埼玉愛犬家連続殺人事件!アフリカケンネル経営の関根元や風間博子とは?

埼玉愛犬家連続殺人事件とは?犯人の元夫婦の関根元と風間博子が起こした凶悪殺人事件である埼玉愛犬家連続殺人事件はどのようなものだったのか。関根元、風間博子ともに死刑判決が確定したほどの凶悪犯罪である埼玉愛犬家連続殺人事件の全貌をご紹介します。

埼玉愛犬家連続殺人事件!アフリカケンネル経営の関根元や風間博子とは?のイメージ

目次

  1. 1埼玉愛犬家連続殺人事件とは?
  2. 2事件犯人・関根元の生い立ち
  3. 3事件犯人・風間博子の生い立ち
  4. 4関根元と風間博子はどこで知り合った?
  5. 5埼玉愛犬家連続殺人事件の事件発覚の経緯
  6. 6埼玉愛犬家連続殺人事件の裁判と判決
  7. 7埼玉愛犬家連続殺人事件のその後
  8. 8埼玉愛犬家連続殺人事件の認知度が残虐性のわりに低い理由
  9. 9残虐な埼玉愛犬家連続殺人事件

埼玉愛犬家連続殺人事件とは?

埼玉愛犬家連続殺人事件とはどのような事件なのでしょうか。その当時を知る人であれば、「凶悪犯罪」として世間を賑わせた事件なので記憶に残っている人も多いことでしょう。

残忍な殺人事件であると同時にその犯人の異常性も取り上げられるなど、悪い言い方をすれば「話題に事欠かない」ほどの凶悪な殺人事件だったのが、埼玉愛犬家連続殺人事件です。

この凶悪な殺人事件である、埼玉愛犬家連続殺人事件について、「その後」も含めた全貌をご紹介しますので、チェックしてみてください。

事件概要

元夫婦である関根元と風間博子が経営するアフリカケンネルというペットショップがこの埼玉県愛犬家連続殺人事件の舞台となっています。ここでは、詐欺的な方法での商売が行われていて顧客とのトラブルが耐えなかったと言われています。

殺人の被害者となったのは、そのようなトラブルに発展した顧客らで、知り合いの獣医師にもらった犬の殺処分用の硝酸ストリキニーネという薬品を用いて毒殺しました。この事件では計4人が被害者となっています。

ただの毒殺であれば、ここまで話題にならなかったかもしれませんが、この事件では殺された死体は風呂場でバラバラに解体され、骨はドラム缶で焼却。それらを山林や川に遺棄したことで残虐性が話題になったものです。

事件犯人・関根元の生い立ち

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人である「関根元」の生い立ちについて取り上げていきます。関根元は埼玉県の秩父市出身の1942年1月生まれ。ペットショップ「アフリカケンネル」の実質的経営者で創業者。

アフリカケンネルの前にも故郷の秩父市でペットショップや動物リース業を営んでいましたが、売った犬を盗んできて別の客に売ったり、殺して新しい別の犬を売りつけるなど悪質な手口を繰り返していました。

また、ライオンやトラなどの猛獣も飼っていて、当時から近隣住民に恐れられていたり、嫌われていたりしました。ただ、人間心理を読むことに長けていて、話術と独特のユーモアに引き込まえる人も多くいました。

あだ名は「ホラ元」

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人でアフリカケンネルの創業者の関根元は、幼い頃からその「異常性」を見せているところもあります。

周りから目立とうとして、学校の2階から校庭に飛び降りるような行動を見せているような子どもでした。また、その目立とうとするところは「嘘をつく」ということでも発揮されて、その虚言がもとでホラ吹きの「ホラ元」と呼ばれていました。

19歳で最初の結婚

埼玉愛犬家連続殺人事件の関根元は中学を卒業したあとラーメン店に勤めるようになります。そして19歳のときにラーメン店時代の同僚女性と結婚することになります。

この女性とは夫婦仲もよく、1男2女の子どもにも恵まれそれなりに良い家庭生活を送っていたと言われています。ただ、その後しばらくして近くの病院で看護師をしている女性に夢中になり、それが原因で離婚しています。

