畠山鈴香の生い立ちから現在まで【秋田児童連続殺害事件】

畠山鈴香という名前を聞いて、思い当たることはあるでしょうか?十数年前に起きた秋田児童連続殺害事件の犯人です。秋田児童連続殺害事件とはなんだったのか、畠山鈴香はなぜ事件を起こしたのか、畠山鈴香の生い立ちから現在までを見ていきましょう。

畠山鈴香の生い立ちから現在まで【秋田児童連続殺害事件】のイメージ

目次

  1. 1秋田児童連続殺害事件とは?
  2. 2幼い子供を2人も殺した畠山鈴香の生い立ち
  3. 3畠山鈴香の高校生活がわかる卒業の寄せ書き
  4. 4高校卒業後の畠山鈴香
  5. 5畠山鈴香の犯行の動機は何だったのか?
  6. 6畠山鈴香への判決
  7. 7畠山鈴香の家族・畠山鈴香の現在
  8. 8なぜ罪のない子供が犠牲になるのか
  9. 9秋田児童連続殺害事件の犯人は現在服役中

秋田児童連続殺害事件とは?

秋田児童連続殺害事件とは、2006年(平成18年)に起きた殺人事件です。秋田県の山本郡藤里町で、犯人である畠山鈴香が自分の娘・彩香ちゃん(享年9歳)と、その友人の米山豪憲君(享年7歳)を、立て続けに殺害した連続殺害事件のことです。

僅か1ヶ月の間に同じ団地内の2人の児童が亡くなった事件であり、当初は犯人である畠山鈴香が「娘が殺された」と悲劇の母を演じてマスコミのインタビューにも応じていたこともあり、人々に衝撃を残した事件となりました。

衝撃的な事件でしたが、もう10年以上前の事件ということもあり、事件のことを詳しく知らない人も多いでしょう。今回は、秋田児童連続殺害事件について、犯人の畠山鈴香の生い立ちや事件に至った経緯、現在の様子を調べてました。

秋田児童連続殺害事件の概要

最初の事件は、平成18年4月9日、秋田県の町営団地に住む畠山鈴香受刑者の長女で、小学校4年生の彩香さん(当時9歳)が自宅から10キロ離れた川で水死体となって発見されたことに始まります。警察は、誤って川に落ちた事故死として処理しました。

しかし、その約一か月後の5月17日、畠山鈴香受刑者の自宅から2軒隣に住む米山豪憲君(当時7歳)が小学校の下校途中に行方不明になりました。警察はふきんを捜索しましたが見つからず、翌日に能代市の市道脇で遺体となって発見されました。

畠山鈴香受刑者は、「自分の娘も殺された」と騒いだり、マスコミのインタビューにも応じるなど、派手な動きを見せました。このことで、広く世間に畠山鈴香受刑者が知られることとなりました。

この事件に伴い、彩香さんの死も再捜査されました。畠山鈴香受刑者の供述が二転三転したことや、アリバイがはっきりしない点などから重要参考人となりました。6月5日に畠山鈴香受刑者を逮捕し家宅捜索を行いました。

豪憲君のものとみられる血痕などを発見し、翌日に畠山鈴香受刑者が豪憲君殺害をほのめかす供述をし、25日に再逮捕。更に7月18日には、綾香さんを橋の欄干から突き落したと自供し、再逮捕されました。

その後の裁判で無期懲役刑が決定し、秋田児童連続殺害事件は終息しました。解決した連続殺害事件とはいえ、なんの罪もない児童が二人も命を失い、さらに最初に殺された児童の母親が犯人だったことで、秋田児童連続殺害事件は人々に衝撃を与えました。

幼い子供を2人も殺した畠山鈴香の生い立ち

ここからは、幼い子供を二人も殺害した畠山鈴香受刑者の生い立ちを見ていきます。児童を二人も立て続けに殺害した畠山鈴香受刑者ですが、その生い立ちはどんなものだったのでしょうか?

