下村(中村)早苗の生い立ちから現在!大阪2児餓死事件の加害者のその後

母親の育児放棄による大阪2児餓死事件が引き起こされた背景には、加害者・下村早苗の壮絶な生い立ちが引き金になったと考察されています。本文では、事件の加害者・下村早苗の生い立ちから、事件発生の経緯、中村に改姓した現在について説明しています。

下村(中村)早苗の生い立ちから現在!大阪2児餓死事件の加害者のその後のイメージ

目次

  1. 1大阪2児餓死事件とは
  2. 2大阪2児餓死事件・下村早苗の生い立ち
  3. 3下村早苗の父親と母親
  4. 4下村早苗の幸せな結婚・子育て生活の崩壊
  5. 5誰の援助も受けられなかった下村早苗
  6. 6大阪2児餓死事件への経緯
  7. 7子供2人を放置し続けた下村早苗の行動
  8. 8大阪2児餓死事件・下村早苗のその後
  9. 9育児放棄(ネグレクト)とは
  10. 10大阪2児餓死事件によって見えてきた社会問題

大阪2児餓死事件とは

2010年7月30日、大阪府・大阪市西区にあるマンションの一室にて発生した母親の育児放棄による2児の餓死事件は、後に「大阪2児餓死事件」と呼ばれ、連日のようにテレビの報道番組に取り上げられ、多くの注目を集めた事件でした。

以下では、大阪2児餓死事件の加害者となった下村(中村)早苗さんの生い立ちや、下村さんの両親、結婚・離婚から育児放棄に至った経緯から現在の下村早苗さんについて説明します。

大阪2児餓死事件の概要

大阪2児餓死事件とは、逮捕された母親の下村早苗さんの育児放棄によって、当時3歳と1歳9か月の幼い姉弟がマンションの一室にて、遺体となって発見された事件です。

同じマンションに住む住民の通報によって発覚した一連の事件は、連日のように報道が行われ、下村さんに対する怒りの声が世間を取り巻く一方で、下村さんの知られざる生い立ちや父・下村大介さんとの関係やシングルマザーとしての苦悩にも注目されました。

大阪2児餓死事件・下村早苗の生い立ち

連日のように報道された大阪2児餓死事件について、世間では、下村早苗さんの身勝手な行動に腹立しさを覚えたでしょう。

しかし、現在では、下村さんが幼い子供2人を育児放棄し、死亡させるに至った経緯には、下村さん自身が受けた壮絶な生い立ちが関係しているとの見方がなされています。

小学校低学年で両親が離婚

下村早苗さんは、ラグビー部の名監督・下村大介さんの長女として生まれ、下村さんが小学生の時に両親が離婚します。

離婚の原因となった実母は、下村早苗さんら3姉妹の育児を放棄し、連日のように朝帰りを繰り返していたと言われています。

その後、父親の再婚を受けて、継母とその連れ子との同居が始まるも、継母は、自分の子供と3姉妹をあからさまに差別しており、3年後に家を出ていきました。

中学では非行グループとつるむ

母親の育児放棄を原因とする離婚、父・下村大介さんの再婚相手との不仲や3年に及ぶ同居生活、監督業に専念するあまり家庭を顧みない父親に代わって妹2人の面倒を見ていた下村早苗さんは、中学に入ると非行に走り始め、次第に荒れた姿を見せていきます。

夜遊びに始まり、学校も次第に不登校気味になる中、家出も頻繁に見られ、その都度、父・下村大介さんが下村さんを迎えに訪れていました。

娘の非行について、父親である下村大介さんは、親としてしつけをするどころか、娘が非行に走っ原因を、学校の責任であると一方的に押し付けては、家庭を顧みることがなかったと言われています。

高校は関東の私立高校に入学

次々に変わる家庭環境と孤独な幼少期が、中学生の下村さんを非行に走らせた原因とは考えなかった父・下村大介さんは、子育てから逃げるように下村早苗さんを知人へ預け、関東の私立高校に進学させました。

下宿先の知人の家で温かく迎え入れられた下村さんは、下宿先でも時折家出を繰り返すも、中学時代に比べて落ち着きを見せていたと言われています。

卒業後は割烹店に就職

関東の私立高校へ入学したことを機に、落ち着きを見せた下村早苗さんは、高校を卒業すると地元・三重県へ戻りました。

そして、地元の割烹店で働きはじめた下村さんは、客として来ていた当時大学生の元夫・羽木直樹さんと知り合います。

当時大学生の羽木直樹と結婚し子供を産む

羽木直樹さんと知り合ってから間もなく、下村早苗さんの妊娠を機に2人は結婚、長女を授かります。

当時の下村早苗さんについて、周囲からは、夫・羽木さんや義理の両親との関係も良好だったことが伺われ、「理想の子育て」と称されるほど、順調な人生を歩んでいるように思われていました。

