三崎千恵子の死因や葬儀について!人気女優の若い頃の画像も紹介
「男はつらいよ」で一躍有名になった三崎千恵子さん。2012年に亡くなってしまわれましたが、その死因はなんだったのでしょうか?三崎千恵子さんのプロフィールや経歴などと一緒に、死因や葬儀がどのように行われたのかご紹介していきます。
目次
三崎千恵子はどんな人だったの?
「男はつらいよ」に出演したことによって一躍人気女優に上り詰めた三崎千恵子さん。2012年にこの世をさられましたが、その人生は一体どのようなものだったのでしょうか?
そこで今回は三崎千恵子さんの人生について振り返ってみました。プロフィールやこれまでの経歴、更に死因や葬儀についてご紹介していきます。
三崎千恵子とは?
ではまずは三崎千恵子さんはどのような人だったのか見ていきましょう。
三崎千恵子のプロフィール
本名 | 宮阪トシ |
生年月日 | 1920年9月5日 |
享年 | 91歳 |
出身地 | 東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区) |
血液型 | 不明 |
活動内容 | 女優 |
所属グループ | なし |
所属事務所 | なし |
主な作品 | 男はつらいよ |
三崎千恵子さんは東京生まれ。青果問屋を営んでいる家の娘として育ちました。
三崎千恵子の経歴
では続いては三崎千恵子さんの経歴についてみていきましょう。学生だった時代から女優になるまで、どのような人生を歩んでこられたのでしょうか?
1939年に松竹演芸部に所属
三崎千恵子さんは東京にある私立大学・東洋高等女学校を卒業しました。そのあとは現在の東急百貨店に当たる白木屋に就職します。就職先の白木屋ではコーラス部に所属。歌うことの楽しさに気づきます。
その後、コーラス部での活躍に目を付けられてスカウトで松竹演劇部に所属。歌手として活動を始めました。
1954年に映画デビュー
歌手として経験を重ねてきた三崎千恵子さんは1954年に劇団民藝へ入団。その後、新藤兼人さんが監督を務める「どぶ」という作品で映画デビューを果たしました。
女優としてドラマや映画で活躍
劇団民藝で演技を磨いてきた美咲千恵子さんですが、1967年には退団し新たな道を歩みだします。そしてその後の1969年に有名な「男はつらいよ」シリーズへの出演が決まります。
三崎千恵子さんはこのドラマで寅さんのおばちゃん・車つね役を熱演。一躍有名になり人気女優の仲間入りをしました。そしてこのドラマをきっかけに女優として様々なドラマや映画に出演するようになります。
きもの教室も開設
三崎千恵子さんは演技を演じること以外にも着物を着ることが趣味で、普段から着物を愛用されていました。そしてその趣味が講じて自身で着物教室を開設していました。
着物の着付けはもちろん、帯などの小物の選び方や着物姿での動き方・マナーも指導されていたそうです。
音楽にも精通していた
演劇焼物など多彩な才能をお持ちの三崎千恵子さんですが、それ以外にも音楽にも精通しておられました。特に小唄や荻江節などの三味線音楽に長けておられ、名取になるほどの実力をお持ちだったそうです。
名取になるまでには平均して3年ほどの稽古が必要な上に、課題曲を覚えるなどの様々なハードルがあります。本業でも忙しいはずなのに、他にも努力を続けられている姿は見習うところばかりです。
三崎千恵子の若い頃の画像を紹介
ではここでは若い頃の三崎千恵子さんの画像をご紹介しましょう。この画像は映画「男はつらいよ」のワンシーン。一番左に座っているのが三崎千恵子さんです。
寅さんの叔母役で出演していた三崎さん。和服姿がよくお似合いです。また優しく明るい笑顔が特徴的で、誰もが親近感を抱く女優さんでした。
三崎千恵子の夫や子供は?
では次は三崎千恵子さんのプライベートについて見ていきましょう。三崎千恵子さんは結婚していたのか、子供がいたのかなどしdp生活についてご紹介します。
1942年に宮阪将嘉と結婚
三崎千恵子さんは1942年に俳優である宮阪将嘉(みやさかまさよし)さんと結婚しています。
宮阪将嘉とは
宮阪将嘉とは大正1年10月30日生まれの俳優。出身は長野県です。テレビ・映画で放送されていた「事件記者」シリーズでは村田部長刑事役を熱演。多くの人から人気を集め、有名俳優となりました。
2人の馴れ初め
松竹演芸部で活動を続けていた三崎千恵子さんですが、宮阪将嘉に気に入られて「ムーランルージュ新宿座」へとスカウトされます。そしてそこで活動を続け、同じ夢を追いかけていくうちに意気投合し、恋愛・結婚へと発展しました。
最終的に宮阪将嘉さんは座長に上り詰め、ムーランルージュ新宿座を盛り上げました。
子供は1人
そんなお二人の間には娘さんが一人いました。その娘さんはお父さんやお母さんのように役者を目指すことはなく、一般人として生活を送っておられるようです。そのため何も情報はありませんでした。
1997年に宮阪将嘉が死去
家族三人仲良く生活していましたが、1997年に夫である宮阪将嘉さんが享年85歳で亡くなられました。死因は公開されていないようで、こちらも情報を見つけることができませんでした。
三崎千恵子の死因は?
