平安美人の基準とは?平安時代の女性の顔の特徴も紹介
平安美人という言葉は聞いたことがありますか?平安時代いた美人を表す言葉で、平安美人のような人は現代にもまだ残っています。ではどのような方が平安美人になるのでしょうか。平安美人の基準や顔の特徴について、 ご紹介していきます。
「平安美人」は褒め言葉?悪口?
「〇〇って平安美人だよね」と言われて、ショックを受けた方は少なくないでしょう。確かに平安時代の女性は、顔がふっくらしており、おかめ納豆のデザインを連想させます。しかし、実際の平安美人は、現代でも通用する絶世の美女のことを表します。では、平安美人とは、どういうことなのでしょうか。
平安美人とは?
平安美人とは、色白で綺麗な黒髪、ふっくらしたお顔立ちが特徴と言われています。現代でも好む男性は多く、昔ながらの日本人美人ともいえるでしょう。では、平安美人の特徴をもう少し詳しく解説していきます。
平安美人の顔の特徴
平安美人の顔には、どのような特徴があるのでしょうか。平安時代の女性といえば、ふっくらした顔立ちや、真っ白な顔というイメージが強いでしょう。なぜ、あのような女性が美人とされていたのが、疑問でしかないと思った男性もいるのではないでしょうか。
しかし、平安時代で美人とされていた条件には全て意味があります。現在のように、視覚のみの情報で美人とされてこなかったため、昔と今では美人の基準が変わってきているのでしょう。では、平安美人の顔の特徴をご紹介していきます。
一重で切れ長な目
平安美人の顔の特徴には、一重で切れ長な目が挙げられます。現在とは真逆な印象ではありますが、当時の平安は二重のような大きい目は好まれていませんでした。二重やぱっちり目は、西洋人のイメージでもあったため、日本人でいると恐れられていたとも言われています。
教科書などを見ても、平安時代の女性は、一重で切れ長な目が特徴として見られます。また、切れ長目₌美人という概念は、江戸時代まで続いていました。現在では、二重でぱっちりした目も可愛いですが、一重で切れ長な目も美人と言われることもあるでしょう。
小さめの口
平安美人の顔の特徴には、小さめの口が挙げられます。おちょぼ口とも言い、平安時代では口の大きい女性は好まれませんでした。女性は奥ゆかしい印象があり、自己主張が強いのは、あまり良いとされていません。
口が大きいと威圧感があったため、おちょぼ口が好まれていたのは、その理由でしょう。また、これは現在も一緒ですが、口を開けながらゲラゲラと笑うのは、下品とも思われていました。平安時代は和歌を小さな声で詠うこともあったため、おちょぼ口が美人として言われていたようです。
とがった鼻先
平安美人の顔の特徴には、とがった鼻先が挙げられます。とがった鼻先と言っても、鼻っ柱が強さうな女性のことではありません。小ぶりでツンとしているような鼻先が美人の特徴として認識され、控えめな雰囲気がよいとされていました。
現在では鼻っ柱が強く、主張が表に出ている女性の方が、美人の特徴として思われやすいです。しかし、平安時代では、ツンと小ぶりな鼻先の方が、品があり奥ゆかしい印象を持つため、美人の特徴として言われていたようです。
ふっくらとし顔立ち
平安美人の顔の特徴には、ふっくらとした顔立ちが挙げられます。しもぶくれ顔とも言われており、、ふっくらとした頬が品があり女性として美人の条件でもありました。教科書などを見ても分かる通り、平安時代の女性は皆、顔がふっくらしているでしょう。
現在の美人に対するイメージは人それぞれですが、ふっくらした顔立ち₌美人という認識ではないでしょう。そのため、現在と平安時代の美人の違いには、顔の輪郭が大きく関係しています。
また、ふっくらした顔立ちというのは、経済的にも豊かな表れであり、その理由から美人としても思われていたようです。現在とは違い、顔のレベルには家柄も関係していたことが分かります。
長くて綺麗な黒髪
平安美人の特徴として、長くて綺麗な黒髪が挙げられます。現在では茶髪や金髪と様々なカラーが存在しますが、当時は黒髪しか存在しなかったため、髪の艶で勝負するしかありません。そのため、長くて綺麗な黒髪は平安美人の特徴になっていました。
また、現在のように街灯もなかったため、夜の明かりと言えば月の光のみでした。そのため、月の光が反射するほど綺麗な髪が良かったとも言われています。身分の高い平安時代の女性は、自分が綺麗な黒髪でなかったらカツラを用意したとも言われているくらい、髪は需要なものを認識されていたようです。
化粧はおしろい
平安美人の特徴として、化粧はおしろいであったことが挙げられます。これは、教科書などを見てきて誰もが知っていることでしょう。平安時代の女性は顔が真っ白で、「どこか美人なんだ?」と思った人も少なくありません。
