真矢みきの宝塚時代の男役の伝説は?黒木瞳と同期?その時の写真も紹介

宝塚出身の女優、真矢みきの男役の伝説とは何なのか?説明をしていきます。宝塚出身の真矢みきは好感度ナンバーワンタレントとして人気です。彼女は男役として活躍していた宝塚時代にある伝説を残しています。真矢みきが残した伝説や経歴についても説明をしていきます。

真矢みきの宝塚時代の男役の伝説は?黒木瞳と同期?その時の写真も紹介のイメージ

目次

  1. 1真矢みきは宝塚出身って本当なの?
  2. 2真矢みきとは?
  3. 3真矢みきの経歴
  4. 4芸能界に入ったもののどん底を経験
  5. 5真矢みきの宝塚時代の画像を紹介
  6. 6真矢みきの宝塚時代の同期は?
  7. 7真矢みきの宝塚時代の伝説的エピソードを紹介
  8. 8宝塚時代の真矢みきの主な出演作品
  9. 9真矢みき(現在は真矢ミキ)は伝統ある宝塚に革命を起こしていた

真矢みきは宝塚出身って本当なの?

宝塚出身の真矢みきは、好感度ナンバーワンタレントとしてお茶の間の人気を集めています。テレビドラマや映画でも活躍中の彼女は、かつて男役として出ていた宝塚時代にある伝説を残しています。

宝塚時代も男役として熱烈なファンの支持を得ていた真矢みきですが、1998年に退団をしてから20年以上も経つので「本当に宝塚出身なの?」と思う方もいるようです。

宝塚時代に男役として真矢みきが残した伝説とは一体何だったのでしょうか。この記事では、人気タレント真矢みきの経歴とともに宝塚時代の伝説のエピソードをご紹介します。

真矢みきとは?

はじめに、真矢みきとはどんな人なのか基本的な情報をお伝えしましょう。

真矢みきのプロフィール

本名 西島 美季(にしじま みき)
生年月日 1964年1月31日
年齢(2019年現在) 55歳
出身地 広島県広島市
血液型 O型
活動内容 女優・司会・タレント
配偶者 西島千博
所属事務所 オスカープロモーション
主な作品 宝塚:ベルサイユのばら
司会:白熱ライブビビット

真矢みきの本名は西島美季(にしじまみき)です。2008年に西島千博(バレエダンサー)と結婚したので西島姓に変わっているのですね。なお、2015年に「真矢みき」から「真矢ミキ」へ改名をしていますが、この記事では真矢みきのまま掲載しています。

真矢みきは1964年1月31日に広島県広島市に生まれ、現在は55歳になります。父の転勤で大阪に住み地元中学を卒業後1981年に宝塚歌劇団に入団し花組に配属されます。そして1995年には、花組トップスターの座について活躍をしました。

1998年に宝塚歌劇団を退団した後は女優として、テレビや映画やCMにも出演するなどお茶の間の認知度は急上昇、現在は情報バラエティ番組の司会を務めるなど主婦からの絶大な支持も得ています。

真矢みきの経歴

次は真矢みきの経歴を掘り下げて見ていきましょう。大地真央に憧れて宝塚に入学した彼女は自身のことを「劣等生だった」と言っています。どうしてなのでしょうか。

大地真央に憧れて宝塚音楽学校に入学

真矢みきは、大地真央に憧れていて宝塚女優になったのは有名です。学生時代に大地真央を出待ち?して手紙を持参したこともあったそうです。

宝塚に入ることになったのは母親の影響もあったようです。「中学を出たらお嫁さんになる」と言っていましたが、母親が宝塚の大ファンだったので「宝塚コドモアテネ」と言われる宝塚への入学者を多く輩出している音楽学校に通うことになりました。

そして難関の宝塚音楽学校に入ることができました。入学後最初の試験の時は下から2番目の成績だったのだそうです。今の活躍ぶりからは信じられないですね。

1981年に宝塚歌劇団に入団  

音楽学校を卒業した後の1981年に、真矢みきは第67期生として「宝塚歌劇団」の花組として入団しています。

ちなみに宝塚歌劇団は、宝塚音楽学校で二年間の厳しい修行に耐え無事に卒業をできた人だけが入ることができ、容姿や技量がない人は入団できないこともあると言われています。しかし実際にはほぼ全員入団をするようです。

入団当時の成績は21位  

宝塚音楽学校から歌劇団に入団した当時の成績も21番だったのだそうです。宝塚音楽学校に入った当初は39人中37番だったので、少し上がっています。ちょうど中間あたりの成績になったのですね。

宝塚音楽学校に入るために、幼少の頃からバレエや音楽のお稽古をしている人は多いようです。真矢ミキはバレエなどは習っていなかったのに宝塚音楽学校に入れた上に、中間の成績までになったのは凄いことだと思います。

花組トップスターに就任  

そして、もっと凄いのは入団後、花組のトップスターになったことです。トップスターに就任したのは、1995年のことですが、初舞台の頃から「個性派スター」としてかなりの注目を浴びていたそうです。

2番手でありながらも、当時トップだった「安寿ミラ」と同等な扱いを受けており実質的にはトップといってもいいような活躍ぶりだったと言います。

そして1995年に安寿ミラが退団したため、正式に花組トップスターに就任することとなりました。その時の相手役には純名里沙が務めました。

1998年に宝塚歌劇団を退団

宝塚時代に伝説を残し花組のスターに上り詰めた真矢みきは、3年後の1998年に宝塚歌劇団を退団することになりました。「SPEAKEASY」の東京公演の千秋楽を持ってタカラジェンヌから女優への道へ歩み始めました。

