石原まき子(石原裕次郎の嫁)の現在!若い頃や生い立ちなども紹介
石原裕次郎さんの妻として有名な石原まき子さんは、かつて名女優として活躍していました。しかし、結婚と同時に引退した石原まき子さんの女優としての活躍を、詳しく知っている人は少ないでしょう。そこで、今回は石原まき子さんについて、詳しく取り上げていきたいと思います。
目次
石原まき子夫人の現在を調べてみた!
昭和を代表する名俳優石原裕次郎の妻である石原まき子さん。石原まき子さんも名女優として活躍していました。石原裕次郎さんが亡くなってから、石原裕次郎さんが立ち上げた芸能事務所石原プロモーションを維持し続けています。
今回は、そんな石原まき子さんの現在について、詳しく取り上げていきましょう。
石原まき子とは?
石原まき子さんは中学校を卒業してすぐに日本劇場のダンサーグループに4年間所属し、ダンサーとして活躍します。その後大手映画会社松竹に所属すると、女優として華々しく活躍するようになるのです。
その2年後に日活に移籍し、日活の看板女優として人気を博します。映画「狂った果実」で共演した石原裕次郎さんとは、息の合った名演技を見せるのです。
以降日活の名コンビとして、石原裕次郎さんと共に23作品もの映像作品に出演することになります。1960年には石原裕次郎さんと結婚し、芸能界を引退しました。
石原まき子のプロフィール
本名 | 石原まき子 |
生年月日 | 1933年7月23日 |
現在の年齢(2019年現在) | 86歳 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 非公開 |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 女優・芸能プロモーター |
所属グループ | 無し |
所属事務所 | 石原プロモーション代表取締役 |
主な作品 | 映画「狂った果実」 |
石原まき子さんは目黒区内にある第二中学校を卒業した後、日劇ダンシングチームに所属し、ダンサーとして活動しています。1952年に松竹に所属すると、映画「カルメン純情す」でデビューし女優として注目されるようになるのです。
その後、演技力をさらに磨いていった石原まき子さんは日活にヘッドハンティングされ、日活のスター女優として活躍するようになります。映画「狂った果実」で石原裕次郎さんと共演すると、絶妙な掛け合いで人気のコンビになり、以降23作品で共演したのです。
石原まき子さんは石原裕次郎さんと交際に発展し、1960年に結婚に至ります。石原まき子さんは結婚と同時に芸能界から引退するのです。
引退後は石原裕次郎さんの所属する事務所の経営に携わり、石原湯次郎さんが亡くなった後には夫との思い出を綴った本を出版しています。
韓国国籍なの?
石原まき子さんには、韓国出身なのではという噂が流れています。石原まき子さんは石原裕次郎さんと結婚する時に、石原裕次郎さん側の親戚から結婚を反対されたそうです。
その理由が、石原まき子さんの韓国籍という国籍だったのではと思われてしまったのでしょう。
石原まき子さんが結婚で石原裕次郎さんの親戚と揉めた理由は、明確に分かっていません。さらに、石原まき子さんが韓国出身という証拠も無いので、この噂に信憑性は無いでしょう。
実家は?
石原まき子さんは東京都目黒区内の一般家庭で誕生したようです。幼い頃からダンスや演技に興味を持ち、明るい少女だったという石原まき子さんは、中学校卒業後には華やかな世界に飛び込んでいきます。
実家の詳細はよく分かっていませんが、両親は石原まき子さんの活動を応戦していたそうです。
石原まき子の生い立ち
今年86歳の迎える石原まき子さんの、デビュー当時のことをよく知らない人もいるでしょう。そこで、以下では石原まき子さんのこれまでの経歴について、詳しく調査していきたいと思います。
中学卒業後にNDTに入団
中学生の頃に、ダンスや演技に関わる仕事をしようと決心した石原まき子さんは、中学卒業後に日本劇場でダンスショーを行う団体「日劇ダンシングチーム」(NDT)に所属します。
華々しく舞台でダンサーとして活躍しながら、様々なダンスや演技を学んでいった石原まき子さんは、すぐに演技力もある実力派ダンサーとして注目される存在になったのです。
1952年に女優デビュー
