京塚昌子の死因や晩年とは?若い頃の性格なども紹介【画像】

京塚昌子とは1970年代に放送された肝っ玉かあさんが有名。割烹着の似合う日本の母親像として人気を誇った女優さんです。若い頃から名女優といわれ、多くの人々に愛されました。そんな京塚昌子の人生や死因、若い頃の写真など、詳しくご紹介していきます。

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目次

  1. 1京塚昌子とは?
  2. 2京塚昌子の経歴
  3. 3母親といえば京塚昌子
  4. 4京塚昌子の晩年や死因とは?
  5. 5京塚昌子の若い頃は?
  6. 6京塚昌子の主な出演作品
  7. 7京塚昌子に内縁の夫がいた噂は本当?
  8. 8徹子の部屋で追悼番組
  9. 9日本の母親「京塚昌子」

京塚昌子とは?

京塚昌子は、主にテレビドラマや映画、舞台で活動した女優です。1968年に放送された『肝っ玉かあさん』がヒットし、その後は日本の母親像として広まり人気女優となりました。さらには日本の四大お母さん女優と言われ、中でも割烹着が似合うお母さん女優といえば京塚昌子と有名でした。

『肝っ玉かあさん』の他にも『ありがとう』や『ほんとうに』など、多くの母親役を熱演されています。映画や舞台などでも母親役に抜擢され活躍しました。

京塚昌子のプロフィール

本名 平塚マサ子
生年月日 1930年3月16日
享年 1994年9月23日
出身地 東京都文京区根津
血液型 不明
活動内容 女優、実業家
元所属事務所 劇団新派 東宝演劇部
主な作品 『カミさんと私』『肝っ玉かあさん』『ありがとう』『ゆうひが丘の総理大臣』など

京塚昌子は1930年3月16日、東京都根津の精肉店の娘として生まれました。若い頃から芸事が好きな女の子でした。1946年には、現在の栃木県立佐野女子高等学校である佐野高等女学校を卒業し、その後劇団新派へ入団します。

1955年には川口松太郎に認められ『月夜鴉』で初めて主役を演じます。また同じ1955年に、『離れ猪』『太夫さん』で芸術祭奨励賞を受賞しています。

そして『肝っ玉かあさん』をきっかけに数多くの母親役を演じ、「恰幅が良く割烹着が似合う母親役」として1970年代に人気女優として活躍します。

京塚昌子の経歴

京塚昌子は高校卒業と同時に劇団新派に入団、その後伊志井寛さんの相手役を務め、人気を得ます。1968年には肝っ玉かあさんで母親役を演じ、その名は全国に知られることなります。

その後も多くの母親役を演じ、「恰幅が良く、割烹着が似合う母親役」として様々なCMにも出演されます。

そんな京塚昌子ですが、どのような経歴を持っているのでしょうか?順にご紹介します。

劇団「新派」に入団

京塚昌子さんは高校卒業後、劇団新派に研究生として入団します。芸名は、この劇団の師匠である花柳章太郎に名付けられています。

当時の写真は残ってはいませんが、若い頃はスレンダーな美人だった女性だったと言われています。入団当初から才能が目立っており、当時の劇団仲間からは、成功するであろうオーラがあったと言われています。

若い頃から名女優と言われ、その才能は多くの人に評価されていました。

「肝っ玉かあさん」で知名度アップ

肝っ玉かあさんは、1968年から1972年まで放送されたドラマです。平均視聴率は常に30%前後を獲得し続けるという人気ぶりでした。このドラマによって「京塚昌子」という名前は、瞬く間に世間に広まりました。

原作の本に記されたあとがきには、「一般の視聴者にとって親しみやすく身近に感じる人が人気を集めが、演技力もなくてはならない。肝っ玉かあさんは京塚昌子という女優がいて始めて成り立つ作品。」とい行ったことが書かれています。

京塚昌子さんが有名になるのは、本人のことを知っている人からすれば必然のことだったのでしょう。

多くのCMに出演

資生堂や東芝、永谷園など誰もが知っているような有名企業のCMにも出演されていました。優しげな笑顔や声で包容力のある、京塚昌子の良さが生かされたCMとなっています。

母親役での出演もあり、当時の人々の癒しとなっていました。コカコーラ1リットルビンのCMもされていたことは現在でも有名で、当時も現在も変らず親しまれています。

母親といえば京塚昌子

1970年代、母親役と言われて思い浮かぶのは間違いなく京塚昌子でした。現代でもそれは受け継がれており、2015年に行われたアンケートでは、2位に1000票近く差をつけて1位になっています。

京塚昌子の母親像は、これからも受け継がれていくことでしょう。

日本の母親像そのもの

代表作品である「肝っ玉かあさん」などで、少しおっちょこちょいだけどしっかりものな母親を熱演。まさに日本の母親像そのものと言われ、割烹着を着た母親役といえば京塚昌子でした。

ドラマだけでなくCMや映画、舞台などでも母親役を演じ、全国の人々に愛されていました。

京塚昌子の晩年や死因とは?

