比嘉和子の現在!結婚して子供がいる?アナタハンの女王事件のその後
比嘉和子について紹介します。比嘉和子と言えば、あの有名なアナタハンの女王事件の女性だということが分かる人も多いでしょう。現在、比嘉和子はどうしているのか、そしてアナタハンの女王事件とはどんな事件だったのかについて紹介します。
目次
比嘉和子とは?
まずは、比嘉和子についてですが、比嘉和子は、ある事件の重要人物となった女性です。その事件は、戦争中や戦後に起こったものです。
そのため、事件の概要を聞いても、「そんなことがあるのか…。」とビックリしてしまうでしょう。比嘉和子の詳細は、詳しくは分かっていないところも多くあります。
ただ、すごい事件に巻き込まれた1人ではあるのです。
アナタハンとは?
比嘉和子に関係している事件は、「アナタハン」という場所で起きました。このアナタハンですが、太平洋の北マリアナ諸島にある島です。この島が、比嘉和子に関係する事件の舞台となる場所になりました。
アナタハン島は、火山島のため地震による噴火などを繰り返しています。そのため、この島の住民のほとんどがサイパン島に避難してます。
アナタハンの女王事件の概要
アナタハンの女王事件の概要について紹介します。アナタハンの女王事件は、一体どんな事件だったのでしょうか。この事件は、非常に珍しい事件です。
そのため、何度かテレビで取り上げられたこともあります。テレビで取り上げられたことから、「なんとなく聞いたことがある…。」と思う人も珍しくないでしょう。
かなり不思議な事件であり、人間の欲望がどれだけ深いのかというのを把握することができる事件でもあります。
戦時中にアナタハン島に31人の男性が漂着
戦争中に、アナタハン島に31人の男性が漂着します。この31人が漂着した理由は、アナタハン島に食料補給をするために着ていた船がアメリカ軍に襲撃されたためです。
アメリカ軍に襲撃されて船が沈没し、31人は泳いでアナタハン島にたどり着いたのです。アナタハン島は、非常に自然が多く、自然の食べ物などもあったのですが、31人が漂着したことにより、食料がより必要になる事態になりました。
アナタハン島に漂着した31人は、アナタハン島に来たからこそ大きな事件に巻き込まれることになったのです。
元々住んでいた比嘉和子を巡り骨肉の争いが始まる
アナタハンの女王事件に関わっている比嘉和子ですが、漂着した31人の男性よりも先にアナタハン島に住んでいました。この島には、比嘉和子夫婦、そして31人の男性という人口になり、比嘉和子は1人だけ女性だったのです。
そのため、比嘉和子を巡って男性は骨肉の争いをしました。皆が比嘉和子を自分のものにしたくてたまらなかったのです。時には、拳銃を使っての殺人までおきてしまったのです。
1つの島に女性が1人となると、男性の性欲を埋めてくれるのが1人だけになります。みんなが比嘉和子とともにいたいと思うようになり、比嘉和子に夢中になっていくのです。
比嘉和子が島を逃げ出したことで事件は終結
比嘉和子は、島を逃げ出します。そして、昭和25年6月29日に米軍の捜査船に助け出されています。比嘉和子がいなくなったのでは、島での男の争いというものはしても意味がありません。
そのため、比嘉和子の脱走をきっかけとして事件は終わりを告げたのです。
5年後には男性は19人にまで減っていた
アナタハン島に当初漂着した男性は31人でした。しかし、たったの5年間で19人にまで減っていたのです。減った理由としては、比嘉和子を巡って殺し合いがあったこともあります。
12人もの男性が何かしらの原因があって命を落としているのです。アナタハンの女王事件は、比嘉和子を巡って男が命をかけて起こしたものと思われがちのため、12人全員殺されたと思っている人も多いでしょう。
しかし、12人全員が殺されたかどうかという真相は分かっていません。ただ、この事件があったのも戦争があったからです。戦争のせいで、起きなくていい事件が起きたということなのです。
アナタハンの女王事件の真相とは?
