トンボ鉛筆事件「佐藤佳弘」と「長尾弘司」の現在とその後

2011/3/11に発生した東日本大震災直後に、トンボ鉛筆の人事担当者だった佐藤佳弘が就活生に送ったメールが原因で世間から非難されることとなったトンボ鉛筆事件。その後、事件を沈静化させた長尾弘司とは?佐藤佳弘のその後は?事件の詳細についてご紹介します。

トンボ鉛筆事件「佐藤佳弘」と「長尾弘司」の現在とその後のイメージ

目次

  1. 1トンボ鉛筆事件とは?
  2. 2株式会社トンボ鉛筆
  3. 3トンボ鉛筆事件の経緯
  4. 4トンボ鉛筆の佐藤からの高圧的なメールの内容
  5. 5メールは企業からではなく佐藤佳弘の独断?
  6. 6トンボ鉛筆側の誠実な対応で自体は沈静化?
  7. 7佐藤佳弘はその後どうなったのか?トンボ鉛筆の姿勢は?
  8. 8重視される企業の危機管理体制
  9. 9社会的責任と相手を思いやる気持ち

トンボ鉛筆事件とは?

トンボ鉛筆事件とは、いつ起こったどのような内容の事件だったのでしょうか?そして佐藤佳弘とはどんな人物だったのでしょうか。

事件が起きたのは東日本大震災直後

2011/3/11の14時46分に、日本中を大きく揺るがした東日本大震災が起きました。震源は宮城県牡鹿半島沖、地震の規模を表すマグニチュードは9.0、宮城県栗原市では最高震度7を観測しました。

10メートルを超える津波が到達したところもあり、死亡者数は15,000人を超え、行方不明者は2,500人を超えています(2018/3月現在)。この東日本大震災は、被害の大きさと原子力発電事故などもあり、日本だけにとどまらず世界中に激震を与えました。

未曾有の大惨事の中、トンボ鉛筆事件は起きることとなります。

人事担当の佐藤佳弘からの高圧的なメールで炎上

3月は、企業の会社説明会も解禁され就職活動が本格的に始動する時期でもあります。東京に本社を置くトンボ鉛筆も、人事担当者が来期の採用に向けて採用業務を開始していました。

そして、2011/3/1には希望者に向けて就職説明会の予約が開始されたのでした。

それから数日後、東日本大震災が発生することになります。首都圏でも通信や交通が影響を受け、帰宅困難者が多数出たことも記憶に新しいですが、各企業は、社員の安否確認や物資の確保、自社や取引先の被害確認、業務の再開に向けて混乱が続いていました。

被災地は、大津波、建物の倒壊や火災、液状化現象、原子力発電事故などで大きな被害を受けており、就活生の中にはその被害を目の当たりにした方もいたことでしょう。

そのような世間や就活生の心情も汲まず、トンボ鉛筆の当時の人事担当者であった佐藤佳弘から就活生に送られた高圧的なメールが炎上し、事件は起こりました。

株式会社トンボ鉛筆

トンボのマークが入ったトンボ鉛筆はみなさんもご存知だと思います。使ったことがある方も多いのではないでしょうか。我々の生活になじみの深い、株式会社トンボ鉛筆はどのような会社なのでしょうか。

株式会社トンボ鉛筆の会社概要

社名:株式会社トンボ鉛筆
創立:1913年2月(大正2年)
代表者:代表取締役社長 小川晃弘
資本金:9,000万円
年商:141億円(2017年12月実績)
従業員数:401名(平成30年1月現在)
本店:東京都北区
国内営業拠点:札幌・東京・名古屋・大阪・福岡
海外販売拠点:ドイツ、アメリカ、中国
主要商品:鉛筆、色鉛筆、水性ボールペン、油性ボールペン、シャープペンシル、シャープ芯、マーキングペン、修正テープ、消しゴム、テープのり、スティックのり、液体のり、粘着グミ、学習用練習具など

言わずと知れたトンボ鉛筆の会社

トンボ鉛筆は、2018年の今年に創立105年を迎えた国内有数の総合文具メーカーです。鉛筆や消しゴム、修正テープやのりのシェアは国内トップクラスを誇り、世界中で使われています。

創立当初は鉛筆専門メーカーとして発展し、トンボ鉛筆をはじめ日本の鉛筆は世界トップクラスとして躍進しました。その後、時代の流れとともに文房具も多様化し、トンボ鉛筆もボールペンやマーキングペンを発売しはじめました。

