2018年05月26日公開
2019年07月31日更新
最後の晩餐に隠されたユダの謎!ユダはどれ?位置や場所
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたことで有名なものの一つに最後の晩餐があります。今回はその最後の晩餐の中から、ユダの謎について迫っていきます。裏切り者はだれなのか、どれがキリストでユダ、ペトロなのか、なぜナイフを持っているのか、位置や場所についても書いています。
目次
ユダの位置はどこ?最後の晩餐に隠された意味!
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画のなかで有名なものは多くありますが、そのなかでも特に有名なものが「最後の晩餐」です。
今回は「最後の晩餐」のなかでも謎の多い「ユダ」についてやヨハネとは誰なのか、各人物の位置や存在する場所、レオナルド・ダ・ヴィンチがどのような経緯で描いたのか。ペトロのナイフはどれなのかから、絵画の楽しみ方まで、説明していきます。
最後の晩餐の意味に関して詳しくはこちら
レオナルド・ダ・ヴィンチについて
数多くの「最後の晩餐」を描いた絵画はたくさんあります。その作者として一番有名なのは、レオナルド・ダ・ヴィンチです。
まずは、レオナルド・ダ・ヴィンチがどのような人だったのか、最後の晩餐が描かれた時期や場所などを説明していきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの人物像
レオナルド・ダ・ヴィンチはどのような人物だったのでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年から1519年まで生きた芸術家です。生まれた場所はフィレンツェです。芸術家という肩書ではありますが、音楽、生理学、建築などに興味があり、それぞれで功績を残しています。
どれほど才能ある人物だったのでしょうか。あるエピソードでは、レオナルドの絵が上手すぎて師匠が絵を描くのをやめてしまった、という話も残されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチが残した功績
レオナルド・ダ・ヴィンチが残した功績は、生きている当時には公開されなかったため、直接学問にかかわることはありませんでした。しかし、戦車の設計図やヘリコプターの原型など、どれも今の生活にかかわるものばかりです。
レオナルド・ダ・ヴィンチはどのような功績を残したのでしょうか。なかでも有名なのは、人体は手を広げた長さと身長が同じだとするなどのことが描かれている「ウィトルウィウス的人体図」です。
最後の晩餐が描かれた時期は?
この「最後の晩餐」の制作年は諸説あります。最も有力なのは、1495年から1498年だといわれています。制作年に諸説あるのは、はっきりとした記録が残っていないためです。場所はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院で、現在でも残っています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は未完成なものが多いです。しかし、これは数少ない完成した作品だと位置付けられています。
ところが、「最後の晩餐」は謎が多い絵画でもあります。どれが謎とされているのでしょう。今回はそのなかでも、主にユダについて場所や位置、どのような謎が隠されているか迫っていきます。
最後の晩餐の内容について!登場人物の解説
「最後の晩餐」の作者のレオナルド・ダ・ヴィンチについては、非常に多彩な人物だとお分かりいただけたと思います。続いては「最後の晩餐」の内容やある場所、どれがユダなのか、ほかの人物の位置などについても解説していきます。
それぞれの人物の名前と位置は?
「最後の晩餐」で一番知りたいことの一つに12弟子がどこに誰がいるのか、つまり、それぞれの場所ということが挙げられます。
ここからは「最後の晩餐」にでてくる12弟子を人物紹介も交えながら、それぞれの位置とともに1人ずつ紹介していきます。
バルトロマイ
テーブルの左端にいる人物で、一番キリストから遠い場所にいます。立ち上がってキリストの声を聴こうとしています。
バルトロマイは友人のフィリポの紹介でキリストに会います。そのときに「あなたは真のイスラエル人」と言われ感激して12弟子になります。
小ヤコブ
「最後の晩餐」のなかで、左手をヤコブの方へ伸ばしています。小ヤコブは信仰が深く、敬虔な人物であったといわれています。小ヤコブはキリストと容貌が似ていた人物でした。そのため、多くの人々がキリストと間違えるほどでした。
ちなみに、小ヤコブの「小」は入会した順番が後だったためつけられたもので、大ヤコブが優秀だったなどの記録は残されていません。
アンデレ
