俳優の前田吟は現在死亡してる?若い頃や生い立ちも解説!
確かな演技力で名わき役として名高い俳優に、前田吟さんがいらっしゃいます。既に70代の前田吟さんには死亡説がありますが、それは真実なのでしょうか。今回は前田吟さんの生い立ちから俳優業のエピソードなど、軌跡を紹介していきます。
目次
前田吟とは?
邦画やドラマを観ていると、「あ、この人知ってる!」となる俳優さん、女優さんはよくいることでしょう。しかし、この人の名前は知らない・・・となる人の中に、「前田吟」さんがいます。
フーテンの寅といえば「男はつらいよ」ですが、その中で主人公寅の妹さくらの夫をしている人です。役柄で「ああ!」となることが多いのも前田吟さんの特徴と言えば、特徴です。
では、その前田吟さんは今現在はどうしているのでしょうか。死亡説も出ていますが、それは本当なのでしょうか。紹介していきましょう。
前田吟のプロフィール
本名 | 前田信明(まえだのぶあき) |
生年月日 | 1944年2月21日 |
現在の年齢 (2019年現在) |
満75歳 |
出身地 | 山口県防府市 |
血液型 | A型 |
活動内容 | 俳優 司会 歌手 |
所属グループ | なし |
所属事務所 | マエダ企画 |
主な作品 | 「男はつらいよ」「渡る世間は鬼ばかり」 「積み木くずし」 |
にっこり笑った笑顔に強さを感じる演技派で有名な前田吟さんですが、彼は2019年現在、満75歳です。今まで色々な作品に重要な役として出演してきた彼ですが、今はどうしているでしょうか。
今回は役者、前田吟さんの出生から現在に至るまでを紹介していきます。
前田吟の経歴
まずは前田吟さんの経歴からご覧ください。戦時中から生きてこられた方の人生は普通にしていても波乱万丈になりますが、前田吟さんもその中の一人です。
しかし、そんな波乱万丈な人生の中でも、めげず負けず強く生き抜いてきた前田吟さんの姿がよくわかります。
1962年に上京し「東京芸術座研究所」に入所
1962年に高校中退していた後、質の高い仕事を得るためにしていた通信教育の高校卒業資格取得後、本格的に役者を目指した前田吟さんは、大阪から上京する決心をします。
そして東京芸術座研究所第1期生になります。
1963年に「劇団俳優座養成所」に入所
その後、1963年に「劇団俳優座養成所」の15期生となります。この頃の同期には、地井武男さん、原田芳雄さん、夏八木勲さん、小野武彦さん、村井国夫さん、林隆三さん、など有名な人がたくさんいました。
同期から後に有名になった俳優さんはたくさんいますが、前田吟さんは「同期の中で自分が一番演技がうまいと思っていた」と現在語っています。
1964年に俳優デビュー
前田吟さんはずっと俳優になるチャンスをうかがっていましたが、1964年についに「判決」でデビューを果たします。この年、2年年上の妻とも結婚をしました。まだ二十歳のことでした。
その翌年の1965年には朝日放送の「純愛物語」で主役として出演も果たします。いよいよ俳優人生が幕をあけるのです。
映画やドラマに数多く出演
1968年に芸名を本名から前田吟へと改名してから出演した「ドレイ工場」で山田洋次監督の目に止まり、「男はつらいよ」のさくらの夫博訳が決まります。
以来、前田吟さんは演技派の役者として数々のドラマ、映画に出演をし、着実にキャリアを積んでいくのです。
前田吟の若い頃や生い立ち
では、続いて役者・前田吟さんの若い頃や生い立ちについて順番に紹介していきましょう。
戦時中にうまれた彼は、結婚していない男女の間にできた子供、つまり私生児でした。見る人を和ませる力を持った前田吟さんの笑顔、その裏いは壮絶な生い立ちがあったのです。
生まれてすぐ養子に出される
前田吟さんは1944年の2月21日、終戦の直前に山口県防府市に生まれます。父親は同盟通信の山口支局に勤務する記者であり、母親はタイプライター教師でした。しかし父親は彼が生まれて間もなく死亡、母は失踪してしまいます。
そのため、生後まもなく前田家の養子へと入るのです。前田吟さんは養父母を自分の父母と思って育ったのでしょう。
次々に養父母が亡くなる
しかし、ここでも前田吟さんを不幸が襲います。まずは5歳の時に養母を亡くします。その後養父は12歳まで育ててくれましたが、その養父も12歳の時に死亡、前田吟さんは親戚の間をたらいまわしにされます。
その後親戚の家を転々とする
実家の母は戻っていましたが実家には戻らず、彼は親戚の家を転々としながら中学校を卒業します。