アナタハンの女王事件の真相について、もう少し詳しく紹介します。アナタハンの女王事件というのは、やはりその場に居た人にしか、その事件の大きさというのは分からないでしょう。
ただ、戦争のない今の日本でなら、起きにくい事件でもあるはずです。アナタハンの女王事件の真相を見て、戦争についても考えていけたらいいでしょう。
比嘉和子夫妻がアナタハン島にいた理由
比嘉和子夫婦がアナタハン島にいた理由ですが、比嘉和子の生い立ちに関係してます。比嘉和子は、小さいころに両親を亡くしています。兄がいたのですが、その兄もサイパンに出稼ぎに行っていました。
そのため、比嘉和子も兄を追ったのです。ただ、兄がいたサイパン島ではなく、隣のバカン島で働いていました。そのときに出会ったのが、比嘉和子が結婚した男性なのです。
その男性が、仕事の都合でアナタハン島に転勤になります。それにより、比嘉和子もアナタハン島に移ったのです。これが、比嘉和子夫婦がアナタハン島にいた経緯です。
偶然2丁の拳銃を手に入れたことが事件の発端
アナタハン島では、米軍の爆撃機の残骸が発見されます。この爆撃機は、有名なB29です。その当時、原爆を落とした飛行機として日本ではとても憎い存在だったはずです。この爆撃機の残骸の中から拳銃が発見されました。
この拳銃を2丁分使えるようにし、拳銃を手に入れた人がアナタハン島での権力者のようになったのです。その人に従わないと殺されると思った人が多かったのでしょう。そして、拳銃を持っている人が当然のように比嘉和子に近づける権利もあったのです。
少しのことで騒動になり、拳銃で殺された人もいたのです。この拳銃があったことで、アナタハン島ではいくつもの事件が起こるようになったのです。
多くの男性が亡くなった本当の理由
31人いた男性が19人になったということは、かなりの人数が減ったのですが、比嘉和子を巡って比嘉和子を巡ってまず1人目が殺されます。そして、1人目を殺した人を次は別の男性が殺したのです。そして、比嘉和子は夫と別れ違う男性を選びます。
すると、今度は夫だった人物が比嘉和子と一緒になった男性を殺しました。次に、この夫を別の男性が殺します。このときに殺人を行った男性は拳銃を2丁自分の手におさめました。そして、比嘉和子のこともゲットしたのです。
その後も、比嘉和子を巡っての殺人が続きました。ただ、これだけの人が死んでいながら、比嘉和子は「自分を巡って亡くなったのは2人だけ。」と語っているのです。
比嘉和子がアナタハン島を脱出した理由は?
比嘉和子は、アナタハン島を脱出してます。さすがに、自分を巡って何人もの殺人事件が起きるというのは怖くなったのでしょうか。
普通の精神状態なら、まずいられないと思うことでしょう。そのため、脱出をしたいというのはずっと思っていたことなのでは?と考えることもできます。
比嘉和子がアナタハン島を脱出した原因について見ておきましょう。
比嘉和子処刑説
比嘉和子がアナタハン島を脱出した理由の1つには、比嘉和子処刑説というものがあります。これは、比嘉和子に関わることで、殺される男性が多くなったことで、男たちが考えたものとされています。
比嘉和子がいるから、殺し合いになるというのを感じた男性たちは、比嘉和子が悪の原因だと思ったのです。そのため、比嘉和子を処刑することを決定しました。しかし、それを比嘉和子本人に密告した男性がいるのです。
そのため、比嘉和子は必死で逃げて、アメリカ軍に助けてもらったという説があります。確かに、自分が処刑されるというのが分かれば、逃げるのも当然でしょう。
男達からの暴力説
比嘉和子が逃げた理由はもう1つの説があります。これが暴力です。比嘉和子と一緒にいると、殺されるということに気づいた男性たちは、そのうち比嘉和子には関わらないほうがいいと思うようになったのです。
しかし、ある1人の男性だけは、比嘉和子に近づきます。その男性と比嘉和子は一緒になったのです。しかし、その男性こそが、暴力を振るう人だったのです。比嘉和子は、この暴力に耐えることができなくなって、脱走したとも言われています。
暴力を振るった男性は、ある男性を殺した犯人でもあります。比嘉和子は脱走前にそのことを皆に打ち明けました。そのため、この男性も処刑になり亡くなったのです。
アナタハンの女王事件のその後
アナタハン女王事件は、その後どうなったのでしょうか。比嘉和子が島を脱出したことで、アナタハン女王事件は、幕を閉じました。
しかし、比嘉和子自身の人生の幕がそこで閉じたわけではありません。当然、大きな事件に巻き込まれた人物として、比嘉和子は注目されていたことでしょう。
アナタハン女王事件のその後についても見ておきましょう。