64歳という若さで亡くなってしまった京塚昌子。若い頃から病気をしており、壮絶な人生を送っています。一時的に芸能界を休業したり、その後復帰しましたが、症状が悪化し芸能界を引退していました。

京塚昌子の身に何があったのか、加えて長い間の闘病生活についてご説明していきます。

脳梗塞で倒れて芸能界を引退

1983年、公演先の愛媛県松山市にて脳梗塞を発症し、入院を余儀なくされます。また、東京で3ヶ月に渡り入院しますが、後遺症に耐えながら1984年には芸能界に復帰します。

しかし症状が悪化し、今の体調では納得のいく仕事ができないと1986年に休業することになります。その後は山梨県や静岡県など環境の良い病院に入院されています。

直接の死因は心不全

直接的な死因になっているのは心不全です。何らかの原因によって心臓が止まり、息を引き取られました。

詳しい原因はわかっていませんが、長期的に脳梗塞で入院されていたことや、過去に患っていた糖尿病など様々な病気が原因となっていることは間違いありません。

幅広い年代に親しまれ愛されていただけに、惜しみ悲しむ声が絶えませんでした。

糖尿病も患っていた

実は脳梗塞で入院する前に糖尿病を患っていました。京塚昌子は大の酒豪で知られ、一晩でウイスキーを3本も飲むこともある程でした。

そして1975年には糖尿病が原因の脳血栓で倒れています。幸い軽度で済見ましたが、すぐにまた飲み歩く生活を続けていたようです。

京塚昌子の若い頃は?

人気絶頂期はあのふくよかな体型と母親役がマッチし人気を獲得していましたが、若い頃はスレンダー美人だったとして有名です。

実際にどのような方だったのか、さらに若い頃の画像など詳しくご紹介します。

高身長だった

残念ながら明確な数値は残っていませんが、若い頃は高身長なスレンダー美人だったと言われています。

ちなみに共演されている方の身長を参考に考えて見ると、155cm前後が有力のようです。当時の平均身長から見ても比較的高身長だったことがわかります。

盲腸手術後に肥満体型になった

演劇という業界ではスレンダーな美人が好まれます。京塚昌子も劇団に所属していたとあって元々はスレンダーな体型でした。

しかし22歳の時に盲腸の手術を受け、それが原因で体質が変わり、肥満体型へと変貌していきます。師匠である花柳章太郎からも『64キロを超えたら役者は諦めろ』と言われていましたが、それも軽く超えてしまうほどでした。

京塚昌子の性格

性格といえば、『山盛り食堂』にて、当時子役だった杉田かおるが京塚昌子に抱きつくシーンがあったのですが、その際にお腹の肉を掴んだことで激怒され、後に降板させられたエピソードが有名です。

世間でのイメージは、日本の4代お母さん女優と呼ばれていた1人でもあり、やはり肝っ玉かあさんのイメージである母親のイメージが強いようです。

京塚昌子の若い頃の画像

残念ながらスレンダーだった若い頃の画像はみつかりませんでした。ですが、肝っ玉かあさんに出演する前の画像は見つけることができました。母親役をしていた頃よりも少し痩せているのがわかります。

役柄から見ても、美人だったことが伺えます。スレンダー美人と言われているくらいですから、痩せていた頃はもっと美人だったのでしょう。

京塚昌子の主な出演作品

人気女優として活躍された京塚昌子ですが、様々な作品に出演され、主に母親役を演じていました。テレビドラマを始め、CM、映画、舞台と幅広く活躍しています。人気になる前から名女優と言われ、期待されていた京塚昌子。

どのような作品に出演し、どのようなか役柄を演じたのかなど、代表作とともにご紹介します。

京塚昌子出演のドラマ・CM

主に母親役として活躍されていた京塚昌子。人気女優となるきっかけとなったのが、母親役でのテレビドラマの出演です。京塚昌子といえば母親役と言われるほど評価されていました。

主にどのような作品で、どのような役柄を演じていたのかご紹介します。

肝っ玉かあさん

1968年から1972年に渡って放送された、京塚昌子の演じる大正五三子が様々な騒動を明るく前向きに解決していく姿を描いた作品です。

この作品の主人公である大正五三子は、女手一つで子供二人を育てながら蕎麦店「大正庵」を切り盛りしてきたことから、「肝っ玉かあさん」と呼ばれていました。頑固なところもあるが人情味豊かで涙もろい性格を見事に熱演し、本人のイメージにもなるほど人気ドラマとなりました。