女優としての仕事にも興味が出てきた石原まき子さんは、19歳でNDTから松竹の芸能事務所に移籍し、1952年に映画「カルメン純情す」で女優デビューを飾ります。
確かな演技力と迫力のある美しいルックスで一躍人気女優となると、他の映画会社からの注目も集めるようになりました。石原まき子さんはデビューから2年後に、日活によって引き抜かれることになります。
人気女優として主に映画で活躍
日活に移籍すると、石原まき子さんは映画で活躍するスター女優にまで成長します。ヒット映画「狂った果実」で、同じ日活所属の石原裕次郎さんと運命的な出会いを果たすと、映画に石原裕次郎さんと組んで出演することが多くなるのです。
石原裕次郎さんと石原まき子さんが共演した23作品はどれもヒットし、2人は日活のドル箱コンビと称賛されるようになりました。
1960年に引退
映画の共演者として出会った石原裕次郎さんと意気投合した石原まき子さんは、1960年に石原裕次郎さんとの結婚と芸能界引退を同時に発表します。結婚後は芸能界とは距離を置き、石原裕次郎さんを支えることに専念していたようです。
周囲の人々からおしどり夫婦と呼ばれる、理想的な夫婦関係を築いていた2人は、裕次郎さんが重い病にかかっても絆は深まっていきました。しかし、石原裕次郎さんは、1987年に52歳という若さで病死してしまいます。
必死な看病を続けていたまき子さんもショックを受けていましたが、気丈にもすぐに裕次郎さんが創立した石原プロを守るための行動を起こしているのです。
石原まき子の若い頃の画像を紹介
上記の画像は、20代前半頃の石原まき子さんの画像です。スター女優として活躍し始めた当時の石原まき子さんは、日本人離れしたルックスを持つ美人女優として人気を集めていました。
凛とした雰囲気や気さくな性格でも、多くのファンを獲得した石原まき子さんは、当時多くの女性からも憧れられる存在だったのです。
石原まき子の主な出演作品
石原まき子さんは数々の映画作品に出演し、演技派美人女優として人気者になりました。以下では、石原まき子さんが出演した作品の中でも、特に石原まき子さんの演技が目立つ作品を、いくつか紹介していきたいと思います。
カルメン純情す
1952年公開の映画「カルメン純情す」は、木下惠介さんが監督を務めた作品です。浅草にあるストリップ劇場に勤める名ストリッパーリリー・カルメンの恋愛模様を、当時の日本社会への風刺を交えながら描いています。
主役は高峰秀子 さんが演じ、石原まき子さんは別名の北原三枝として、カルメンが恋する男性の元恋人細井レイ子を演じているのです。映画初出演の石原まき子さんは色っぽい大人の女性の演技を見せ、多くの人を驚かせました。
狂った果実
1956年に公開された映画「狂った果実」は、石原裕次郎さんの実兄である石原慎太郎さんの同名小説を映画化した作品です。石原まき子さんはヒロインの天草恵梨役を演じ、弟の恋人である恵梨と浮気してしまう兄の滝島夏久役を石原裕次郎が演じています。
天草恵梨は人妻でありながらも、津川雅彦さん演じる大学生の滝島春次を誘惑するのです。さらに、その兄の滝島夏久と肉体関係を持ちます。最後には春次がヨットにいる2人をモーターボートで追いかけまわし、2人を追い詰め恵梨を殺害してしまうのです。
夏の嵐
1956年公開の映画「夏の嵐」は、芥川賞の候補作として選ばれた深井迪子著の同名小説を映画化した作品です。石原まき子さんは主役の浅井稜子を演じています。
運命的な出会いを果たしながらも別れた男性と、結婚を機に再び出会うという数奇な運命を辿った女性を、石原まき子さんはリアルに演じました。
石原まき子の夫は石原裕次郎
石原まき子さんは、昭和時代に不動の人気を誇った石原裕次郎さんの妻としても有名です。以下では、石原裕次郎さんと石原まき子さんの馴れ初めや、子供などについても触れていきましょう。
石原裕次郎とは
60年代から俳優以外にもモデルや司会者、ヨットマンや実業家としても活躍した石原裕次郎さんは、タフガイや裕ちゃん、ボスやユージローと言ったあだ名で、多くのファンから愛されました。
63年に石原プロモーションを設立し、70年代からは数々の名作ドラマに出演し続け、昭和を代表する大スターとなります。
2人の馴れ初め
石原裕次郎さんと石原まき子さんは映画「狂った果実」で出会い、以降名コンビとして数々の映画作品で共演し続けます。共演している時に意気投合した2人は密かに交際を続け、1960年に結婚を発表するのです。