比嘉和子は女優に転身
なんと、比嘉和子はその後女優になっていました。出演した作品は、アナタハン島事件の映画です。自分が渦中の人となった事件の映画に比嘉和子は出演したのです。
このアナタハン島事件というのは、マスコミもとても興味を持ったものです。一方では、男性に翻弄されたかわいそうな女性として描かれ、一方では、男性を翻弄した恐ろしい女として描かれたのです。
女優に転身というのは驚きですが、このとき、一般人も非常にアナタハン事件には興味を持ったものです。
比嘉和子のブロマイドが爆発的ヒット
実は、比嘉和子のプロマイド写真は、かなり売れました。こんなに売れるのか?というぐらいのヒットだったのです。プロマイドが売れたのも、マスコミがアナタハンについてかなり情報を報道したからでしょう。
「アナタハンブーム」と呼ばれるブームまでも巻き起こしたのです。アナタハンの女王事件というのは、日常生活を送っているだけならあり得ないことです。
そのために、色んな人が興味を持ち、比嘉和子のプロマイドを手に入れていたのです。当時は、持っていることが当たり前ぐらいに思う人もいたのではないでしょうか。
その後は沖縄に帰郷して食堂を経営
比嘉和子は、女優としての人生は長くありませんでした。とんでもなくヒットしたプロマイドも売れなくなります。これは、アナタハンブームが去ったことを意味していました。アナタハンブームは一瞬のことだったのです。
売れなくなった比嘉和子は、女優を辞めて沖縄に帰ります。そして、沖縄で飲食店を始めたのです。沖縄で飲食店の経営者になり、その後は静かに暮らしたのではないでしょうか。
ただ、アナタハンブームのときにも、ブームが去ってからも、様々な誹謗中傷を受けながら生きていたとも言われています。
比嘉和子の現在は?
比嘉和子は現在どうしているのでしょうか。戦争中や戦後の話になるので、比嘉和子のことを現在しらないという人もいれば、比嘉和子自身の現在がどうなっているのか全く分からないという人もいるでしょう。
しかし、アナタハン島事件があったことは事実ですし、アナタハン島と聞いただけで比嘉和子を思い出す人もいるでしょう。
現在どんな生活を送っているのかについて、紹介します。
1958年に再婚して二児の母になる
比嘉和子は、1958年に再婚しています。このとき、比嘉和子は34歳でした。今まではアナタハン島で何人もの男性と結婚していたのですが、子供は生まれていません。そのため、子供ができない体だとも言われていたのです。
しかし、この再婚をきっかけに2人の子供をもうけています。やっと手にいれた幸せと穏やかな日々だったのではないでしょうか。もうこのときの子供たちも2019年現在では、60歳前後になっているということでしょう。
1974年に他界
その後の比嘉和子ですが、なんと1974年に他界しています。まだ年齢は49歳だったとのことなので、とても若いときに亡くなったということになります。死因は脳腫瘍です。そのため、2019年現在で比嘉和子の現在を調べても情報はないのです。
万が一生きているとしたら2019年現在で94歳ぐらいの年齢になっていることでしょう。まさに激動の人生を送った女性ではないでしょうか。戦争に狂わされた人生でもあったはずです。
アナタハン事件を見るだけでも、戦争がどれだけ怖いものなのか、戦争から生き抜くのがどれだけ大変なことなのかが分かるでしょう。
アナタハンの女王事件を題材にした作品
アナタハンの女王事件を題材にした作品について紹介します!
アナタハン島の真相はこれだ!!(映画)
1953年に放映された「アナタハン島の真相はこれだ!!」という映画があります。この映画には、比嘉和子本人が出演しています。
さまざまなアナタハン島事件についての映画などがありましたが、この映画が決定版とされたのです。
絶海密室(書籍)
映画や舞台だけに留まらずに書籍化までされています。その題名が「絶海密室」です。本で読んだほうが、よりアナタハン事件のことが分かるのではないでしょうか。
アナタハン事件のことを細かく書いた本になっています。
比嘉和子は怒涛の人生を生きた
現在の日本は、戦争のない日常を送っています。比嘉和子のように戦争真っ只中を生き、戦争に翻弄された女性というのは、他にも多くいることでしょう。
しかし、比嘉和子のような怒涛の人生を歩む人というのも珍しいのではないでしょうか。女性だからこそ歩んだ人生でもありますし、戦争中だったからこその人生でもあります。
比嘉和子が関わったアナタハンの女王事件は、今では終結しているものですが、本当はまだ謎だらけの部分もあるのではないでしょうか。