アーリア人種とは?アーリア人の特徴7つと起源を紹介!
アーリア人をご存じですか?アーリア人とは、最もポピュラーな古代民族だと言われるものの謎も多いようです。ここでは、古代民族の一種であり、史上最も広範囲に広がった民族であるアーリア人の身体的特徴や起源、その歴史や定義を紐解いていきます。
目次
様々な歴史に関わるアーリア人種とは?
あなたは古代民族の一種として知られる『アーリア人種』と呼ばれる民族をご存じですか?
アーリア人種とは、紀元前15世紀以降、遊牧の生活からインドや西アジア、中央アジアやヨーロッパ、ドイツなどのあらゆる国に勢力を拡大していく中で複数の集団に分裂し、それぞれの国に渡った集団が独自の文化を築いた民族です。
その中で、ヨーロッパ・インド語族に属す民族をアーリアン学説によって『アーリア人種』と呼びます。
アーリア人種の持つ歴史は古く、その起源や発展の過程は複雑なものだと言われていますが、様々な国の宗教や哲学の起源など、さまざまな歴史にも関わっているとされるアーリア人。
ここでは、史上最も広範囲に広がった民族であるアーリア人の身体的特徴や起源、その歴史や定義を紐解いていきます。
アーリア人の特徴7つ!
紀元前15世紀以降にイランから拡大していき、インド北部・西アジア・中央アジアなどの国を支配していく過程で細かい集団に別れていき、それぞれの集団がそれぞれの国で独自の文化を形成していったと言われているアーリア人。
最もポピュラーな古代民族だと言われるものの、その歴史はまだ謎に包まれていることも多いアーリア人。現在分かっているアーリア人の持つ特徴を7つご紹介します。
特徴➀アーリア人の史上最も広範囲に広がった民族
アーリア人の持つ1つ目の特徴をご紹介します。
アーリア人とは、古代民族の一種で、彼らの起源、生まれた国はヨーロッパであると考えられていますが、発祥の地はアジアだとされ、その後北インドやイラン、ドイツなど広範囲に渡る国々に移住したと言われています。
アーリア人の起源や歴史には諸説ありますが、インドやドイツ、中国やヨーロッパという広い範囲で、多数の国の言語が存在する『史上最も広範囲に広がった民族』という特徴を持っています。
特徴②アーリア人は「至上主義」の考えを持つ民族
次に、アーリア人が持つ2つ目の特徴をご紹介します。『アーリア人とは世界中の国の中にいる民族の中で、最も優れた民族である』という至上主義の考えであることがアーリア人の一番の特徴として知られています。
特徴③アーリア人は美男美女
アーリア人が持つ3つ目の特徴をご紹介します。アーリア人はヨーロッパ系の人種とアジア系の人種のハーフ(混血)であることが多く、それぞれの良いところが混じりあって鼻筋が通っていて、目は綺麗な二重、彫が深く、目鼻立ちがはっきりした美しい顔立ちの美男美女が多いのが特徴です。
特徴④アーリア人はスタイルがよい
アーリア人が持つ4つ目の特徴をご紹介します。アーリア人は長い手足で長身、小さな頭、メリハリのあるボディーラインで、とにかくスタイルがいい、いわゆるモデル体型だと言う特徴があります。
特徴⑤アーリア人は色白
アーリア人が持つ5つ目の特徴をご紹介します。アーリア人はもともとはヨーロッパ系の民族であったことから、インドにも起源を持ってはいますが、基本色白で、白色系人種だという特徴を持っています。
また、インド系アーリア人は、同じ土地で生活しているアーリア系ではないインド女性に比べて、日焼けをしても肌の色は白いと言われています。
特徴⑥アーリア人の目の色はブルー
アーリア人が持つ6つ目の特徴をご紹介します。白色人種である古代アーリア人の瞳の色はブルーでしたが、アーリア人は混血であることが多いことから、現在はブルー以外の瞳のアーリア人も多く存在します。
ブルーの瞳という特徴を持つアーリア人は、現在はヨーロッパや中央アジア、インド、中東で多く見られます。
特徴➆アーリア人の髪の色は金髪
アーリア人が持つ7つ目の特徴をご紹介します。現在は、瞳の色と同様、様々な髪色のアーリア人がいますが、もともとアーリア人は金髪の人が多かったと言われています。
なぜ金髪の人が多かったのかというと、体内に含まれるメラニンの量が少ないからだと言われています。メラニンの量が少ないことが、色白で瞳の色がブルーであるという理由でもあります。
アーリア人の起源
先にアーリア人の持つ身体的特徴や、至上主義の考え方、最も広範囲に広がった民族だという特徴をお話しましたが、アーリア人はどのようにしてはじまり、広範囲に広がったのでしょうか。また、なぜそんなにも力があったのでしょう。
