ハローキティ殺人事件の概要!犯人のその後は?【拷問事件】

ハローキティ殺人事件をご存知でしょうか?女性を拷問して殺人を犯した上に犯人は死体をバラバラにしてキティちゃんのぬいぐるみの中に頭を詰めたという痛々しい拷問殺人事件です。ハローキティ殺人事件の犯人のその後はどうなっているのでしょうか。

ハローキティ殺人事件の概要!犯人のその後は?【拷問事件】のイメージ

目次

  1. 1ハローキティ殺人事件とは?
  2. 2ハローキティ殺人事件の被害者と犯人
  3. 3ハローキティ殺人事件の概要
  4. 4約1ヶ月にわたる監禁・暴行の実態
  5. 5被害者殺害後の犯人の行動
  6. 6ハローキティ殺人事件発覚の経緯
  7. 7ハローキティ殺人事件犯人逮捕とその後
  8. 8ハローキティ殺人事件被害者と家族のその後
  9. 9ハローキティ殺人事件のような残虐な事件は二度とあってはいけない

ハローキティ殺人事件とは?

ハローキティ殺人事件とは、誰もが知っている愛らしいキャラクターの名前が付けられているのとは裏腹に、とても残虐で、恐ろしい殺人事件です。

このハローキティ殺人事件は香港でおきました。香港で起きた最も人々の心をあおった事件の第4位にも選ばれています。しかし、なぜ、ハローキティ殺人事件という愛らしい名前が付けられているのでしょうか、気になる方も多いかと思いますのでご説明していきます。

ハローキティ殺人事件の被害者と犯人

ハローキティ殺人事件の被害者と犯人について見ていきます。香港で起こった残虐な殺人事件、ハローキティ殺人事件の被害者は女性です。犯人は3人いると言われ、3人組の犯行だったということがわかっています。

被害者 樊敏儀

ハローキティ殺人事件で殺された被害者は、当時23歳だった香港に住む女性、樊敏儀さんです。樊敏儀さんは当時、ナイトクラブに勤務しており、妊娠していました。

被害者の女性、樊敏儀さんは、犯人から借金をするまではナイトクラブの収入だけで生活をしていました。祖母と暮らしていて、祖母は病気を患っていました。そんな被害者女性は、とある場所に監禁されて強姦、拷問を受けた上に殺害されたのです。軽く説明してもこのハローキティ殺人事件の残虐性がわかります。

犯人 陳文樂

3人組の男性が起こした事件、ハローキティ殺人事件の主犯格は、当時33歳で一番年上の陳文樂でした。陳文樂は、クラブや売春婦などの客引きや、土地に不慣れな観光客らをだましてお金を巻き上げる、ポン引きの頭でした。

陳文樂はアウトローとしてその界隈では名前が知れており、ポン引き行為のほかに恐喝や薬の売買など、周りから恐れられている存在でした。

犯人 梁偉倫・梁勝祖

残りの二人の犯人は、当時26歳の梁偉倫と当時19歳の梁勝祖の3人が犯人です。年齢的にも一番年上の陳文樂が頭のリーダ格で、事件の主犯、残りの二人は陳文樂の部下といった所でした。

二人とも陳文樂より年齢が下で、手下として頭の陳文樂からポン引き行為や恐喝行為を強要されていたと思われます。ハローキティ殺人事件は、陳文樂、梁偉倫、梁勝祖、この三人の手によって起こった残虐な殺人事件です。

ハローキティ殺人事件の概要

ハローキティ殺人事件、かわいらしいキャラクターの名前が付いたこの事件は、香港史に残る残虐な拷問殺人事件でした。ハローキティ殺人事件の事件概要について見ていきましょう。

樊敏儀さんが祖母の医薬費のために借金

ハローキティ殺人事件の被害者の女性は祖母の医療費の為、主犯の陳文樂に多額の借金がありました。また、祖母の医療費だけでなく、薬物を入手するために陳文樂から借金をしていたと言われています。

