小暮洋史容疑者の生い立ちや家族!群馬一家3人殺害事件の指名手配犯

群馬一家3人殺害事件をご存知でしょうか。ここでは、20年前に発生した悲惨な事件が風化しないよう、群馬一家3人殺害事件の概要や、小暮洋史容疑者の生い立ちや被害者遺族の女性との関係、指名手配犯である小暮洋史容疑者の現在などについてまとめています。

小暮洋史容疑者の生い立ちや家族!群馬一家3人殺害事件の指名手配犯のイメージ

目次

  1. 1群馬一家3人殺害事件とは?
  2. 2群馬一家3人殺害事件犯人・小暮洋史の生い立ち
  3. 3小暮洋史の人物象
  4. 4小暮洋史と被害者遺族女性の関係
  5. 5被害者遺族女性には手を出さなかった小暮洋史
  6. 6群馬一家3人殺害事件の被害者家族の現在
  7. 7小暮洋史の家族は現在どうしてる?
  8. 8その後の指名手配犯・小暮洋史
  9. 9「宙の会」の活動
  10. 10群馬一家3人殺害事件のこれまでとこれから

群馬一家3人殺害事件とは?

群馬一家3人殺害事件をご存知でしょうか。1998年に発生したこの事件は、容疑者が指名手配犯として逃走を続け、身柄を確保できないまま時効を迎えんとしています。

ここでは、事件を風化させず容疑者を確保するためにも、群馬一家3人殺害事件の概要、容疑者の人物像、被害者遺族女性との関係や事件後の容疑者の目撃情報などをまとめています。

文末には、情報提供先の連絡先も記しています。どんな些細なことであっても、情報をお持ちの方は提供して捜査にご協力いただきますよう、よろしくお願いいたします。

群馬一家3人殺害事件の概要

群馬一家3人殺害事件とはどのような事件だったのでしょうか。詳細を忘れてしまったり、事件そのものを知らない若い方のために、ここでは事件の概要を説明します。

1998年1月、現在の群馬県高崎市のとある住宅に男が押し入り、住人の男性とその妻を刺殺、さらに男性の母親を絞殺しました。殺害後、男は現場に留まり、2時間が経過したころに帰宅した男性の長女と言葉を交わしたと言われています。

男は長女に手を出すことはせず、自分の車で茨城方面に逃走しました。その後、容疑者の足取りはつかめておらず、20年経った現在でも逃走中です。男は指名手配犯とされています。

群馬一家3人殺害事件犯人・小暮洋史の生い立ち

ここまで、群馬一家3人殺害事件の概要について見てきました。

この事件の容疑者は「小暮洋史」。現在指名手配犯です。彼はどのような人物なのでしょうか。ここからは、容疑者の生い立ちについて見ていきます。

群馬県前橋市出身

小暮洋史容疑者は、1969年7月31日に群馬県前橋市で生まれました。事件当時は28歳、現在49歳です。家族構成や、その他生い立ちに関しては、あまり情報が公開されていません。

続いて、学生時代や社会人になってからの交友関係や周囲からの評判について見ていきます。

友達のいない学生時代

学生時代の小暮洋史容疑者のことも、あまり分かっていません。というのも、学生時代は内気で友達が少なく、彼にかかわりを持っていた人自体が少なかったからだそうです。

このころから、周囲の人とコミュニケーションをとることが苦手で、他人と深い関係を築くのを難しいと捉える内気な少年だったと想像することができます。

群馬工業高校を卒業しトラック運転手に

小暮洋史容疑者は、群馬工業高校を卒業後、運送会社でトラック運転手として勤務していました。事件直前まで勤務していたので、まじめに長期間勤務していたようです。実際、職場での評判は、決してひどいものではありません。

しかし少年期と同様、職場の人と深く付き合うことはなかったようです。周囲の人とのコミュニケーションに対する苦手意識は、大人になっても解消できていなかったようです。

小暮洋史の人物象

ここまでは、指名手配犯・小暮洋史容疑者の生い立ちについて見てきました。幼少期から大人になるまで、あまり周囲の人とのコミュニケーションが得意ではなかったことが伺えました。

ここからは、小暮洋史容疑者の人物像について見ていきます。

仕事は真面目

トラック運転手として運送会社で勤務しているときの、小暮洋史容疑者の勤務態度はまじめで、特別にトラブルなどを抱えてもいなかったそうです。まじめでしたが、犯行に及ぶことを決心していたのか、事件の10日前に急に「辞めます」と宣言していたそうです。

また、「警察に見つからずに死ぬ方法がある」と同僚に話していたそうです。犯行後に自殺することを考えていたのでしょうか。

あまり周囲と関わろうとしない男性が「警察に見つからずに死ぬ方法がある」などと急に言い出したら、話を聞いた同僚の方も大変驚き、また、心配したことと思います。この心配が、非常に残酷な形で堅実となってしまったことを悲しく思います。

