菊容子殺害事件とは?婚約者に殺された!犯人の藤沢陽二郎の現在とその後
菊容子さんは、1970年代に活躍した人気女優の1人です。24歳の時に殺害され死亡していますが、犯人は婚約者で同じ芸能人の藤沢陽二郎であったことは世間に大きな衝撃を与えました。今回は菊容子さんについて、そして犯人の藤沢陽二郎の現在やその後について調べてみました。
目次
菊容子はなぜ殺されてしまったのか?
菊容子さんは1970年代の人気女優の1人です。24歳という若さでこの世を去っており、その死は殺人によるものでした。犯人は当時の婚約者である藤沢陽二郎で逮捕もされています。今回は、そんな菊容子さんや、藤沢陽二郎の現在やその後について調べています。
菊容子とは?
菊容子さんは子役としてデビューし、1970年代に人気女優となりました。石ノ森章太郎さんの漫画が原作であるTBSドラマ、「好き!すき!!魔女先生(1971~1972年放送)」では主演の月ひかる役を務めており、この作品がきっかけで大ブレイクしました。
菊容子のプロフィール
本名 | 菊池洋子(きくちようこ) |
生年月日 | 1950年9月26日 |
享年 | 24歳 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
血液型 | 不明 |
活動内容 | モデル、女優 |
所属グループ | なし |
所属事務所 | 東京俳優生活協同組合 |
主な作品 | ドラマ「好き! すき!! 魔女先生」他 |
菊容子さんは東京俳優生活協同組合に所属する女優でした。2歳の頃からモデルをはじめ、一時芸能活動を休止していた期間があるものの、中学3年生に受けたオーディションがきっかけで復帰します。復帰後は、女優に転向し、のちに大ブレイクしました。
菊容子の経歴
女優として活躍しているなか、婚約者に殺害されてしまった菊容子さんは、どのような芸能活動をしていたのでしょうか。菊容子さんの経歴について、調べてみました。
幼少期からモデルとして活動
菊容子さんは2歳の頃に「富士フィルム」のモデルを務めています。その後、6歳の頃に講談社の雑誌「少女クラブ(1923~1962年発刊)」の表紙モデルになるなど、本格的に芸能活動を始めます。
1959年に子役デビュー
菊容子さんの初めての演技の仕事は、東宝の映画「城ヶ島の雨(1959年公開)」でした。役名や詳しい役柄については不明ですが、子役としてのデビュー作となっています。その後、菊容子さんは中学進学とともに一時芸能界での活動を休止しました。
その後は女優として活躍
中学生になり、芸能活動を一時休止していた菊容子さんは、中学3年生のときにNHK主催の新人オーディションに参加します。このオーディションで2位に選出されたことで、菊容子さんは芸能界に復帰し、女優へと転向します。
それまでは本名である「菊池洋子」名義で芸能活動をしていたそうですが、さんずいが多く、「水に流れる」という意味が強く演技が悪いという理由で、「菊容子」名義となりました。その後、ドラマや映画、舞台を中心に活躍しています。
菊容子の若い頃の画像を紹介
菊容子さんの若い頃の画像について調べると、やはり代表作であるドラマ「好き! すき!! 魔女先生」の画像が多く見つかります。かなりの人気ドラマであったようで、今でもドラマや菊容子さんについて語るファンが多くいます。
菊容子殺害事件とは?
菊容子さんは殺害当時、大人気の清純派女優でした。そんな人が殺害されてしまっただけではなく、その犯人が婚約者で、同じ芸能人であったことから世間は大きな衝撃を受けます。菊容子さんはなぜ、婚約者に殺害されてしまったのでしょうか。
1975年に婚約者に殺害される
当時人気女優であった菊容子さんは、1975年に婚約者である藤沢陽二郎によって殺害されてしまいます。藤沢陽二郎は逮捕され、現在では服役を終えています。
菊容子さんの遺体の横には、「愛していて、それゆえの結末だ」という旨の、犯人である藤沢陽二郎が残したメモが残されており、また当日が交際3ヵ月目であったことが記されていました。
死因は窒息死
菊容子さんの死因は窒息死でした。犯人である藤沢陽二郎は、菊容子さんの首に電話コードを巻き付ける形で絞殺しています。
報道によると、別れたいとする菊容子さんに復縁を迫り、激高した藤沢陽二郎が両手で菊容子さんの首を両手でしめ、電話機のコードでさらに首を絞めたものだとされています。
第一発見は父親
菊容子さんの事件の第一発見者は、菊容子さんの父親でした。父親は菊容子さんにモーニングコールを頼まれていましたが、菊容子さんが電話にでないため、自宅を訪れたところ事件が発覚しました。
