューターによる音色加工やシンセサイザーの導入など、斬新なチャレンジによって生み出された音楽は、先進的な音楽として大ヒットするのです。
荒井由実
1971年に17歳で新進気鋭の作曲家としてデビューしていた荒井由美さん。1972年に川添象郎さんが立ち上げた音楽事務所に移籍すると、シングル「返事はいらない」で歌手デビューします。
当時はそれほど注目されなかったものの、川添象郎さんは荒井由実さんを必死にプロデュースし、1975年にリリースした「あの日にかえりたい」が大ヒットするのです。
一躍誰もが知っている人気歌手になった荒井由実さんは、その後も次々とヒット曲を作り、現在では日本を代表する歌手となっています。
青山テルマ
川添象郎さんが2008年にプロデュースした青山テルマさんは、同年に大ヒット曲「そばにいるね」をリリースします。
切なくも健気な女性の気持ちを歌ったこのバラードは、日本中で人気となり、最もダウンロードされた回数が多い曲としてギネス記録に認定されたのです。ちなみに、2011年にはレコード大賞作詞賞が贈られました。
川添象郎の数々の逮捕歴
2000年代にも名音楽プロデューサーとして注目された川添象郎さんは、現在までに衝撃的な逮捕事件も度々起こしています。以下では、川添象郎さんの逮捕歴についても、詳しく見ていきましょう。
1982年に大麻取締法違反
川添現象郎さんは、1982年に大麻取締法違反容疑で逮捕されています。1981年に人気女優の風吹ジュンさんと結婚したばかりだったことから、より大きく報道されました。
実は、川添象郎さんは1970年に大麻の使用で逮捕されており、執行猶予中での2回目の逮捕だったのです。そのため、懲役8ヵ月という重い刑罰を受けています。
1997年に監禁暴行事件
川添象郎さんは1997年に、監禁暴行という重大な事件を起こしてしまいます。当時、川添象郎さんは全国で指名手配されたため、多くのファンを動揺させました。初犯ではなく被害者も重大なケガを負ったため、約3年という長い懲役刑が下されています。
1999年に覚せい剤取締法違反
複数回の逮捕によって世間から批判の的になった川添象郎さんですが、1999年にも覚せい剤使用の疑いで逮捕されています。これまでにも大麻使用の疑いで複数回逮捕されていることから、川添象郎さんには1年6ヵ月という懲刑役が下されたのです。
川添象郎の妻や子供は?
川添象郎さんは現在までに不倫のスキャンダルも多く報道されており、4回もの離婚を経験しています。以下では、川添象郎さんの波乱万丈な私生活にも触れていきましょう。
元妻は風吹ジュン
川添象郎さんは1981年に、当時人気が高まっていた清純派女優風吹ジュンさんと結婚を発表します。有名音楽プロデューサーと人気女優の結婚は、大きな話題となったのです。しかし、1992年には2人は破局してしまっています。
息子が1人と娘が1人
風吹ジュンさんと川添象郎さんの間には、長女と長男がいます。年齢や名前は公表されておらず、長男は一般職に就き、現在は風吹ジュンさんが暮らす家の近くに住んでいるようです。
長は女現在アメリカ出身の男性と結婚して子供を出産しており、アメリカで家庭を築いています。
風吹ジュンとの離婚理由
結婚当初から、川添象郎さんの度重なる不倫や逮捕が発覚し、風吹ジュンさんは子供を抱えながら辛い思いをしたでしょう。しかし、風吹ジュンさんは自身が両親の離婚を経験していたため、子供に寂しい思いをさせないために離婚は考えなかったそうです。
しかし、1992年に川添象郎さんの女性大学生との不倫が発覚すると、風吹ジュンさんは精神的に耐えられず離婚を決意しています。
風吹ジュンとは
1973年から女優やタレント、歌手として華々しく活動している風吹ジュンさんですが、若い頃は経済的な厳しさで苦労を重ねています。家計を助けるために18歳で銀座のクラブで働いていた風吹ジュンさんは、スカウトされ女優としてデビューしています。
1973年に初代ユニチカマスコットガールに選出された際、風吹ジュンさんのスタイリッシュなポスター写真が評判となり、一躍人気女優となるのです。
ちなみに、風吹ジュンさんの本名は「堀川麗子」となっています。風のように颯爽と芸能界に現れたことから「風吹」、響きが「風吹」と合うからという理由で、「ジュン」という芸名になったそうです。
川添象郎のその後は?
川添象郎さんは風吹ジュンさんとの離婚後にも、再び結婚と離婚を繰り返しています。以下では、風吹ジュンさんと離婚後の川添象郎さんの死生活についても、取り上げていきましょう。
小出明子と再婚
川添象郎さんは風吹ジュンさんとの離婚後に、地上げの王という異名を持っていた最上恒産社長の早坂太吉さんの愛人と囁かれていた小出明子さんと再婚しています。
2007年に出版された林真理子著の「アッコちゃんの時代」に登場する、バブルの時代を銀座のバーのママとして生き抜く主人公のモデルは、小出明子さんなのだそうです。
荻野目慶子との不倫発覚で離婚
川添象郎さんは小出明子さんとの間に男の子を設けていますが、子供が生まれたばかりの時期に女優の荻野目慶子との不倫が発覚してしまいます。その不倫がきっかけで小出明子さんとの別居し、そのまま離婚に至ってしまうのです。
その後に一般女性と再婚
4回もの離婚を経験した川添象郎さんは、2007年に整体院に勤めている一般女性と結婚しています。
度重なる薬物使用や不倫などで仕事にも集中できなくなっていた川添象郎さんは、5度目の結婚後には精神的に落ち着き、音楽プロデューサーとして再起を果たすのです。
川添象郎の現在は?
川添象郎さんは現在5度目に結婚した一般女性と、今も結婚生活を続けています。以下では、波乱万丈な川添象郎さんの現況について、詳しく取り上げていきましょう。
2013年に窃盗罪
川添象郎さんは2007年に5度目の結婚をして以降落ち着きを見せていました。
2008年には歌手青山テルマさんのプロデュースが成功し、仕事も順調な様子であることをファンに示していたのです。しかし、2013年に万引きで逮捕され、覚せい剤の使用も発覚してしまいます。
保釈されていますが、保釈中にも大麻の所持が発覚したため、2014年の裁判で懲役2年という重い判決が下っています。川添象郎さんは2007年以降ずっと調子が良かっただけに、ファンは大きなショックを受け、がっかりしたでしょう。
ウィキペディアで大炎上
多くの川添象郎さんファンが落胆した2013年の逮捕騒動によって、川添象郎さんが息子の名を借りてウィキペディア内の不利な情報を操作していたことも発覚します。
自分の逮捕歴や不倫の事実を無かったことにしようとする態度を見せ、川添象郎さんは大炎上してしまうのです。覚せい剤と万引き容疑での逮捕直後だったことから、世間から厳しい批判の声が投げかけらました。
私生活は荒れていた様子の川添象郎
今回は風吹ジュンさんの元夫であり、名音楽プロデューサーとしても知られる川添象郎さんについて取り上げました。川添象郎さんは音楽プロデューサーとして偉大な実績を残しています。
しかし、多くの不倫や薬物使用による逮捕によって、私生活はかなり荒れていたようです。最近にも逮捕騒動を起こしている川添象郎さんには、しっかり薬物依存から立ち直り、再び名プロデューサーとして活躍して欲しいものです。