無表情で人付き合いが苦手

小暮洋史容疑者は、仕事はまじめにこなしていたようですが、無表情で人付き合いが苦手だったということでした。このように、周囲とのコミュニケーションが苦手であったことは、幼少期から変化はなく、依然として他人と人間関係を築くことは難しかったようです。

後輩に対しても面倒見が悪く、そういう点では、小暮洋史容疑者の評判はあまりよくありませんでした。

爪を噛む癖があった

小暮洋史容疑者は、大人になってからでも爪を噛む癖がなおらなかったそうです。多くの人は、幼少期には爪を噛む癖があっても、大人になるにつれてなおっていくものです。

大人になっても爪を噛む癖がある人は、「イライラやストレスと抱えている」、「甘やかされたい」、「完璧主義者」であると言われています。

爪を噛むことでイライラを解消していたのでしょう。また、女性に対して、母性のようなものを求めてしまう傾向が見て取れます。人付き合いが苦手な自分も、受け止めてくれる女性を求めていたのかもしれません。

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小暮洋史と被害者遺族女性の関係

ここまで、群馬一家3人殺害事件の概要や小暮容疑者の生い立ち、人物像について見てきました。

では、小暮容疑者と被害者遺族の女性の間には、どのような関係があったのでしょうか。

ドラッグストアに勤める女性に一目ぼれ

小暮洋史容疑者は、運送会社でトラック運転手として勤務しているときに、女性が務めるドラッグストアに仕事で出入りしていたそうです。納品のために訪れていたようですので、勤務している女性と顔見知りになりました。

女性は仕事として応対していたのですが、小暮容疑者は女性に惹かれていき、次第に恋愛感情を抱くようになっていきます。

約2年続いたストーカー行為

女性に恋愛感情を抱いた小暮洋史容疑者は、何度も女性を食事に誘いますが、女性は一度もその誘いを承諾しませんでした。何度も何度も断られることで、小暮洋史容疑者の恋愛感情は次第にゆがんでいってしまったのかもしれません。

小暮洋史容疑者の行動は、徐々にストーカー行為としてエスカレートしていきます。仕事終わりの女性を待ち伏せしたり、女性の車に手紙を残したりしました。さらに、電話をかけ続けたり、高額な金品をプレゼントしたりもしました。

このようなストーカー行為は、約2年続いたと言われています。この頃の女性の気持ちを想像すると、仕事で顔を合わせるだけの男性からしつこく誘われ、それがストーカー行為にまで発展してしまい、おびえて過ごした日々だったのでしょう。

女性は被害者となった父親に相談

小暮洋史容疑者のストーカー行為におびえた女性は、同居していた父親に相談します。女性なら、まず一緒に住んでいる父親に相談したくなる気持ちはよく分かります。当時彼女にお付き合いをしていた男性がいたかどうかは不明ですが、やはり一緒に暮らす父親が頼りになると考えるでしょう。

父親は、娘である女性のために、自宅近くで女性を待ち伏せしている小暮容疑者を直接怒鳴りつけたこともあるそうです。この時点で、警察に相談していたかどうかは、不明です。

女性にとっては頼りになるお父様ですが、このことが事件のきっかけになってしまっていたとしたら、何とも悲しすぎることです。

被害者遺族女性には手を出さなかった小暮洋史

小暮洋史容疑者は、事件を起こした後に、恋愛感情を抱いていた女性と直接対面し、言葉を交わしていると伝えられています。恋愛感情を抱いている女性の家族を殺害した直後、女性本人に直接会っているにも関わらず、女性には手を出すことはありませんでした。

女性が無事で何よりですが、この点が、この事件の特異さを表しているとも言えます。

3人を殺害し女性の帰宅を待つ

小暮洋史容疑者は、女性と同居していた父親、母親と祖母を殺害したあと、2時間近く、長女の帰りを待っていたそうです。

2時間もの間、いったい何を考えて過ごしていたのでしょうか。ひょっとしたら、女性の帰りを待つ自分を怒鳴りつけた父親や家族がいなくなれば、自分と思いを寄せていた女性が結ばれると思い込んでいたのかもしれません。

帰宅した女性と話をし車で立ち去る

小暮洋史容疑者が3人を殺害してから2時間ほど経過したころ、長女が帰宅します。帰宅した女性は、小暮容疑者と話をしたそうですが、その会話の内容は明らかにされていません。

女性の家族がいなくなっても、自分は女性と結ばれることはないと悟ったのかもしれません。

その後、小暮容疑者は、自分の車に乗って茨城方面に去っていったそうです。このときの女性の心情はどのようなものだったのでしょうか。想像に余りあるものがあります。

群馬一家3人殺害事件の被害者家族の現在

ここまで、群馬一家3人殺害事件の概要や、現在指名手配犯である小暮洋史容疑者の人物像、容疑者と被害者遺族との関係について見てきました。

この悲惨な群馬一家3人殺害事件の被害者家族は、現在どのように過ごしておられるのでしょうか。

約1億370万円の損害賠償を求め提訴

事件発生から20年近く経過しましたが、今なお容疑者の身柄は確保されていません。にも関わらず、現在ではこの事件について、マスコミが取り上げることはまずありません。世間の記憶から薄れていくと、ますます容疑者確保は難しくなってしまうでしょう。