犬のブリーダーとして成功

ペットショップ「アフリカケンネル」の創業者で実質的経営差の関根元は、ブリーダーとしての腕は「天才的」と言われていて、実は業界では有名人でもありました。

シベリアンハスキーのブームの火付け役となり、アラスカン・マラミュートの第一人者とまで言われたほどです。著名なブリーダーとして多くの雑誌やテレビの取材を受けたこともあり、ブリーダーとしては成功をおさめています。

ただ、バブルの崩壊とともに店の経営も苦しくなり、さらに豪華な新犬舎兼自宅の建設などもしていたため、借金に苦しむこととなりました。

暴力団との繋がり

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人、関根元はもともと暴力団との繋がりがあったとされていますが、その暴力団とのトラブルが原因で、秩父市でやっていたペットショップをたたみ、一時は静岡県伊東市に姿を眩ましていました。

その後、1982年(昭和57年)、埼玉県に戻り現在の熊谷市で「アフリカケンネル」を開業しています。

また、アフリカケンネルの経営が苦しくなったときの借金トラブルにも暴力団はかかわっていて、その暴力団のお金に手を付けたとして、左手の小指を詰めています。ですので関根元には左手の小指がありません。

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事件犯人・風間博子の生い立ち

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人・主犯としては関根元のほかに風間博子もいます。関根元の元妻でアフリカケンネルの株式会社としての代表取締役はこちらの風間博子となっています。

1957年(昭和32年)2月、熊谷市に生まれ寡黙で気の強い女性と言われています。次にご紹介しますが、もともとは裕福な家庭に育ち「まっとうな」暮らしをしていました。

裕福な家庭で育つ

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人、風間博子の父親は土地家屋調査士をしていて、何不自由ない裕福な家庭に生まれ育っています。

関根元と出会うまではまっとうな生き方をしてきていて、保育士をしたり、父親の仕事を手伝うために測量の勉強に精を出すなど、娘としても女性としても、「良い人間」であったと言われています。

結婚し子供をもうけるも離婚

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人、風間博子は若くして結婚しており、実子を2人もうけています。その後、離婚していますが、離婚の理由は特に表には語られていません。

優れた金銭管理能力

夫である関根元は浪費癖があったのですが、風間博子は金銭管理能力に優れていました。アフリカケンネルの営業等は関根元が担当していましたが、経理全般のお金の動きは風間博子が担当してその能力を発揮していたとされています。

夫の関根元の浪費癖などから税金滞納などにも繋がり、それを逃れるために偽装離婚をしています。偽装離婚なので夫婦としての生活はそのままだったのです。

また、アフリカケンネルの代表取締役が風間博子になっているのも、この税金滞納から逃れるために関根元の代わりに風間博子が形式的にアフリカケンネルの代表取締役に就任しているということです。

関根元と風間博子はどこで知り合った?

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人の2人、関根元と風間博子はどこで知り合ったのでしょうか。どのような経緯で知り合い結婚に至ったのかをご紹介します。

アフリカケンネルの客だった風間博子

埼玉愛犬家連続殺人事件の舞台となったアフリカケンネルはもともと関根元が単独で経営していました。ここに風間博子が客として訪れたことで2人は知り合うことになります。

その後、意気投合した2人は結婚することになります。2人とも初めての結婚ではなく、関根元は7度目の結婚で、風間博子は2度目の結婚です。

風間博子の実家はさきにお伝えしたように裕福な家だったので、その資産目当てで関根元が結婚したとも言われていますが、風間博子のブリーダーとしての成長や金銭管理能力の高さには一目置いていたとも言われています。

風間博子が関根元に入れあげる

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人、風間博子は関根元と結婚してからというもの、どんどん関根元に入れあげていたような行動を取っています。

それというのも、関根元にイレズミを彫らされたという前妻などに対抗して、背中に龍のイレズミを彫るなど、関根元との一体感を深めるための行動を取っているのです。

埼玉愛犬家連続殺人事件の事件発覚の経緯

埼玉愛犬家連続殺人事件は関根元と風間博子を主犯とし、共犯の山崎とともに行われた一連の凶悪殺人事件ですが、完全犯罪を目論んだもので簡単に発覚したものではありません。