なぜ、平安時代ではあのような化粧をしていたのでしょうか。平安時代は、もちろん電気もないため、建物内は昼間でも非常に暗いです。そのため、暗い中でも分かるように真っ白な化粧をしてきたと言われています。
また、そのおしろいで使う化粧品は、現在のように優れているわけではありません。ですので、表情を少し変えるだけで、ボロボロとこぼれました。当時の女性は扇子や着物で顔を隠し、表情を出来るだけ変えないように人と接してきたともされています。
平安美人の顔以外の条件
平安美人の顔以外には、どのような条件があるのでしょうか。平安時代は現代とは違い、容姿で美人と決めつけることはしませんでした。そのため、家柄や育ち方、教養までが美人の条件として分類されるため、現代とは大幅に基準が違います。では、平安美人の顔以外の条件をご紹介していきます。
ぽっちゃりした体型
平安美人の顔以外の条件として、ぽっちゃりした体型が挙げられます。平安時代を描かれている絵画は、ほとんどの女性がぽっちゃりしています。それは、ふっくらとした顔立ちでも挙げたように、家柄が良く、経済的な家ほど、美人とされていました。
つまり、体型も細くない方が当時では美人の認識されていたようです。現在では、どれだけ女性が細くなりたがっているのかを、平安時代の人が知れば、とてもびっくりするでしょう。
そして、ぽっちゃり体型の人の方が、元気な子供を産んでくれるというイメージも強く、それも美人の理由の一つでもありました。ですので、ぽっちゃり体型は現在とは真逆で、平安時代では美人の条件として、考えられていたようです。
おとなしそうな雰囲気
平安美人の顔以外の条件として、おとなしそうな雰囲気が挙げられます。現在のように男女平等が通る世界ではなかったため、女性は前に出るよりも、一歩下がったように雰囲気の方が美人とされていました。
喜怒哀楽も表には出さずに、冷静で静かにしている女性は、現在でも好まれるでしょう。しかし、平安時代では、女性の全てがそのような雰囲気であったため、少し恐ろしいともいえるでしょう。
控えめそうな性格
平安美人の顔以外の条件として、控えめそうな性格が挙げられます。おとなしそうな雰囲気と似ていますが、性格はその人の本質の部分であるため、作られるものではありません。おとなしそうな雰囲気は作れますが、控えめそうな性格を持っている女性は、美人と言われていたでしょう。
また、自慢話や下世話な話をする女性は品がないと思われ、美人とは程多い印象を受けたでしょう。今では自由に発言することができますが、はやり自慢話や下世話な話は、現在でも好かれないでしょう。
教養がある
平安美人の顔以外の条件として、教養があることが挙げられます。実は平安時代の女性は、家族以外に自分の容姿を見せる習慣や風習はありませんでした。また、御簾(みす)と言われる、細かいすだれのようなものを隔てて他人と会話するのが、基本的な日常です。
そのため、会話の上手さや、品の良さ、知識の豊富さが必要になり、会話が上手な人ほど美人とされてきました。つまり、教養がなければ会話に深みで出ないため、美人と認識されなかったわけです。
また、平安時代の美人の基準は、教養が多くを占めていたとも言われています。その中でも和歌は、とても重要であると考えられており、人間性やその人の本質を図るために大切な判断材料であったとも言われています。
字がかけることも大きな点でありました。他には楽器が上手な人が美人であったりと。このように平安時代は、容姿だけで美人の基準を定めるのではなく、顔や見た目以外の部分も美人であるための条件であったことが分かります。
綺麗な声
平安美人の顔以外の条件として、綺麗な声であることも挙げられます。先ほども説明した通り、御簾(みす)と言われる、細かいすだれのようなものを隔てて他人と会話するのが、基本的な日常です。そのため、知識や喋り方以外に声も美人の判断基準としてあったでしょう。
現在でも、声が可愛い人や、綺麗な人で大体の美人度は分かったりするものです。もちろん現代では、声が綺麗₌容姿が綺麗とは結び付きません。しかし、平安時代では声が綺麗なことは、美人の条件として認識されていたようです。
背が低くて小柄
平安美人の顔以外の条件として、背が低くて小柄というのが挙げられます。先ほどは、ぽっちゃりした女性が好まれると説明しました。それの逆ではなく、背が低くて小柄なぽっちゃり女性が、平安時代では美人の容姿だったことが分かります。
現代ではスレンダーで脚の長いモデルのような女性が、美しいと思われがちです。しかし、平安時代では、スレンダーでモデルのような女性は怖いといった対象になるでしょう。男性の平均身長もそれほど高くはないため、背が低くて小柄な女性がモテたことが分かります。
平安時代に美人と言われた歴史上の人物とは?