そして1960年代後期には「プラスチック消しゴムMONO」を発売します。青、白、黒の三本線マークのMONO消しゴムはあまりにも有名で、誰もが一度は使ったことがあるのではないでしょうか。

その後も、修正テープの「MONOホワイトテープ」や、スティックのりの「ピットハイパワー」、「消えいろピット」、テープのりの「ピットテープ」など、トンボ鉛筆は長年にわたってヒット商品を生み出してきました。

トンボ鉛筆事件の経緯

冒頭でもお話ししたとおり、トンボ鉛筆は3/1に会社説明会の予約を解禁しています。ネットで予約をするシステムでしたが、希望者が多く予約が取れない就活生も出ました。

佐藤佳弘は予約が取れた就活生に対し「運であろうと他人より先に1歩出たことに対するメリットを皆さんに与えたい」と、予約成功者にのみエントリーシートを配布しました。

しかし、予約が出来なかった就活生に対してその後のエントリーシート配布見込についての説明はなく、就活生は不安を募らせたのです。
 

そもそも会社説明会予約開始時間の13時という時刻は、あくまでもジャストタイムではなく、前後の時間帯をチェックするようにと佐藤佳弘以外の人事担当者から説明がありました。

ネットでの予約だと、そのときの接続状況やタイミングが左右されます。人気アーティストのコンサートチケットを取るような運に任せる方法が、就活生に対して平等ではなく「採用してやる立場」を感じさせます。

2011年3月11日に佐藤からメールが届く

そして3/11、東日本大震災が発生しその当日に佐藤佳弘から就活生に対してメールが届きます。内容としては「地震大丈夫ですか?ケガはないですか?」というメールです。

当時は電話やネットなどの通信制限がかかり、被災地での安否確認や救急要請などの本当に大事な連絡も取れなかった状況です。

佐藤佳弘本人からすれば、親切心や会社のイメージアップのため取った行動かもしれませんが、本当に必要な連絡のために回線状況を混乱させない、実際に被災された就活生の状況を考えたら緊急性のないメールであり、空気が読めない人間であると思われても仕方ありません。

2011年3月13日に佐藤から採用に関するメールが届く

まずメールの冒頭で、「被災されている方も居るでしょう」と理解を示してはいます。次になぜか、佐藤佳弘自身が都内から埼玉の自宅まで8時間かけて徒歩で帰ったことを説明しています。

そして震災当日に送ったメールは咄嗟のメールであったため返信はしなくて大丈夫ということ、会社に大きな被害はないことが報告されています。

次に、本来であれば3/14に就活生に送る予定だった専用履歴書の様式とエントリーシートを、地震があったという状況を踏まえて1日早い3/13に送るという内容と、それに関して非常に厳しい条件をつけるといったことが書かれてありました。


その厳しい条件とは、メールに添付された専用履歴書とエントリーシートを3/15までの消印有効として会社へ郵送しろというものでした。

そして、運良く説明会の予約が出来た就活生には書類持参で説明会に来るようにと指示し、「会場で説明や指示を行うが、もしその指示が難しい場合は…その先は言う必要ないですよね。自分で考えてみてください。」と、説明会に出られない者は選考に進めないことをほのめかすようなことを書いていたのです。

そして、就活生にも言いたいことや不満があるだろうが、佐藤佳弘自分自身は「さまざまな心の奥にある声を見て・聞いている」という言葉で締めくくったのです。

2011年3月14日に長尾弘司による謝罪文

3/13に佐藤佳弘から就活生にメールが送られた翌日の3/14に、当時トンボ鉛筆総務部のゼネラルマネージャーであった長尾弘司が、自社のホームページに謝罪文を掲載しました。

内容は、2011/3/13付で佐藤佳弘から就活生に送られたメールの中に、不適切かつ配慮に書けていた表現が多数あったことに対するお詫びでした。

東日本大震災発生のわずか2日後に、被災した地域への配慮のない書類選考用紙等を送り、締切を3/15消印有効としたことは言語道断であるとし、選考に対し平等ではなかったとしてました。

そして、佐藤佳弘については人事担当者としての立場上、驕り昻ぶりが表れた表現が随所にあり重ね重ねお詫びするとし、佐藤佳弘を厳しく処分したという内容が書かれてありました。

