即身仏とは?失敗した事例・日本の奇習であるミイラ信仰|修行/死
現代では自殺ほう助に問われるので即身仏の風習は廃れましたが、この奇習は現代でも人々の好奇心を煽ります。特に失敗するとどうなるのか?と気にしている現代人は多いので、ここでは即身仏の失敗事例やミイラとの違い、修行内容など、即身仏の謎についてお話していきます。
目次
そもそも即身仏とは?
即身仏とは、徳の高いお坊さんが悟りを開き、人々を救済するために行う究極の修行のことを指します。修行の最後には死んでしまうのですが、生きて修行をしている最中から良いミイラになるような身体の作り方をしないと即身仏は失敗します。
とても厳しい修行で失敗例も多く、そのほとんどはミイラになることなく朽ち果てていきます。
脂肪分がすべて抜けるような身体の作り方をすると綺麗なミイラに仕上がります。綺麗な即身仏は仏様として崇められ、現代でも人々の信仰を集めています。
現在残っている即身仏は18体あるとされ、東北地方のお寺で大事に安置されています。現代でもその即身仏に救いを求めて訪れる人の姿は絶えません。
日本全国で行われていたものではなく、主に山形県などの東北地方で行われていた修行です。極寒の厳しい環境で修行にも適していて、また、ミイラを作る環境にも比較的恵まれていたのでしょう。
現代は即身仏は日本では行われていません。即身仏になる修行に手を貸すと自殺ほう助の罪に問われます。
即身仏はお坊さんの究極の姿
お坊さんであれば誰でも即身仏に挑戦できるのかと言うとそうではありません。お坊さんの中でも、特に一般の人や弟子から尊敬や厚い信仰を集めた人でないと即身仏を目指すことはできませんでした。
現代の感覚で言うと高僧レベルの人しか挑戦する権利を与えられないと言った感じです。
即身仏になるということは死ぬということですから、お坊さん自身にも希望がないと挑めない修行でしょう。人々の救済を真から願うのと同時に、自分も徳が上がり悟りを開けると言う、お坊さんにとってはこの上ない希望が即身仏になる決意をさせるのでしょう。
日本のような多湿の地でミイラになるのは非常に難しいのです。後ほどお話する「ミイラの作り方」でも述べますが、やはりミイラは乾燥した土地のほうが作成には適しています。
しかし、ミイラにならなければ即身仏は失敗に終わります。いったいどのような身体の作り方をして、失敗を回避しようとしたのでしょうか?
主に山形県などの東北地方で信仰されていた即身仏
山形県に湯殿山という山があります。そこが、即身仏になるための修行の山として現代でも全国的に有名です。湯殿山の環境はとても厳しく、特に冬になると豪雪が降り、修行の環境は一気に悪化して行きます。
そんな真冬に水の中に入り、手のひらにろうそくを乗せてすべて燃えるまで水の中で読経をするとか、食事を徐々に減らして木の皮などを食べる修行が行われていました。
真冬の水の中で低体温症になり命を落としたり、栄養失調から病気を発症する事例も多く、即身仏になれないまま修行を失敗したお坊さんもたくさん存在しています。
新潟県は有名な即身仏を祀っているお寺が多い
山形県の湯殿山が聖地なので、祀られているお寺も山形県が一番多いですが、新潟県も山形に次いで祀られているお寺が多い県です。そのため、即身仏と言えば山形県か新潟県の県名があがることが多いのです。
新潟県長岡市にある西生寺には弘智法印が祀られています。新潟県村上市の観音寺には仏海上人が祀られています。その他には、新潟県東蒲原郡阿賀町の観音寺には全海上人、新潟県柏崎市の真珠院には秀快上人が祀られています。
このように、新潟県と即身仏は切っても切れない関係となっています。
即身仏は空海が考え出した修行!
即身仏に進んでなろうとするお坊さんは真言宗派が多いですが、それもそのはず、即身仏の修行を考え出したのは真言宗の開祖、空海です。
真言宗は、自己を滅して禁欲に生きることが悟りにより近づくという考え方です。滝に打たれたり、何時間も座禅をするなど、厳しい修行を行うことで知られています。
その思想の究極が即身仏になるという修行です。即身仏は、人々の幸福や救済のために身を犠牲にして仏神に祈りを捧げるという側面があります。
だからこそ、即身仏が成功した暁には仏のように人々に崇められますが、本来は行者本人が、厳しい修行によってこの世の制約から放たれ、悟りを得ることが目的でした。
だからこそ、命をかけた厳しい修行にも耐えられたのです。
即身仏とミイラの違いは?
