佐田啓二(中井貴一の父親)の死因は?結婚した妻や家族を詳しく解説!
現在大物俳優として活躍する中井貴一さんの実父である佐田啓二さんは、40年代から60年代に松竹の大スター俳優として華々しく活躍しています。しかし、37歳という若さで事故死してしまうのです。今回は佐田啓二さんの死因や家族などについて、調査していきましょう。
目次
佐田啓二はどんな人物だったのか?
佐田啓二さんは戦後直後の映画界に華々しく登場し、40年代から60年代にかけて大活躍したトップスター俳優です。しかし、人気絶頂期の37歳の時に、交通事故で亡くなってしまいます。
この衝撃的な最期と、偉大な俳優としての数々の功績で伝説的存在となった佐田啓二さんは、現在でも全国で語り継がれているのです。今回は、そんな佐田啓二さんの経歴やショッキングな死の真相などについて、詳しく調査していきましょう。
佐田啓二とは?
佐田啓二さんは、京都の老舗商家に生まれ、早稲田大学までスムーズに進学します。大学生の頃には、大手芸能事務所であった松竹に所属する人気俳優佐野周二さんの家に、下宿することになるのです。
佐野周二さんの勧めで、佐田啓二さんは1946年に松竹大船撮影所に所属する俳優となります。佐田啓二さんは俳優デビューとなった出演映画で、名女優田中絹代さんの恋人役に抜擢され、見事な重厚感のある演技を披露し注目されます。
以降、様々な映像作品で素晴らしい演技を見せた佐田啓二さんは、松竹を代表するスター俳優に成長していくのです。
佐田啓二のプロフィール
本名 | 中井寛一 |
生年月日 | 1926年12月9日 |
享年 | 37歳 |
出身地 | 京都 |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 俳優 |
所属グループ | 無し |
所属事務所 | 松竹 |
主な作品 | 映画「君の名は」「あなた買います」 |
佐田啓二さんは、京都の商家で育ち、早稲田大学を卒業しています。大学生の時から松竹大船撮影所に所属していた佐田啓二さんは、大学3年生の時に映画「不死鳥」に出演し、有名女優の田中絹代さんと情熱的なラブシーンを演じ、多くのファンを獲得するのです。
大学卒業後には本格的に俳優業に集中し、数多くの名作映像作品に出演するようになる佐田啓二さん。幅広い役柄をこなせる器用さとリアリティを追求した演技は、大勢の人から高評価され、数々の賞も受賞します。
大スター俳優として輝いていた佐田啓二さんですが、1964年に交通事故を起こし、37歳という若さで急死してしまうのです。
佐田啓二の経歴
佐田啓二さんは、松竹の大スター俳優となり37歳で事故死してしまうまでに、どのような道を歩んできたのでしょうか?以下では、意外と知られていない佐田啓二さんの経歴を、紹介していきましょう。
早稲田大学政治経済学部に入学
佐田啓二さんは、京都下京区にある有名な商家に生まれました。佐田啓二さんは、幼い頃から成績優秀で、高校卒業後は現役で早稲田大学に合格します。
早稲田大学では政治経済学部で経済と政治を学んでいることから、いずれは実家の商家を継ぐつもりだったのかもしれません。
学生時代に松竹大船撮影所に入社
学生時代から西洋人のような堀の深い顔立ちと、スタイルの良さで女性からモテていた佐田啓二さん。大学生になると、俳優の佐野周二さんの家に下宿するようになります。
佐田啓二さんの演技の才能を見抜いた佐野周二さんは、自身が所属していた芸能事務所松竹の大船撮影所への入所を佐田啓二さんに勧めます。その後、佐田啓二さんは松竹大船撮影所に入所すると、すぐに映画デビューの予定が決まるのです。
1947年に映画デビュー
佐田啓二さんは、1947年に映画「不死鳥」で女優田中絹代さんの恋人として出演します。当時21歳だった佐田啓二さんは、これまでに演技の経験がありませんでしたが、名女優の演技に劣らない落ち着きのある演技を披露するのです。
この演技で多くの女性ファンを一気に獲得した佐田啓二さんは、芸能界で一目置かれる期待の新人俳優になります。
イケメン俳優として活躍
佐田啓二さんは大学生活と忙しい芸能生活を両立し、大学を卒業すると今まで以上に俳優業に力を入れるようになります。
1953年に公開された映画「君の名は」で完成度の高い演技を見せると、同期の高橋貞二さんと鶴田浩二さんと並ぶ人気俳優となり、3人合わせて「松竹戦後の三羽烏」と呼ばれるようになります。
その後も、魅力的な演技を見せた佐田啓二さんは、多くの賞も獲得し、実力派イケメン俳優として人気を集めていくのです。
佐田啓二という芸名の由来
瀬田啓二さんの芸名は、俳優デビューのきっかけを与えてくれた名俳優佐野周二さんの苗字と名前から考え出されたそうです。「佐野周二」から漢字を2つ取って「佐田啓二」という芸名になりました。
佐野周二さんは30年代から70年代にかけて、イケメン俳優として大活躍しています。佐田啓二さんは、その素晴らしい活躍ぶりに憧れていたのかもしれません。
佐田啓二の主な出演映画
佐田啓二さんは37歳という若さで亡くなるまでに、多くの映画に出演しています。以下では、佐田啓二さんのイケメン俳優ぶりがよく分かる映画作品を、いくつか紹介していきましょう。
不死鳥
1947年に公開された映画「不死鳥」は、若い学生カップルの男女が、頑固な父親や戦争によって愛を引き裂かれそうになりつつも、愛を貫いていく様子を描いた作品です。
ヒロインの相原小夜子役は松竹のスター女優田中絹代さんが演じ、主人公の八坂真一役を佐田啓二さんが演じています。佐田啓二さんは初めての演技でラブシーンもスムーズにこなし、多くの芸能関係者を唸らせました。
鐘の鳴る丘
1948年公開の映画「鐘の鳴る丘」は、居場所の無い戦争孤児のために、安心して暮らせる施設を作ろうと奮闘する復員兵加賀見隆平の奮闘を描いた作品です。戦後直後の深刻な社会問題をリアルに取り扱った映画として、大ヒットしました。
佐田啓二さんは主人公の加賀見隆平を、情熱的にかつ優しく演じ、より人気が高まったのです。
君の名は
1953年に公開した映画「君の名は」は、戦時中に愛を育みながらも、様々な障害によって結ばれない男女の恋愛模様を描いた作品です。ヒロインは名女優の岸恵子さんが演じ、相手の後宮春樹役を佐田啓二さんが演じています。
佐田啓二さんは、戦時中に名前を知らないまま恋に落ちた女性と再会を果たすも、女性はすでに婚約しており、苦悩する後宮春樹役をリアルに演じ、話題になりました。
佐田啓二の嫁や子供は?