下村早苗の父親と母親

下村早苗さんが引き起こした育児放棄による2児餓死事件が引き起こされた背景には、下村さんが持つ壮絶な生い立ちが影響しているのではとも言われています。

以下では、下村早苗さんの父親・下村大介さんと実母のついて紹介します。

父親・下村大介

下村早苗さんの父・下村大介さんは、地元では不良の巣と言われたラグビー部を、全国高校ラグビー花園出場の常連校に育てあげた熱血教師であり、私生活では3人の娘を育てるシングルファーザーとして、世間で大きな注目を集めました。

しかし、私生活では、ラグビー部監督としての忙しさを言い訳に、下村さんたち3姉妹の育児やしつけには関与する素振りを見せなかったと言われています。

2010年の大阪2児餓死事件の時にも、逮捕された娘・下村早苗さんの実の父親でありながら身元引受人を拒否していたことは、世間に大きな衝撃を与えました。

そして、ラグビー部指導に夢中になるあまり家庭を顧みず、育児放棄にも捉えかねない下村大介さんの娘や周囲に対する言動、そして、事件発生後も他人事のようにラグビー部監督に復帰した姿は、現在も多くの人々から批判的な声が挙げられています。

実の母親

下村早苗さんが一連の事件を引き起こしたきっかけに、実母の育児放棄を始めとする壮絶な生い立ちが挙げられます。

下村早苗さんが5歳の時に両親が別居、3姉妹は実母と共に暮らし始めるも、夜遊びや不倫により度々外出をしていた実母の行動は別居後も改善されることはなく、娘3人の育児を放棄して頻繁に外出していたことが語られています。

下村早苗さんの両親の離婚の原因は、早苗さんたち3姉妹の実母による育児放棄や不倫が原因とされていますが、実母がそのような経緯に陥った理由に、夫・大介さんから受けていたDVが原因だとも言われています。

下村早苗の幸せな結婚・子育て生活の崩壊

夫婦の良好な関係に、育児にも積極的に取り組む下村早苗さんの姿は、周囲のあこがれの的であり、下村さん自身も人生で一番幸せな時期だったと推測されます。

以下では、下村早苗さんの結婚生活から、第2子出産から始まった精神的な不安、離婚に至った経緯について説明します。

幸せな結婚生活

良好な夫婦生活に、義理の両親や行政の子育て支援・サポートなどを受け、順調に子育てをする早苗さんの様子は、まさに人生で一番幸せな時だったと語られています。

また、「当時は育児の悩みなかった」と回想したように、早苗さんについて周囲から理想の子育てと評されていました。

自身の壮絶な生い立ちが、良い形で育児に反映されたと推測される一方、幸せな時は長く続きませんでした。

二人目の出産から始まった夜遊び

一見、順調に見えた下村早苗さんの人生は、2人目の出産を機に歯車が大きく狂い始めます。

出産後も夫婦仲は良好であり、幸せそのものに見えた下村さんは、この頃から人間関係に悩みを抱え始めていました。

そして、古い友達との連絡のやりとりから始まり、しばらくして子供を置いて夜遊びに走り、朝帰りを繰り返すようになります。
 

不倫が発覚し離婚

物心ついた時から、嫌なことがあると家出を繰り返していた下村さんの行動は、結婚して2児の母親になっても改善されることなく、2人の出産を機にその衝動が、下村さんに襲いかかりました。

そして、現実逃避するかのように家出を繰り返す下村さんの行動は、やがて不倫を招く事態にまで発展し、その事実を知った羽木さんは、下村早苗さんに離婚を言い渡しました。

二人の子供を連れて風俗店を渡り歩く

自分の不始末で離婚に至った下村早苗さんに元夫・羽木さんから慰謝料は支払われず、下村さんは、子供2人を抱えながら働く現実を突きつけられます。

しかし、卒業後間もなく結婚・育児を経験した下村さんには、稼ぎの良い仕事に就けるだけの学歴やキャリアはなく、稼ぎの良い風俗店を渡り歩く生活を強いられます。

名古屋の風俗店でキャバクラ嬢として働き始めた下村さんにとって育児との両立は、苦労の連続でした。託児所に子供を預かってもらいながら、夜の仕事で生活費を稼ぎ、昼間は子供を公園に連れて行くなど、子育も必死に行なっていました。