父親はすぐに110番通報し、警察が駆け付けました。菊陽子さんは自宅マンションのベッドの上で仰向けの状態でなくなっており、首には細い紐のようなもので絞められた跡があったそうです。
事件発生の直前には、菊容子さんは父親に電話をかけており、その際に「藤沢陽二郎が自宅に来ている、別れたいがどうしたらよいのか」という旨を相談していたそうで、父親は「はっきりと断れ」と伝えていたそうです。
犯人の藤沢陽二郎とは
菊容子さんを殺害した犯人で、婚約者でもあった藤沢陽二郎とは一体どのような人物なのでしょうか。藤沢陽二郎について、逮捕後や菊容子さん殺害の動機などについて、調べてみました。
藤沢陽二郎は自殺未遂後に逮捕
事件の犯人である藤沢陽二郎は菊容子さんを殺害したのち、現場を離れて友人の元を訪れます。そして人を殺してきたと告げたそうです。友人は藤沢陽二郎がその場を去ったあと、警察にその旨を通報しています。
また、「自首をするので同行してほしい」とも話したそうで、それを知った警察は藤沢陽二郎を重要参考人とし、藤沢陽二郎を追い始めます。しかしその後、藤沢陽二郎は自殺未遂をしているところを発見されました。
藤沢陽二郎は、橋の欄干に自分自身で運転した車を2度ぶつけており、「自殺しようと思っていた」と供述しています。藤沢陽二郎はこれにより骨折などの重傷を負っています。
懲役7年が確定
菊容子さんが殺害された事件から半年後の1975年11月に、東京地裁は懲役7年の判決を下しました。現在の傾向でいうと殺人罪は初犯であっても、よほどの事情がない限りは懲役10年以上が求刑されることが多いです。
そのため、懲役7年というのは刑期として短い印象を受けますが、殺人罪に対する刑期が引き上げられたのは2004年頃のため、当時の判決としてはごく当たり前の刑期だったのかもしれません。
なんの落ち度もない若い女性の命を、身勝手な理由で奪っておいて7年の刑期で済んでしまうという事実に、父親や親族、友人をはじめ多くのファンも憤りを感じたことでしょう。
菊容子殺害事件を起こした動機は?
菊容子さんを殺害した、婚約者の藤沢陽二郎は殺害理由について「自分を裏切って他の男と浮気をしているに違いない」と述べたそうです。しかし、具体的な根拠や証拠は挙げることができず、藤沢陽二郎の思い込みであるとされています。
また、事件当日の夜も菊容子さんが「明日9時に起こしてほしい」と電話で話しているのをきいて、浮気相手に違いないと激高し、殺害に及んだとされていますが、実際に電話をしていた相手は父親だったと報道されています。
菊容子対する嫉妬
人気女優として多忙を極めていた菊容子さんに対し、藤沢陽二郎は次第に「彼女は浮気をしているのではないか」という疑いを持ち始めます。そして次第に、本当に仕事なのかを確かめるため、菊容子さんの現場に出入りするようになります。
しかし、藤沢陽二郎自身は無名の俳優であるため、現場への出入りを禁止されるようになります。出入りを禁止されたことにより、さらに疑惑を強めていった藤沢陽二郎は、次第に行動がおかしくなります。
深夜の電話や自宅への忍び込みなど、婚約者であるにも関わらず、不安にかられてストーカーのような行動を頻繁に起こすようになった藤沢陽二郎に、次第に菊容子さんの気持ちも離れ始め、別れを考え始めていたようです。
自分に対する劣等感
犯人である藤沢陽二郎の事件を起こした動機の一つに「自分に対する劣等感が強かったのでは」という意見があります。当時、菊容子さんは人気女優として活躍しており、月収も100万円以上あるとされていました。
それに対し、藤沢陽二郎は同じ俳優であれど、無名の舞台俳優で収入は乏しいものでした。菊容子さん自身は収入や知名度の格差を気にしていなかったようですが、藤沢陽二郎自身が強く劣等感を抱いていた可能性が高いです。
石ノ森章太郎の愛人?
菊容子さんが女優としてブレイクするきっかけとなったドラマ「好き!すき!!魔女先生」原作者である漫画家の石ノ森章太郎さんは、菊容子さんの死後、「菊容子さんが愛人だった」と公表しています。
菊容子さんの死後に発売したエッセイでは「愛人の女優が惨殺された」と綴り、「枕営業の関係にもあった」としています。その関係は菊容子さんが雑誌「少女クラブ」でモデルを務めていた10代の頃からだったそうです。
菊容子さん死後の発表のため、どこまでが真実であるかはわかりません。しかし、実際に菊容子さんは「好き!すき!!魔女先生」の他にも石ノ森章太郎さん原作のドラマに多数出演しており、事実である可能性も否定できません。
藤沢陽二郎の現在は?
