2019年01月23日公開
2019年01月23日更新
懐が深いの意味とは?懐が深い人・懐が広い人って?
懐とは、物事の内側をさします。身体でいえば胸とその胸中、つまり心にもなります。それが深いとか、深い人とは、どんな状態をさすのでしょうか。また「懐が深い」と似たような言葉の「懐が広い」の広いとはいったい。知っているようで知らない「懐が深い」を調べてみました。
目次
懐が深いとは?懐が広い人間になりたい!
元来、「懐が深い」の「懐」には、和服がつきものです。着物を着る習慣のなくなった現代日本人の間では、懐という言葉は慣用句の中だけになってしまいました。馴染んでいるはずなのに、よく知らない言葉として、懐が深いは死語にならずに生きています。
「懐手」と言われて、その状態を分からない大人も、今や大勢いるでしょう。しかし、「懐がさみしい」と言われれば、若者でも何となく分かってしまう。そのように、現代日本では、懐が深いは具体性から遊離しかかっています。
具体的な「懐」ではなく「懐が深い」でセットとなり、それを記号として効率的に認知しているのが現代人です。それゆえか、「懐が深い人になりたい」とかかげても、不思議とみんなに通じてしまうのです。
「懐が深い」の意味とは?
まず、「懐」と「深い」を分けて考えてみましょう。いつからか分かりませんが、懐は和装に限らなくなりました。和洋とも、衣服の胸の内側にできる空間をさします。懐中時計は「懐中」(かいちゅう)に入れるのでそういいます。また、肉体でいう場合もあり、前に向けた腕と胸とで出来た空間部分をさします。
「懐が深い」の深いとは、上で説明した空間の三方の幅があり、広く容量が大きいことを表します。胸を転じて心とみなせば、懐が深いとは、度量の広い人、包容力のある人、人望のある人となります。
また、それは能力面、理解面でもいわれます。とくに相撲では、腕と胸でつくる空間が大きく、容易に敵に回しを取らせないことをいいます。また、そのような自分の思い通りにさせてくれない相手をいったり、その実力の奥の深さを例えたりします。
「懐」でみる意味のあれこれ
懐だけで意味をみた場合の方が分かりやすいでしょう、意外と多くの種類と次元にまたがっているのが分かります。
・人間の人格、能力を表します。 |
「懐」の例文
懐だけで見た方が理解しやすいので、広い例を取ってあげていきます。
・黒田官兵衛は中国大返しを成功させた秀吉の懐刀だ。
・秀吉は人の懐に入るのがうまい人たらしだ。
・槍、薙刀(なぎなた)などの長柄武器は相手に懐へ飛び込まれると不利であるが、最初の一撃におけるアドバンテージは絶大である。
・燕(つばめ)はオスメスともエサを運び、雛鳥(ひなどり)は両親の懐である巣の中で大事に育てられる。
・その村は三方を山で囲れた箱庭だが、閉塞感がないのは前面に海を持つせいであろう。
・明日のことを考えず散財ばかりしていたので、だいぶ懐具合が寂しくなった
・さっきまでの威勢はどこへやら、懐を読まれるのを惧(おそ)れたか、とたんに無口になった
「懐が深い」の使い方
懐が深いは、現在の会話では例えとして使われます。表象されるのは、心、人格、能力、理解力、など内在的なものです。これらすべてをポジティブに修飾します。使用される際の相手に、間違いなく好意と尊敬の印象を付与します。
「懐が深い」を使った例文
懐が深いを使った例文をあげていきます。代表的な精神面と能力面とでみていきましょう。
「どんな相手だろうと」「どんな取り口だろうと」「彼は堂々と受けて立ち」横綱らしい懐が深い相撲を魅せた。
これには技術的な能力面と、社会的リスクを負った精神面も出ています。
懐が深い安心感からなのかあの人の前でだけみんなが愚痴を言ったり憎まれ口をたたく
他者の言動から推し量って、懐の深い人となりを表す例文。人格面を表しています。
「懐が深い」と「懐が大きい」と「懐が広い」の違い
「深い」以外の「大きい」と「広い」の二語は、誤用が推測されます。おそらく、「懐が深い」と「心が広い」と「器の大きさ」の三つが、ごちゃまぜになったものでしょう。ですからどう解釈しても自由、その人次第です。強いて言うなら、元の言葉に照らして意味を考えるのも良いかもしれません。
「懐が大きい」とは?