即身仏とミイラには大きな違いがあります。同じように干からびた人体ですが何が違うのでしょうか?即身仏とミイラの違いと、作り方の違いを見ていきましょう。
ミイラは死後に処理されます
ミイラはファラオの死後に防腐処理をする作り方をします。自らの意志でなるのではなく、死後に他人が加工を行い綺麗なミイラに仕上げます。
即身仏は誰の助けも得ません。生きながら自分でミイラになりやすい体を作っていきます。ミイラになりやすい体の作り方は後ほど詳しく説明しますが、できるだけ腐らないように脂肪分を限界まで落として、水分も限界まで輩出しないといけません。
だから食事を減らしたり木の皮を食べたり、漆の液体を飲んで嘔吐をしたりする厳しい修行が必要になります。
限界が来たら自分で最期の時を迎える穴に入り絶命します。絶命したら一度穴から出されて、体の形をきれいに整えてからまた穴に戻されることもありますが、即身仏のミイラは基本的に、誰の手も借りずにミイラになることを選ぶ作り方をします。
脳が残っているか残っていないか
エジプトのミイラの作り方ですが、ファラオの死後すぐに脳みそを外に排出します。脳が一番腐りやすいからです。鼻の穴に器具を差し込み、骨を貫通して脳みそをぐちゃぐちゃに潰します。
液体状になれば顔を下に向けて、先ほど開けた鼻の穴から脳みそを排出します。作り方の手順その1がそのやり方なので、エジプトのミイラには脳みそは確認できません。
一方、即身仏は脳みそが存在します。死後の処理などは一切行っていません。脳を残す作り方だからこそ腐りやすく難しいのですが、完成した即身仏は自然と人が一体となって作り出した奇跡なのかもしれません。
内臓などを取り除き、腐敗処理をします
死後にすぐ脳を抜かれて、続いて即座に内蔵を取り除きます。内臓も放置するとすぐに腐敗を始めます。胃や腸、そして肺は外界と繋がっているため、細菌やバクテリアが多く潜んでいます。死ぬとすぐ腐食が始まるので、脳が終わったら早急に内臓の除去を行う作り方をします。
心臓は神聖なものなので傷つけないようにすべてを取り除きます。取り除いた内臓はナトロンというアルカリ性の塩に漬けられ瓶詰めにされます。ナトロンは脂肪を石鹸のようなろうそくのろうのような状態に変える働きがあります。皮下脂肪を固くして人の形を保つために役立ちます。
そして死体の穴にナトロンを詰め込み、死体の上からもナトロンで覆い尽くし35日以上そのまま放置されます。ナトロン処理をすれば死体は腐食しないので臭いはありませんが良い臭いでもありません。
そのため臭い消し効果のあるシダーオイルでマッサージして、麻の布で包む作り方を確立しました。布でぐるぐる巻きにされているお馴染みのミイラの完成です。
即身仏はこのような処理は一切行なわないのが基本です。しかし全部で18体あるうちの4体は、死後に信者の手で防腐処理されて即身仏になったものだと言われています。
即身仏になる方法は?
では、いよいよ即身仏の作り方ですが、即身仏になるには厳しすぎる修行を行わないといけません。普通の食事をしていては、どんなに細身の人でも脂肪がついています。この脂肪が少しでも残っていると死体はすぐに腐りますので、即身仏は失敗となります。
即身仏になる修行は、木食修行と土中入定のふたつになります。木食修行で脂肪をすべて削ぎ落とし、ひとりでは歩けないほど衰弱したら土中入定の開始です。
木食修行とは?
即身仏になる修業に入ると、まずミイラになりやすい体に作っていく期間が必要となります。今まで食べていた穀物などを一切断ち、木の実や皮、山菜を食べてかろうじて命を繋ぎながら読経や瞑想の日々を送ります。これを木食修行と言います。
脂肪を少しでも残すとそこから腐っていきます。即身仏になるという最大の目標を達成するには、徹底的に脂肪を削ぎ落とす身体の作り方をする必要があります。その苦しい修行にとことん耐え抜いたお坊さんだけが綺麗な即身仏となり、現代も大切に崇められていると言えます。
もちろん失敗もあります。食べ物が偏るので病気になる事例があったり、精神的に錯乱して失敗した事例もあります。お坊さんと言えども人間です。どんなに崇高な祈りを持っていても、命を守る本能に勝つのは難しいと言うことでしょう。
土中入定の修行とは?