では続いては三崎千恵子さんの死因について見ていきましょう。人気女優だった三崎千恵子さんはどのような状態で最期を迎えられたのでしょうか?
高齢者施設で生活していた
三崎千恵子さんは年老いてからは自宅のある神奈川県鎌倉市の高齢者施設で生活されていました。自宅での生活に限界を感じ、施設へ移り住んだのではないかと言われています。
2012年に死去
そうして高齢者施設で暮らしていた美咲千恵子さんですが、ある時から体に不調を感じ始めます。そしてその後同じく鎌倉市の病院へと入院。そこでそのままお亡くなりになりました。
死因は老衰
病院で最期を迎えた三崎千恵子さんですがその死因は老衰でした。享年91歳でこの世をさられました。
三崎千恵子の葬儀の様子は?
では続いては三崎千恵子さんの葬儀の様子についてです。そのような葬儀で三崎千恵子さんを弔ったのでしょうか?
喪主は娘
葬儀の主催者で家族の代表者でもある喪主を務めたのは、三崎千恵子さんのたった一人の家族である娘さんでした。
葬儀・告別式には今までに出演した「男はつらいよ」や「渡る世間は鬼ばかり」の監督・共演者が参列し、別れを惜しんだそうです。
弔辞を読んだのは倍賞千恵子
そんな仲間に見守られながらの葬儀のなかで、弔辞を読んだのは同じ女優の倍賞千恵子さんでした。同じ作品で共演して以来プライベートでも親交があり、仲が良かったお二人。倍賞千恵子さんは弔辞で今までの思い出や感謝を述べられたそうです。
倍賞千恵子とは
弔辞を読んだ倍賞千恵子さんは、様々な映画やドラマで活躍している人気女優。三崎千恵子さんとは「男はつらいよ」で共演していました。
倍賞千恵子さんは「男はつらいよ」でとらさんの妹役である諏訪さくら役を熱演。その後不動の人気を得ることとなりました。
また最近の作品ではジブリ映画の「ハウルの動く城」で主役のソフィーの声優を担当。また主題歌である「世界の約束」を歌い上げるなど、才能に溢れた魅力溢れる女優さんです。
三崎千恵子の主な出演作品
では続いては三崎千恵子さんの出演してきた作品について見ていきましょう。数々の有名作品に出演してきた三崎千恵子さん。その中では一体どのような役を演じてこられたのでしょうか?
渡る世間は鬼ばかり
まず最初にご紹介する作品は「渡る世間は鬼ばかり」です。このドラマは橋田壽賀子が脚本を描く人気ドラマシリーズ。1990年から2011年の21年間放送され、スペシャルも含むと通算放送回数は510回という超大作です。
そんな渡る世間は鬼ばかりでは塚田 咲枝役で出演。第1・第2シリーズで小料理屋「おたふく」の女将を演じました。主人公の大吉が板前になりたいと言い出した時には指導役を買ってでるなど出番も多く、視聴者の記憶に残るキャラクターとなりました。
男はつらいよ
次にご紹介する作品は「男はつらいよ」です。この作品は渥美清さんが主演を務める山田洋次監督のドラマ。縁日などで見かけるテキ屋を生業とする「フーテンの寅」が事あるごとに問題を起こす人情喜劇であり、旅先で出会ったマドンナとの恋模様を描く恋愛物語でもあります。
この作品内で三崎千恵子さんは車つね(おばちゃん)役を熱演。主人公の寅さんの叔母にあたる人で、寅さんやマドンナのことを得意料理で毎回もてなします。着物姿での出演が多く、その姿はとても印象的でした。
みんなから愛される女優
今回は女優の三崎千恵子さんについてご紹介しました。一度は会社員として働いた美咲さんでしたが、コーラス部での活動をきっかけに有名女優に成長しました。また、その成長のきっかけには大人気作品の「男はつらいよ」が関係していたことは間違いありません。
惜しくも老衰で亡くなられてしまいましたが、最期は仲間に惜しまれながら天国へ。お客さんからだけではなく、スタッフや仲間からも愛されて一生を終えられた方でした。