マネーの虎のうどん屋(樋口)のその後!うどんの国から来た男の現在!
マネーの虎のうどん屋のその後や現在とは?過去に話題を集めていたテレビ番組「マネーの虎」に出演したうどん屋の樋口さんについて、マネーの虎出演時の話題や、その後、今現在についてご紹介します。マネーの虎がどんな番組だったかもご紹介しますのでチェックしてください。
目次
うどんの国から来た男・樋口のその後は?
2001年から2004年まで日本テレビ系で放送されたテレビ番組である「マネーの虎」に「うどんの国から来た男」として出演した樋口さんはその後どうなったのでしょうか。
マネーの虎の放送回の中でも非常に話題性が高く「神回」と言われている回で、虎たちから「ボコボコにされた」として多くの視聴者から知られている回となっています。
そんな「ボコボコにされた」樋口さんがマネーの虎に出演した回の概要や詳細、その後や今現在はどうなっているのかという部分をご紹介しますので以下よりチェックしてみてください。
マネーの虎ってどんな番組だったの?
うどんの国から来た男・樋口さんが出演して話題となった「マネーの虎」という番組はどのような内容だったのでしょうか。
このマネーの虎は、2001年10月から2004年3月まで日本テレビ系で放送された番組で現在は放送されていません。
起業家、もしくは起業を目指す一般人が「事業計画をプレゼンテーション」することで、投資家として出演している審査員から出資を得ようとする番組となっています。
この投資家として出演している審査員たちも一般人が主となっていますが、すでに成功している企業の社長です。
この大物社長たちのことを「マネーの虎」もしくは「虎」と称して、出資する場合は「自腹」となっており、この虎達の出資予定額の合計が、志願者の希望金額に達すれば「マネー成立」となります。
「マネー成立」となれば、志願者は虎達からの出資金を獲得することができ、その後は出資者と相談した上で開業当日の利益目標に応じた「ノルマ」を設定する形となっています。
マネーの虎に出演したうどん屋の樋口とは?
マネーの虎に出演したうどん屋の樋口さんはどのような人物だったのでしょうか。樋口さんは「うどん屋」や「うどんの国から来た男」と称されるように「うどん屋」を開業しようと志願してきた人物です。
ただ、その態度の悪さや謙虚さの足らなさ、そして事業計画のいい加減さなどからマネーの虎たちが怒り、苦言や怒号を浴びせるなど大荒れとなった回となります。
志願者への批難や虎同士の対立の構造はこの番組では珍しいことではないのですが、虎たち全員が呆れ「キレた」というところがうどん屋の樋口さんが話題に挙がった理由です。
マネーの虎に出演した樋口はうどん屋を開業したの?
マネーの虎に出演し出資者、審査員である虎たちに「ボコボコ」にされた樋口さんは、当然ながら「マネー不成立」となりました。
普段は「ちょっと辛口すぎない?」という目で虎たちを見ているような一般視聴者であっても樋口さんに関しては「ちょっといい加減すぎるかな」と感じた人が多いくらいに当然の結果と言えます。
ただ、そんな樋口さんですが、「実際にうどん屋を開業した」という噂があります。この噂についての真相を探ってみましたので以下よりチェックしていきましょう。
うどん屋を開業した?
マネーの虎に出演した「うどん屋の樋口」さんが持ち込んだ企業の計画というのは、東京都の日野市で、お客が調理に参加するような形の「セルフ形式」での手打ちうどん屋をやりたい、というものでした。
ただ、マネーの虎に出演した時点では、当時37歳で大手牛丼屋チェーンでアルバイトをしている身で、これまでにうどん屋で働いたことも修行したこともないという状態でした。
しかも、その計画を実行するために何かをしたということもなく、金策をしたこともなければ具体的な計画もほぼ考えたことがないような状態で、だからこその「いい加減な事業計画書」だったのです。
そのような状態でマネーの虎に出演し、出資を願い出ること事態が無謀なものですし、虎たちに対する態度についても良いものとは言えず、当然のマネー不成立となったのです。
しかし、マネーの虎に出演した際には勤め先を辞めて番組に挑んでいたり、熱意だけは強く持っていたというところを虎たちに「ボコボコ」にされたことから奮起したのでしょう。
実際にその後、うどん屋を開業しています。「手打ちうどん咲楽」というお店をやっていて、しっかりと計画どおりのセルフ形式を含めた手打ちうどんのお店を開業しているのです。
うどん屋の場所は?