事件が発覚するまでの経緯を「単なる噂話」程度のところから、マスコミによる報道、警察による操作の流れ、そして逮捕までをご紹介します。

関根元の周辺で起きる失踪事件

埼玉愛犬家連続殺人事件では、大々的に事件が取り上げられる前から関根元の周辺で失踪事件が起きているということで警察の捜査が行われていました。

4人の犠牲者のうちの1人目が失踪・行方不明になった翌日に家族からの捜索願が出されていて、その際に家族から関根元とのトラブルを抱えていたことを告げられていました。

そのため警察は関根元や役員の山崎の監視や尾行を行っていましたが、捜査の目をかいくぐって他の2人目、3人目の事件、4人目の事件を起こしています。それは最初の時点では「失踪事件」として取り扱われています。

大阪愛犬家連続殺人事件をきっかけに広まった噂

埼玉愛犬家連続殺人事件とはまったく関係の無い別件なのですが、大阪でも愛犬家連続殺人事件がありました。

ただ、この大阪の「愛犬家連続殺人事件」が大々的に報道されると、「同じように失踪している事件」が埼玉にもあると発覚し、マスコミに取り上げられるようになります。

この時点で、事件は表面化し、アフリカケンネルにもマスコミが押しかけるようになります。関根元は身の潔白を主張し、被害者家族たちは事件性を訴え続けていました。

役員である山崎永幸の逮捕と自供

最初の殺人の際に被害者の車を八重津地下駐車場に乗り捨てるため、役員である山崎が運転させられていました。そのときにNシステムに被害者の車を運転する山崎が捉えられています。

山崎がこの事件に協力しているのは、関根元から最初に被害者の遺体を見せつけられながら「お前もこうなりたいか?」「子どもは元気か?元気が何より」などと、山崎本人や家族への危害を示唆されて脅されたことから行ったものとされています。

Nシステムの映像などから山崎に事情聴取するも最初は事件への関与を否定していましたが、やがて出頭し事件への関与を認め、焼却された骨や所持品、肉片などの遺棄を行ったと供述しています。

小さな物証の懸命な捜索

埼玉愛犬家連続殺人事件は「遺体なき殺人」と呼ばれているように、物証がほとんど残っておらず捜査は難航しました。ですが、山崎の自供を元に遺棄された場所の周辺を懸命に捜索します。

いずれも焼け残ったものですが、骨片や歯片、腕時計や携帯電話の基板、家や車の鍵などが見つかり、これらが小さいながらも重要な物証となりました。

骨片は高温で焼かれていたためDNA鑑定もできず身元を確認する手がかりは他の遺留品となっています。

埼玉愛犬家連続殺人事件の裁判と判決

さきにもお伝えしたとおり埼玉愛犬家連続殺人事件では物証が非常に少なく、捜査段階での山崎の自供や遺留品などの証拠のみとなり公判は長期化しました。

また、長期化した理由には、関根元と風間博子の両犯人がお互いに罪をなすり付け合ったり、関根元と風間博子、さらに検察と三者三様の主張をしたことも挙げられます。

さらに、捜査段階では全面自供し、事件解決に協力していた山崎ですが、検察との密約があったことを供述した上に、関根元と風間博子の公判で証言拒否するなど波乱の展開となっていました。

関根元と風間博子は死刑

埼玉愛犬家連続殺人事件の主犯である関根元と風間博子は死刑を求刑され、関根元は無期懲役を、風間博子は無罪を主張していました。

この主張が固まるまでにも、初公判から約5年、計105回の公判が行われています。そして、第一審の地裁では検察側の主張をほぼ全面的に認め、関根元、風間博子ともに死刑判決が言い渡されました。

死刑判決を不服とした関根元、風間博子は控訴するも控訴は棄却。さらに両名ともに上告もするが最高裁もこれを棄却しました。これにより関根元、風間博子ともに死刑が確定しています。

山崎永幸は懲役3年の実刑

埼玉愛犬家連続殺人事件の主犯は関根元、風間博子として両名ともに死刑判決となりましたが、山崎は「従属的な立場」であったことが認められ懲役3年の実刑判決となっています。

関根元に脅されて手伝ったものなので、無罪か執行猶予を求めていましたが、直接的な暴力や監視をされていたわけではなく、言葉で脅されただけなので警察に駆け込むなどの手段が取れたという認定のもとに「実刑」となっています。