菊容子さんを殺害した犯人である藤沢陽二郎は、現在どうしているのでしょうか。藤沢陽二郎の現在について、調べてみました。
出所して社会復帰している
菊容子さん殺害の罪で懲役7年の判決を受けた藤沢陽二郎は、現在服役を終えています。出所後について詳細はわかっていませんが、「寿司屋の娘と結婚した」「実家の整体医院を継いだ」などといった噂がありますが、事実かはわかりません。
藤沢陽二郎の現在の画像は?
藤沢陽二郎の現在の画像について調べてみましたが、見つけることはできませんでした。殺人という大罪を犯した身ですから、そういった画像の流出にも敏感になっているのではないでしょうか。
日本で殺人事件を起こした・殺害された芸能人
人気女優である菊容子さんの事件の犯人が、婚約者で同じく芸能人である藤沢陽二郎であったことは、当時大きな衝撃を与えました。日本で藤沢陽二郎のように、殺人事件を起こした芸能人はいるのでしょうか。芸能人に関わる過去の殺人事件を調べてみました。
アニソン歌手として有名だった克美しげるは、人気が低迷したころに殺人事件を起こしました。被害者は克美しげるの愛人で、この愛人相手に1000万円以上ともいえる借金をしていたようです。克美しげるはスキャンダルの発覚を恐れ、愛人を殺害しました。
ものまねタレントだった佐々木つとむさんは、克美しげるとは反対に、借金をしていた愛人女性に殺害されています。どちらも借金絡みの愛人関係が起因した事件で、菊容子さんの事件のように婚約者間で発生した事件は稀であるといえます。
菊容子の主な出演作品
菊容子さんは人気女優として活躍していましたが、事件が発生する前はどのような作品に出演していたのでしょうか。菊容子さんの出演作品について、ご紹介します。
菊容子出演のドラマ
菊容子さんは女優として、映画・ドラマ・舞台で活躍していましたが、特にドラマに多く出演していたようです。こちらでは、菊容子さんが出演したドラマについて、ご紹介します。
好き!すき!!魔女先生
TBSドラマ「好き!すき!!魔女先生(1971~1972年放送)」は、菊容子さんの代表作といえる、女優として大ブレイクするきっかけとなったドラマです。石ノ森章太郎さんの少女漫画「千の目先生(1968年ティーンルックで連載)」が原作となっています。
宇宙からやってきた「月あかる」が小学校に先生として赴任し、生徒たちと触れ合うという学園ファンタジーです。原作からは設定だけが引用されたようで、ストーリーは完全なオリジナルとなっています。
菊容子さんは、主演として、宇宙からやってきた教師、月あかる役を演じています。途中、「アンドロ仮面」に変身する設定が取り入れられ、特撮変身ヒロイン物の先駆けにして草分け的存在だとされています。
つぶやき岩の秘密
NHKのドラマ「つぶやき岩の秘密(1973年~1974年放送)」は、小説家で気象学者の新田次郎さんの同名小説をドラマ化した作品です。三浦半島に戦争中に作られたとされる、旧日本軍の地下要塞に隠された金塊の噂をめぐるサスペンスです。
菊容子さんは、主人公の少年三浦紫郎が通う、小学校の担任である小林恵子役を演じています。小林恵子は担任として三浦紫郎が金塊の噂を追うことを心配し、危険な行動を止めようとする役どころです。
菊容子出演の映画
菊容子さんが1番最初に演技の仕事をしたのは、子役として出演した映画でした。こちらでは、菊容子さんが出演した映画について調べてみました。
城ヶ島の雨
東宝の映画「城ヶ島の雨(1959年公開)」は、田舎で観光バスの車掌を務める志津子と、その恋人である恭一の恋愛映画です。都会的な暮らしに憧れる志津子と、就職がうまくいかない恭一の葛藤が描かれています。
菊容子さんはこの映画に子役として出演していますが、役名や詳しい役どころについて、調べても知ることはできませんでした。
日本の青春
東京映画の映画「日本の青春(1968年公開)」は、小説家の遠藤周作さんの小説「どっこいショ(産経新聞経新聞夕刊掲載、掲載期間不明)」を映画化した作品です。主人公である向坂善作の戦時中~戦後の葛藤を描いた作品です。
菊容子さんは向坂善作と高校生の娘、向坂咲子役を演じています。作品の中で向坂咲子は、父親である向坂善作とうまくいっておらず、向坂善作は娘をはじめとする家族との不仲などを理由に、他の女性に心が傾いてしまいます。
菊容子は婚約者の異常なまでの執着心によって殺された
菊容子さんは人気女優として活躍していたさなかに、犯人で婚約者である藤沢陽二郎によって殺害されてしまいました。事件の引き金となったのは、藤沢陽二郎の異常なまでの菊容子さんへの嫉妬と劣等感であったといわれています。
現在は刑期を終え出所している藤沢陽二郎ですが、1人の若い女性の人生を奪ってしまったという事実を、心から後悔をしていることが望まれます。