高松英郎の現在!結婚した妻や娘は?人気俳優の若い頃の画像も紹介
高松英郎の現在とは?日本の俳優として実力も人気も高かった高松英郎さんについて、判明しているプロフィールとこれまでの経歴とともに「今現在」をご紹介します。結婚した妻や娘の話題や交通事故、病気の話題についても取り上げていきます。
目次
高松英郎の今が気になる!
「高松英郎」という人物をご存知でしょうか。若い頃から俳優として活躍していて、その風貌も重なり、徐々に悪役や頑固親父、刑事役などのハマリ役を演じていくようになった役者です。
そんな高松英郎さんについて、「今現在はどうしているのか?」という声があるので、判明しているプロフィールやこれまでの経歴とともに、「今現在の高松英郎」をご紹介します。
以下より、プロフィールや経歴、他にも結婚や妻、娘に関する情報や高松英郎さんが起こしてしまった交通事故の話、病気の話、そして現在についてご紹介ますので、チェックしてみてください。
高松英郎とは?
高松英郎さんとは、先にもお伝えしたとおり日本で活躍していた俳優で、バラエティ番組などにもゲスト出演していたタレントとなります。
デビューから初期の頃は恋愛物などの作品にも出演していますが、その風貌から徐々に悪役や頑固親父、刑事の役などが板につき、高松英郎さんの真骨頂をそういった役柄でこそ見せていました。
晩年は糖尿病を患い体調が万全とは言えないような状況になっていました。そして現在に至る前、2007年には心筋梗塞を発症して死去しています。
高松英郎のプロフィール
本名 | 武市 哲郎(たけいち てつお) |
生年月日 | 1929年10月24日 |
享年 | 77歳(2007年2月26日) |
出身地 | 高知県長岡郡大篠村(現・南国市) |
血液型 | 不明 |
活動内容 | 俳優、タレント |
所属グループ | なし |
所属事務所 | 元・大映株式会社 (1963年退社→その後不明) |
主な作品 | 【テレビドラマ】 百万人の劇場 第5回「にごりえ」(1960年、フジテレビ) 共犯者(1964年、日本テレビ) 柔道一直線(1969年、TBS)車周作 役 男は度胸(1970年、NHK) 大忠臣蔵(1971年、NET) 必殺仕置人(1973年、朝日放送)天神の小六 役 いごこち満点(1976年、TBS)青山俊郎 役 刑事物語・星空に撃て!(1976年、フジテレビ)松井巌 役 不毛地帯(1979年、毎日放送)里井達也 役 鬼平犯科帳 (萬屋錦之介)(1980年、テレビ朝日)佐嶋忠介 役 獄医立花登手控え(1982年)小牧玄庵 役 水戸黄門(TBS / C.A.L) 火曜サスペンス劇場(日本テレビ) 男が泣かない夜はない(1987年)安田宗男 役 びんた(1990年1月 - 3月、TBS)赤木四郎 役 TBS大型時代劇スペシャル「平清盛」(1992年1月1日、TBS)源為義 役 夏子の酒(1994年、フジテレビ) スタアの恋(2001年、フジテレビ) 月下の棋士(2004年、日本テレビ)御神三吉 役 火垂るの墓(2005年、日本テレビ)米屋の親父 役 正月時代劇「堀部安兵衛」(2007年、NHK)堀部弥兵衛 役 【映画】 怒れ三平(1953年) 月よりの使者(1954年)池内医師 役 巨人と玩具(1958年)合田竜次 役 しとやかな獣(1963年)香取一郎 役 ラストエンペラー(1987年)菱刈隆 役 お墓がない!(1999年)サインを頼む組長 役 サトラレ(2001年)田崎修 役 黄泉がえり(2003年)津田春雄 役 ロード88 出会い路、四国へ(2004年)伴野寅雄 役 |
高松英郎さんのプロフィールについては上記のようになっております。言うまでもありませんが、主な作品に記載している出演ドラマや映画はほんの一部の抜粋であり、ここには記載しきれないほどの出演があります。
また、古くは1950年代から活躍している俳優ですので、出演自体の記録は残っていても、詳細なデータが分からないようなものも少なからずあります。
他にも芸能人としての活動はテレビドラマや映画出演以外でもバラエティ・情報番組への出演や舞台、CMへの出演などもあり幅広い活躍を見せていました。
高松英郎の経歴
高松英郎さんのプロフィールを確認しましたので、続いてはそのプロフィールを補足する部分ともなる経歴をご紹介します。
どのような流れで現在まで高松英郎さんが芸能界を歩んできたのかが分かるものとなっていますので、以下よりチェックしてみてください。
1947年に鎌倉アカデミア演劇科に入学
