湊伸治容疑者の現在!女子高生コンクリート事件の加害者の今に迫る

日本の犯罪史に暗い影を落とす「女子高生コンクリート事件」。その犯人の一人、湊伸治が、再び犯罪を犯し、世間を震撼させました。罪を償ったはずの湊伸治は、どんな人生を歩んできたのでしょうか。コンクリート事件のその他の犯人の現在も追います。

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目次

  1. 1女子高生コンクリート事件とは?
  2. 2湊伸治の生い立ち
  3. 3女子高生コンクリート事件だけではなかった湊伸治の悪行
  4. 4女子高生コンクリート事件出所後の湊伸治
  5. 5殺人未遂で再び逮捕された湊伸治
  6. 6女子高生コンクリート事件その他の犯人
  7. 7湊伸治の今現在の姿
  8. 8女子高生コンクリート事件におけるマスコミの功罪
  9. 9女子高生コンクリート事件の犯人は更生したのか?

女子高生コンクリート事件とは?

昭和の幕が閉じようとしていた1988年(昭和63年)11月から翌1989年1月のおよそ40日間にかけて起きた、誘拐・監禁・致死事件が、「女子高生コンクリート事件」です。犯人が未成年の少年たちであったこともあって、センセーショナルに報道されました。

凶悪な犯罪には慣れているはずの捜査関係者も、嫌悪を驚愕を隠しきれないほどの犯行の数々。事件の全貌が明らかになるにつれ、その凄惨さに、世間は騒然となりました。

日本の犯罪史上例を見ないほど惨くおぞましい女子高生コンクリート事件とは、どのような事件だったのでしょうか。

女子高生コンクリート事件の概要

事件の発端は、1988年11月25日の夕方です。帰宅途中の女子高校生が、ヤクザまがいの不良少年にいきなり拉致されました。少年は、仲間とともに少女を仲間の自宅に監禁し、40日以上にも渡って筆舌に尽くしがたい暴行を加えました。

度重なる暴行で、全身いたるところに傷や火傷を負った少女は、立ち上がることもできないほどに衰弱し、1月4日、少年たちが憂さ晴らしに加えた壮絶なリンチの末に、命を落としました。

翌5日、少年たちは、事件の発覚を恐れ、少女の遺体をトランクに詰めたうえでドラム缶に入れ、コンクリートを流し込んで東京湾の埋め立て地に遺棄しました。3月29日、別件で逮捕されていた2少年の自白によって遺体を詰めたドラム缶が発見され、事件が発覚しました。

湊伸治の生い立ち

犯人の少年たちは、犯行当時未成年であったことから、ほとんどの報道機関では、実名を伏せて報道していました。

しかし、犯行のあまりの凶悪さから、「少年法で守る必要があるのか」と、実名報道を求める声も強く、実刑を受けた少年4人について、実名報道に踏み切ったマスコミもありました。湊伸治もその一人です。

女子高生コンクリート事件は、少女の監禁場所が、湊伸治の自宅であったことから、湊伸治の家庭や生い立ちについても注目が集まりました。両親が揃って共産党員だったことも、大きく報道されました。

父親の暴力に耐えながら成長

湊伸治は、父親、母親、兄の4人家族で、教育熱心な父親に、厳しくしつけられて育ちました。父親からは暴力も頻繁に振るわれ、泣いて逃げても追いかけてきて殴られるほどでした。

湊伸治は、家庭内暴力と紙一重の父親の暴力に怯えながら、幼少時代を過ごしました。

地元で有名な名門中学に入学

湊伸治は、難関私立高校への進学率の高さと、規律のとれた校風から、「足立区の学習院」と称された、足立区立東綾瀬中学校に進学しました。犯人の他の少年たちとは、この中学校の先輩、後輩の間柄です。

しかし、当時はまだ教師による体罰は容認されており、東綾瀬中学校は、教師が体罰で生徒を縛ることでコントロールするタイプの学校で、湊伸治は、家庭と学校の両方で高圧的な暴力にさらされて思春期を過ごしました。

工業高校1年の2学期に退学

中学校卒業後、工業高校に進学した湊伸治は、次第に不良とつるむようになり、高校1年の2学期には、すでに高校を中退していました。

この頃には父親の家庭内暴力はなくなっていましたが、入れ替わるように、湊伸治の家庭内暴力が始まり、両親は湊伸治に対して、何も言えなくなっていました。

家が不良仲間のたまり場に

湊伸治の両親は、熱心な共産党員で、共産党系の病院で薬剤師と看護師として働いており、共稼ぎで不在がちであったため、湊伸治の部屋は徐々に不良仲間のたまり場になっていきました。

湊伸治の兄も、のちに女子高生コンクリート事件の犯人となる少年たちと顔見知りであったため、兄弟の部屋があった2階には、いつも複数の不良仲間が出入りしていました。女子高生コンクリート事件で、被害女性を監禁していたのは、この、湊伸治の部屋でした。