虐待をしてしまう親の中には、自身も幼い時に虐待を受けて育ち、親の愛情を知らないことで子供とうまく接することが出来ない人は、中にはいます。殺された彩香ちゃんは、殴る蹴るの暴力を畠山鈴香受刑者から受けていたというわけではなかったようです。

しかし、畠山鈴香受刑者も子供の頃から壮絶な人生を歩んできたため、子供の愛し方が分からなかったのは確かでしょう。では、幼い時から畠山鈴香受刑者はどうやって育ってきたのか、見てみましょう。

父親の壮絶な暴力

畠山鈴香受刑者は、小学校高学年のころから父親に暴力を振るわれていた、という情報があります。また、中学生になると、暴力がエスカレートし、殴る蹴るの暴行や髪の毛を引っ張って引きずり回されたと証言したそうです。

母親や弟も一緒に暮らしていましたが、父親の畠山鈴香受刑者に対する暴力は止められなかったようです。

事件当時、畠山鈴香受刑者をテレビの報道で見たときに、異様な雰囲気を感じ取った人も多いようですが、このころからの家庭環境が原因で人格にゆがみが生まれてしまったのかもしれません。

小学校からのいじめ

畠山鈴香受刑者は、小学校では同級生から「ばい菌」と呼ばれるなど、いじめの被害に合っていたと供述したようです。友達がいないことで悩み、万引きした文房具を配って同級生の気を引こうともしたという証言が残っています。

畠山鈴香受刑者は、家庭でも居場所がない上に、小学校でも自分の居場所を見つけられなかったようです。身近に頼れる大人もいなかったのでしょう、家でも学校でも味方と呼べる人はおらず、孤立していたようです。

「心霊写真」と呼ばれた中学時代

中学に入ってからも、畠山鈴香受刑者に対する、周囲からのいじめは続きました。それどころかエスカレートし、「心霊写真」と呼ばれたり、クラスの同級生から無視され続ける学生生活であったと語っていたようです。

中学には、小学校の同級生がそのまま進級して、同じクラスになることがほとんどのため、周りに誰も味方になってくれる人がいないという状況が続いたのでしょう。

畠山鈴香受刑者が小学校でも中学校でも、クラスで孤立していたのに、先生達は気づかなかったのでしょうか?周りの大人は誰も助けてくれなかったのか、畠山鈴香受刑者の孤独は増していきます。

高校時代はパシリで身を守る

畠山鈴香受刑者は、小中学校でいじめにあっていた経験から、高校では同じ目にはあいたくないと、リーダー的存在の同級生に取り入って、パシリをすることで身を守ったと語っています。

けれど、そんなことで周りは味方にはなってくれませんでした。パシリをすることで、ひどいいじめには合わなくとも、同級生から「同等」の扱いはされなかったでしょう。

身を守るためにパシリになることを、自ら選んでしまったため、畠山鈴香受刑者はそのポジションから抜け出すことはできませんでした。小学校から11年もの間、学校では辛い思いばかりだったのではないでしょうか。

畠山鈴香の高校生活がわかる卒業の寄せ書き

畠山鈴香受刑者の学生時代が、いかに辛い体験ばかりだったかが分かるような寄せ書きが資料として公開されたことがありました。高校卒業時の寄せ書きに描かれたメッセージから、畠山鈴香受刑者の高校生活の様子を読み取ることができるでしょう。

これを書き込んだ、当時の同級生は、心が痛まなかったのでしょうか?「皆」に「そういう扱い」をされている子だからと、何も悪いと思わなかったのでしょうか?

もし少しも悪いと思わずにこのようなメッセージを書いたのであれば、その人たちは畠山鈴香受刑者以上に病んだ存在だったのかもしれません。

畠山鈴香の卒業メッセージ

畠山鈴香受刑者自身は、高校卒業の際の同級生へのメッセージとして、「1年間、長い人は3年間どうもでした。すぐには仕事をやめてこないけれど二ツ井に帰ってきた時は遊んでやってください!」と書き込みました。

しかし、それに対する同級生の書き込みは、実に辛辣なものでした。パシリをやっていじめから逃れていたと言われていましたが、本当にそうなのかと疑うような内容が書かれていました。