芸能界に入ったもののどん底を経験

宝塚時代はトップスターとなり、退団後も期待されて芸能界に入った真矢みきですが、芸能界ではどん底を味わったのだと言います。

真矢みきが宝塚を退団したのは34歳の時ですが、4年後の38歳の時に事務所から「戦力外通告」をされてしまったのです。今の活躍ぶりからは考えられませんが、そんな時代もあったのですね。

しかし、彼女は負けませんでした。宝塚時代の厳しい経験を生かしどん底から這い上がったのです。自分で「踊る大捜査線」のオーディションを受け合格、見頃に芸能界に返り咲きました。

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真矢みきの宝塚時代の画像を紹介

ここで、真矢みきの宝塚時代の画像を紹介しましょう。男性よりも男性らしいイケメンですね。

真矢みきの宝塚時代の同期は?

真矢みきの宝塚時代の同期にはどんな人がいるのでしょうか。宝塚時代にトップになった人は、今も芸能界で活躍しています。

黒木瞳

黒木瞳は1960年生まれで現在は59歳になります。宝塚時代は月組トップの娘役でした。異例の速さで娘役トップになり大地真央の相手役を務めています。現在は女優やタレントとして幅広く活躍し知らない人はいないぐらい有名です。

黒木瞳の魅力は、スレンダーで可愛らしいのに、どこかボーイッシュで男勝りな面があるところ、なのではないでしょうか。

記念受験で宝塚音楽学校に面接に行き、志望動機を尋ねられて「松竹歌劇団でもよかったんですけど」と言ったのだそうです。当時、松竹歌劇団は宝塚歌劇団のライバルだったそうです。そんな失言をしたにも関わらず高い倍率をくぐり抜けた逸話もあります。

涼風真世  

涼風真世も1960年生まれで現在59歳になります。宝塚時代は入団後10年目で月組のトップスターになりました。

宝塚と言えば「ベルサイユのばら」と言われるぐらいベルばらは空前の大ヒット作になりましたが、涼風真世も1991年に「ベルサイユのばら・オスカル編」でトップスターのがお披露目を果たしています。現在はテレビや映画、アニメの声優もしていたそうです。

北原遥子

北原 遥子は、1961年生まれで宝塚時代は雪組の娘役として活躍しました。彼女は「宝塚一の美女』と言われいずれトップの娘役になると期待されていました。

ところが、宝塚側とのトラブルから退団(解雇)を余儀なくされます。ちなみにトラブルは北原遥子の責任ではなく、テレビ局側の不誠実な対応が原因だったのだそうです。

その後は芸能界で活躍しテレビドラマへの出演も決まっていましたが、1985年(昭和60年)8月12日に起きた有名な日航機(123便墜落事故)の事故の犠牲者になってしまいます。24歳の若さでした。

真矢みきの宝塚時代の伝説的エピソードを紹介

では、今回の本題「真矢みきの宝塚時代の伝説的エピソード」を紹介しましょう!

ソロコンサートを開催  

真矢みきは当時の宝塚では考えられないような行動をしています。宝塚時代は会社側の了解があれば、歌劇団以外の活動も認められるそうです。

真矢ミキは、退団直前の1998年に自らの発案で、宝塚歌劇団で初めての「真矢みき日本武道館コンサート」を開催しています。これはつんく♂がプロデュースしており当時は大変話題になりました。

写真集を出版

また、有名なカメラマン篠山紀信による写真集「Guy」の出版もしています。タカラジェンヌが劇団にいる間に写真集を出すのは当時は異例なことだったようです。このため「ヅカ(宝塚)の革命児」とまで言われるようになりました。

独自のメイク法  

当時の宝塚は男役であっても、ブルーのアイシャドウと真っ赤な口紅が定番だったのだそうです。しかし、真矢みきは「男なのに赤い口紅なんてあり得ない!」と、アイシャドウは青からグレーに、口紅は赤からベージュに変えました。

長髪のヘアスタイル

また、メイクだけでなく髪型も変えました。当時の男役は「リーゼント」が定番だったそうです。しかし、流行していた長髪のヘアスタイルを取りいれるように提案し妖艶な男役もこなしました。

宝塚時代の真矢みきの主な出演作品

最後に宝塚時代の真矢みきの主な出演作品を紹介していきましょう。

ブラック・ジャック~危険な賭け~

ブラック・ジャック~危険な賭け~は、手塚治虫の漫画で天才外科医の物語を宝塚歌劇団花組用にアレンジしたものです。

宝塚大劇場では、安寿ミラが主役を務めていますが、東京公演の時にはロンドン公演で不在だったため、真矢みきが代役を務めていました。

花組のファンの中では「安寿ミラ」と「真矢みき」が揃って活躍していた頃が一番好きだったと言う人もいいます。両方ともカッコいいですが真矢ミキはより個性的ですね。

ベルサイユのばら

ベルサイユのばら、は宝塚の中ではトップを誇る大作となりました。フランス革命を舞台に描かれた架空の人物「オスカル」と「アンドレ」の恋の物語は漫画でもベストセラーになりましたが、宝塚でも大変な人気となったのです。

オスカル役はタカラジェンヌのいろいろな方が演じていて、安寿ミラや涼風真世、天海祐希が人気でしたが真矢みきのオスカル役も大人気でした。

真矢みき(現在は真矢ミキ)は伝統ある宝塚に革命を起こしていた

真矢みき(現在は真矢ミキ)の宝塚時代の伝説を振り返ってみました。歴史ある宝塚に革命を起こした真矢ミキの更なる活躍を祈ります。

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