ディスるの意味とは?disってるなどの使い方を例文で紹介
突然、周りで使い始め、意味も良く分からぬまま使っている言葉があります。その代表が、ディスるではないでしょうか。改めてディスるとは? その意味とは? と聞かれれば、戸惑ってしまう方も多いと思われます。不正確なディスるを使って、ディスるられないよう調べてみました。
目次
「ディスる」の意味を教えて!どういうこと?
「ディスる」を使う人の割合は、「文化庁の平成25年度『国語に関する世論調査』の結果の概要」によれば、その年代別使用率は次の通りになります。10代(16歳~19歳)では34.1%、20代では33.7%、30代では5.4%、40代では3.1%、50代では0.7%、60代では0.5%、となっています。
また、「ディスる」を「否定する、けなす」の意味とした場合の、全体の認知度と使用率は次の通りになります。聞いたことがない73.7%、聞いたことはあるが使うことはない20.1%、使うことがある5.5%、分からない0.6%となっています。
「ディスる」の意味とは?
ディスるの意味するところは、非常に俗なものです。相手を否定したり、侮辱したり、不敬を表明するときに使われます。和製英語の動詞としてみれば、さしずめ、「無礼なことを言う(行動や身振りで示す場合もある)、蔑む、軽んじる、馬鹿にする、見下す、嘲弄(ちょうろう)する、侮辱する」といったところでしょうか。
「ディスる」はなんの略?
「ディスる」は、英語の「disrespect(ディスリスペクト) 」から来ています。名詞では「無礼、軽蔑、軽視」などであり、動詞では「~を尊敬しない、軽視する、見下す、軽蔑する 」などを意味します。
「ディスる」の反対語
「ディスる」の反対語の和製英語は「リスペクトする」になると思われます。英語の「respect」から来ており、名詞では「尊敬、重視」、動詞では「敬う、重んじる」を意味します。
「ディスる」の由来
元々、「ディスる」は英語の「respect」に否定の接頭辞の「dis」の付いた「disrespect」を縮め、和製英語として動詞化したものとされます。
また、語源の一つとして、英語で否定的な意味を持たせる、接頭辞「dis-」を動詞化したものという説もあります。
由来となった「disrespect」は、ヒップホップ系のとくに黒人ラッパーや、そのリスナーの間でよく使われる言葉(スタイル)です。いずれも同業のラッパー同士が多いのですが、出会いがしらの挨拶として敬意を表すべきところを反対の言動を取ったり、相手を侮蔑する歌詞を歌ったり、そのようなメッセージを送ったりすることなどが当てはまります。
日本語で動詞化した「ディスる」「ディスられる」は、90年代年中間~後半にかけ、日本のHIPHOPファンの間で定着し、2000年代後半以降はネットスラングとして広まりました。
日本ではバラエティ番組から広まる
「ディスる」が広まったきっかけは、2007年9月4日、TBS放送の『リンカーン』と思われます。ダウンタウン司会のバラエティ番組で、その回は、お笑いコンビ「中川家」の剛が、練馬区を拠点として活動するヒップホップ集団「練マザファッカー」に、ラッパーとして入るという企画でした。
番組中、練マザファッカーのメンバーが「ディスる」を頻発したことが、多くの人の耳に触れた最初だという見方が主流です。
「ディスる」の使い方《例文紹介》
「ディスる」という言葉はそれ事態、直接の悪口ではなく、悪口を言った言われたの状況を指す表現です。しかし、間接的であれ、その意味合いは不快感を伴います。むしろ、陰湿さは増すでしょう。ですから、以下からは、そのつもりで読んでください。
告げ口スタイル
・この前、あいつ、お前のことディスってたぜw
ネットで対象を嗤う際によく使用される「w」を組み合わせ、より相手を煽(あお)る文にしてみました。ちなみに、普段あまり使わない「煽る」も、今やネットスラングと化しています。
威嚇(いかく)スタイル
・ひょっとしてお前、オレのことディスってんの?
相手に蔑まれた空気を察知して苛立ちを覚え、確認を取る言い方ですが、同時に、今から反撃する意志のある旨を、言葉の裏と威圧感で押し出しています。
通例を流行ことばで代用
・5ちゃんのどの趣味板でも、スキあらば相手をディスろうとするのは、ホントげんなりするよ。
人はその気がなくても、ついつい他人に影響を受けてしまうものです。ホリエモンが世間を騒がしていたころ、彼は「想定外」を口癖のように使っていました。そのせいか、どうみても、ホリエモンが嫌いなタイプの年配の方々まで、耳なじみのあった「予想外」ではなく「想定外」と言うに及んでいました。
「想定外」はIT用語なのか、最近のビジネス用語なのかは知りませんが、今でも、日常会話で「予想外」より「想定外」の頻度が増したまま止まっている気がします。
「ディスる」はもう死語なの?