高松英郎さんは、1947年に早稲田中学校を卒業後、鎌倉アカデミアの演劇科に入学しています。
この鎌倉アカデミアというのは、「高等教育のための私立学校」で、つまりは高校なのですが、財政難のために1946年5月の開校からわずか4年の1950年9月に廃校になっています。
しかしながら、その4年の間に高松英郎さんを含め映画・演劇界などに多くの人材を輩出している、ある種の伝説的な学校となります。
1951年に大映東京撮影所に入社
1951年、高松英郎さんは鎌倉アカデミアの講師の推薦で、大映東京撮影所に「第5期ニューフェイス」として入社しています。
1951年というと1947年に鎌倉アカデミアに入学している高松英郎さんは卒業していますし、鎌倉アカデミア自体も1950年に廃校しています。
つまり、鎌倉アカデミアは廃校後も当時の生徒たちに気を配って推薦などをしていたということが分かります。
1953年に映画デビュー
1951年に大映東京撮影所に入社した高松英郎さんは、1953年に「怒れ三平」という映画作品にて映画デビューを果たしています。
1963年に大映を退社
高松英郎さんは1963年に放映された「黒の報告書」を最後に大映を退社しています。1951年入社ですから、12年間、大映の映画俳優として活躍していたということになります。
俳優として数多くの作品に出演
1963年に大映を退社してからは活躍の場をテレビに移しています。そこで数々のテレビドラマに出演し、味のある演技を見せて人気を博していきます。
もちろん、大映時代にもテレビドラマは出演していますし、逆に大映退社後もテレビドラマだけではなく映画にも出演しています。主な活躍の場が移ったということになります。
高松英郎の若い頃の画像を紹介
高松英郎さんの若い頃の画像はこちらになります。これは「黒松吉乃川」という日本酒の宣伝用ポスターに掲載されている高松英郎さんです。
高松英郎さんが黒松吉乃川のCMをしていたのは1970年代なので、若いといっても40代になっている頃なのですが、それでも力強さと若々しさを感じる1枚となっているでしょう。
高松英郎の妻や子供は?
高松英郎さんは結婚して妻と娘がいましたが、結婚した妻というのはどのような人物だったのでしょうか。
また、高松英郎さんと妻の間に生まれた娘についても分かっている部分、公表されている部分などの情報をご紹介します。
1962年に結婚
高松英郎さんが結婚したのは1962年のことになります。高松英郎さんの結婚式は、フジテレビの『テレビ結婚式』番組内で挙式をしています。
これは「売名」などを行なう目的ではなく慈善活動の一環となる結婚式で、費用はフジテレビ持ちで、そこで浮いた結婚資金、スポンサーからの贈答品などはすべて恵まれない子どものための施設に寄付しています。
妻は元モデル
高松英郎さんが結婚した妻は元モデルの「スタイルもよく美人な妻」と言われています。高松英郎さんよりも5歳年下で名前は「陽子」さんだという情報はありますが、それ以上の詳細な情報はありません。
子供は娘2人
高松英郎さんと妻の陽子さんの間には2人の子供が生まれました。2人とも娘で1人目の娘は「智子」さんといい、2人目の娘は「幸子」さんです。
長女の智子さんは1993年に結婚しているという情報はありますが、それ以上の情報は出回っていないので、一般の仕事をして、相手も一般人の男性であることが伺えます。
そして、次女の幸子さんについては、1980年代後半にグラビアモデルとして活動していて、その後は結婚していますが、後の情報がないため結婚を機に芸能界を引退して、現在は一般人になっている可能性が高いです。
高松英郎は交通事故を起こしていた
高松英郎さんといえば、不名誉なことではありますが「交通事故を起こした」ということも1つの話題として挙げられることが多いです。
この「交通事故を起こした」というのはいったいどういったものだったのでしょうか。当時を振り返って確認していきましょう。
1997年に交通事故で男児が重傷
高松英郎さんが交通事故を起こしてしまったのは1997年のことになります。
9月5日、都内で車を運転していた高松英郎さんは、交差点にて9歳の男の子をはねてしまったのです。その事故により男の子は重傷を負ってしまいました。
自宅謹慎後に復帰
事故後の会見では、涙ながらに「全くの不注意。将来ある子を傷つけてしまった。」と全面的に自分の否であることを告げて謝罪しています。
そして、その後はしばらく自宅にて謹慎生活を送っていましたが、翌年の1998年からは俳優の仕事に復帰しています。
高松英郎の現在は?