中学校卒業後は山口県立防府高等学校へ進学しますが、そこで生みの母が出てきて、彼を中退させて工場で働かせます。どんな理由があったかは判りませんが、母親から強制されたようです。
その後、大阪の家具屋へと就職、働いている間に黒澤明監督の「野良犬」や「七人の侍」をみて感動し、役者を志願するのです。
若い頃の画像を紹介
こちらはまだ20代の前田吟さんです。やはり「男はつらいよ」が大変有名です。
若くてりりしく、相変わらず素敵な笑顔だった前田吟さん。寅さんシリーズには最後まで出演し、大きな存在となりました。
前田吟の主な出演作品
前田吟さんはさんざん苦労をして役者になりましたが、デビューするとその確かな演技力で数々のドラマや映画に出演します。
ここで、前田吟さんの主な出演作品を紹介しましょう。彼の演技力が光る作品ばかりですので、まだ見ていない人は是非、1度見たことがある方はまた視聴してください。
前田吟出演のドラマ
前田吟さんは俳優としてのデビュー作はドラマでしたし、映画だけではなく、ドラマにも数多く出演しています。まずはドラマ作品から紹介します。
たくさん出ていますので、ここで紹介するのはその中でも有名な作品です。
渡る世間は鬼ばかり
功名が辻
前田吟出演の映画
では次は、映画です。前田吟といえば「男はつらいよ」の博だ!という方もたくさんいますが、彼は様々な映画に出演し、その演技力を遺憾なく発揮しました。
ここでは紹介しませんが「のぼうの城」「空飛ぶタイヤ」などにも登場しています。
男はつらいよ
3月のライオン
前田吟出演の舞台
前田吟さんはドラマや映画だけでなく、舞台でも出演しています。次は前田吟さんが出ている舞台の紹介をしましょう。
藤島土建
舞台「藤島土建」は、社長と専務である息子が社会の中で揉まれながら会社を守るために対立し、葛藤する舞台です。
頑固な社長である繁雄や土建屋や土方という言葉に誇りを持っていますが、息子はそんな父が嫌いだった。会社名を変えるべく踏ん張る息子は、厳しい現実に対面し、苦しむことになります。
前田吟さんは頑固な社長・繁雄役です。さすがといわせる演技力で、観客を舞台へと引き込んでいます。
前田吟の妻や子供は?
では続いて、俳優・前田吟さんの家族に焦点をあててみましょう。自身は恵まれない家庭環境で育った前田吟さんですが、彼本人の家庭はどういう状況でしょうか。
順番に紹介していきます。
1964年に一般人と結婚
前田吟さんはまだ俳優になる前、「劇団俳優座養成所」の15期生として演技の勉強をしつつアルバイトを掛け持ちして生活している頃、2歳年上の女性と結婚します。まだ20歳の時でした。
奥さんになった女性も同じ劇団にいて、女優を目指していたそうです。俳優としてデビューする前に二人の間には長男が誕生します。
前田吟さんは演技がうまくなることよりも、とにかくお金を稼ぐことを目標にしてきたそうですが、それは妻や子供を養うためだったのでしょう。
4人の息子がいるが娘はいない
前田吟さんには子供さんが4人いますが、いずれも息子です。長男は俳優ではなくテレビ東京勤務、次男は俳優としてすすみ、前田淳さんとして「武士の一分」や「母べえ」などの映画やドラマで活躍しています。
三男は建築会社の経営者で、四男はボールルームダンスをしており、ボールルームダンスプロジェクトの代表でもあります。
息子さんたちはそれぞれが各分野で第一線で活躍をされているそうです。
浮気歴がある
前田吟さんは浮気経験者です。本人がバラエティ番組で語ったところによると、京都で芸子さんと浮気をしていたところ、奥さんが当時幼児だった4男を抱えて夜行電車にのり、京都まで乗り込んできたそうです。
前田吟さんが浮気をするたびに奥さんは罰として指輪などの宝石を買わせたらしく、それが何個あるか、と前田吟さんは苦笑していたのです。
息子さんと共演でのバラエティ番組での告白であり、子供さんたちも父親の度重なる浮気については知っていたようですが、夫婦は別れることもなく今でも仲がよいようです。
孫もいる
積極的にバラエティ番組にも出るようにしたという前田吟さんは、ある番組でお孫さんのことについても話しています。2009年の時点で5人のお孫さんがいらっしゃると判っています。
最初の孫である「いっくん」はたいそう可愛い様子で、おもちゃを買ってやるなどで優しいおじいちゃんをしていることを話していました。2019年ではその初孫さんも大学生のはずです。
現在ではもっと孫の数も増えているかもしれません。
前田吟の死亡説の真相と現在は?
