2019年07月21日公開
2019年07月21日更新
いつ死んでもいいという人の心理!明日死んでも構わない?
「いつ死んでもいい」という思いを持っていたり発言をしたりする人がいます。この「いつ死んでもいい」という人はどのような心理なのでしょうか。また、それに関連するエピソードやいつ死んでもいいと思う人がすること、思うことのメリットなどをご紹介します。

目次
いつ死んでもいいと思えるのは良いことなの?
「いつ死んでもいい」と思っている人、そう発言する人がいますが、それは良いことなのでしょうか。「死ぬ」というとどちらかと言えばネガティブな印象のある言葉だけにその良し悪しは難しい部分があります。
ただ、「いつ死んでもいい」という言葉については基本的にはネガティブな意味ではなく、良い意味、良い場面で使われることの多い言葉となっています。
そんな「いつ死んでもいい」と思う人の心理やエピソード、さらにいつ死んでもいいと思う人がすることや、そう思うことのメリットなどをご紹介しますので、ぜひチェックしてみてください。
いつ死んでもいいと思う人の心理
まずはいつ死んでもいいと思う人の心理を見ていきましょう。どんな気持ちでどんな心理で「いつ死んでもいい」と思っているのか、という部分になります。
とても嬉しいことがあって大満足している
いつ死んでもいいと思う人の心理には、「とても嬉しいことがあって大満足している」というものがあります。とても嬉しいこと、というのは人によって様々ですが、とにかく大満足、大喜びするほど嬉しいことです。
人によっては、大ファンのアイドルに会えたときに「あぁ、もう死んでもいい」という発言をする人もいますし、大好きだった人と両思いだったことが分かって「もういつ死んでもいい」と思う人もいます。
嬉しさのあまり、そしてもうこれ以上に嬉しいことなんて想像もできないほどだから、「いつ死んでもいい」と考えているのです。
目標や夢が叶って喜びを噛みしめている
いつ死んでもいいと思う人の心理には、「目標や夢が叶って喜びを噛みしめている」というものも挙げられます。ずっと目標としていたもの、努力を続けていたものが報われて夢が叶ったという状況です。
その目標や夢が大きいほど、そしてそれに向かって突き進んできた、努力してきた時間が長いほど、それが叶ったときには「もういつ死んでもいい」と思えるのです。
ですから、そのときの喜びを大いに噛みしめている心理がもういつ死んでもいいと思っている人にはあります。
人の成長など何かを見届けたときの心理
いつ死んでもいいと思う人の心理には、「人の成長など何かを見届けたときの心理」があります。自分のことではなく、とても親しい関係の誰かが何かを成し遂げたなどのことがあったときの心理です。
よく挙げられるものは、親が子どもの成長を見届けたときなどに感じるもので、これもたとえば「子どもがずっと頑張ってきた夢が叶った」などのタイミングにこのような心理を持ちます。
実際には、その後の成り行きを見たい気持ちもあれば、引き続き応援する気持ちもあるので、死んでもいいわけではありませんが、「それくらい自分のことのように喜んでいる」ということです。
すべて・何も思い残すことはない
いつ死んでもいいと思う人の心理には、「すべて・何も思い残すことはない」というものがあります。これは特に具体的なものではありませんが、とにかく思い残すことがなく、まったく悔いがな状態です。
これは喜びを表しているとか、嬉しさが最大級になって「その比喩表現」として、いつ死んでもいいと言っているのとは違って、本当の意味で「いつ死んでもいい」と思っています。
それくらい何も思い残すことがない状態というのは、幸せで充実な人生を送っていて「最後の時」を迎えられた、最後の時が近い人が感じることの多い心理になります。

【年代別】いつ死んでもいいと思ったエピソード
「いつ死んでもいい」と思うタイミングには様々なものがあります。そしてその思いについてはその年代別に変わってくるものがあります。
やはり基本的には若いほうが「いつ死んでもいい」と思う理由が軽いものが多く、歳を重ねるほどに重い理由が多くなっていきます。
とは言え、「そのときは」そう考えるくらいに感情が動くものですので、その気持ちに嘘はなく客観的に見て軽い重いはあるものの、その内容に優劣はありません。このエピソードについては重いものをご紹介します。
10代のエピソード
「いつ死んでもいい」と思ったエピソードで10代のエピソードには、恋人と関連するものが多くなります。
大好きな彼氏と付き合っていて、別れてしまった。そして、その別れた理由というのが「親友だと思っていた友達に彼氏を取られた」という理由だった。こんな裏切りに遭った私は「もういつ死んでもいいや」と思った。