現在も謎が残るアーリア人の起源ですが、近年有力だとされるアーリア人の起源についてお話します。
アーリア人のはじまりはコーカサス山脈が有力
未だ謎に包まれるアーリア人の起源ですが、アーリア人の起源はコーカサス山脈の北方地帯だという説が有力だと言われています。
アーリア人のはじまりには諸説ありますが、アーリア人が馬や犬、牛などの家畜を連れ、草原から草原へと移動する遊牧の生活をしていたということがアーリア人のもつ確かな歴史だと言われています。
また、アーリア人の起源がコーカサス山脈の北方地帯であるという説も間違いないだろうと言われていますが、諸説あります。
15世紀前はインドからイラン・ヨーロッパへ拡大
アーリア人の歴史については諸説があり、未だ詳しくは分かっていないことも多いのですが、紀元前13世紀頃、アーリア人はインドに侵入し先住民族を支配していく過程で、イラン・ヨーロッパへと拡大、勢力を広げていったといわれています。
15世紀以降はイラン・アーリア人が各地へ移動
15世紀前イラン・ヨーロッパへ拡大したイラン・アーリア人と呼ばれる集団は、15世紀以降には中央アジアから徐々にインドやヨーロッパ、中国やロシア、ドイツといった広範囲に渡る国々に移動、拡大していきました。
中央アジア・インド・ヨーロッパ・ロシア・ドイツなどのそれぞれの国で、アーリア人がさらに細かな集団へと別れていく過程で、それぞれの集団が独自の文化を作り上げていったと言われています。
アーリア人の定義には2つの説がある
アーリア人の歴史の中で、アーリア人が元々は遊牧の生活を送っていたということは確かなのですが、アーリア人の定義には、2つの説があります。
中央アジアが出自の民族とする説
紀元前2000年頃から中央アジアで遊牧を営んでいたアーリア人の祖先の一部が南下し、アフガニスタンに入り、のちにインダス川上流地方に侵入し、インダス文明を作った先住民に変わってその文明を部分的に取り入れて定住したと言われています。
その一部が紀元前1000年頃、インドのガンジス川地域に侵入し、先住民を征服してこれを混血し、インド文明の発展の主役になった、インド・イランに定住した民族だという説が、中央アジアが出自の民族とするアーリア人の定義です。
インドか中国・ヨーロッパまでの広範囲に渡る民族とする説
もう1つの説は、紀元前2000年頃、インド・ヨーロッパ語族(アーリア人)は突如それまで住んでいた地域であるコーカサス周辺から、当時の最先端の武器であった馬に引かせる形の戦車をもって移動、侵略を始めたという説です。
まず、西アジア一帯に、次いでインドを侵略、そして別の一派がヨーロッパを侵略していく歴史の過程で広範囲に渡る民族になったという定義です。
アーリア人とドイツの関係
アーリア人種とドイツの関係や歴史を見ていきましょう。
アーリア人種とゲルマン人種の違い
アーリア人種もゲルマン人種もインド=ヨーロッパ語族に属している民族という点では違いはありませんが、アーリア人種はインド=ヨーロッパ語族の一派(混血)で、『インドとイラン』に定住した民族、ゲルマン人種は『現在の北西ヨーロッパ』に居住する民族という違いがあります。
また、ゲルマン人種とは現在の英語、ドイツ語、デンマーク語、スウェーデン語、オランダ語などの共通の祖先であるとされ、一方でアーリア人種はインド・アーリア語など、その集団の中でのみ使う言語を使用していたとされています。
どちらも選民思想を持つ
アーリア人種もゲルマン人種も、自分たちとは、神様によって選ばれた特別な人種、民族であり、他の人種、民族を導く使命を持っているというエリート意識と使命感、それらに対する信仰と確信を持つ選民思想を持っています。
アーリア人のナチズムへの影響
ヒトラーは著書『我が闘争』の中で、人類は大まかに3段階に分けることができるが、最上位がアーリア人で、その中でも純粋なゲルマン民族(雑種化されていないこと)が最も上等であるとし、彼らを『文化創造者』と呼んでいますが、ユダヤ人のことは彼らと対局で『文化破壊者』としています。
そのヒトラーの考えから、ナチスドイツはユダヤ人を経済・政治活動から排除しようとする脱ユダヤ化とともに、ユダヤ人の資産をドイツへ渡し、それらを活用するアーリア化がなされました。
アーリア人は文化を創造する高い能力を持つ特別な人種とされており、重要視され、国家に大きな影響を与える存在だったのです。