そしてさらに、長尾弘司から就活生へ謝罪のメールが届きました。それはホームページに掲載されたものと同様の謝罪の内容と、会社説明会、書類送付の締切の延期に関するものでした。

そして、トンボ鉛筆は人材の発掘に努めており採用を大変重んじているが、当時の佐藤佳弘発信文書の管理には問題があったと認め、今後の対策として公に発信する文書の事前校内校閲ルールを設置するとしました。

一連の佐藤佳弘の高圧的なメールの内容を読むと、採用に関して佐藤が大きな力を持っていると勘違いしてしますが、長尾弘司からのメールを読んで安心した就活生も多かったことでしょう。

自体は沈静化し佐藤は解雇処分に

3/13に佐藤佳弘から送られたメールは瞬く間にネットで炎上しました。就活生の年代といえばSNSを使っている人が多いですが、こんな非常識なメールが届いたら拡散されることは間違いありません。

しかし、長尾弘司による謝罪文の公表や、就活生に対するお詫びが的確で早急だったこともあり、自体は沈静化しました。

そして何より、その後佐藤佳弘が「クビ」という重い処分を受けたことにより世間を納得させたことが、事件の沈静化につながったのです。

トンボ鉛筆の佐藤からの高圧的なメールの内容

震災発生後、少なくとも3回にわたって佐藤佳弘から就活生にメールが送られています。
その内容を時系列でご紹介します。

メール①「地震大丈夫ですか?怪我とかないですか?」

前の項目でもお話ししたように、3/11の東日本大震災発生の直後に、佐藤佳弘は「地震大丈夫ですか?怪我とかないですか?」という全く緊急性のないメールを就活生に送っています。

私は就活生を心配している、トンボ鉛筆は良い企業であるというアピールのつもりなのでしょうか。それとも、地震は起きてはいるが説明会のことも忘れないでほしいという高圧的な意味も含まれているのかもしれません。

この文章は、質問を並べて相手に返信を促しているような内容です。「返信は不要ですので気をつけて下さい」というような気づかいもありません。

後日佐藤佳弘は、このメールは「咄嗟に送った」としていますが、本当にそうだとするのなら相手を状況を考えない非常識なことであり、このような状況下であってもトンボ鉛筆に対する熱意があれば返信は出来るはずと就活生を試すような内容でもあります。

メール②「伝える努力はしてくださいね」

その後、もう1通のメールが佐藤佳弘から就活生に送られます。会社説明会の予約が取れなかった就活生に対してです。

会社説明会の予約が取れた就活生に対しては先に書類を渡すというメリットを与えたが、みなさんには書類は渡していないと伝えた上で、この状況下であってもトンボ鉛筆への情熱を絶やしていないなら、文章としてその熱意は佐藤本人へ伝わってくることを期待している、と書かれてあったのです。

そして、その熱意を「伝える努力はしてくださいね。伝えるって本当に難しいです。」と書き記したのです。トンボ鉛筆への熱意を伝えたい気持ちは、説明会出席を勝ち取った人よりも君たちの方が強いはず、ましてやこの状況下です、としています。

トンボ鉛筆に入りたいなら、震災があったとしても努力してその気持ちを伝えろというのは、採用の立場から就活生を見下した高圧的な内容です。そして、説明会へ出る権利を勝ち取った就活生とくらべることによって気持ちをあおり、トンボ鉛筆への熱意を試すような表現です。

メール③「その先は言う必要がないですよね」

今まで数回にわたって佐藤佳弘から就活生にメールが送られてきましたが、最も問題となった3/13に送られたメールの中にある「その先は言う必要がないですよね」というフレーズは、ネット上でも特に炎上しました。

震災のたった2日後である3/13に専用履歴書とエントリーシートを送り、3/15までの消印で発送しろという難題を押し付け、3/16の説明会に出席するのが難しい場合は…「その先はいう必要がないですよね」という高圧的な表現をしており、その後には「自分で考えてください」と冷たく突き放すような言葉を書いています。

被災した地域では、パソコンを準備して書類をダウンロードすること、プリンタを準備して書類を印刷すること、それらを封筒に入れて発送の準備をすることはとても難しいことです。郵便局や宅急便などの物流がストップしている可能性も高いのです。

しかし、その状況下でも佐藤佳弘はトンボ鉛筆への熱意を試そうとしているのです。

メールは企業からではなく佐藤佳弘の独断?