というようなエピソードが挙げられます。まだ10代ですとこれから先に「もっと素敵な恋人」に巡り合う可能性も高いのでそこで「死んでもいい」というのは絶対にNGですが、多感な時期というのは心も不安定なものです。
20代のエピソード
20代の頃に交通事故に遭ったことをきっかけとして「いつ死んでもいい」と思えるような生き方をしようと思ったというエピソードもあります。
帰宅の途中にトラックに跳ねられて、相当な大事故だったにも関わらず「奇跡的に」助かり、医者などからも「助かったのは本当に奇跡で運が良かった」と告げられた経験から人の生き死には一瞬だと悟ったというものです。
そんな一瞬のことでさっきまで元気にしていた人が「死」を迎えるのだから、いつ死んでもいいと思えるような生き方をしようと考えたというエピソードです。
30代のエピソード
家が自営業で10代の頃から家の手伝いのような形で働いており、20代になったらそのまま就職のような形でずっと家業を支えていたという人のエピソードです。
25歳のときに父親が突然の事故でなくなり、その後、母と自分で切り盛りしていたけれど自分が30代になったときには、母親も病気で亡くしました。そして、34歳のときに不況のあおりを受けて経営が回らなくなって廃業となるのです。
あれだけずっと頑張ってきて、母親は病気になるまで頑張ってきたのに結果が「これ」ならもういつ死んでもいいかな、と思ったというエピソードです。
40代のエピソード
40代のエピソードとしては、「介護」が関わることも多く、特に義親の介護をしている嫁である女性は「もう死んでもいい」と思ってしまうことが多いようです。
どれだけ頑張って介護しても「嫌味」のようなことを言われ、その義親の息子である夫は何の協力もしてくれなければ、自分の味方もしてくれない。
こんな状況で「まるで召使い」のような生活を続けるくらいなら、「もういっそ死んでしまったほうが」というようなことを考えてしまうというものがあります。
いつ死んでもいいと思う人がすること
いつ死んでもいいと思っている人というのは、どのような行動や考え方をしているのでしょうか。いつ死んでもいいという気持ちが生む行動を確認していきましょう。
ハイリスク・ハイリターンな投資
「いつ死んでもいい」と思っているので、そのような人は「ハイリスク・ハイリターンな投資」を怖がらずにすることができます。
投資というと株式投資やFX、不動産投資などが思い出されますが、そういったものはもちろんのこと、人や事業に投資するということも含まれます。
また、その人や事業の対象は「自分自身」だったり、「自分の事業」だったりすることもあり、それによって大きな成功、または大きな失敗どちらも起こり得る状態となります。
目標や夢のさらに上を目指す
目標や夢を実現できて大きな満足を得られたからこその「いつ死んでもいい」という気持ちがあったとしても、そこで終わらないことも多いです。
もう「いつ死んでもいい」と思えるほどの結果を残せたので、その先はもし失敗したとしてもそれほど心にダメージを負うこともありませんから、思い切ってさらに上を目指すことができます。
もちろんこれにおいても、さらに上に到達できることもあれば、悪い方へ転んでしまう可能性もあります。
周りに無理だと思われることへの挑戦
「いつ死んでもいい」と思っている人というのは、先にもお伝えしたように「すでに満足している」もしくは、「もうどうでもいい」と思っているので、周りに無理だと思われるようなことへも挑戦できます。
周りが見たり聞いたりしたら「そんな無謀なことはやめたほうがいい」というようなことにも果敢に挑むことができるのです。
これは非常に大きな強みではありますが、当然失敗もあり得ますので諸刃の剣となる行動ともなります。
いつ死んでもいいと思うことのメリット
「いつ死んでもいい」と思えている人、そのような気持ちになっている人というのは、どのようなメリットがあるでしょうか。ここまでにも触れている内容もありますが、改めて確認していきましょう。
何事にも臆さず挑戦できる
いつ死んでもいいと思うことのメリットには、「何事にも臆さず挑戦できる」というものがあります。これは先に挙げた投資もそうですし、さらに上を目指す、無理だと思われることへの挑戦などすべてがそれに当たります。
世の中には「死ぬよりも辛いこと」というのも人によってはありますので、「死んでもいい」と覚悟すれば何でもできるというわけではありませんが、多くのことは「死ぬ覚悟があればできる」ものが多いです。
さらなる幸せを得ることができる
これも「何事にも臆さず挑戦」できるからこそですが、何かを守ろうとする、守るものがあるという人は意識、無意識に限らず行動を制限するものです。