おそらく、表だって無視したりはしなかったものの、陰で散々悪口を言われたり、暗に「嫌われているんだぞ」と畠山鈴香受刑者本人にも分かるような態度を取り続けてきたのではないでしょうか。

同級生の寄せ書き

畠山鈴香に対して、同級生からは「会ったら殺す!」や「秋田から永久追放」「もうこの秋田には帰ってくるなョ」などのメッセージが並びました。

中には「元気でね、くじけるんじゃないよ」といったような好意的ともとれるメッセージもありました。しかし、その比でないほど、「地元に帰ってくるな」「目の前に現れるな」などのひどいメッセージで埋められています。

「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺達に感謝しなさい。」「やっと離れられる。3年間はちょっと…」など、最後の最後までひどい言葉を投げかけられた、畠山鈴香の気持ちはどんなものだったでしょうか。

高校卒業後の畠山鈴香

辛い学生生活を送ってきたと思われる畠山鈴香受刑者ですが、高校を卒業した後はどのような人生だったのでしょうか。高校卒業後の畠山鈴香受刑者の経歴を見てみましょう。

栃木県で仲居やコンパニオンとして働く

畠山鈴香受刑者は、秋田県の高校を卒業した後は、父親の暴力から逃れるためもあり、友人を通じて知り合った男性と駆け落ちするかのように、遠く離れた栃木県へ行きました。

温泉旅館で住み込みの仲居として働いたり、コンパニオンとして働いていました。当時の仕事仲間とは、飲み会をしたりバーベキューに行ったり、楽しい思い出もあったと語っていたようです。

実家に戻り結婚

畠山鈴香受刑者は21歳のときに、できちゃった婚をしています。相手の男性はトラック運転手で、行為に及んだ際に子供ができてしまい、その男性と結婚することになりました。

そして、なぜか結婚を機に地元である秋田に戻ることにしたのです。地元では良い思い出はなかったと思われるため、なぜ地元に戻ったのか、周りから真意は分かりませんでした。初めての出産でやはり不安になり家族を頼ろうと思ったのでしょうか。

それとも、子供が生まれるのをきっかけに、自分も地元の家族や同級生との関係も変わると思ったのでしょうか。そして、このできちゃった結婚で生まれたのが、秋田児童連続殺害事件で被害者となった畠山彩香ちゃんです。

彩香ちゃん誕生半年後に離婚

無事に彩香ちゃんが誕生しますが、その後半年で離婚してしまいます。男性側が逃げたのか、畠山鈴香受刑者になにか問題があったのか、離婚の原因は分かっていません。

離婚に至った経緯は、畠山鈴香受刑者の証言と元夫の証言が全く食い違っていたため、本当の原因は分かりませんでした。元夫は、「畠山鈴香が家事などを全くしなかったため」と語っていましたが、畠山鈴香受刑者の意見は違いました。

畠山鈴香受刑者は、「家事はやっていたし、離婚したのは元夫が鋲(びょう)付きのジャンパーを彩香に投げつけたからだ」と語っていたようです。どちらにせよ、二人は離婚し、その後畠山鈴香受刑者の生活は崩れていったようです。

シングルマザーとなったため、畠山鈴香受刑者は生活費を稼ぐためにあらゆる仕事をしました。スーパーやパチンコ店の店員から、コンパニオンとして働くこともあったようです。

生命保険の外交員としても勤務していた時期があるのですが、契約を取るために男性と体の関係を持っていたと噂があります。生い立ちからも男性に誘われると断れない部分があったため、地元ではその噂を信じる人がとても多かったようです。

離婚後に借金を作り自己破産

しかし、畠山鈴香受刑者は2003年に自己破産しています。自己破産した原因は、お金がないのにギャンブルをやめられなかったことが原因と言われています。また、夜遊びにハマっていたようで、そこで日頃のストレスを解消していたのかもしれません。

稼ぎが少ないのに、それ以上にパチンコや夜遊びにつぎ込んでしまい、借金を重ね、最終的に自己破産してしまったようです。また、そのころ実家が経営していたダンプの運送会社も、経営に行き詰まり破産してしまいました。