これは「器の大きさ」に合わせ、寛容な心とみるのはどうでしょう。その人の度量とか、スケールの大きさとか。
「懐が広い」とは?
これは「心が広い」に合わせ、精神的に余裕、ゆとりがある様としましょう。ゆったりとした大らかさ、鷹揚(おうよう)では、どうでしょうか。
懐が深い人の特徴【性格編】
例えば、上のグレート・デーンです。犬としては威風堂堂々たる体格ながら、優しい巨人といわれるほど友好的で、他の犬、その他ペット、野生の生き物、飼い主以外の人間や子供に対して容易に敵対心を持ちません。
たえず飼い主と友好的に接する、大きな体と穏和な性格を併せ持つこの犬は、家庭犬として最適種といえます。番犬としても優秀な上、良き人生の随伴者となってくれるでしょう。その聡明(そうめい)さから、犬の中のアポロン神といわれ、つい最近まで、犬の背丈でギネスブックに載っていました。どうでしょう、彼が人だったら。
1.いつも穏やか
うららかな春の日の縁側で、日向ぼっこしているかのような景色をみせてくれます。春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな。
2.失敗してもクヨクヨしない
フロイトがいわずとも、忘却は偉大な才能です。ブッダもバカの一つおぼえみたいに、こだわりを捨てろといいました。他人を忘れ、自分を忘れ、その時々だけに生きているのです。意志を持つ水の中の水として。
3.没頭しやすい
没頭する人は全てを忘れられます。瞑想(めいそう)に近い、ニュートラルな状態で生きているのでしょう。きっと常人よりも体温がやや高目で、体の免疫力(めんえきりょく)も高いかもしれません。心身ともに健康なのです。
かりに、少しくらいの病気や瑣事(さじ)があっても、ほどよい刺激と体へのいたわりによって、健康人より長生きするかもしれません。あやかりたいことです。
4.無防備
ただ、その人にも危険はあります。他者の嫉妬(しっと)が待ち構えています。成功の秘訣だった無警戒(イノセンス)はサイレンを鳴らしてくれません。周りはハラハラ。でも、今までの功徳(くどく)が助けてくれるでしょう。そうであれ。
懐が深い人の特徴【行動編】
人徳ばかり説いていても埒(らち)が明かないので、さっさと実践編へいきましょう。啓蒙書(けいもうしょ)ばかり読んでいられまんから。
「この道を行けば、どうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」 引退時のアントニオ猪木さんの言葉です。
1.人のミスを責めない
脇目も振らず生きているので、気づかないのかもしれません。カンタンに腹を立てないのは満たされている証拠かも。自分の精神分析だろうと、他人への精神分析だろうと、分析は心の健康を損ねます。まわりは無用な嫉妬をつつしみ、嫉妬の不意打ちから守ってあげましょう。
2.小さな事でイライラしない
することがたくさんあって、いちいち細かい事に留まっていられないのです。誰にだって優先順位がありますが、その量と質が良いのでしょう。漫画家の平松伸二先生いわく「いんだよ、細けえ事は」、つまり「こまけぇこたぁいいんだよ」ということです。
3.誰とでも打ち解ける
誰とでも打ち解けたとしても、寛容は時として思わぬしっぺ返しにあいます。取るに足らないと思われていた人が思わぬ成功を収めたり、安心して交際していた相手が思わぬ顔をみせたり、そんなことが往々にしてあるものです。他人事で済むならいいのですが、一気に自分の立場が危うくなる場合もあります。
計算と無警戒がもたらす成功と危機の妙(みょう)は、まか不可思議です。今まで件の人が「懐が深い人」たりえたのは、そのバランスの運に恵まれていただけなのかも。そう考えるのは、ただの妬みでしょうか。
4.損切の早さ
運。こればかりは、どうしようもありません。どんな性格も行動も状況読みも、気まぐれな自然が圧倒してしまいます。損切(そんぎり)の早さこそ、何より神がその人に与えた天賦の才なのかもしれません。
懐が深い人になるには?