「もしあそこで行動していればこれが得られた」というものがあったとしても、守りに入っている人というのはそのチャンスを逃します。
ですが、「いつ死んでもいい」と思っている人はすぐに行動に移すことができますので、そのチャンスを逃すことがありません。
人に優しくできる
「いつ死んでもいい」と思っているので、自分の幸運を逃すことになろうとも、不幸になるようなことがあろうとも、気にすることなく「人に優しく」することができます。
人のためにあらゆることができ、人のために自分の時間や労力、お金を使うこと、犠牲にすることができます。
優しさでできる場合と、投げやりな気持ちでやる場合がありますが、どちらでもその行為を受けた相手にとって「大きな感謝」に繋がる行動であれば、相手によってはとても優しい行動となります。

いつ死んでもいい人生にする方法
いつ死んでもいいと思えるような人生にするためにはどうしたら良いのでしょうか。重い内容、辛い内容からの「いつ死んでもいい」ではなく、前向きな・ポジティブな「いつ死んでもいい」についてご紹介します。
夢や目標に挑戦し続ける
「いつ死んでもいい」と思えるような人生にするためには、「夢や目標に挑戦し続ける」ということが大切です。
どれだけ一生懸命努力しても叶えられない夢や目標もあります。挑み続けて叶えられなかったら余計に悔いが残る可能性ももちろんあります。
ですが、「挑戦しなくては絶対に叶わない」のです。ですから、それを達成したときの「いつ死んでもいい」という思いを得るためには挑戦し続けるしかありません。
できる限りの努力を惜しまない
こちらも「挑戦し続ける」というものに似ていますが、「できる限りの努力を惜しまない」ということも、いつ死んでもいいと思える人生にするためには必要なことです。
やはり努力したからといって必ず良い結果が得られるとは限りませんが、努力したことにより得られるものというのは必ずあります。結果だけではなく、経験や技術、見識が広がるなど様々です。
本来求めていた結果とは違っていても、他の人が羨むようなものは手にできる可能性もあります。そして、それを利用してまた他に掴めるものがあれば本来の結果に繋がることもあります。努力を惜しまないことでそこに繋がるのです。
やりたいと思ったことはやる
寿命を全うして、人生の終末を迎える人が「最後に後悔したこと」によく挙げられるのが、「もっとやりたいことをやればよかった」というものです。
「やらなきゃいけないこと」ではなく、「やりたいこと」をやるべきだったと言います。本当はやりたいと思っていることを何かと理由をつけてやらずにいると人生の最後で後悔することになるのです。
つまり、それはやりたいこともやらずに人生の途中で「いつ死んでもいい」と思えるはずがないということになります。「やりたいことはやる」それが、いつ死んでもいいと思える人生に繋がるのです。
人を本気で応援する
自分自身のことでも「いつ死んでもいい」と思えるものはありますが、「本気で」人を応援することで、その人が何らかのことを達成する、獲得することで同じように満足感を得ることもできます。
自分ではなく「人を本気で応援する」ことでいつ死んでもいいと思えるような満足感と達成感を得ることもできるのです。
ただ、それを得るためではなく、そういった邪念のようなものはなく、純粋に本気で応援しないとそこまでの気持ちになることはないでしょう。
「死なない覚悟」も実は大切
「いつ死んでもいい」という気持ちを持っていることは、すでに幸せを得ていて、そして満足しているという状況が多いです。そしてその状況だからこそ得られるメリットもあります。
ですが、言い方を変えれば「死ぬこと」は誰にでもできるのです。その状況は「やぶれかぶれ」になって無謀なことをやってしまうということもあり得ます。
「死なない覚悟」を持って、それでも挑戦し続けることのほうが難しく、そしてそれを達成するためには、挑戦することと慎重さ、丁寧さも同時に求められます。難しいことですが、そちらのほうが良い結果をもたらすことも多いです。
いつ死んでもいい状況にはどちらの面もある
今回ご紹介した「いつ死んでもいい」についても内容は、エピソードについては重いものをご紹介しましたが、ポジティブなものを中心に取り上げました。
「結果としてそう思える」というだけで、いつ、どのタイミングで、何がきっかけでそう思えるかは確定的に言えるものではありませんが、ここでご紹介した内容も参考に目指してみてください。
また、ネガティブないつ死んでもいいにならないように、充実した、ポジティブな「いつ死んでもいい」人生にできるように進んでいきましょう。