佐田啓二さんは、現在大物俳優として名高い中井貴一さんの実父としても有名です。以下では、佐田啓二さんの妻や子供の中井貴一さんについても、詳しく見ていきましょう。
1957年に一般女性と結婚
佐田啓二さんは、松竹大船撮影所近くにあった食堂で働いていた一般女性杉戸益子さんと、1957年に結婚しています。名監督小津安二郎も通ったとされる食堂「月ケ瀬」は、佐田啓二さんもよく利用していたそうです。
看板娘として明るく働いていた杉戸益子さんに一目惚れした佐田啓二さんから、アプローチを仕掛け、結婚に至ったとされています。
娘は中井貴恵
結婚後、佐田啓二さんと益子さん夫婦は長女と長男を授かります。長男は名俳優の中井貴一さん、長女は名女優の中井貴恵さんです。中井貴恵さんは女優兼エッセイストとして活躍しています。
映画「女王蜂」や「人生劇場」などで、父親譲りのクオリティの高い演技を披露しているのです。
息子は中井貴一
佐田啓二さんの息子は、現在父親と同じ俳優として活躍する中井貴一さんです。2歳の時に父の佐田啓二さんを亡くした中井貴一さんは、大学生の時に映画に出演したことがきっかけで、父と同じ俳優を志します。
佐田啓二さんと同じ端整な顔立ちと、重厚感のある演技で一躍人気俳優となった中井貴一さんは、現在では大物人気俳優の地位を確立しています。
佐田啓二の死因は?
30代後半の頃の佐田啓二さんは、短期間でスター俳優に登り詰め、2人の子供が生まれ私生活も充実していました。しかし、37歳の時に事故死してしまい、世間に大きな衝撃を与えたのです。
以下では、佐田啓二さんの死因について、詳しく取り上げていきましょう。
死因は交通事故
佐田啓二さんは、車での交通事故で亡くなったとされています。当時スター俳優として撮影のために常に忙しく全国を移動していたという佐田浩二さん。
貴重な休みの日に、長野県信州にある別荘に滞在していた佐田啓二さんは、帰りの車に乗っていた時に交通事故に遭い亡くなってしまったのです。
事故現場は?
瀬田啓二さんが事故死した場所は、山梨県韮崎市韮崎町の塩川橋付近とされています。撮影のために、東京へ急いで帰ろうとしていた佐田啓二さん。
運転手が少しでも早く走ろうと、強引な追い越し運転をしてしまった結果、道路のカーブを曲がることができず大事故となってしまいます。この事故で、頭部に重傷を負った佐田啓二さんは、病院で亡くなってしまうのです。
事故の原因は運転手の運転ミス
事故の直接的な原因は運転手の強引な追い越し運転とされています。カーブを曲がり切れなくなった車は、塩川橋の欄干に激しく衝突し、さらに近くで走っていた車にも激突してしまったのです。
お墓の場所は?
佐田啓二さんのお墓は、現在デビュー作で共演した女優田中絹代さんのお墓もある鎌倉の円覚寺にあります。佐田啓二さんの葬儀は青山葬儀場で執り行われ、約1,000人ほどのファンや親交のあった芸能人、友人たちなどが訪れました。
佐田啓二の若い頃のイケメン写真や画像を紹介
上記の画像は、20歳頃に俳優デビューした直後の佐田啓二さんの画像です。しっかりした二重のある切れ長の目元や、筋の通った高い鼻は、日本人離れした美しさを作り上げています。
涼やかな小顔で、優しい雰囲気もある顔立ちは、息子の中井貴一さんにしっかり受け継がれているようです。
早逝するも現在もファンの心に生き続ける伝説的俳優佐田啓二
今回は戦後直後から60年代まで大活躍しつつも、37歳という若さで衝撃の最期を遂げた佐田啓二さんについて、取り上げました。
ハリウッドスターのような端整な顔立ちだった佐田啓二さんは、演技力の高さや演技への真摯な態度でも、多くのファンから愛されたのです。
現在は息子の中井貴一さんと長女の中井貴恵さんが、佐田啓二さんの魅力を受け継ぎ、芸能界で活躍してます。