高松英郎さんの判明しているプロフィールやこれまでの経歴、そして結婚や妻、娘のことについてもご紹介しました。
そして、不注意で起こしてしまった事故のことなど、これらは「過去の高松英郎」についての情報ですが、「今現在の高松英郎」はどうしているのでしょうか。以下よりご紹介します。
2007年に死去
さきにもご紹介していますが、高松英郎さんは2007年に亡くなっています。ですので「今現在」高松英郎さんを見ることができるのは、過去の出演作品の中の俳優、タレントとしての高松英郎さんだけになります。
死因は心筋梗塞
高松英郎さんは2007年に亡くなっていますが、その死因は心筋梗塞だったといいます。
2007年2月25日、茨城県鹿嶋にてテレビドラマ「猪熊夫婦の駐在日誌4」の収録をしていて、それが一段落ついたところで「気分が悪い」ということで高松英郎さんは鹿嶋から高速バスで自宅に帰宅しています。
深夜に帰宅し就寝したのを娘の幸子さんが確認しましたが、2月26日の午前6時半頃、寝室で亡くなっているのを同じく娘の幸子さんが発見しています。発見時すでに心肺停止状態で病院に搬送されるも手遅れの状態だったそうです。
糖尿病を患っていた
突然の心筋梗塞で亡くなってしまった高松英郎さんですが、30年も前から糖尿病を患っており、自らインスリンの注射をしていました。
そして、晩年は飲み薬が手放せない状態になっていたということですが、それ以外には特に大きな病気などにはかかったことがないということです。
高松英郎の主な出演作品
高松英郎さんは、数多くのテレビドラマや映画に俳優として出演しています。主な作品についてはプロフィールでもご紹介していますが、こちらではもう少し詳しくご紹介していきます。
数多くの出演作品がある中からピックアップして取り上げていきましょう。
高松英郎出演のドラマ
高松英郎さんは俳優として出演している作品についてはテレビドラマの数が圧倒的に多くなっています。まずはそちらのテレビドラマの中からピックアップしたものをご紹介します。
柔道一直線
柔道一直線はもともとは梶原一騎さん原作、永島慎二さん・斎藤ゆずるさん作画のスポーツ漫画作品で、高松英郎さんが出演したのは、その「ドラマ版」ということになります。
高松英郎さんは、主人公の師匠である車周作の役を演じていて、それがハマリ役となりこういった熱い男、頑固親父のような役がさらに板につくようになりました。
にごりえ
「にごりえ」は、樋口一葉が書いた短編小説が原作で、映像化は何度もされている名作ですが、高松英郎さんが出演したのは1960年フジテレビの「百万人の劇場」の枠の中で放送された「にごりえ」です。
この作品は銘酒屋の遊女「お力」が、落ちぶれて妻子とも別れた「源七」と情死するまでを描く作品となっています。
高松英郎出演の映画
プロフィールなどでも詳しくご紹介しましたが、高松英郎さんはもともと「大映」出身の映画俳優なので、映画作品にも数多く出演しています。こちらもその中からピックアップした出演作品をご紹介しましょう。
怒れ三平
「怒れ三平」は純真な自然児船乗の九谷三平が、船主自在屋の源吉に頼まれて「命より大事」という鞄を東京へ運ぶ道中、そしてその後などの話が綴られている物語です。
この作品の中で高松英郎さんは、若尾文子さんの恋人役として出演しています。
巨人と玩具
「巨人と玩具」は開高健さんが書いた小説が原作となっています。それを映像化して映画としたものに高松英郎さんは出演しています。
高松英郎さんは、これ以前にも様々な作品に出演していますが、この巨人と玩具の中で「猛烈サラリーマン」の役を演じて注目を浴びています。
高松英郎は身なりに気を使っていた
高松英郎さんが身なりに気を使っていたのはとても有名な話で、他の芸能人がオフの日は身バレを防ぐ目的も含めてラフな格好をすることが多い中で、高松英郎さんは常に背広にネクタイ姿でした。
高松英郎の名演技は心の中に
高松英郎さんはすでに亡くなってしまったので、「新しい演技」を見ることはできませんが、これまでに数々の名演技を見せてくれました。
それらは映像として永遠に残り続けるものであり、また人々の心のなかにも永遠に残っていくことでしょう。