誰の援助も受けられなかった下村早苗

夜はキャバクラ嬢として働き、昼間は子供達の世話に追われていたその頃の下村早苗さんには、誰からの援助を受けることが出来ず、孤立を深めていた時期でもありました。

自分のことで精一杯だった実母

20歳でシングルマザーとなった下村早苗さんは、家庭を顧みず折り合いも悪かった父親を含めて頼れる人間が、周囲にいませんでした。

また、再婚し別の家庭を持った実母は、再婚相手との子供がいることや、精神的に不安定な状態から、実母に子供を預けて働きに出ることも難しかったと言われています。

元夫・羽木直樹から養育費もなし

下村早苗さんが離婚に至った原因は、彼女の夜遊びや不倫、消費者金融からの借金をしていたことが挙げられ、下村さん側に非がありました。

よって、下村さん側の非を理由に離婚が成立したことから、元夫・羽木直樹さん側に、慰謝料や養育費の支払いは発生せず、下村さんは経済的にも窮地に追い詰められていました。

大阪2児餓死事件への経緯

父親・下村大介さんや元夫・羽木直樹さんからも一切の支援を受けられなかった下村早苗さんは、肉体的・精神的に加え、経済的にも極限まで追いつけられていました。

そして、長女の不注意からアパートの床を水浸しにしてしまう事故が発生し、修繕費や家賃を払う経済的余裕なかった下村さんは、幼い姉弟を連れて名古屋から大阪に夜逃げしてしまいます。

稼ぎの良いファッションヘルスで働き出す

夜逃げして大阪に着いた早苗さんは、子供2人と大きな荷物を抱えて風俗店を訪れ、採用面接を受けます。そして、店から提供された寮に子供たちと住みながら、ファッションヘルスとして働き始めます。

この頃から、下村早苗さんの精神状態に異常が見られ、仕事のために子どもを預けていた託児所の職員の対応が悪かったことを理由に、以降は子供たちを託児所に預けず、お店の一室に置きながら仕事をしていたと言われています。

稼いだお金でホストクラブに通う

大阪の風俗店で働き始めた下村早苗さんは、客として出入りしていたホストと恋仲になります。

ホストとの恋に夢中になる下村さんは、次第に育児に手を抜き始め、男性の自宅へ連日に渡り外泊を続けるようになります。

そして、下村さんの夜遊びは、次第にホストクラブ通いにまで発展し、借金を抱え込むことになりました。

子育てが面倒になり子供を放置し家出

ホスト遊びによる華やかでおしゃれな生活をSNS上で表現する一方、理想の子育てとも言われた下村早苗さんは、遊ぶことを最優先に考え、子供たちを放置して家を空ける頻度が多くなりました。

そして、子供たちを煩わしく感じるようになった下村さんは、2010年6月9日の帰宅を最後に、子供たちを放置して50日に及ぶ家出を決行します。

幼い姉弟に食料を与えた下村早苗さんは、リビングと玄関に通じる廊下の境にある扉にガムテープを貼り、子供たちが外へ出ないように部屋に閉じ込めた後、家を出ていき、知人の元を転々する生活を送り始めました。

帰宅して2児の遺体を見て更に放置

下村早苗さんが家出を決行してから50日後、お店の上司から連絡を受けた下村さんは、ようやく帰宅し子供たちの変わり果てた姿を目撃しました。

子供たちの姿に衝撃を受けた下村さんは、お店側に部屋に入らないようにと連絡を入れ、どこかへ去っていき、子供たちの遺体を更に放置しました。

風俗店の同僚が2児の遺体を発見

一方、下村早苗さんから連絡を受けたお店側は、下村さんの不可解な言動を怪しみ、様子を見に早苗さんの部屋を訪れた同僚によって、幼い姉弟の遺体が発見されました。

遺体が発見された部屋は、ゴミや汚物が散乱し、わずかに残された床の上で子供たちは生活していたことが明らかにされています。

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子供2人を放置し続けた下村早苗の行動

下村早苗さんの子供たちについて心配の声を漏らしていた上司や、部屋を訪ねてきた同僚たちによって育児放棄による子供たちの悲惨な姿が発見され、日本中が関心を寄せた大事件へと発展しました。

一方、子供たちの変わり果てた姿を目撃したにも関わらず、その場から逃げ去り、何事もなかったのように振舞っていた下村早苗さんの行動に、多くの人が怒りを覚えました。

頻繁にmixiやブログを更新

下村早苗さんに育児放棄が見られ始めた頃、SNS上ではホストクラブでの遊びを始め、華やかな生活が頻繁に投稿されていたことが明らかにされています。

また、子供たちの遺体を目撃した当日も、頻繁にSNSが更新されており、まるで現実逃避をしているかのように、華やかな姿を投稿していました。
 

2児の遺体を発見した後も男の元へ

アパートで2児の遺体を目撃後、足早にその場を去って行った下村早苗さんは、その晩に男性と会う約束をしていました。

そして、遊ぶ約束をしていた男性の元に向かった下村さんは、何事もなかったかのように、相手の男性とホテルで一夜を過ごしました。

大阪2児餓死事件・下村早苗のその後

勤務先の通報によって、翌日逮捕された下村早苗さんの一連の育児放棄は、大阪2児餓死事件と言われ、連日のようにニュース等で報道がなされました。

世間では、育児放棄による幼い姉弟の死を悲しむ傍ら、母親であり加害者になった下村早苗さんが、ラグビーの名監督・下村大介さんの娘であることから、多くの注目が寄せられました。