言わずと知れたトンボ鉛筆ですが、なぜこれほどの企業からこのような高圧的なメールが送られてしまったのでしょうか。

「採用する側の立場が上」という企業側の歪んだ認識

これまで、佐藤佳弘は何度も就活生のトンボ鉛筆に対する熱意を試すような行動をとってきました。

実際のことろ、採用する企業側からしても自社に対する熱意が強い人間を採用したいという気持ちに間違いはないでしょうが、それを採用してもらう側の就活生に対し高圧的な言葉でぶつけるのはパワハラと言われてもしょうがありません。

本来であれば、就活生は冷静になって「こんな社員がいる会社には入りたくない」と切り捨てる判断を出来ればいいのでしょうが、まだ社会経験の浅い学生であり、ましてや震災が起きてこの先どうなるのかわからない状況であれば的確な判断が出来ないでしょう。

中には、文房具が好きでトンボ鉛筆で働きたいという熱意をもって就活に励んでいた就活生も、トンボ鉛筆という名の知れた会社で働きたいと思っていた就活生もいたでしょう。そんな就活生の立場につけこんだ歪んだ行動が、世間から批判を受けました。

現代の社会情勢では許されない「会社至上主義」の姿勢

過去の日本は、サービス残業、休日出勤、長時間労働と会社に貢献する社員が認められ、それが出世の条件になっていた背景があります。今では出世して役職についている人たちも、その道を通ってきたのでしょう。

そして必然的に部下にも受け継がれ、生活していくため、家族を養っていくためにはプライベートを犠牲にしても出世を目指さなければならなかったのです。現在の企業の問題として、出世願望が乏しい、出世を拒む若い社員が多いということがあります。

過労死や自殺者などがニュースで多く報じられ、会社に尽くして出世した上司を見てきたのも原因のひとつでしょう。会社に支配され、プライベートを犠牲にしてまで出世はしたくないと思うのです。出世を拒む社員ばかりになってしまったら、会社としては存続の危機です。

現在では、パワハラ、セクハラ、マタハラなどという言葉が飛び交うようになり、過労死や長時間労働が問題視され、コンプライアンスも厳しくなり、社員のワークライフバランスを重視する会社が求められるようになりました。

これからは、ハラスメントをしないことはもちろん、就業時間内で効率的に仕事が出来る能力のある人間が評価され、出世していく企業になっていかないと何も改善されません。

ブラック企業という言葉が生まれ、国がブラック企業の名前を公表する時代となり、名の知れた大企業も労働環境を改善し、ブラック企業というイメージの払拭を試みています。働き方改革法案が衆院を可決し、深刻な労働力不足を今後補っていくために企業は変化を求められていくことになります。

この企業で働きたい、この企業で出世したいと思えるような企業に変化することが必要不可欠になってきているのです。このような現在の社会情勢をみても、絶対的な会社至上主義は終わりつつあります。

トンボ鉛筆側の誠実な対応で自体は沈静化?

瞬く間にネットで炎上してしまったトンボ鉛筆事件ですが、なぜ事件を長引かせず沈静化させることが出来たのでしょうか。

GM長尾弘司による謝罪文

長尾弘司が公表した謝罪文によると、一連のメールは佐藤佳弘の独断で発信されたことが分かります。しかし、これまでのメールの内容が佐藤佳弘一人の考えであったとしても、それを目にした社外の人間は佐藤佳弘一人ではなく会社全体の考えだととらえてしまいます。

たった一人の間違った行動が、会社全体のイメージを落とすことになるのです。

長尾弘司は、今回の事件に至った原因と今後このようなことが起きないようにするための対策を謝罪文に載せて、そして何より佐藤佳弘にクビという処分することをいち早く公表したことにより、炎上を長引かせず沈静化させました。

言葉によって人を傷つけた事実は残り続ける

ネット社会の現代で、企業の事件や不祥事などは特に注目されネット上で拡散し、その事実は残り続けることになり消すことは出来ません。

実際に、毎年3/11が近づく時期や各地で地震が発生したときには、佐藤佳弘が送ったメールの内容が現在でもネット上で話題にのぼります。

就職活動にもネットは必須な手段であり、企業名で検索をすると事件や不祥事の内容や評判、「ブラック」といった言葉が出てくるため就活生はその内容を知ることとなるのです。

佐藤佳弘はその後どうなったのか?トンボ鉛筆の姿勢は?