被害者の女性は、薬物中毒者であったのでしょうか、どちらにしろ、借金の原因は祖母の医療費の為ということは確実です。

借金返済のために樊敏儀さんに客を取らせる

ハローキティ殺人事件の、主犯各である陳文樂は、被害者女性に借金の返済を求め、妊娠していたことを知りながら、被害者女性に客を取らせていました。

ナイトクラブで働きながら客を取らされていた被害者女性の生活はかなりきつい様子だったと言われています。しかし、被害者女性は借金を返済することができませんでした。

借金返済ができない樊敏儀さんを監禁し殺害

借金を返すことができないと知り、犯人の陳文樂と手下の2名は陳文樂が所有するマンションに被害者女性を監禁し殺害しました。

陳文樂以外のほかの二人の犯人は、被害者女性とは面識がなかったとされています。被害者の女性はナイトクラブで働きながら、妊娠してもなお、客を取っていたことから相当厳しい生活だったことがうかがえます。

ハローキティ殺人事件は、祖母の医療費を工面するために被害者女性が犯人、陳文樂から借金をしたことにより発生した悲しい殺人事件です。

約1ヶ月にわたる監禁・暴行の実態

ハローキティ殺人事件は1999年に起こりました。犯人たちは陳文樂が所有するマンションに被害女性を約一ヶ月にわたり監禁をして、暴行、拷問を繰り返していました。

被害者の女性が逃げることができないように、ドアや窓などを木で塞ぎ監禁していました。外部からは何が行われているか全くわからない状況で、犯人たち三人は、被害者女性に暴行、拷問を繰り返し行いました。

悲鳴が漏れないよう窓やドアを木で塞ぐ

すべてのドアや窓を木で完全に塞がれた状態で監禁していたため、被害者女性の悲鳴や鳴き声は外に漏れることはありませんでした。

被害者女性が「お願い、助けて」と叫んでも犯人たちは、お前は笑え、と強要していたそうです。三人の犯人は助けを求める被害者女性の声を完全に無視して暴行、拷問を繰り返しました。

すべてのドアや窓が木で塞がれていたので外部からは中の様子が全く分からず、被害者女性の悲鳴も外に漏れることは一切ありませんでした。

残忍で残酷な暴行と拷問の数々

殴る蹴るなどの暴行を加え、さらに被害者女性に麻薬を摂取させ、犯人たちは強姦を繰り返しました。食事も満足に与えず、被害者女性が口にしたのは、尿や糞だったと言います。

暴行の末にできた傷口はひどく、犯人たちは傷口に唐辛子を塗り込んだり、溶かしたプラスチックを太ももに垂らしたり、足を焼いたり、拷問は激しさを増していきました。腫れあがった顔に抜け落ちた歯、身体は血と膿で異臭を放っていたそうです。

そんなひどい暴行、拷問が数週間にわたり行われていることを外部の人間はだれ一人として知る由もなかったのです。暴行、拷問を受けた被害者女性の苦痛は想像を絶するものだと言えたでしょう。

恐怖の中で息絶えた樊敏儀さん

そんなひどい暴行、拷問が数週間にもわたり繰り返し行われ、最後には、被害者女性の手から電流を流し殺害しました。いつ終わるかもわからない暴行、拷問。

被害者女性は恐怖に打ち震えながら殺害されてしまいました。殺害された被害者女性の苦しみは想像を絶するものがあります。犯人たち三人は、被害者女性をはじめから殺すつもりで拷問を続けたのです。普通の人が頭では想像がつかないような地獄絵図がハローキティ殺人事件にはあったのです。

被害者殺害後の犯人の行動

暴行、拷問の末、被害者女性が死亡したことを確認すると、主犯格である陳文樂は手下の二人に被害者女性の後始末を命じます。

ここから先が、この事件がハローキティ殺人事件と呼ばれる犯人たちの行動で、頭がおかしいのではないかというほどむごたらしい、死体の後始末を行います。

遺体をバラバラに解体

被害者の女性が死亡したこと確認した主犯格の陳文樂は、子分の二人に被害者女性の死体の後始末を命じます。二人は死体をお風呂場に運び、被害者女性の死体をバラバラに解体しました。