不良化した息子の家庭内暴力に怯えていたとはいえ、自宅の2階に約40日間も被害女性が監禁されていたのに、何もしなかった湊伸治の家族に非難の目が向けられたのも当然です。

女子高生コンクリート事件だけではなかった湊伸治の悪行

女子高生コンクリート事件は、他の婦女暴行事件2件と複数のひったくり事件で逮捕されていた2人の少年が、余罪を告白したことで、明るみに出ましたが、湊伸治も、女子高生コンクリート事件以外に、犯罪を犯していました。

事件発覚時には既に少年院に

湊伸治は、女子高生コンクリート事件が発覚した3月29日には、窃盗で逮捕され、すでに少年院に収監されていました。また、女子高生コンクリート事件の判決時には、別の婦女暴行、傷害、窃盗についても有罪判決が下されています。

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女子高生コンクリート事件出所後の湊伸治

湊伸治には、女子高生コンクリート事件で、求刑懲役5年以上10年以下の不定期刑に対し、懲役5年以上9年以下の不定期刑が下されました。事件当時最年少だった湊伸治が、いつ出所したのかは定かではありませんが、20代半ばには出所していたはずです。

刑期を終えた湊伸治は、その後どのような人生を送っていたのでしょうか。

ムエタイ選手となるが活躍なく引退

湊伸治の正確な出所日時は不明ですが、2008年には、運送業のかたわら、ムエタイの選手としてデビューしました。1972年生まれの湊伸治は、このとき36歳です。湊伸治はもともと格闘技好きで、犯行現場となった自室にも、たくさんのトレーニング器具がありました。

女子高生のリンチに使われた鉄アレイも、湊伸治の部屋にあったものです。しかし、地元からデビューしたため、女子高生コンクリート事件の犯人と知られ、試合でもブーイングを浴び、所属するジムにもクレームが相次ぎました。

直接のきっかけが何かはわかりませんが、湊伸治は、ほどなくジムを辞め、選手としても引退してしまいました。

外国人と結婚?

2010年には、外国籍の女性と結婚し、子どももいるとの情報もありますが、定かではありません。もし、噂どおり娘がいるとしたら、湊伸治は、女子高生コンクリート事件をどんな思いで振り返るのでしょうか。

福祉の仕事に就く

ムエタイ選手を引退後は、福祉関係の仕事についていたという情報もありますが、こちらも真意のほどは不明です。再び、世間に姿をあらわした2018年現在は、湊伸治は定職に就いておらず、昼間からぶらぶらしている姿を目撃されていました。

殺人未遂で再び逮捕された湊伸治

2018年、湊伸治が再び逮捕されたとき、捜査関係者は騒然となりました。一般の人の記憶は薄れていたかもしれませんが、史上最悪の監禁致死事件の犯人として、湊伸治の名前は、捜査関係者やマスコミ関係者の頭に、苦々しい思いとともに刻み込まれていました。

女子高生コンクリート事件の犯人4人のうち、3人目の再犯逮捕者となった湊伸治。今度は殺人未遂での逮捕でした。

2018年車をめぐるトラブル

2018年8月19日、埼玉県川口市内の駐車場で、周囲の人が怯えるほどの怒号が響き渡りました。きっかけは駐車トラブルで、軽トラックの運転手と、駐車場にいた男が怒鳴りあっていました。駐車場の入り口に立ちふさがって因縁をつけていた男が、近所に住む湊伸治でした。

運転手と湊伸治は掴みあいになり、殴ったり殴られたりの騒ぎになりましたが、そこに軽トラックの助手席にいた男性が止めに入りました。彼が、この事件の被害者です。

相手の首をナイフで刺す

湊伸治は、護身用に持っていた特殊警棒で、仲裁に入った32歳の男性を殴り、馬乗りになって折り畳みナイフで男性を刺し、あと5mmずれていたら死んでいたかもしれないほどの傷を負わせました。

被害男性は自力で警察に通報し、駆けつけた警察官が駐車場に残されていた車輌から湊伸治を特定し、部屋を訪ねたところ、犯行を認めたため、緊急逮捕されました。

湊伸治は、刺したことは認めましたが、殺意は否定していましたが、結局殺人未遂での逮捕されました。

警戒していた近隣住民

湊伸治は、事件当時近くのアパートで独り暮らしをしていましたが、仕事もせずぶらぶらしている湊伸治を、近隣住民は不気味な思いで見つめていました。

女子高生コンクリート事件の犯人と知っている人は少なかったようですが、どこか不穏な空気をまとった湊伸治は、同じアパートの住民からも敬遠されていたようです。

真夜中に床を踏み鳴らしたり、大声で叫んだり、意味不明なことを話しかけたり、湊伸治は奇行も目立ち、2018年の事件の当日は、真下の部屋に住む住人とも騒音トラブルで揉めていました。