それでは具体的に懐が深い人になるにはどうすれば良いのか、どんなハードトレーニングを積めば良いのでしょうか。そもそも、それは必要なのかという疑問もわいてきます。むしろ、持って生まれたものと割り切った方が良いのでは、と迷ってしまいます。
しかし、そうもいっていられない人もいます。ならば、答えは決まってます。既定路線を選びましょう。平凡こそ神です。
人の失敗を責めない
懐の深さは何も行為だけとは限りません。節度もまた問われます。他人にイライラするのは、相手の能力に期待しているからです。少なくとも、自分と同等の能力を求めるのはやめましょう。大丈夫。あなたも歳を取ります。どんなにあなたが優秀でも、逆の目に合う日が間もなく訪れます。かといって、軽蔑的やさしさは短絡的過ぎますが。
なんにせよ、他人とは自分の鏡ですから、イライラをため込んでも、吐き出しても、確実にあなたの人相は悪くなっていきます。むずかしいものです。
笑顔を絶やさない
その人が笑っているのは「笑顔を絶やさないようにしている」からでしょうか。いけないことかもしれませんが、ついついベッキーみたいな人のことを思い浮かべてしまいます。楽しいから笑うのであって、心がけから笑みがこぼれ落ちる訳ではありません。常に心を点検するのは、要らぬ小じわのもとです。
心がけねばならないのは、後になって他人の所為(せい)にする余地を減らしておくことの方です。家族であっても、しょせん他人は他人。期待しちゃぁいけません。どんな言分も、いささかも不幸や不遇を減じさせはしません。自分のために生きましょう。でないと、空手型をため込んで、後でヒステリーを起こすのが関の山です。
自分と他人を比べない
どうしたって、人間は他人と比べてしまうものです。比べなければ人類ではありません。動物にあるのは体の求める欲求で、人間には比較による欲望があるといいますが、人間はそれが甚だしいのでしょう。病気や事故と一緒で消火活動より予防が第一です。
嗅覚を研ぎ澄まし、自分がこだわってしまうことから離れましょう。なるべく話の輪から遠ざかるのです。それは敗北ではありません。謙虚さとは耐える事ではなく、ましてや、我慢している姿を他人や自分へ見せることではありませんから。
「太い」という「懐が深い」に似た言葉
ご存知でしょうか、最近「太い」という言葉が、一部の巷(ちまた)で流行っています。良く格闘技で聞かれる言葉ですが、その世界から生まれ、そこだけで使用されているかは不明です。夢枕獏(ゆめまくらばく)原作の小説や漫画に、「太い男」と形容されるキャラクターが登場します。
『餓狼伝』(がろうでん)に登場するキャラクター「松尾象山」(まつお しょうざん)がまさしく、その「太い男」です。松尾象山は五十代前半で、世界最大のフルコンタクト空手北辰館の館長。大山倍達(おおやま ますたつ)がモデルとされています。伝説的な強さを誇り引退しましたが、物語の主人公の文七に触発され現役に復帰しました。
現役のファイターでありながら、何でもありの異種格闘技戦を自ら主催します。空手最強を証明して、楽しい喧嘩を堪能(たんのう)することが生きがいだとか。当然組織のリーダーですから、他者からの信頼も厚く、経済力もあるのでしょう。
まさしく、「懐が深い人」ではないでしょうか。それを証明するかのように、筋肉で埋もれた猪首(いのくび)の、ずんぐりむっくりな体形をしています。
懐が深かった人たちと私たちの行く末
つまるところ、懐が深い人とは他人の評価にすぎません。自分で言ったら噴飯(ふんぱん)もので、すぐさまその資格を失います。評価というのは評価される該当者は関知できないので、評価する人の感受能力と裁量に委ねられています。
ところで、地上波のテレビで生き残った芸人が出川哲朗さんだけという事実は、何を意味しているのでしょうか。テレビがないので良く知りませんが、CMなど良い仕事があるのは彼だけだと聞きました。かつて三島由紀夫は「今ほど強い物がいじめられている時代はない」と語りましたが、それは60~70年代の話です。三島が死んだのは1970年ですが、
懐が深い人を求めたり、それについて議論する前に、我々自身がその人の「人物」を認め、生かすようにすべきではないでしょうか。それは結局、我々にも利益をもたらすはずです。誰だって、活気に満ちた溌剌(はつらつ)とした社会に住みたいのではないのでしょうか。