はじめに死体を解体していたのは梁勝祖でしたが、内臓から発生する匂いに耐え切れず、嘔吐、失神してしまいました。そのためあとは陳文樂が死体を解体しました。

被害者女性の死体をバラバラに解体したあと、内臓はビニール袋に詰めてごみ収集場所に捨て、頭部以外の体はプラスチック製の袋に入れて内臓同様に捨てています。

頭部をストーブで煮てぬいぐるみの中へ

頭部に関しては、身元がばれないように、鍋を使ってストーブで煮てから、たまたまそこにあったハローキティのぬいぐるみの綿をすべて取り出して、被害者の女性の頭部をハローキティのぬいぐるみの中に入れて縫い付けました。

このとき、子分の一人がぶつぶつと独り言を言いながら頭部を詰めていたと言います。ハローキティのぬいぐるみに被害者女性の頭部を詰めたことからこの事件は、ハローキティ殺人事件、と呼ばれるようになったのです。

ハローキティ殺人事件発覚の経緯

外部からは絶対にわからない密室で起きたハローキティ殺人事件は、普通では考えられない方法で発覚となりました。犯人の一人、梁偉倫の彼女が、毎晩夢に殺害されたナイトクラブの女性の幽霊が現れ、わたしは殺された、私の死体は○○のあると告げたことから事件は発覚します。

梁勝祖の彼女が見た夢

ハローキティ殺人事件が起きてから、犯人の梁偉倫の彼女は毎晩毎夜、悪夢を見るようになりました。ナイトクラブで働いていた女性が枕元で、私は殺された、私の死体は○○のあると告げられる悪夢をみるようになりました。

悪夢は見ない日がないというくらい、毎晩、現れました。孤児院で生活していた彼女は、気持ち悪さから先生に毎晩夢に出てくる幽霊のことを相談しました。

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孤児院の先生に相談し警察へ

孤児院の先生は疑いながらも警察に連絡を入れました。幽霊が殺人事件を告げているという彼女の言葉を信じた先生が行動を起こさなければ、ハローキティ殺人事件は発覚がもっと遅れていたかもしれません。

殺害された被害者女性は、少女の夢の中に幽霊となって現れて自分の居場所を知らせました。そのことを考えると、被害者女性の恨みは相当なものだったということがうかがえます。

幽霊が夢に出て事件が発覚するとはにわかには信じられませんが、ハローキティ殺人事件の発覚は、少女の夢から始まったのです。

警察の捜査と見つかったハローキティ

孤児院の先生からの通報を受けた警察は、すぐにマンションに踏み込み、ハローキティ殺人事件は発覚しました。マンションの中は強烈な異臭で覆われ、踏み込んだ警察官全員が匂いにむせかえったと言います。

マンションの住人から異臭がするという苦情は来ていましたが、管理人が警察に通報しなかったため、発見が遅れてしまいました。被害者の遺体が発見されたのは5月25日で被害者の女性が殺されてから約一ヶ月も後のことでした。

警察がマンションに踏み込んだ時には、強烈な悪臭と無数のハエが飛んでいて、廊下の奥の方に無造作に放置されているハローキティのぬいぐるみを発見しました。

警察官はハローキティのぬいぐるみを持ち上げて見ました、ぬいぐるみではあり得ないような硬い感触があり、違和感を感じた警察官が、ハローキティの中を開けると、被害者の女性の頭部が入っていたそうです。このとき犯人が頭部を入れて煮た鍋も警察に押収されています。

そのとき発見されたハローキティのぬいぐるみは、黒くにじんでいてそれは全て被害者女性の血だったそうです。犯人の三人はすでにその場から逃走していましたが、警察の捜査で犯人の、陳文樂を自宅で逮捕、梁偉倫は山東省で警察に発見され、梁勝祖は逃げられないと悟り自から警察に出頭しています。犯人逮捕で事件の全貌が明らかになりました。