あるサイトで、なるほどと唸らせる意見がありましたので紹介します。死語とは、一度定着して後、廃れた言葉で、「ディスる」はその条件を満たしていないから、「死語」には該当しないそうです。それは、強いて言うなら「定着しなかった新語」が適当だといいます。
ディスる人の心理とは?
「ディスる」人の心理といっても、誰の悪口も言わない人はいません。仮に、誰からも悪口を言われたくなくて、人の悪口を言わなければ、偽善者という悪口が待っています。下は、かの有名な夏目漱石の『草枕』の冒頭文です。
山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 |
上の画像は、犬儒派(キュニコス派)のディオゲネスです。古代ギリシアの哲学者で、アンティステネスの弟子、ソクラテスの孫弟子に当たります。シノーペ(トルコ北部、黒海沿岸)生まれ。自らの思想を体現して、犬のような生活を送りました。「犬のディオゲネス」または、大樽(おおだる)を住処にしていたので「樽のディオゲネス」とも言われました。
自分より目立つ人は気に入らない
「自分より目立つ人は気に入らない」のは普通ですが、倫理という神の視座に立って批判すれば、相手と同じになります。むしろ、もっとたちが悪くなります。倫理を光学迷彩(隠れ蓑)にして、安全な立場から相手を「ディスる」からです。
レイシストとか、ミートゥーとか、嫉妬しているとか、それらの「ディスり」には単語だけで目的語がなく、文ではないのが特徴です。普遍的な真実がなく、倫理を悪用することが今の時代の悪弊であり、あらゆる判断は好みの多数決でしかありません。
自分は周りと違う特別な存在
「自分は周りと違う特別な存在」と「自分より目立つ人は気に入らない」とは、主客を入れ替えた逆の立場になります。あまねく情報がいきわたる情報化時代は、他者との比較の時代、物質的豊かさはあっても、心休まらない時代です。例え、それが砂粒の中のわずかな差異でも、自分を優位に置くことで、ようやっと自分でいられるのです。
批判することはカンタンですから、上述した論理で批判し、擁護のため批判するものを批判し、更にそれを批判し返します。合わせ鏡の無限連鎖になり、波紋が社会に広がっていきます。しかし、それでは自分もその他大勢になってしまいますが、最初に池へ投じた石にはなれます。
それが、いかに稚拙な「ディスり」であっても、自分は観客ではない今を演じる主人公である、主体性を持って社会と関わるアンガージュマンの実践者である、というプライドは得られるというわけです。
自分の意見に同調してほしい
「自分の意見に同調してほしい」のも、みんな一緒です。亡くなった西城秀樹さんは、アイドル真っ盛りの頃、コンサート会場で黄色い声援を受けたとき、自分の手がステージから伸び、客席の背後の壁に着くかと思ったと語っていました。
多数の同意・共感というのは、自身の境界線をあいまいにして拡張するほどの錯覚を与えます。自己肯定感を飛び越え、時に教祖じみた確信を与えます。それに麻薬のような作用や依存性があるのは当然、SNS依存症の生まれる所以です。それが、ただ誰かを「ディスる」ことで手に入るなら、お安いものです。
誰かを攻撃してストレス発散したい
誰かを攻撃してストレス発散したいから、誰彼構わず「ディスる」。今まで述べてきたような段階は、とおに過ぎたのか、それともそこへ直結したのかは分かりませんが、抜き差しならないイライラを抱えた人もいます。こうなっては、もはやお手上げです。触らぬ神に祟りなしという他ありません。俗に云う「関わったら負け」というやつです。
ディスりディスられている内が華
冒頭の、「文化庁の平成25年度『国語に関する世論調査』の結果の概要」において、「ディスる」の年代別の使用率と認知度を示しました。結果は、10代と20代が30%を超え、30代を過ぎると一桁代にガクンと落ち込みました。
使用率に比べ認知度だけに絞れば、上の世代でもテレビなどの影響で、もっと高い気がします(データがないので主観ですが)。使用に対する恥じらいが、20代と30代のはざまに横たわっている気がします。20代と30代の間に、そこまでの情報ギャップがあるとは思えないからです。
鏡は鑑よ屈みさん
調べたところ、合わせ鏡の像は、無限ではなく有限だそうです。理由は5つありましたが、小難しくて、なんのこっちゃよう分からんので説明は省きます。先に挙げた「ディスる」の例として、合わせ鏡を例に出しました。しかし、よく考えたら、似ているのは歪んで屈折した万華鏡の方かもしれません。
他人の言動に知らず知らず感化され、それを鑑の見本として、自らも振る舞う負の連鎖。ディスり、ディスられ、私たちは生きています。それに対抗するのは、声を荒げるのではなく、口を慎むことしかないようです。