長尾弘司の対応により事件は沈静化することが出来ましたが、その後佐藤佳弘はどうなったのでしょうか。

厳しい処分を受けた佐藤佳弘

この一連の事件によって、佐藤佳弘はクビになってしまいます。クビということは「懲戒処分」ということになりますが、とはいえこのご時世にクビとはとても重い処分です。

「クビ」とひとことで言っても、クビにされる社員側はもちろん大変ですが、社員にも権利は認められているので、会社側にとっても社員をクビにするということはハードルが高いはずです。

しかし、それでも佐藤佳弘のクビに踏み切った背景には、採用してあげる立場が上だと勘違いし高圧的な態度を取り、さらには被災地の就活生の心を傷つけたことによって世間の信頼を裏切り、会社のイメージを失墜させた責任を、会社は見逃さなかったことがあります。

もし、佐藤佳弘がクビではない何らかの処分を受けたとしても、トンボ鉛筆に佐藤佳弘が残り続けるのであれば、この会社で働きたいと採用を希望する就活生は出てこないかもしれません。

世間の炎上を早く沈静化させることが出来たのも、佐藤佳弘のクビという処分が大きく影響したのは間違いないでしょう。佐藤佳弘本人からすればこの一連の行動は愛社精神の表れであり、まさか自分がクビになるとは夢にも思わなかったでしょう。

今までの自分のやり方で出世してきたという自負があったでしょうし、今後の出世につながると思っていたかもしれません。

トンボ鉛筆の姿勢はどうだったのか

長尾弘司は3/14に就活生を送ったお詫びのメールの中で、会社説明会の延期と書類送付締切の無効を伝えています。そして会社説明会の実施日は決定次第、再度連絡することとしました。

3/14というと、ライフラインも交通も物流も復帰予定はおろか、被害状況もすべて把握出来ていない状況の頃です。そして、テレビ番組などの娯楽やさまざまな行事が自粛されており、会社説明会の延期は当然のことでしょう。

そして、人材は会社にとって財産であること、トンボ鉛筆の人材採用は役職者や役員が関わって平等かつ公平に運用されていることを就活生に伝えたのです。

重視される企業の危機管理体制

企業が事件や不祥事を起こしたとき、その対応方法が間違っていると世間からバッシングを受け大きな影響をもたらすことになります。では、対応方法で大事なことは何なのでしょうか。

求められる対応の早さ

事件や不祥事が起こったとき、求められるのは対応の早さです。トンボ鉛筆事件も、長尾弘司の対応が早かったことが事件の沈静化につながりました。現在ではマスコミの取材や報道が過激ですが、ネットが普及したことにより世間の反応もダイレクトに広まります。

そこで対応が遅いと炎上がより激しさを増し、結果的に企業に大きなダメージをもたらします。

求められるのは対応の早さだけでなくその内容

現在では、企業や政治家にとどまらず、芸能人の謝罪会見もよくテレビで見るようになりました。企業も政治家も芸能人も、社会に大きな影響力のあることが共通しています。

何か問題が起きると謝罪や会見までの対応の早さが重視されていましたが、現在では内容にも厳しく注目が集まり、あの会見は何が言いたかったのか?処分が決まっていないのに会見をやる意味がない、処分が甘すぎるのではないかと、さらに世間を炎上させてしまうことも少なくありません。

とりあえず謝っておけば何とかなる、では済まされないのです。謝罪の内容、身内への処分の内容、原因の追究とその後の再発防止を真摯に伝え、被害者や世間を納得されることが重要になってきます。

現在では、危機管理専門の部署を設ける企業や、危機管理に関して学べるところも出てきました。何かが起きてからではなく、事前に対策をすることが求められるようになってきたのです。

社会的責任と相手を思いやる気持ち

現在、企業は自社の利益ばかり追求するだけではなく、社会的責任を果たすことが求められています。社会的責任を果たして貢献をし社会に認められることが、結果として利益につながっていくのです。

企業ばかりが社員を選ぶだけの関係は終わりました。企業にとって社員は財産です。企業が社員も思いやらなければ、社員の愛社精神など生まれません。労働力不足が深刻になっていく中、企業は働きやすい環境を整えて社員を獲得していかなければならない時代になったのです。

企業と社員は対等な関係です。それは個人対個人にも言えることです。相手を思いやる気持ちがあれば、起きなかった事件なのです。

職場であってもプライベートな空間であっても、企業と社員という立場であっても、常に思いやりをもって相手に接することが、結果的にお互いに利益をもたらすのです。

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