しかし、当時は大スター同士の結婚はタブーとされていたので、バッシングを受けることとなります。一時期は2人でアメリカに逃げたこともあり、帰国後の記者会見は芸能人による初めての会見となったのです。
子供はいない
石原裕次郎さんと石原まき子さんは仲の良い夫婦として有名でしたが、子供は設けていません。
石原裕次郎さんが複雑骨折する重大なケガを負った際に、受けた放射線治療による影響で、子供ができなくなってしまったという噂があります。しかし、明確な根拠が無いのでデマである可能性が高いでしょう。
当時の石原裕次郎さんは大スターで、石原まき子さんも事務所経営を手伝っていたので、単に忙しさから子供を育てる余裕が無かったのかもしれません。
石原裕次郎の闘病と最期
情に厚く豪快な性格だった石原裕次郎さんは、若い頃から怪我を負うことが多かったようですが、若い頃は深刻な病にかかることはありませんでした。
しかし、30代後半頃になると、これまでの忙しい俳優生活のストレスが健康に悪影響を及ぼしたのか、肺結核や舌癌、解離性大動脈瘤や肝臓癌、肝内胆管炎などの重病を次々と発症していきます。
妻の石原まき子さんは献身的な看護を続け、石原裕次郎さんはファンからの復活を望む声に応えるように、一時的に奇跡的な回復を見せることもありました。しかし、度重なる病気でだんだんと体は衰弱していき、ハワイ療養中に容体が悪くなります。
すぐに日本の慶應義塾大学病院で治療を受けたものの、1987年7月に病死してしまったのです。52歳という若さで亡くなった石原裕次郎さんは、当時人気絶頂期に丫あったため、多くのファンが嘆き悲しみました。
裕次郎さんの一番近くで苦しい闘病生活を支えてきた妻のまき子さんも、裕次郎さんの死の直後は相当なショックを受けていたようです。
石原まき子の現在は?
石原まき子さんは、1987年に最愛の夫石原裕次郎さんを亡くして以降、どのように暮らしてきたのでしょうか?以下では、石原まき子さんの現在について、詳しく見ていきたいと思います。
チャンネル銀河株式会社名誉会長に就任
石原まき子さんは石原裕次郎さんを亡くした後に、石原プロモーションの取締役に就任し、しっかり事務所を現在まで守り続けています。
2015年には石原プロとチャンネル銀河株式会社が手を結ぶことになり、チャンネル銀河株式会社の名誉会長にも就くことになるのです。
現在も石原裕次郎を想っている
石原裕次郎さんが亡くなってから現在までに30年以上経っていますが、現在も石原まき子さんは毎年裕次郎さんを悼む会合を開催しています。さらに、現在までに一度も再婚していません。
石原まき子さんは、現在も裕次郎さんのことを一途に想っているようです。
石原まき子が出版している書籍を紹介
石原まき子さんは最愛の石原裕次郎さんの死後、石原裕次郎さんとのエピソードを綴った本を出版しています。以下では、その本についても取り上げていきましょう。
石原まき子さんと石原裕次郎さんに興味がある人は、ぜひ購入して実際に読んでみてください。
死をみるとき 裕さんが書き遺したもの
石原裕次郎さんと石原まき子さんが2人で書き上げた本「死をみるとき 裕さんが書き遺したもの」は、石原裕次郎さんの闘病生活を綴った本です。
石原裕次郎さん本人の日記や、石原まき子さんの懸命な看護の記録、100枚以上の未公開写真などが掲載されています。大スターであった石原裕次郎さんが、妻のまき子さんと送った壮絶な闘病生活の記録は、多くのファンの涙を誘いました。
裕さん、抱きしめたい
「裕さん、抱きしめたい」では、石原まき子さんが石原裕次郎さんとの思い出を綴っています。石原裕次郎さんとの夫婦の思い出や、石原裕次郎さんが亡くなった後のまき子さんの気持ち、170点以上の秘蔵写真などが掲載されている読み応えのある一冊です。
現在も石原裕次郎さんを大切に想う石原まき子さんの一途さが、内容からひしひしと伝わってくるでしょう。
現在も亡き夫石原裕次郎を想い続けている石原まき子
今回は大スター女優としてだけでなく、石原裕次郎さんの妻としても有名な石原まき子さんについて、詳しく調べていきました。
石原まき子さんは若い頃から石原裕次郎さんと固い絆で結ばれており、裕次郎さんが亡くなって30年以上経つ現在でも、その絆を大切にしているようです。
現80歳を超える高齢ながら、現在も芸能事務所の経営に力を入れている石原まき子さん。これからも健康に注意しながら、活躍して欲しいものです。