被害者遺族の女性は2018年、損害賠償を求める訴えを前橋地方裁判所高崎支部に起こしました。女性が求めた賠償金は1億370万円。小暮洋史容疑者は現在指名犯として逃走中で、現実的に損害賠償が支払われることは難しいでしょう。

しかし、彼女は、事件が風化し人々に忘れられ、容疑者が逃走したままで事件が時効を迎えてしまうことを恐れていたのではないでしょうか。

小暮洋史の家族は現在どうしてる?

指名手配犯である小暮容疑者の家族について、詳細なことは分かっていません。分かっているのは、小暮容疑者の両親の年齢は現在70~80歳台だろうということだけです。

その後の指名手配犯・小暮洋史

ここまで、群馬一家3人殺害事件の概要や、指名手配犯である小暮洋史容疑者の人物像、容疑者と被害者遺族の女性との関係や、被害者遺族、容疑者家族の現在について見てきました。

それでは、事件後、指名手配犯となり、現在も逃走中の小暮容疑者の現在について、どのようなことが分かっているのでしょうか。

小暮洋史の目撃情報

小暮洋史容疑者は、3人を殺害した後、自分の車である黒の日産、シルビアで逃走したとみられています。国道50号線を茨城方面に逃走したことが分かっています。

その1週間後、群馬県太田市と埼玉県熊谷市(旧妻沼町)にて小暮容疑者の車が目撃されて以降、有力な目撃情報が得られておらず、消息がつかめていません。

既に死亡か?

その後、指名手配犯である小暮洋史容疑者の身柄確保はおろか、小暮容疑者の車の有力な目撃情報もありません。さらに、小暮容疑者の銀行口座も入出金が見られず、お金を使って生活している様子が見られないということです。

このことから、すでに死亡しているのではないかとの説があります。彼は、罪を償うことなく自ら命を絶ってしまったのでしょうか。死人に口なしとは言え、あまりに身勝手な行動だと言えるのではないでしょうか。

しかし、たとえ小暮洋史容疑者がすでに死亡していたとしても、容疑者が逃走に用いた車は見つかってしかるべきです。一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

平成19年に「捜査特別報奨金制度」の対象となる

この事件は、平成19年に「操作特別報奨金制度」の対象となっています。事件の解決につながる重要な情報の提供者には、懸賞金が支払われます。

平成19年時点では、懸賞金は100万円でしたが、平成22年には懸賞金の上限が300万円に増額されています。事件が長期化しているため、さらに情報を求めだしたということでしょう。

群馬一家3人殺害事件犯人・小暮洋史の特徴

こちらに、群馬一家3人殺害事件の容疑者である、指名手配犯小暮洋史の特徴を改めて記します。

名前:小暮洋史(こぐれひろし)
生年月日:1969年7月31日 (現在49歳、事件当時28歳)
体型:170cm、やせ型
顔の特徴:面長

潔癖症で、爪を噛む癖があります。また、逃亡時に使用された車両は、黒の日産・シルビア(ナンバー「群馬33 も 8670」)です。

情報提供先

この事件について、何か情報があれば、どんな些細なことであっても下記に連絡をお願いいたします。

群馬県高崎警察署捜査本部
TEL 027-328-0110
フリーダイヤル 0120-547-590

「宙の会」の活動

「宙の会」という団体をご存知でしょうか。「宙の会」とは、時効撤廃を求める団体であり、「殺人事件被害者遺族の会」という団体の通称として知られています。

「宙の会」は、公訴時効制度の撤廃、停止を求めて活動しています。公訴時効制度とは、事件発生から一定期間が経過すると、たとえ容疑者が現れても起訴できない、などの制度のことです。

この事件の被害者遺族の女性も、この「宙の会」で活動していると言われています。「時効」という法の壁で、容疑者が逮捕されないまま事件が忘れ去られていくことだけは避けたいという遺族女性の強い気持ちが伝わってきます。

群馬一家3人殺害事件のこれまでとこれから

ここでは、約20年前に発生した群馬一家3人殺害事件の概要や、指名手配犯である小暮洋史容疑者の人物像、被害者遺族の女性と容疑者の関係や、事件後の目撃情報などについて記しました。

事件発生から20年経過しても、まだ事件は解決していません。何か情報をお持ちの方は、上記の連絡先または最寄りの警察署まで提供をお願いいたします。

一日でも早く事件が解決することを願い、被害者の方のご冥福をお祈り申し上げます。

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