両手を胸にあたりにあげて、驚いたようなポーズを取っているのがアンデレです。
元々漁師で、シモンと漁をしているときにキリストに「わたしについてきなさい、人間をとる漁師にしよう」と言われ、網を捨てて着いていったという話が残されています。シモンはアンデレの弟です。
イスカリオテのユダ
裏切った代償として、銀貨30枚が入った袋を持っているのが、イスカリオテのユダです。ユダはキリストを裏切って、反キリスト派の祭司長に引き渡したと言われています。そのため、英語で「ユダ」は「裏切り者」という意味にもなっています。 ユダはとても信頼されていた人物で、キリスト一行の金入れを預けられるほどでした。そのため、他の弟子がユダの横領に気付いたのは、ユダが自殺したあとだったようです。
ペトロ
身を乗り出して、キリストの隣のヨハネに耳打ちしているのがペトロです。先ほど紹介したアンデレの弟であり、キリストに最初に信仰報告をした人物です。ペトロの後継者は「ローマ法王」といわれています。それは約2000年もの間、綿々と現在まで続いています。
この「最後の晩餐」ではナイフを持っている人物としても有名です。しかし、ナイフを持つ手の描き方が不自然であることから、ほかの人物がいるのではないかと考えられています。
ヨハネ
12弟子のなかで、最も年少なのがヨハネです。中性的な顔立ちをしているので、見つけやすいです。
ペトロ、大ヤコブとともに、特に最も地位が高い弟子と言われています。ペトロ、大ヤコブ、ヨハネの3人だけは、ゲッセマネにおけるキリスト最後の祈りに伴われました。後にヨハネは「最もキリストに愛されたのは私だ」と「ヨハネによる福音書」に記しています。
キリスト
キリストは中心に座っています。手を広げて右下を見ています。この絵では「裏切り者がここにいる」という予言をしているところです。
ここでは12弟子とキリストが食べているものは、パンと葡萄酒だとされています。パンはキリストの体、葡萄酒はキリストの血を表しています。
トマス
トマスは右手の指を一本たてている人物です。その姿は「裏切り者は1人ですか」と尋ねていると解釈されています。
現実主義者で疑心深い人物だったため、「疑心トマス」と言われていました。なぜなら、キリストが復活したときに信じなかったためそう言われました。キリストの復活を信じたのは、トマスが脇腹の傷跡に手を触れたときでした。
大ヤコブ
大ヤコブは両手を広げ、大げさな身振りをしている人物です。12弟子のなかでも最初の殉教者です。気性が荒く、短気で野心家だったと言われています。弟のヨハネも血気盛んで荒々しい性格だったため、「雷の子ら」と言われました。
ある村に宣教に訪れたときに、歓迎されないのを見て「彼らを焼き滅ぼしてしまいましょうか」と言って、キリストに戒められたという話が残っています。
フィリポ
フィリポは両手を胸にあてて、キリストに訴えかけるしぐさをしている人物です。12弟子のなかでも親しみやすい人物で、キリストとともに旅をする間は食料調達係でした。
フィリポは川の岸辺にいたところをキリストに直接招かれて、弟子になりました。しかし、キリストに呆れられるほど、的外れな言動が多かったともいわれています。
マタイ
マタイはユダ・タダイとシモンとともに、「主は何をおっしゃったのか」と顔を見合わせて尋ねています。
マタイの気質は随順の早さと、気前の良さでした。さらに自分が徴税人であることを隠さなかったため、「謙虚さ」と、マタイが記した「マタイによる福音書」に与えられている「特別に高い地位」と合わせて、「4つの徳」が備わっていたといわれています。
ユダ・タダイ
タダイはマタイ同様、シモンとともに顔を見合わせています。ユダ・タダイとも呼ばれています。先ほど紹介したイスカリオテのユダと名前が同じです。
タダイはイスカリオテのユダと間違えられるため、ローマカトリックでは祈りをささげるのを避けられていました。そのため、ユダ・タダイは「忘れられた聖人」ともいわれています。新約聖書の「ユダの手紙」の著者とされています。
シモン
シモンはユダ・マタイ、ユダ同様、3人で顔を見合わせています。シモンは反ローマ帝国の過激派組織でユダヤ民族主義のグループの「熱心党」の出身です。
シモンは最初、キリストを政治利用しようと考えていたようです。しかし、キリストの復活後にキリストの考えを真剣に考え直し、温和な弟子になったといわれています。
最後の晩餐は何を描いた絵画?場面設定の解説
ここまでは人物の紹介をしてきました。それぞれの人物の位置や性格などを分かっていただけたと思います。
次は、「最後の晩餐」の場面についてと裏切りについて詳しく説明していきます。
「この中に裏切り者が出る」
「最後の晩餐」は文字通り、イエスキリストの十字架にかけられる前の晩の夕食の様子を表したものです。この中で、キリストは12弟子の前で「裏切り者がいる」と予言している場面が表情豊かに描かれています。
ユダとペトロの関係は?
