尼崎事件の全貌やその後・角田美代子の壮絶な生い立ちを紹介!

2012年頃に発覚した角田美代子による尼崎事件についての全貌や真相と生い立ちとその後。留置場で自殺してしまったために事件の真相がわからないままです。尼崎事件のその後と角田美代子の性格の猟奇性、本名について、生い立ちと子供のころの性格とその内容をまとめました。

尼崎事件の全貌やその後・角田美代子の壮絶な生い立ちを紹介!のイメージ

目次

  1. 1尼崎事件とは?
  2. 2尼崎事件の全貌①角田美代子の生い立ち
  3. 3尼崎事件の全貌②角田美代子によって崩壊した一家
  4. 4尼崎事件の全貌③ 警察の対応は
  5. 5尼崎事件の判決は
  6. 6尼崎事件からその後は
  7. 7この事件から変わったことと風化させない工夫

尼崎事件とは?

一部報道では、尼崎変死事件とも呼ばれた角田美代子による変死事件は、その後の犯人の行動により闇に包まれることとなります。本名も本当は韓国姓ではないかということも言われていましたが、これもわかりません。これからはこの変死事件の全貌を詳しくまとめていきたいと思います。

尼崎事件の概要とその真相

1987年頃に発生した女性失踪事件をきっかけにして、2012年10月に発覚した連続殺人遺棄事件のことを尼崎事件と呼ばれています。記憶に新しい変死事件として有名です。

この主犯格とされた角田美代子は、少なくとも25年もの間、血縁関係にない人物を集めて疑似家族を作りながら共同生活を送っていましたが、長年その生活がわかることがありませんでした。

しかし、2011年11月、角田美代子一家に監禁された40代女性が抜け出して警察に駆け込んだところから尼崎事件の全貌が発覚するのです。

尼崎事件の全貌①角田美代子の生い立ち

尼崎変死事件ともいわれたこの事件の特異性は、角田美代子自身の性格や生い立ちを見るとわかります。

生い立ちを簡単に振り返るとお金に困ったことのない生活を送っていたようで、高校もお金のある子どもしか通えない高校に通うこととなりますが、この全貌と内容はとても派手であったことが明らかです。男子高校生を連れて歩いていたということもうわさされています。

角田美代子の性格は

生い立ちについては、すでに中学生の時から女ボス的な存在として知られていて、同級生から男子を手下にして歩く姿が見かけられました。

姉御肌である一面がある一方で、他人に対して厳しく接することが多かったようです。しかし、目をかけた人物には溺愛することがあり、自分本位な部分が角田美代子の身勝手さがありました。

角田美代子の写真取り違え報道問題とは何か?

尼崎事件の犯人としての角田美代子の写真取り違え報道は、角田美代子の長男の同級生の母親から、被告の写真はこれだと思うがわからないという話から始まりました。

このために、複数の同級生や同級生の母親からの裏付け作業を重ねてきたにもかかわらず別人を使い続けたこと、また、角田美代子自身が普段から写真を撮られることが極端に嫌っていたところからなかなか本人の写真がなかったということで起きたのが真相です。

本名に加え、写真についても分からなかったのです。

尼崎事件の全貌②角田美代子によって崩壊した一家

尼崎事件の特徴は、角田美代子ファミリーによる監禁状態から生まれたとされます。その内容はかなり劣悪な環境の中で、トイレを我慢したり、食事を制限されたりといった出来事があったことで、家族が苦しんでいく姿が見えてきます。

基本的に、質素な食事が一日一度出ることがあれば、数日に一度だったりとバラバラで、角田美代子自身の気まぐれでたくさん食べさせられたりすることがあったようです。

さらに、我慢大会と称して、トイレを我慢させられたりして、その苦しむ様子を見て笑っていたという猟奇的な一面を見せたりもしていました。押収されたパソコンからはこの光景が入っていた画像があったという報道もあります。

先に挙げた角田美代子自身が写真に入るのが嫌いであることは有名ですが、写真を撮影することは大好きだったという矛盾した一面があったようです。

さらに、物まねを命令することを強要は日常茶飯事。歌を歌わせてまるでキャバレーのような行動をとるようにとの命令もしていたようです。

また、尼崎事件の特徴的な出来事として、角田美代子本人の怒りに触れたものは物置で監禁されていたことが明らかです。物置での監禁生活はある日突然終わることがあったことも証言がされています。これを複数の家族が行っていたりしていたのが驚きでもあり、その内容です。

尼崎事件の全貌③ 警察の対応は

では、この変死事件に関して警察の対応の内容はどうだったのでしょうか。

警察の初動調査が遅くなった

この尼崎事件では、金銭トラブルや暴行によるものであるものが多かったため、被害者が被害届を出すのをためらってしまうこともあり、民事不介入の問題が多かったため、警察の対応が遅くなってしまったのです。