平安時代の美人の基準や条件についてご紹介しましたが、実際に平安時代にいた有名な美人には誰がいるのでしょうか。歴史上の人物は、写真などは残っていないため、正確にはその容姿などを見ることは出来ません。
しかし、時代の背景にあった事柄などを読み取り、その人が美人であったことが分かるでしょう。では、平安時代に美人と言われた歴史上の人物をご紹介していきます。
小野小町
平安時代に美人と言われた歴史上の人物を挙げるならば、小野小町は外せません。小野小町は世界三大美女の一人に数得られているほど、美人として認識されていました。百人一首でも小野小町の歌が残っているほど、存在感はあったことでしょう。
また、小野小町は教科書などでも載っていますが、実際の容姿は死後に描かれたものであり、実際に顔は分かりません。そのため、容姿も含め、教養や声、雰囲気や佇まい、全てが美人であったのではないかと推測されています。
紫式部
平安時代に美人と言われた歴史上の人物を挙げるならば、紫式部も挙げられるでしょう。紫式部は、有名な源氏物語を書いた女性として、国語の授業でも聞いたことがある人はいるのではないでしょうか。
当時の権力者であった藤原道長に相当可愛がられていたらしく、そのことから絶世の美女なのではないかと言われています。また、紫式部は自身の作品のなかで、自分のことについては全く触れていません。
そういうところが、奥ゆかしき控えめな性格であったことが分かり、平安時代で美人と言われていたのではないでしょうか。また、紫式部も小野小町と同様、教養を持っていたとされています。
常盤御前
平安時代に美人と言われた歴史上の人物として、常盤御前が挙げられます。常盤御前は牛若丸の実の母親であり、平安美人であったと言われています。かの有名な源頼朝の側室であり、その後には平清盛も側室に常盤御前を置いています。
そのことから権力者の男性がどうしてもそばに置いておきたいような、絶世の美人だったのではないかと言われています。
平安美人な女性芸能人
平安美人の名残が残る、現代の芸能人はどのような方がいるのでしょうか。平安時代の美人が、現代ではブスということにはなりません。実際に、平安美人のような、綺麗な芸能人の方もいらっしゃいます。では、平安美人な女性芸能人をご紹介していきます。
麻生久美子
現代の平安美人として、よく例えられるのが麻生久美子さんではないでしょうか。ふっくらはしてないまでも、色白で綺麗な黒髪に、切れ長の目は現代でも平安時代でも通用する美人として挙げられます。年齢を重ねても美貌が衰えないのも特徴と言えるでしょう。
蓮佛美沙子
平安美人な女性芸能人には、蓮佛美沙子さんも挙げられます。蓮佛美沙子さんは、家柄が良いお嬢様役を演じていることが多いです。それは、蓮佛美沙子さん自体に気品があり、平安美人のような雰囲気を持っているから、ということでしょう。
黒木華
平安美人な女性芸能人には、黒木華も挙げられます。上記の二人に比べれば、最近出てきた女優さんでもあります。しかし、黒木華さんは色白で綺麗な黒髪で、少しふっくらした顔立ちは、まさに平安美人と言えるでしょう。
平安美人は現代でも絶世の美女
いかがだったでしょうか。平安美人についてご紹介しましたが、イメージと違うと感じた方も多いのではないでしょうか。しかし、実際に平安美人は現代でも、充分好まれる女性であります。そのため、もし「平安美人みたい」、と言われた女性は胸を張って良いでしょう。