厳しい修行で脂肪をすべて削ぎ落とし、限界が近づいた時、お坊さんは自ら穴の中に入ります。土が掘られた中に石室が作られていて、お坊さんがその中に入り、上から蓋をされて土をかけられます。空気の通り穴はありますが、中から出ることはできない密室です。
お坊さんはその中で鈴を鳴らしてひたすら読経をします。この修業を土中入定と言います。数日は鈴の音が聞こえるのですが、やがて鈴の音も読経も聞こえなくなります。とうとう絶命の時です。絶命すると、一度掘り出されて背中に木の板を当てて、足や手を蓮華座の形に組み直して再び埋め直されます。
そして1000日後に掘り起こされ、綺麗なミイラになっていれば即身仏成功、朽ち果て骨だけになっていれば即身仏失敗となります。
日本の代表的な即身仏をご紹介します!
現在、保存されている即身仏は18体あるとされています。日本各地のお寺に大切に安置されています。祀られている即身仏はどれも成功したものですが、中には即身仏失敗にもかかわらず大切に保管されているミイラもあります。
即身仏の修行中に病気にかかり亡くなった鉄龍海上人というお坊さんのミイラなんですが、周囲の信頼がとても厚く、修行を失敗で終わらせたくない弟子たちが、死後の体を防腐処理するというエジプトのミイラの作り方で即身仏にした事例も残っています。
弘智法印は日本人最古の即身仏です
日本最古の即身仏として有名な弘智法印の御神体は、新潟県長岡市の西生寺にあります。お寺に入ってすぐに立ち寄れる宝物館がありますが、そこには弘智法印即身仏のレプリカが展示されています。本物はカメラ禁止の寺院の奥に厳かな雰囲気で安置されています。
即身仏は江戸時代以降のものが多いのですが、弘智法印の即身仏は鎌倉時代のものです。50代になってから仏教伝道の諸国行脚に出られ、最終的に新潟県の西生寺にたどり着いて、そこで即身仏の修行に入られました。
レプリカは、江戸時代に流行った出開帳という各地の秘宝を集めるイベントのために作られました。出開帳への輸送途中で破損したり紛失したりすることも多かった即身仏ですが、西生寺はレプリカを作ることで御神体を守りました。レプリカ自体にも歴史と意義が込められています。
真如海上人は最も有名な即身仏です
最も有名な即身仏として知られているのは真如海上人です。真如海上人は20代で即身仏になることを決意し食事の制限を始めています。しかし土中入定を果たしたのは96歳の頃で、なんと70年も木食修行に耐えた高僧として知られています。現代では考えられない忍耐力です。
当時、天明の大飢饉が人々を苦しめる世の中でした。仏の慈悲を求めて寺の近くの丘に穴を彫り土中入定を果たし、3年後に掘り返された時には見事な即身仏になっていたと言います。
身を挺して人々を救済しようとした願いが届いたのか、天明の大飢饉は真如海上人が即身仏として完成した翌年の1788年に終息したと言います。
日本で一番若くして即身仏になった横蔵寺の妙心法師
妙心法師は小さい頃から信仰心に厚く、母親の死去を機に仏門に入り全国を行脚した後、長野県の善光寺に落ち着きます。富士山を修業の場として富士山にこもり木食修行に入ります。31日の断食の後、御正体山にて土中入定を果たし即身仏が完成しました。36歳の若さです。
明治時代までは御正体山の寺で安置されていましたが、明治維新後に起こった廃仏毀釈(仏教を排除する運動)により山から下ろされ、しばらくは見世物のようになっていましたが、岐阜県横蔵寺の住職が帰郷運動を行い、無事生まれ故郷の岐阜県に戻ることができました。
現在も岐阜県揖斐川町の横蔵寺で静かに安置されています。
しかし、36歳の若者がこんな厳しい修行に耐えたとは驚きです。現代では考えられません。
最後の即身仏として有名な仏海上人
16歳の時に湯殿山にある寺に入門をし、30歳半ばから湯殿山の荒行に挑んでいました。荒行を行いながら新潟県村上市にある観音寺の住職を務め、76歳で死去、直後に寺の裏で土中入定を果たしました。
仏海上人は生前から入定を祈願していましたが、明治政府の自殺ほう助禁止の法律により死後の入定となり、掘り起こしも墳墓発掘禁止令により伸びて、昭和36年に「調査発掘」の名目で掘り起こされることとなりました。
掘り起こされた身体は一度はミイラ化したようですが、長い歳月の間に崩れ落ちるような有様になっていました。事実上は即身仏失敗となりますが、新潟大学で修復を行い、無事即身仏としてお祀りされているのが仏海上人です。
即身仏への修行はほとんどが失敗している?