ハローキティ殺人事件犯人逮捕とその後

ハローキティ殺人事件の犯人3人は逮捕され裁判が行われました。陳文樂の子分である梁偉倫、梁勝祖は暴行や拷問、死体の解体は全て陳文樂の指示のもとでやったと主張しましたが3人とも最も重い終身刑が課せられました。

3人の犯人の逮捕

ハローキティ殺人事件の3人の犯人は、警察が踏み込んだ時はすでに逃亡していましたが、捜査の結果、主犯の陳文樂を自宅で逮捕、梁偉倫は山東省で警察に偶然発見されて逮捕、梁勝祖に至っては逃げられないと思い、自ら警察に出頭しています。

その後、三人の犯人は裁判を受けることになったのです。

罪を擦り付け合う犯人たち

裁判で梁偉倫と梁勝祖は、被害者への暴行や拷問、死体の解体などはすべて陳文樂の指示のもとでやったと主張しました。陳文樂は違うと主張しました。3人は公判の場で醜く罪の擦り付け合い繰り広げました。

犯人たちに下された判決

裁判官は3人に、罪の差は無しとして、2000年の12月16日、3人の犯人に最も重い罪と言える終身刑を言い渡しました。被害者を監禁して、暴行、拷問の末に殺害して体をバラバラに解体、頭部をハローキティのぬいぐるみの中に詰めた残虐な犯行を行ったとなれば当たり前の判決と言えます。

さらに裁判官は、近年このような変質的で残忍、堕落に暴力、狂暴残虐で冷淡な事件を聞いたことがない、このような手法で人に危害を加えることは人間のすることではないと、3人の犯人を激しく批判し、減刑の申請には最低でも20年以上の服役が必要と付け加えた。

陳文樂だけ減刑

3人の犯人は判決を受けすぐに上告しましたが、梁偉倫と梁勝祖の2名については上告が棄却されました。主犯の陳文樂については、被害者が殺害される1日前からマンションにいなかったことから故意に殺害したのは誤りとされ、2004年の3月に禁固18年に減刑されました。

この判決に対して世論から非難が集中したのは当然のことと言えるでしょう。

ハローキティ殺人事件被害者と家族のその後

ハローキティ殺人事件の被害者とその家族は事件の後どうなったのでしょうか。残忍な犯行で世間の話題となり、被害者のその後や被害者の遺族のことも大きく取りざたされました。

事件発生5年後に遺体を火葬

被害者の死体がバラバラにされ、頭部以外の体に関しては発見されず、頭部の身が被害者の家族のもとに返されました。しかし、頭部はこのハローキティ殺人事件のただ一つの物的証拠であったため、すべての裁判が終わるまで火葬されることはなかったと言います。

そのため、ハローキティ殺人事件発生から5年後の2004年3月26日にようやく家族のもとに返され火葬されました。少女の夢に幽霊として現れ、犯人が逮捕、家族のもとに帰ることがやっとできた被害者の女性ですが、それでもなお、残された遺族たちは犯人を一生許すことはできないでしょう。

一人息子はカナダに移住

ハローキティ殺人事件がすべて解決したのち、被害者女性の一人息子はカナダへ移住したと言われています。残虐な犯行で母親を失って嫌なことを忘れたいために移住を決意したと思われます。

ハローキティ殺人事件のような残虐な事件は二度とあってはいけない

ハローキティ殺人事件はか弱い女性を長い期間、暴行、拷問したうえに殺害するという残虐さから、日本で起きた最も残虐な殺人事件、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件と非常によく似ています。

複数の男性がか弱い女性に暴行、拷問を繰り返し殺害するのは、複数での暴行や拷問が過激になっている傾向の現れでもあるのです。このような残虐な事件は二度と起こってはいけません。

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