ありがとう

1970年から1975年に渡って放送され、4つのシリーズで構成されています。日常生活や恋、家族や近所も人々を描いた作品です。

各シリーズは、婦人警官編、看護婦編、魚屋編、カレー屋編とあり、第4シリーズのカレー編では主演の降板を理由に大幅に出演者が変更されました。京塚昌子は第4シリーズカレー屋編の、カレーハウスを経営する春木家の母親役として出演しています。

ボンカレー

残念ながら詳しい情報は残っていませんが、ボンカレーでは広告看板にも映っておられました。当日らしく着物をきており、現在でも覚えている人はいるようです。

画像や動画も残ってはおらず、もうお目にかかる事はできないようです。

京塚昌子出演の映画

ドラマに止まらず、映画にも出演されています。まだ人気になる前の出演作品も含め、代表作をご紹介します。

日本一の色男

1963年に公開された、「日本一の男」シリーズの第1作。化粧品セールスマンである主人公が、さまざまな美女たちを虜にし稼ぐが、その目的は一体なんなのか?というような作品です。

京塚昌子は権田原裕福のお相手役、権田原コチとして出演されています。ブレイク前の出演出演だったため、映画の予告編などには出演されておらず、大々的には取り上げられていませんでした。

空想天国

1968年に公開された痛快コメディードラマです。主人公の田丸圭太郎は空想が大好きなサラリーマン。ある日主人公は、会社に侵入した謎の集団に襲われます。そして空想相手の女性は集団にさらわれしまい、主人公は集団の仲間と疑われ逮捕されてしまいます。そんな主人公が留置所から脱走し、女性を救出する作品です。

京塚昌子は主人公の田丸圭太郎の母親、田丸久子役として出演しています。

京塚昌子出演の舞台

母親役として人気になるには舞台にも出演されていました。このころから名女優と言われており、当時の業界ではとても評価されていたようです。

主演ではありませんが、母親役として出演された作品です。

マイ・フェア・レディ

1956年に初演され、6年6ヵ月に及ぶロングラン公演となった作品です。言語学者ヒギンズは、言葉に強い訛りのあるイライザという女性を研究の実験台にします。そんなヒギンズが、実験台としてみていたはずのイライザへの愛に気づくまでが描かれています。

京塚昌子はそんなビギンズの母親であるヒギンズ夫人役を演じています。

京塚昌子に内縁の夫がいた噂は本当?

内輪の夫がいるという噂は、様々な場所で報じられています。残念ながら内縁の夫の方の名前など、詳しいことは明かされていませんが、とても美貌の良い男性だったようです。またゲイバーにて出会っており、その男性はゲイだったのではないかと言われています。

京塚昌子は生涯独身を貫いていますが、自動車会社の部長のパトロンがいたようです。その時に通っていたゲイバーで出会ったのが内輪の夫と言われている方です。

そしてその後パトロンとは別れ、同棲を始めます。ちなみに当時は知られておらず、亡くなってから報じられています。その内縁の夫とは3年間内縁関係であり、別れた後も酒を飲む関係でした。

徹子の部屋で追悼番組

徹子の部屋では定期的に追悼特集が行われており、さらに故人ゆかりのゲストを呼んで過去のVTRを見るなど、不定期に追悼番組が放送されます。

京塚昌子の場合はゆかりのゲスト、山岡久乃を招き放送されました。この二人は「肝っ玉かあさん」や「ちょっといい姉妹」などで共演しており、石井ふく子のドラマや舞台には欠かせない女優でした。

番組内では、劇団新派時代のことから8年間に及ぶ闘病やリハビリなど、京塚昌子の人生について語られています。

黒柳徹子との舞台共演

黒柳徹子と京塚昌子はいくつかの舞台で共演しており、様々な思い出があったようです。京塚昌子の芝居が好きだったと、その思いを語られています。

その後テレビに出演するようになり、その笑顔やふくよかな体型で沢山の方を楽しませて下さったとして、別れを惜しんでいました。

日本の母親「京塚昌子」

まさに日本の母親と言われていた京塚昌子ですが、その裏には壮絶な人生がありました。若くして病気をし、人気女優となってからも長くの闘病生活を送られていました。

しかし京塚昌子の演じられた役はどれも人々の心を打ち、その結果全国の方から慕われ愛される存在となりました。その姿は、今後も受け継がれていくのでしょう。

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