前田吟さんは元気で数々の番組に出演していらっしゃいますが、死亡説が囁かれたことがありました。
では、その真相とはどういったものなのでしょうか。そして現在でもお元気なのでしょうか。
なぜそんな噂が出たのかを、順番に紹介していきます。
バラエティ番組で突然死の危険性を指摘される
前田吟さんが頻繁にバラエティに出るようになった頃、出演した「名医のTHE太鼓判!」で、肺年齢を測定したところ実年齢よりも7歳も上の「81歳の肺」と判明しました。
更に番組で、「睡眠時無呼吸症候群」の症状があり、自覚症状のないまま進行する肺炎であることが判明します。いつ突然死してもおかしくない状況と言われてしまい、本人もびっくりされました。
重度の睡眠時無呼吸症候群で細菌の多い唾液が気管の中に落ちてしまい、誤嚥性肺炎を発症する「隠れ誤嚥」であることがわかったのです。医者からは無呼吸症候群の治療をすすめられます。
現在も仕事を続けている
しかし、亡くなった事実はありません。過去に「オファーがあればどんな役でもやります。時間がある限りはバラエティーにも出ます」と言っていますので、どんどんお仕事をされているのでしょう。
幸薄い子供時代をすごされた方ですが、現在は奥様と息子さん達、たくさんのお孫さんに囲まれて幸せな生活をされているようです。
前田吟がお金が好きと公言するわけ
既に大御所俳優となった前田吟さんですが、彼はテレビ番組でもお金が好きだと公言しています。
息子さんが出たテレビ番組で「父がお金に厳しすぎる」と不満を漏らしたことで本人がそのわけを語ったのですが、では、なぜ前田吟さんはお金に厳しくなったのでしょうか。
どうやらお金にシビアであり、好きなものだと公言するのは、昔からのようです。
「3度の飯より金が好き」
前田吟さんはテレビの取材に対して、「3度の飯より金が好き」と公言しています。お金を稼ぐことが若い頃からの目標かつ目的であり、遣うにもかなりのこだわりを見せています。
その理由は、やはり幸薄かった幼少時代が由来しています。戦時中に生まれ、家庭に恵まれなかったために欲しいものを買ってもらえなかったことで、自力で買えるようになっても嬉しいと思うよりも勿体無い、と思うそうです。
息子の経営するダンス教室にもやってきて、帳簿や経営状況を実に細かくチェックするのだそうです。これには息子さんも困り果てているのでした。
「演技はあくまでも飯のタネ」
昔所属していた「俳優座」時代、結婚して子供がいた前田吟さんは、とにかく働くしかなかったことを理由にあげています。方針は「とにかく稼ぐ」ということで、それだけが大事だった、と語っています。
「芝居をうまくしようとか劇団を作ってみんなで好きな芝居をしようとか、そんなことは一切考えなかった、ただもう働くこと、お金を稼ぐためには売れるしかないと考えていた」ということです。
そして、演技をすることは仕事だと思っている、飯をくうため、家族を養うために演技がある、だからオファーがあればどんな役でもやります、といいます。彼はしっかりとした考えがあっての俳優さんなのです。
寅さんに「何で俳優になったの?」と聞かれる
「男はつらいよ」で共演していた俳優の渥美清さんにも、歌手で売れて印税が入ったと喜ぶ前田さんは「吟ちゃんはさ、どうして役者になったの?」などと聞かれたそうです。
前田さんは昔から「1年で1億円稼げたら役者をやめる」と言っていたそうで、この時もそう答えて笑わせたというエピソードがあります。
バラエティ番組では20分間に渡って「1億円を稼ぐ方法」について熱弁をふるったそうですし、本当にお金を稼ぐということが好きなのでしょう。
笑顔の奥に強さが見える俳優・前田吟
数々の映画やドラマに出演し、その確かな演技力で名わき役として名高い前田吟さんですが、現在もお元気で仕事をこなしてらっしゃいます。
波乱万丈の幼少時代を乗り越え、20歳で結婚して家庭をもち、それから努力を重ねて俳優として成功された方です。今ではたくさんの家族に囲まれて幸せであり、更に笑顔にも魅力が増しています。
この週末には演技派俳優・前田吟さんが出ている映画やドラマを是非チェックしてみてください。笑顔の奥に強さが見える、彼の魅力がしっかりと伝わるでしょう。