引け目を感じるの意味とは?引け目を感じる心理も紹介

引け目を感じるとは、どういう意味か知っていますか?一度も引け目を感じたことがない人は少ないのでは?引け目を感じるの意味や、引け目を感じる心理を解説します。何がきっかけで、引け目を感じることになるかわかりません。引け目を感じるときの対処法もご紹介します。

引け目を感じるの意味とは?引け目を感じる心理も紹介のイメージ

目次

  1. 1「引け目を感じる」の意味や使い方を理解しよう!
  2. 2「引け目を感じる」の意味とは?
  3. 3「引け目を感じる」の使い方
  4. 4「引け目を感じる」の類語表現
  5. 5引け目を感じる人の心理とは?
  6. 6引け目と負い目の違い
  7. 7引け目を感じた時の対処法
  8. 8引け目を感じることは悪いことではない

「引け目を感じる」の意味や使い方を理解しよう!

「引け目がある」「引け目を感じる」など、よく聞く言葉ですが、その意味や使い方、引け目を感じる心理をご存知ですか?

引け目を感じる機会はどこにでも転がっています。今まで一度も引け目を感じたことがないという人でも、いつ何時引け目を感じることになるかわかりません。

引け目を感じるの言葉の意味や使い方、引け目を感じる心理など、「引け目を感じる」について考えてみましょう。

「引け目を感じる」の意味とは?

「あいつにはかなわない」と、尻尾を巻いて逃げ出したことはありませんか?誰かと自分を比べて落ち込んだり、他人の目が気になって気持ちが折れてしまったり、どうせ自分なんかと卑下してしまったり。それが「引け目を感じる」ということです。

「引け目」とは、自分で自覚している欠点、劣っている点、弱味のことです。「引け目を感じる」とは、すなはち、誰か自分以外の存在に対して、自分のほうが劣っていると自覚することです。

勉強で、スポーツで、仕事で、容姿で、家柄で、人柄で、自分より優れている人がいるのは当たり前のことですが、そこに劣等感が生まれると引け目を感じることになります。

「引け目を感じる」の使い方

「引け目を感じる」とは、どのようなときに、どのような使い方をするのでしょうか。「引け目を感じる」とは、他人に対して自分のほうが劣っていると、強く意識したときに使う言葉です。

引け目を感じるには、他人と自分を比較することが前提になります。たとえ相手がウルトラエリートでも絶世の美女でも、自分と比較することがなければ、「引け目を感じる」ことはありません。

「自分だって」というかすかな己惚れ、心の奥に隠した自尊心が刺激されるので、優れた相手に対して「引け目を感じる」のです。「引け目を感じる」とは、敗北感を伴って使われる苦い言葉です。

「引け目を感じる」という言葉を使うとき、そこには必ず対象者がいます。誰かと引き比べて自分が劣っているという自覚なしに、「引け目を感じる」という言葉を使うことはありません。

つまり、「引け目を感じる」とは、あなたが主体です。「引け目を感じる」のはあなた自身、他の誰でもありません。そして、「引け目を感じる」という感情は、他の誰とも完全に共有することはできません。

「引け目を感じる」のはとてもパーソナルな問題で、他人が「引け目を感じて当然」と思っても、あなた自身が無関心なら、「引け目を感じる」ことは決してありません。

「引け目を感じる」を使った例文

「引け目を感じる」とは、実際にどのような使い方をするのか、例文を使って解説してみましょう。

例文①優秀な兄に引け目を感じている

劣等感を抱いている対象は、「優秀な兄」です。「お兄ちゃんはできるのにあなたは」とため息交じりに親の愚痴を聞かされてきた子どもが、抱きがちな感情です。

ここで、「お兄ちゃんは勉強ができるけれど自分はスポーツが得意だ」と、自分の長所に意識を向けることができれば、「引け目を感じる」ことなどありません。同じ土俵で戦おうとするから「引け目を感じる」ことになるのです。