即身仏になるのは悟りの境地を得ることと同義なので、多くの高僧が挑戦をしていますが、現在18体しか残っていないことをみても失敗事例のほうが圧倒的に多かったことがわかります。失敗した高僧たちはその後どうなったのでしょうか?失敗した事例のその後を見てみましょう。
即身仏に失敗するとどうなるの?
土中入定まで至れば、後はもう死んでミイラになるだけなので、その場合の失敗とはミイラにならずに骨になることです。骨になってしまえば、湯殿山仙人沢にある墓地に移されひっそりと葬られます。
土中入定まで至らず、木食修行の間に逃げ出したり精神的に錯乱して失敗した人の記録は残っていませんが、やはりこの場合もひっそりと名を伏してその後の余生を送ったものと考えられます。
日本の土壌がミイラ化には適さないので朽ち果てるのは仕方ないですが、土中入定まで至らず厳しい修行から逃げ出すのは、人間として当たり前の生存本能です。誰にでも出来ることではないので責めることはできません。失敗と断罪するのも心が痛みます。
即身仏の失敗例
即身仏の修行はほとんどが失敗に終わります。日本の風土による失敗もあれば、体調悪化、精神的衰弱でリタイアする場合もあります。
即身仏の失敗例にはどんな事例があるでしょうか?ひとつずつ見ていきましょう。
失敗例①修行を途中で断念
木食修行はそれはそれは厳しいものです。一説には1000日は続けないと脂肪は完全には抜けないようです。1000日木の実や木の皮、山菜で過ごすのです。いくら高僧とは言え、人間であれば当然生存本能が働くでしょう。それを1000日も抑えるのは至難の業を超えています。
栄養失調による病気も起こりやすいでしょう。木食修行中に命を落とすことも珍しくありません。また、精神的にも当然追い詰められます。そんな苦しい修行を途中で断念する事例は、記録にも残らないほどの数があったと見られています。
失敗例②腐敗による失敗
湯殿山は寒い土地柄でミイラを作るには適しているのかも知れませんが、日本の多湿な風土には変わりはなく、とても細菌が繁殖しやすい土壌であると考えられます。多少でも脂肪が残っていると、脂肪は水を多く含んでいるのでそこから腐敗しやすく、腐敗すると菌の繁殖は免れないので、ミイラ作りは非常に難しいのです。
土中入定する前に、毒性の強い漆の液体を飲み、嘔吐や下痢、発汗などを促進して出来る限り水分を排出してから土中に入りますが、それでも自然の影響には逆らえないことがほとんどです。
日本では土に葬られると基本的に骨になるのです。ミイラとして残ったと言うことは、どれだけ完璧に修行を完遂し、そして運が良かったかという指標になります。その神がかり的な奇跡をやり遂げたことが、崇められる理由にもなっているのでしょう。
失敗例③石室で忘れ去られ失敗
土中入定して息絶えるとそこから1000日放置されてミイラ化するのを待ちます。しかし3年弱もの間、人々が覚えてくれていればいいですが、周囲の人との信頼関係が充分に築けていなかったり尊敬を受ける度合いが薄かったりすると、そのまま忘れ去られる事例もあります。
そんな事例があるということは、もしかしたら綺麗なミイラになっているのに放置されている即身仏が存在しているかも知れませんが、人々に覚えていてもらえなかったという結果も含めて、即身仏の失敗と言えるのかも知れません。
即身仏失敗に至る大きな障壁
即身仏失敗は日本の風土の問題や、自身の弱さによる失敗だけとは限りません。土中入定から先は人の手を借りないと成功には至らないので、任された人の問題も失敗に至る大きな要因となります。
どんな失敗事例があるのでしょう?さらに現代社会で即身仏の修行をするとどうなるのかも合わせて見ていきましょう。
周囲の人間関係による壁