女子高生コンクリート事件その他の犯人

女子高生コンクリート事件は、15歳から18歳の少年4人が起こした、稀に見る重大事件です。事件が発覚したのは、平成になって間もないころでした。犯人への極刑を望む声も多い中、判決は最長で懲役20年でした。当時少年だった犯人たちは、全員が刑期を終えています。

とっくに社会に戻っている女子高生コンクリート事件の犯人たち。再犯で逮捕された湊伸治以外の元少年は、現在どうしているのでしょうか、

宮野裕史(横山裕史)の現在

女子高生コンクリート事件の主犯で、懲役20年の実刑を受けた宮野裕史は、出所後養子縁組によって苗字を変え、現在は横山裕史を名乗っています。

2009年に出所後は、ボクシングジムに通う姿が度々目撃されており、高級時計を身につけ、外車を乗り回すなど、派手な生活が伝えられていました。

2013年に振り込め詐欺グループの一員として逮捕されましたが、末端要員であったためか、不起訴になっています。

小倉譲(神作譲)の現在

女子高生コンクリート事件で、懲役5年以上10年以下の不定期刑を科された小倉譲も、出所後養子縁組によって姓を変え、現在は神作譲となっています。

出所後はコンピューター会社でアルバイトをしたりしていましたが、人間関係に行き詰って退職、その後は暴力団事務所に出入りする姿が目撃されています。

2004年に、知人の男性を暴行の上拉致し、母親が経営する三郷市のスナックに5時間にわたって監禁し暴行を加えた、俗に三郷市逮捕監禁致傷事件で、逮捕、起訴され懲役4年の実刑を受けました。2009年に出所しましたが、その後の消息は不明です。

渡邊恭史の現在

5年以上7年以下の判決を受けた渡辺恭史は、1996年(平成8年)に出所後、引きこもるようになり、精神を病んだとの情報もありますが、現在の消息は不明です。

湊伸治の今現在の姿

女子高生コンクリート事件発覚から30年、平成が終わる今、事件はまだ深い闇を生み続けています。罪を償ったはずの犯人たちのうち多くが、再び罪を重ねています。

わずか15歳(少女監禁中に誕生日を迎え、事件発覚当時は16歳)で、史上最悪とも呼ばれる凶悪犯罪を起こした湊伸治。更生を主眼とした少年法での裁きを受けた湊伸治は、45歳になった今、今度は成人として、裁かれることになりました。

逮捕時は一人暮らしで無職

30代半ばで結婚し、家庭を持ったとの噂もある湊伸治ですが、埼玉県川口市のアパートでは、一人暮らしでした。もし、噂通り、外国籍の女性と結婚し、子どもがいたとしても、すでに離婚していたようです。

仕事は、テキ屋まがいのことをしていたこともあると言われていますが、実際には無職だったと思われます。

現在もまだ服役中

2018年に、無関係な男性に因縁をつけ、暴行を加えた上にナイフで刺し、殺人未遂で逮捕された湊伸治は、懲役4年の実刑判決を受け、現在もまだ服役中です。

何事もなければ、2022年には釈放されるでしょうが、その時、湊伸治は、今度こそ更生し、正しく生きていけるのでしょうか。

女子高生コンクリート事件におけるマスコミの功罪

事件当時犯人の全員が未成年であったことから、犯人の少年たちを特定できるような情報は、いっさい報道されませんでした。

一方で被害女性は、顔や名前はおろか、学校や家族構成まで世間の目にさらされ、一部の悪意に満ちた報道は、あたかも被害女性にも非があったかのように世間をミスリードし、被害女性は、死してなおその尊厳を傷つけられました。

犯罪の凶悪さから、犯人の実名報道の可否は当時も話題になりましたが、多くの報道機関は、少年法に基づき、実名での報道を控えました。実名報道に踏み切った報道機関には、賛否両論が寄せられましが、当時の実名報道が未成年犯罪の抑止力になたとは思えません。

女子高生コンクリート事件の犯人は更生したのか?

女子高生コンクリート事件には、まだ多くの人間が関与していましたが、結局逮捕されたのは4人の少年だけでした。犯人の少年たちの不良仲間の中には、彼らと同じように、積極的に事件に関わったとされる者もいますが、何の咎めも受けずに生活しています。

罪に問えるかどうかは別にしても、湊伸治の兄も、その両親も、少女が監禁されていると知りながら、助けることができませんでした。

知人を拉致監禁し、暴行を働いた小倉譲(神作譲)は、「女子高生コンクリート事件の犯人は自分だ」と、得意気に吹聴していたと言います。

少年法については、未成年による悲惨な事件が起きるたびに繰り返し議論されますが、少なくとも女子高生コンクリート事件の犯人たちが更生したとは言えません。

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