例文②一所懸命やったのだから引け目を感じる必要はない

「こんなに頑張ったのにやっぱり駄目だった」となると、自分の能力の限界、才能の無さを突き付けられたようで、絶望的な気持ちになります。自分より優れた人間に対する羨望、嫉妬、称賛、呪詛など複雑な感情に翻弄されることになります。

そこに劣等感が生まれると、「引け目を感じる」ことになり、どんどん落ち込んでしまします。そんな状態にある人を慰め、励ますために、「引け目を感じることはない」という言葉をかけることがあります。

「よくやった」「じゅうぶんだ」というねぎらいの言葉ですが、聞く側の心理状態によっては力になることもあれば、何の意味もなかったりもします。

例文③一緒にいると引け目を感じるよ

こんな自虐的な言葉をかけられても、言われたほうはどう反応していいのか、答えに詰まることでしょう。勝手に持ち上げられて、一人で落ち込んで卑屈になられても、戸惑うばかりです。

自分が引け目を感じている相手に、直接「引け目に感じる」と使えるのは、一見相手をリスペクトしているようで、実は自分のコンプレックスを押しつけているだけです。自虐をひけらかして自尊心を守ろうとするのは卑怯な行為です。

もしあなたがこんな風に言われたら、「そうなんだ」とさらっと受け流しましょう。

「引け目を感じる」の類語表現

劣等感をあらわす「引け目をかんじる」には、いろいろな類義語がありますが。ニュアンスが微妙に違ったり、含まれる感情に揺らぎがあったりします。

「引け目を感じる」の主だった類語をご紹介します。細かいニュアンスの違いを理解し、シーンに応じて使い分けましょう。
 

・気後れする
・気が引ける
・劣等感を感じる
・腰が引ける

彼の次に発表するなんて気後れする

「気後れ」とは、遠慮してびくびくすること、自信がなくて怯むことです。「そうしよう」とおどおどする心情をあらわす言葉です。「尻込みする」も同じような意味です。

「引け目を感じる」と同じように、相手の能力に圧倒されたときに使いますが、「引け目を感じる」に含まれる劣等感や自己評価の低さは弱まり、むしろ気の弱さからくる自信のなさが強調されます。

何度もお願いするのは気が引ける

「気が引ける」の「気」は、「気持ち」「感情」という意味です。「気が引ける」とは、「気持ちが引ける」、つまり、申し訳ない気持ち、遠慮したい気持ちになるということです。

出しゃばりたくない、目立ちたくないという感情は「引け目を感じる」と通じるものがありますが、相手に対して「肩身が狭い」思いが強く、卑屈でねじ曲がった感情は見られません。

彼のことを考えると劣等感を感じる

「劣等感」は、「引け目」の大部分を占める要素です。「劣等感」なくして「引け目」は生じません。自分と他人を引き比べて勝手に落ち込んだり自信をなくしたりするのが、「引け目を感じる」ということです。

つまり「引け目」と「劣等感」は完全に同義で、「引け目を感じる」はそのまま「劣等感を抱く」に置き換えることができます。

しかし、「引け目を感じる」は、そのまま陰にこもる姿を連想させるのに対し、「劣等感」は、負の感情を反動に、エネルギーに変換される可能性を感じさせます。

私が代表なんて腰が引ける

「腰が引ける」は、「及び腰になる」という言い方もします。「及び腰」は、自信がなく決心がつかない中途半端な状態です。「逃げ腰」とも言います。

「腰が引ける」にも、劣等感のニュアンスは薄く、「自信のなさ」に起因する「度胸のなさ」がクローズアップされます。「腰が引ける」理由は、自分より優れた誰かというより、自分自身の内情の問題です。

引け目を感じる人の心理とは?