うどん屋の樋口さんが開業したうどん屋の場所は、こちらも予定通りの東京都日野市で住所は「東京都日野市多摩平5-2-4」という場所になっています。
ただ、こちらは移転前のものとなっており、移転前は豊田駅から徒歩10分ほどの立地でしたが、移転後は高幡不動駅より徒歩3分ほどの「東京都日野市高幡2-23」になりました。
移転前はテーブル4席×2、6席×1、立食カウンターありの14席でしたが、移転後は4人テーブル4卓、カウンター8席の24席となりましたので少し店舗も広くなりました。
ただ、こちらの移転後の店舗では最初の計画とは違い「セルフ形式」は廃止されていて一般の手打ちうどん屋となっています。
移転前はセルフ式の前払いというものでしたが、移転先の新しいお店では着席してからオーダをして、食事後の後払い方式という形になっています。
ただ、駅チカの好立地の場所に移転できるということは、それだけ「儲かっている」ということでもあり、駅チカになってさらにお客も順調に入っているということです。
うどん屋の樋口にマネーの虎の社長がブチギレした理由
今現在は実際にうどん屋として開業し、経営も順調なうどん屋の樋口さんですが、マネーの虎に出演した時点では社長たちが「ブチギレ」するほどのものでした。
先にも軽く触れてはいますが、改めてその社長たちをブチギレさせた理由を取り上げていきましょう。以下よりチェックしてみてください。
事業計画書が適当
マネーの虎に出演した出資志願者は事業計画書を作成し、それを元にプレゼンテーションを行なうことになりますが、その事業計画書が「適当」だったことが虎たちの怒りを誘いました。
「なんなんこれ、子供のお絵かきみたいよ??」「(この事業計画書を)視聴者に見せたろか?」という言葉が虎から飛び出すほどにいい加減なものでした。
やる気が見られない
マネーの虎で社長たちをブチギレさせた理由というのは「やる気が見られない」というものもあります。それは「熱意」のようなものではなく、実際の行動によるものです。
事業計画書の件でもそうですが、内容がしっかりと練られていないだけではなく「過去」に書いたものをそのまま持ってきたようなものも混ざっていて数字が「適当」になっていました。
また、先にも触れていますが、これまでに金策もしていなければ、うどん屋に勤めて修行をした経験もないというもので、行動を伴うやる気が見られないのです。
態度が悪い
さらにマネーの虎の社長たちをブチギレさせた理由として「態度が悪い」というものがあります。これは社長たちに「適当」なところや「やる気がない」ところを指摘される前まではそれほどでもありませんでした。
ただ、「もうこれはマネー不成立だな」と自分で悟ったであろうところからは表情も態度も悪くなっています。
そして最終的にノーマネーとなったところで「最後に何かありますか?」と問われたときに「もう決まったので別にいいです」というような開き直った捨て台詞を吐いて、さらに怒号を浴びせられています。
マネーの虎に出演したうどん屋の樋口の現在は?
マネーの虎に出演し、結果としては「マネー不成立」となったうどん屋の樋口さんですが、現在はどうなったのでしょうか。
その後はうどん屋を実際に開き経営していましたが、その後から今現在の様子を確認していきましょう。
嫁や子供はいるの?
うどん屋の樋口さんの今現在について、嫁や子供はどうでしょうか。子供の話題についてはマネーの虎出演時に「下の子が知的障害を持っている」という話題を出しているのでいるものと考えられます。
そして飲食店系の口コミサイトなどに「ご主人」と「奥さん」という言葉が出てきますので、嫁も一緒にうどん屋を切り盛りしているということになるでしょう。
現在の年収は?
うどん屋の樋口さんはマネーの虎に出演して知られているというだけで、高額納税者でもなく、年俸などが公表されるスポーツ選手でもない一般人ですので、詳細な年収は不明です。
ただ、「大成功」となるほどであれば、その後として取り上げられることもあるでしょうし、複数の店舗を展開して広くやっていくということになるでしょうから、「普通に食べていける」程度の並のうどん屋と考えられます。
現在の画像は?
うどん屋の樋口さんの現在の画像はこちらになります。マネーの虎に出演当時から見ると歳を取っているのが分かりますが、樋口さんだと分かる見た目をしています。
マネーの虎の「虎」たちはノーギャラ
このうどん屋の樋口さんが出演した回のマネーの虎でも言っているのですが、出資者・審査員である社長たちはノーギャラでこの番組に出演しています。
出演に対するギャランティが発生しないというだけではなく、交通費や食費、宿泊費など、この番組に出演するためにかかる費用もすべて社長たちが自腹でやっているものとなります。
ブチギレられてもその後やる気を出したうどん屋の樋口
マネーの虎に出演している状態を見る限りでは「やる気」も「本気」も感じられない樋口さんですが、実際にその後はうどん屋を開いて、現在も順調に経営しています。
当時も熱意はある程度あったのでしょうけれど、社長たちに諭されて奮起したのだとしたら、マネー不成立であっても「出た甲斐があった」と言えるでしょう。
どれだけ「やる気がない」とボコボコにされてもそこから本気になれれば、起業してやっていけるのだという良い成功例と言えるのではないでしょうか。