ユダとペトロの関係についてはどれも情報がないため、はっきりしたことは分かりません。しかし、ユダとペトロにはある共通点があることは知られています。裏切り者であったことです。
そのユダとペトロの裏切りについて、次から詳しく説明していきます。
裏切り者はユダだけだったのか?
イエスの裏切り者としては、ユダが知られています。しかしユダだけでなく、ペトロも裏切り者だとされています。
ユダはキリストを告発しました。一方で、ペトロはキリストが連行されるときに「このような人物はしらない」と言って裏切ったとされています。裏切り者は1人ではなかったのです。
しかし、その後の人生は対照的でした。ユダは裏切りに苦しみ自殺した一方で、ペトロはキリストに対する信仰を厚くしたといわれています。
最後の晩餐のユダに隠された謎とは?
「最後の晩餐」において、ユダが裏切るという予言をキリストが説明している場面であることは、前述の通りです。しかし、ユダの描かれ方にも謎が存在します。その謎の場所とどれであるかをいくつか紹介します。
ヨハネはマグダラのマリアだった?
ヨハネは先ほど、中性的な顔立ちをしているのでわかりやすいと記述しました。そのため、ヨハネがマグダラのマリアである説は存在しているのです。
聖書にはマグダラのマリアについての記述のある場所は1か所しかないため、断定はできません。しかし、ヨハネをマグダラのマリアとすると、1本指を立てているトマスの行動は、ヨハネであると考えられています。
ペトロのナイフを握る右手は誰?
「最後の晩餐」には多くの謎が存在しています。その「最後の晩餐」のなかでも最も有名な謎は「ペトロのナイフを握っているのはだれなのか」ということです。
なぜペトロにナイフをもたせてのでしょうか。聖書には、役人たちがキリストを捕まえようとしたときに、ペトロが役人の片耳を切ったという記述があります。そのため、その場面を表現するためにナイフを持たせたと考えられます。
しかし、ペトロのナイフを持つ右手の角度が不自然であるようにも見えます。そのため、後ろにもう一人の人物がいるのではないか、とも考えられています。
最後の晩餐に関する都市伝説【ダ・ヴィンチ・コード】
「最後の晩餐」についての都市伝説、つまり「ダヴィンチコード」はいくつか存在しています。例えば、先ほど紹介したヨハネはマグダラのマリアだった説や、ペトロのナイフの謎などです。いずれも解明されていません。
その理由としては、レオナルド・ダ・ヴィンチは壁画としては一般的である、フレスコ画という技法を使うのですが、テンペラ画を利用しました。そのため、絵画の剥離が進んでしまい、20年足らずでずいぶん劣化してしまったことなどが挙げられます。
最後の晩餐の絵画の特徴とは?
「最後の晩餐」には当時としては、革新的な絵画技術が使われています。どれが革新的な絵画技術なのでしょう。
その1つが遠近法です。今は多くの絵画で遠近法は使われています。しかし、それ以前の絵画は平面で描いており、奥行きがありませんでした。そこで、レオナルド・ダ・ヴィンチは遠近法を使って奥行きを出しています。
その証拠に、キリストのこめかみの部分に穴が開いています。そこから紐を広げ、天井などの直線を描いたと考えられています。
もう1つが明暗法です。明暗法とは光が当たっている位置は明るく、影の位置は暗くという表現技法です。遠近法同様に、今現在では当たり前に使われています。しかし、当時としては珍しいものでした。
これらは当時としては革新的なもので、それまでとは全く違う芸術作品を生み出しています。
最後の晩餐のユダに見る絵画の楽しみ方
「最後の晩餐」のなかでユダは裏切り者である、ということは先ほど述べました。実はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたもの以外にも、修道院には「最後の晩餐」を描いた絵画が存在するのです。どの作品にもユダを含めた12弟子がでてきます。その絵画のなかでは、どれがユダなのでしょうか。
ユダの特徴は、一人だけテーブルの反対側に座っている、キリストにパンを渡されている、手に小銭入れのような袋を持っているか腰から下げている、の3つです。
他の絵画を見比べて、どのような描き方をされているか見てみてはいかがでしょうか。
最後の晩餐とはどういうものなのか?
今回ここでは、「最後の晩餐」の場所とユダがどれなのか、それぞれの人物の位置、ペトロのナイフの謎やダヴィンチコードについて迫ってきました。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」は損傷が激しく、ペトロのナイフの謎やユダの謎はもちろん、解明されていない謎が多い絵画です。そのため、レオナルド・ダ・ヴィンチがどのような思いで描いたのか考えながら見るのも楽しみ方の一つです。
ぜひ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に思いをはせてみるのはいかがでしょうか。