角田美代子は、この民事不介入の還俗により警察が入らないことを熟知していたことが、対応が長引いてしまい、尼崎事件を大きくするきっかけにしてしまったのです。

劣悪な環境の中での捜査は、角田美代子によるマインドコントロールによるものがあったため困難を極めていったともいえます。

何度も同じ各種の犯罪を繰り返してきたことで、最終的には、被害が大きくなり、もう一歩踏み込んだ対応ができなかったという反省を生むことになるのです。

確認されるだけでも、50回以上にもわたる警察への相談があったにもかかわらず十分な連絡がなかったことも被害を大きくしたものと考えられます。

たくさんの家族が角田美代子宅で暮らしていたことを考えると、広域の警察署も相談する体制が整えないとならないことを考えて、その後複数署にまたがる相談事案を集約する広域相談指導係を新設するに至りました。

尼崎事件の判決は

変死事件として注目を集めた事件でしたが、その後、尼崎事件の判決の内容はどのようなものだったのでしょうか。

裁判員判決で次々と決まった

角田美代子の伴侶であった韓国人の男性は、一審で受けた無期懲役判決を控訴していましたが、裁判官はそれを棄却。無期懲役判決を受けることとなりました。

この男性は角田美代子の片腕としての活躍をしていたとされ、もう一人の主役ともされていました。最初にわかった変死事件から関わっていたものです。本名についての噂についてはここから発生したようです。本名がわからない・角田美代子の本名は韓国姓ではないかと噂されるようになりました。

韓国人の男性以外にも、角田美代子の親族関係6名が起訴されており、うち5名は懲役15年~23年の判決が確定し、このうち一人が上告をしています。

たくさんの家族と同居していた角田美代子の事件は重いものですが、先ほどあげた劣悪な環境にて暮らしていたたために、逮捕されて起訴された家族がたくさんいますが、執行猶予付きの判決を受けたものが多かったのです。

また、嫌疑や証拠不十分として不起訴処分となった家族もいました。角田美代子のマインドコントロールによる劣悪な環境が招いてしまった事件も重なりました。

それだけ警察に言い出しにくい状態で毎日を暮らしていたことでしょう。何人かの人生を狂わせてしまったことはやはり角田美代子自身の力が強かったものであるというれっきとした証拠にもなります。

尼崎事件からその後は

尼崎事件のその後、どのようなことが起きたのでしょうか。事件の真相・内容についてご紹介します。

角田美代子は留置所で自殺し真相がなくなる

この尼崎事件の犯人であり、中心人物としての角田美代子のその後は、報道通り留置場で首を吊って自殺してしまいます。生い立ちとして若いころからクレーマーで、トラブルメーカーとして周囲に恐れられるほどの存在で、姉御肌の性格でした。

しかし、逮捕後に精神的に不安定になり、突然大声で泣き出してしまう、生きていても意味がない、死にたいと言った言動が相次いだため、なるべく複数の部屋に配置して、自殺をしないように防止したのですが、わずかなスキに、長そでTシャツを首に巻き付け自殺を図っているところを発見。

病院に搬送したのですが、死亡が確認されました。

これで、尼崎事件の真相は闇の中に葬られてしまい、永遠の謎とされてしまいました。

留置場では、私は元野球監督夫人を尊敬していると語り、独善的な性格が見え隠れしたというエピソードがあります。報道の中でも有名は話です。本名についても事件の内容・真相についても謎が残りました。

なお、角田美代子の遺体は、引き取る親族がいなかったため、神戸市によって火葬されました。寂しい人生を終えたものです。

この事件から変わったことと風化させない工夫

たくさんの家族を広い地域から集めて自分の疑似家族を作り、わがままを通り越した身勝手さで人を動かし、犯罪をおかしていくことをなんとも思わないと思わせた角田美代子の尼崎事件。

その教訓は、広域の警察署が連携して、相談する体制を作ることを義務づけて、どんな小さなことを見逃さないようになったことも変わったことです。事件の全貌を明らかにならなかった教訓です。

また、角田美代子が自殺したことで、本当に彼女が何を考えていたのか、わからなくなってしまいました。今でもまだ本名に加え、謎のまま噂を呼んでいる側面があります。

真相が闇にある以上は、尼崎事件のような変死事件はまた起こりうる話です。被害者の方には、残酷な経験をしたことで心の傷が重いでしょう。特に亡くなった方に関しては心が痛い事件です。

しかし、犯人である角田美代子自身が自殺してしまったことで、この残虐な尼崎事件が消えるわけではないのです。特に、家族という特別な集団はそう簡単にできるものではないのですから、だれもが角田美代子になりうる情報が集まっています。

ひょっとしたら、第二の尼崎事件が起きないとも限らないのです。風化されないためにも、この事件に関する本も出版されているので、一度目を通しておくといいかもしれません。

この尼崎事件は、記憶に新しい事件ですので、忘れてはならないことです。同時に、被害にあった方の心の傷が癒えることを祈るとともに、亡くなった方のご冥福を祈ります。

さらに、行方不明になってしまった角田美代子ファミリーの被害者が早く平穏な生活を送れるように願わずにはおれません。

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