ナチスドイツがユダヤ人を排除するために強制収容所を作ったことは広く知られていますが、その一方で、ドイツにアーリア人を増やすための『レーベンスボルン』という収容所が作られていました。
レーベンスボルンでは、ドイツの未婚女性の出産が保護・奨励され、また、ドイツの優良民族であるとされた身体的特徴を持つ子供たちが拉致されて集められており、そこで教育が行われていました。
また、多くのナチス党員がインド人をアーリア人であると考えていたため、多くのヒンドゥー教徒がナチスドイツを支持し、ナチスドイツで軍役に服し、その中でも優秀であったインド人兵士はナチスドイツ親衛隊の一員として働きました。
アーリア人とインドの関係
次に、アーリア人とインドの関係や歴史を見ていきましょう。
インドに侵入したアーリア人がカースト制度を作った
アーリア人種のインド支配に伴い、インドの先住民であった有色系人種のドラヴィダ族と、肌の色の白い白色人種の自らを区別するために、カースト制度と呼ばれる身分制度を作りました。
バラモン(司祭)をカーストの最高位とし、クシャトリア(王族・戦士)、ヴァイシャ(商人・平民)、シュードラ(奴隷民)とする4階級からなるこの制度は、現在もこれらを「ヴァルナとジャーティー」と呼び、ヒンドゥー教における身分制度を指しています。
アーリア人の肌の白さに優位があるとする「ヴァルナ制」
肌の色の白いアーリア人が、アーリア人でない人種を区別するために作られたヴァルナ制は、インドのアーリア社会で作られた『種姓制度』です。
混血が進むうちに、本来は肌の白さを優位としていたヴァルナ制は、本来の意味とは離れ、身分や種姓を指すようにと変わっていきました。
バラモン教がインド・アーリア人によって作られた
古代ヒンドゥー教ともいえるバラモン教とは、インド・アーリア人によって作られた宗教です。
バラモンとは司祭階級のことを言い、バラモンが影響を与えた宗教には仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教・シク教があると言われています。
アーリア人の宗教
アーリア人の歴史の中で、バラモン教がアーリア人によって作られたと言われていることは広く知られていますが、その後、バラモン教に影響を受けた宗教が作られていったようです。
アーリア人と深く関係する宗教を見ていきましょう。
仏教
日本でも馴染みのある『仏教』も、アーリア人が作ったバラモン教の影響を受けて作られた宗教のひとつです。
仏教の開祖、ガウタマ=シッダルータは元々はバラモン教を信仰しており、バラモン教の教えをヒントに新たな教えを説き、そうして仏教が作られたと言われています。
ジャイナ教
仏教はバラモン教に基づいた教えを説かれていますが、同じくバラモン教に影響を受けて作られたと言われるジャイナ教の開祖ヴァルダマーナはバラモン教の教えに否定的な意見を持つ人物でした。バラモン教の考えを批判することが新たな宗教を生んだのです。
また、ジャイナ教が創られた時期は仏教とほぼ同時期であったと伝えられており、2500年もの長い期間に渡って、語り継がれる歴史ある宗教です。
ヒンズー教
ヒンズー教はバラモン教を元に作られた宗教です。バラモン教が作られたのは紀元前13世紀以降、政治の変化などの理由から、長い歴史の中で複数の宗教の教えを取り入れながら、4世紀にヒンズー教が作られました。
シク教
シク教はカーストや出家、苦行や儀式などを否定するなど、ヒンズー教とイスラム教の両者の教えを併せ持った宗教です。
アーリア人は現在にも存在する?
現存するアーリア人(アーリア人の末裔)には、中東イランに住み、ペルシア語を話すイラン系民族のペルシア人・アフガニスタンのイラン系民族で、アフガニスタンの中で最大の人口を持つパシュトゥーン人。
そして、タジキスタンを中心にアフガニスタン北部、ウズベキスタン東部などの広い範囲に居住するタジク人・北部インドの諸民族(インド・アーリア人)などがあります。
魅力あふれるアーリア人の歴史
世界には様々な人種、民族が存在し、それぞれが今日という日を生きています。今日に繋がるアーリア人の歴史はまだ謎に包まれていることも多く、その歴史には諸説あります。
謎が多く、魅力あふれるアーリア人の思想が、現在もさまざまな国で、形を変えながら根付いているというのは、とても神秘的です。
アーリア人の特徴や起源、歴史をご紹介しましたが、あなたはアーリア人の歴史から、どのようなことを感じましたか?この記事をきっかけに、まだ知らない民族や、その歴史に少しでも興味を持っていただけたら幸いです。