自分の能力の未熟さを思い知らされるきっかけは、日常的に存在しています。自分より優れた人間は、それこそ掃いて捨てるほどいるのです。世界に冠たる才能の持ち主だとて、自分の得意分野以外では頭を垂れるほかない異才の存在に打ちのめされるのです。

多くの人は、その才能を称賛しても、引け目を感じることはありません。それは、自分とその才能を同列に考えてはいないからです。「引け目を感じる」には、自分とそれを引き比べる必要があります。引け目を感じる人の心理は複雑に見えて実は単純です。

引け目を感じている人の心理を探ってみましょう。

卑屈になっている

他人に対して引け目を感じる人は、他人と自分を引き比べてコンプレックスを抱き、「どうせ自分なんて」と卑屈になっています。誰がそう言っているわけでもないのに、勝手に「自分は劣っている」と思い込んでいるのです。

その裏には、「こうあるべき自分」「理想の自分」と、今現在の自分との乖離に悩み、その苦しみから逃れたいがために、現実と対峙することから目を逸らそうとする心理が働いています。

コンプレックスの度が過ぎると、自己嫌悪に陥り、そのうち自己否定もしかねません。自分には長所なんて一つもないと卑屈になる心理状態は、決して健全なものではありません。

自意識過剰になっている

「引け目」は、自分自身が生み出すものです。自分が「引け目を感じる」と思わなければ、他の誰も、あなたに心理的圧力をかけ、「引け目を感じさせる」ことはできません。引け目は過剰な自意識が生むのです。

完璧であらねばと自分を追い詰めると、どうしても自分の至らなさに目が行き、焦りや不安が生まれ、他人の目が気になります。他人の目や評価を気にし過ぎるところに、引け目を感じる心理が生じます。

誰よりも認められたい、優れていたいという、ある意味傲慢な心理が、不必要なほど自尊心を高め、かえってあなたから自由を奪い、意味もない劣等感を植え付けることになるのです。

Thumb自意識過剰の意味とは?自意識過剰の人の特徴と具体的な改善方法
自意識過剰とは自分のことを意識し過ぎているイタい人に使われます。自意識過剰なクセの強さを自分...

プレッシャーを感じている

プレゼンなどで、「絶対に失敗できない」と強い心理的プレッシャーを感じると、急に自信が持てなくなり、臆病風に吹かれることがあります。失敗したらどうしようと、焦れば焦るほど、他の誰もが自分より優れているように思えて、引け目を感じます。

これもまた自分で自分を追いつめているだけで、誰もあなたにプレッシャーをかけているわけではないのですが、いったんそう思い込むと、臆病な心理状態からはなかなか抜け出せなくなります。

やましい気持ちがある

劣等感や焦りばかりが、引け目を感じる原因になるわけではありません。遠慮や後ろめたさがあるとき、人は負い目、罪悪感を抱きますが、引け目も同時に感じるものです。

あなたが不公平な手段で何かを手に入れたとして、正当な手段でそれを勝ち取った人に対して感じるやましさ、気恥ずかしさを想像してみてください。

実力もないのに、縁故やお金の力でその地位を手に入れた者が、気が遠くなるほどの訓練を重ね、何十倍もの倍率を突破してその地位に辿り着いた者に対する気持ち、と言えばわかりやすいでしょうか。

引け目を感じる心理は、多分にして自己暗示の部分がありますが、嘘や秘密にまみれた心理が生む「引け目」には根拠があります。

明らかに自分は劣っているという事実、まっとうに向かい合ったのでは歯が立たないという確信が、負い目だけでなく、引け目を感じる心理に結びつきます。

引け目と負い目の違い

「引け目を感じる」と「負い目を感じる」は、よく似た言葉ですが、ニュアンスが違います。「引け目」は、コンプレックスで「負い目」はペナルティです。

完全無欠な恋人がいる人に恋をして、何もできずにいるときに感じるのは「引け目」、劣等感ですが、親友の恋人を奪ってしまったときに感じるのは「負い目」、罪悪感です。

引け目を感じた時の対処法

「引け目を感じる」のは、衝動のようなもので、理性でコントロールできるものではありません。自分ではどうしようもないコンプレックス、劣等感につかまってしまったとき、心の平安を保つためには、どうしたらいいのでしょうか。

引け目を感じたときの、対処法をご紹介します。

恋愛の場合

好きで付き合い始めたのに、相手が完璧に思えて、「自分は相応しくない」と思い込んでしまう。そんなこともよくあります。相手が素敵な人であればあるほど、「こんな自分では相手も恥ずかしいのでは?」と、疑心暗鬼にかられます。