即身仏の完成は、土中入定以降は他力本願となります。誰かの手を借りないと完成しないのです。しかし人間関係とは難しいものです。任された人が実はそのお坊さんをそれほど崇拝していなかったとか、誰かに伝えるのを忘れて急に亡くなってしまったなどもあったかも知れません。
3年弱の間、人が一つのことを覚えているのはなかなか難しいものです。人間関係の壁により日の目を見ずに今も土の中で眠っている即身仏失敗の事例もあります。
明治時代の法律による壁
明治時代に自殺を助ける行為を禁止する法律が制定されましたが、即身仏も自殺と捉えられ禁止となりました。掘り起こす行為も禁止されたので、ミイラ化するまで1000日待っていた即身仏の姿を見ることはありません。これも即身仏失敗の事例として上げられるでしょう。
ただし、この明治政権が打ち出した自殺ほう助の法律制定後も、法の目をくぐり抜けて2体ほど即身仏に成功した事例があります。長い風習と人々の厚い信仰心は法律などには動かせなかったのでしょう。
現代は日本では行われていません。あまりに過酷で非人道的な修行は現代の日本では受け入れられないでしょう。即身仏を黙認するような社会は国際社会からも非難を浴びるでしょう。
日本にはどれくらいの即身仏があるの?
現在18体の即身仏が存在していると言われています。修行途中で病気などで亡くなってしまい、即身仏になることを願っていた信者が惜しんで防腐処理を行い即身仏となった事例が4体あります。有名なのは鉄龍海上人ですが、後の3人は誰かわかりません。
こんな多湿な日本で自然にミイラになれたなんて科学的にもすごいことです。自然にミイラ化した即身仏はその願望の強さに驚かされますし、防腐処理を行った即身仏は人々からの信仰を集める力が強かったのでしょう。どちらも、共に崇め奉るのに相応しい高僧です。
現存している即身仏の一覧
現存の即身仏(入定年齢) | 安置寺 | 所在地 |
真如海上人(96) | 大日坊 | 山形県鶴岡市 |
弘智法印(82) | 西生寺 | 新潟県長岡市 |
妙心法師(36) | 横蔵寺 | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 |
仏海上人(76) | 観音寺 | 新潟県村上市 |
鉄龍海上人(62) | 南岳寺 | 山形県鶴岡市 |
全海上人(85) | 観音寺 | 新潟県東蒲原郡阿賀町 |
心宗行順法師(45) | 瑞光院 | 長野県下伊那郡阿南町 |
無際大師(91) | 總持寺 | 神奈川県横浜市 |
宥貞法印(92) | 貫秀寺 | 福島県石川郡浅川町 |
舜義上人(78) | 妙法寺 | 茨城県桜川市 |
弾誓上人(63) | 阿弥陀寺 | 京都府京都市左京区 |
本明海上人(61) | 本明寺 | 山形県鶴岡市 |
忠海上人(58) | 海向寺 | 山形県酒田市 |
光明海上人(不明) | 蔵高院 | 山形県西置賜郡白鷹町 |
明海上人(44) | 明寿院 | 山形県米沢市 |
秀快上人(62) | 真珠院 | 新潟県柏崎市 |
円明海上人(55) | 海向寺 | 山形県酒田市 |
鉄門海上人(62) | 注連寺 | 山形県鶴岡市 |
即身仏を一度見に行ってはいかがでしょうか?
即身仏の修行は現代では考えられない厳しさですが、仏教の考え方を信仰する人にとっては未だに魅力的な修行のようです。仏教徒にとって悟りを開くのは命題です。その悟りに少しでも近付く修行の一環として見ると、興味を持ってしまうのは当然と言えます。
山形県の湯殿山が修行の場で、祀られているお寺も山形県が多いですが、新潟県はその次に多く祀られています。その他、神奈川県や京都府、長野県や福島県にも祀られているお寺がありますので、興味がある方は一度お参りされてはいかがでしょう?
即身仏の死をも厭わない強い思いを体感してください。何でも揃った甘い現代にいながら、ひと時身が引き締る思いを実感するのも面白いのではないでしょうか?