懲役30年の実刑判決を受け服役中

大阪2児餓死事件の容疑者で、死体遺棄及び殺人罪で起訴された下村早苗さんは、2012年の最高裁にて、有期では最長となる懲役30年を言い渡されます。

一連の事件をニュース等で見聞きしてきた世間からは、厳しい意見や怒りが飛び交う中、恵まれなかった生い立ちや誰も頼る人がいなかった早苗さんは、子供たちを餓死させてしまったことに対する反省や償いの言葉を述べており、現在も刑務所で服役中です。

現在下村早苗は中村早苗に

刑務所で服役中の下村早苗さんは、現在、養子縁組によって中村の姓を名乗っています。

下村早苗さんが養子縁組を行なったいきさつは、刑務所内の部屋で同じ部屋だった40代の女性・中村さんとの関係にありました。

中村さんは、下村さんが刑務所に入って一か月後に出所しましたが、その後も下村さんとは文通によってやり取りしており、中村さん夫婦の意向によって養子縁組が成立しました。

育児放棄(ネグレクト)とは

大阪2児餓死事件を始め、日本では親たちの育児放棄(ネグレクト)による子供の死亡事件が社会問題になりつつあり、現在も多くの子供たちがSOSを挙げています。

以下では、下村早苗さんの生い立ちでも触れた育児放棄(ネグレクト)について、詳しく紹介します。

育児放棄(ネグレクト)の定義

育児放棄(ネグレクト)とは、保護者である親が、子供に食事を与えないことや、部屋に閉じ込めるなど、適切な養育を行なわないことを指します。

育児放棄は、外部の人間から発見されやすい身体的暴力や、性的暴力、心理的暴力と並ぶ、児童虐待の1つに該当します。

しかし、現在の日本で度々ニュースに取り上げられる機会の多い、身体的暴力による児童虐待とは異なり、適切な養育を行なわない育児放棄(ネグレクト)は、周囲の人間が子供の異変に気付きにくく、発見が遅れてしまうケースがあります。

育児放棄(ネグレクト)にあたる行為

育児放棄(ネグレクト)にあたる行為として、子供に衣食住の基本的な養育を行なわない一般的ネグレクトや、子供の安全を確保できていない環境ネグレクト、適切な治療や診察を受けさせない医療・保健ネグレクト、子供を学校に通わせない環境ネグレクトなど多岐にわたります。

育児放棄(ネグレクト)による子供への影響

保護者である親の育児放棄(ネグレクト)による子供の成長に及ぼす影響は、十分な栄養が取れないことによる発育の遅れは勿論、精神的な面でも表れます。

育児放棄(ネグレクト)を受けた子供は、親の愛情不足により言葉や学力のように知的発達に遅れが生じたり、親子関係が上手く築けなかったことによる人間関係のつまずきが見られます。

また、大阪2児餓死事件の加害者で現在服役中の下村(中村)早苗さんのように、ネグレクトを子供に行なってしまう親の傾向として、親自身もネグレクトを受けながら成長した経緯を持っていることが挙げられます。

このように、親のわがままによって引き起こされると考えられてきた育児放棄について、現在は、親自身が受けた幼少期の体験にも原因があるとも考えられています。

育児放棄(ネグレクト)を引き起こす原因

育児放棄(ネグレクト)を引き起こす原因は、現在も問題が深刻化を見せる貧困や孤立などの家庭環境をはじめ、育児によるストレスや疲れが多く見られます。

一方で、生まれてきた子供に重い障害や病気があり、それらを原因とする子育ての難しさから、虐待・ネグレクトに発展するケースもあります。

ここまで育児放棄(ネグレクト)について説明しましたが、下村早苗さんの生い立ちや置かれた状況は、まさにネグレクトを引き起こしやすい環境だったとも考察されています。

大阪2児餓死事件によって見えてきた社会問題

ここまで大阪2児餓死事件の加害者・下村早苗さんの生い立ちや両親、結婚から離婚、育児放棄に至った経緯と、その後の下村(中村)早苗さんについて説明しました。

下村早苗さんが起こした一連の事件は、決して許されることではありませんが、現在も様々な理由で育児放棄に至ってしまう保護者が多く存在し、他人事では済まされない社会問題となりつつあります。

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