埼玉愛犬家連続殺人事件のその後

埼玉愛犬家連続殺人事件の事件の流れや裁判の判決は上記のようになっていますが、「その後」はどうなっているのでしょうか。主犯格は「死刑」が確定しているので、執行されたのでしょうか。

また、この埼玉愛犬家連続殺人事件と関わる周辺の問題やその後についても取り上げますので、こちらも確認していきましょう。

2017年に関根元病死

埼玉愛犬家連続殺人事件で死刑が確定していた関根元ですが、2016年頃から体調を崩し病院で治療を受けていました。その後、死刑執行を待たずに2017年に病死しています。

風間博子については、2019年現在も死刑執行を待ちながら東京拘置所に収監されています。女性の死刑囚というのは非常に少なく、戦後では12人目の女性死刑囚となります。

残された娘の苦悩

埼玉愛犬家連続殺人事件の関根元と風間博子の間には逮捕当時、小学3年生の娘がいました。逮捕され連れて行かれた両親をあとに祖母とともに東京の叔母のワンルームマンションで暮らすことになります。

周囲の大人は気を使って娘に事件のことを話さなかったのですが、小学高学年になって、祖母が隠していた週刊誌を見て知ってしまいます。「母が鼻歌まじりに遺体をスライスした」というような記載とともに衝撃を受けます。

ただ、そんな中でも「忘れてしまいたい」と思いながらもたくましく生きて中学生になると重度の障がい者を介護するボランティアなどにも参加しました。

そういったシーンでもただの世間話から、「ずっとこっちに住んでるの?」「どこから来たの?」という話になり、「熊谷」だと答えると、「事件があったところだよね?」という話になります。

母と同じ「風間」の姓で、母似であることから「もしかして?」という話になります。どこにいても、何をしていても、分かってもらえない、認めてもらえないという苦悩とともに生きてきたと言います。

缶コーヒーで殺されかけた修行僧

埼玉愛犬家連続殺人事件の舞台となったアフリカケンネルに、当時大学に通いながら修行をしていた三木大雲という方が訪れました。このとき帰り際に男が何本かの缶コーヒーを目の前に並べてきて「好きなもの飲んで帰れよ」と言ってきたといいます。

また、1回目は友人とともに訪れていたのですが、今度は1人で訪れる機会があり、そのときもまた缶コーヒーを並べられもてなしを受けたそうです。その後、埼玉を離れ東京で修行することになった3年後、埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人だと知りました。

死刑確定後、関根元と会うことができたという知人曰く、「ペットショップで人を殺していた時に、1人の修行僧が来た」そこで缶コーヒーを出したことを明かし「何本か出すうちの1本だけ毒なし、あと全部毒入り」と述懐したと言います。

映画「冷たい熱帯魚」

映画「冷たい熱帯魚」は、埼玉愛犬家連続殺人事件をもとにした映画で、園子温監督、脚本によるホラー作品です。

埼玉愛犬家連続殺人事件はペットショップ、ドッグブリーダーが犯人ですが、この映画内では熱帯魚屋に変更されているので、タイトルが冷たい熱帯魚となっています。

今も残るアフリカケンネル

事件の主犯となる夫婦が経営していたアフリカケンネルは、逮捕後すぐに倒産し廃業となっています。ただ、犬舎兼事務所だった建物は現在も熊谷市内に廃墟となって残っています。

埼玉愛犬家連続殺人事件の認知度が残虐性のわりに低い理由

埼玉愛犬家連続殺人事件は非常に残虐で犯人の異常性も強い事件ですが、そのわりには認知度、知名度が低いです。

それは、関根元らが逮捕された直後に阪神淡路大震災があり、そちらの報道が大きくなり、その後もオウム真理教による事件が相次いだことが理由として挙げられます。

残虐な埼玉愛犬家連続殺人事件

埼玉愛犬家連続殺人事件の犯人である関根元はこの事件以前にも殺人を犯しているようなことを自身で示唆していて、実際に周辺で失踪者も出ています。

ただ、時間が経ちすぎていることと、物証があげられないことなどから「未解決事件」となっています。この事件と同じように「バラバラ」にして遺棄している可能性も高く、この事件ともども非常に残虐性のある事件といえるでしょう。

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