相手にとっては勘違いもいいところ、自分が好きになったのだから、何を劣等感を抱くことがあるのかと言いたいはずですが、一度引け目を感じると、卑屈になる気持ちは止められません。

素敵な人だから好きになったのに、その魅力に引け目を感じるのは、おかしな話ですが、自分に自信がないと、恋敵があらわれるのでは、そのうち飽きられるのではと不安が尽きません。そんな気持ちでいると、相手も付き合っていて面白くありません。

意味もない劣等感が原因で、万が一恋人とギクシャクしてしまったら、つまらないと思いませんか?相手も、自分が好きになった相手なのに、そんなに卑屈になられたのでは、嫌になって当然です。

もっと自信を持って、と口で言うのは簡単ですが、それで劣等感が払拭できたら誰も苦労はしません。でも、あなたを選んだのは、相手です。それなのに引け目を感じるのは、相手の判断を信用していないということで、相手に対して失礼です。

恋愛で大事なのは、好きという気持ちです。自分と相手を引き比べても仕方がないのです。対等でなくてもいいのです。恋愛中に引け目を感じたら、何よりもまず、相手の心を信じましょう。

兄弟姉妹の場合

身近にいる兄弟姉妹に引け目を感じるのは辛いことです。悪意のない比較に、四六時中さらされることになるからです。家の中だけならまだしも、学校に行っても比べられることが多いです。

本人は気にしていなくても、あまりに何度も比較されると、いつの間にか周りから劣等感を植え付けられてしまうこともあります。

優れた兄弟姉妹を「どうだすごいだろう」と誇れるくらいの余裕があれば、引け目を感じることにはなりません。引け目を感じるのは、自分もできるはずだ、兄弟姉妹なのだから、自分もできて当然だと思うからです。

兄弟姉妹だからと言って、全てが同じというわけにはいきません。能力にも才能にも差があって当然です。兄弟姉妹に比べて劣っている点ではなく、優っている点を見つけてください。

夭逝の詩人金子みすずさんの代表作「私と小鳥と鈴と」に、「みんなちがってみんないい」という一節がありますが、兄弟姉妹に劣等感を抱いている人に大事なのは、この思想です。

同じフィールドで戦うのが無理なら、違うところで自分の良さを発揮しましょう。勉強ではかなわないけど運動は自分のほうが得意とか、何もかも負けているけどゲームなら自信があるとか、何でもかまいません。自分で自分を誇ることができたら、呪縛からは解放されます。

仕事の場合

どんな難しい問題もバリバリ解決する有能な同僚が職場にいたら、頼もしい反面引け目を感じることもあります。仕事の成果、周囲の評価、昇給、昇格、目に見える形で実力の差を見せつけられるのでなおさらです。

あながち根拠のないコンプレックスと片付けられないのが辛いところです。だからと言って、引け目を感じて自分の仕事がおろそかになっては本末転倒です。

職場に引け目を感じる相手がいる場合は、目の前の自分の仕事に集中しましょう。余計なことは考えず、頑張って自分も成果をあげる以外に方法はありません。

引け目を感じることは悪いことではない

「引け目を感じる」のは、何も特別な感情ではありません。どんなに才能や能力に恵まれた人だって、ちょっとしたきっかけで引け目を感じる可能性はあるのです。ゆるぎない自信、完全無欠の自己肯定感を持つ人以外、「引け目を感じる」ことから無縁ではいられません。

「引け目を感じる」ことは、むしろ自然な感情ともいえますが、ただ、やみくもに引け目を感じても意味がありません。この点ではかなわないけれど、自分にもこんな良いところがあると、自分を認めることが大事です。

「引け目」は自分時瓶が生み出すもの。気にしなけれな無と同じです。感じた「引け目」をエネルギーにするか、自分を縛る呪いにするかは自分次第です。願わくば、「引け目」を受け入れ、新たな挑戦、成長の糧としてください。

関連するまとめ

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