実家も破産し、畠山鈴香受刑者自身もお金がないのにパチンコがやめられないという状況で、かなり生活に困窮していたことが予想されます。

生活保護を受けながらデリヘルで働く

自己破産した後は、生活保護を受給することになりました。しかし、生活保護と言っても十分なお金をもらえるわけではありませんでした。家賃や光熱費を滞納したり、当時まだ幼かった彩香ちゃんの食事がカップラーメンのみ、ということもあったようです。

また、生活保護を受けながらデリヘルで働いており、馴染みの客を自宅に呼んで、その間は彩香ちゃんを外に追い出すなどの、虐待と思える好意もあったようです。

しかしその一方で、科学が好きだった彩香ちゃんに、子供向けの科学雑誌を定期購読させてあげていたり、本屋ではなんでも好きな本を買ってあげていたなど、畠山鈴香受刑者は本人なりに彩香ちゃんに愛情を注いでいたという意見も寄せられています。

畠山鈴香の犯行の動機は何だったのか?

ここまで、畠山鈴香受刑者の生い立ちを見てくると、壮絶な人生であったことが分かります。幼い時から家族から愛情をもらえず、家でも学校でも身体や心を傷つけられる毎日でした。

では、そんな畠山鈴香受刑者は、なぜ幼い児童二人を殺害するという犯行に至ったのでしょうか?連続殺人事件で、自動二人を殺害するに至った動機に、迫っていきましょう。

彩香ちゃんに対する嫌悪感

実は、畠山鈴香受刑者が児童二人を殺害した明確な動機は分かっていません。供述が何度も変わっていたからです。ただ、実の娘である彩香ちゃんに対しては、「愛したくても愛せない」といった悩みを、ずっと抱えていたと考えられます。

困窮する生活を変えたくても、「彩香ちゃんの存在が足かせになっている」と感じていたようです。また、父親の介護に疲れて、逃れたいと苦しんでいるのに、彩香ちゃんが駄々をこねたのがきっかけで、疎ましさが爆発したのではという意見も出ていました。

畠山鈴香本人は、事件当日彩香ちゃんに大沢橋の欄干のすき間から川面を見せ、暗くて魚は見えないことを納得させようとしたものの、彩香ちゃんが「見たい」と言って帰ろうとしなかったため、急激にイライラが高まり、突き落としてしまったと語ったようです。

豪憲くんへの身勝手な殺意

豪憲君への犯行に関しても、明確な動機は分かっていません。事件当日、彩香ちゃんの部屋でぼーっとしていた畠山鈴香受刑者は、窓の外に豪憲君の姿を見かけ、「彩香の思い出に、何かをもらってほしい」と家に招き入れました。

そして、玄関にあった軍手をはめ、着物の腰ひもで、豪憲君の後ろから首を絞めて殺害しました。畠山鈴香受刑者は動機として「彩香はもういないのに、なぜほかの子は元気でいるのか」と思ったからと語ったようです。

また、「彩香ちゃんが天国で友達と一緒にいられるように」という動機や、「彩香ちゃんの事件を、事故でなく他人が起こした事件と思わせるため」ではないか、など様々な推察がされましたが、はっきりとは分かっていません。

畠山鈴香への判決

秋田児童連続殺害事件は、初公判から結審まで13回も裁判が行われました。初公判は秋田地裁で、2008年3月19日に行われました。その時点で事件発生から2年も経過していることになります。

裁判では、精神鑑定で責任能力なしと判断されるのではと懸念がありましたが、畠山鈴香は殺意を持って秋田児童連続殺害事件を起こしたと判断されました。

その結果、秋田児童連続殺害事件の初公判では無期懲役の判決が下されました。その後、一度は弁護側から上告申請がされたものの、2009年5月19日に上告が取り下げられたため、無期懲役で刑罰が確定しました。

畠山鈴香の家族・畠山鈴香の現在

畠山鈴香受刑者には、母親と弟がいました。現在、その二人はどう暮らしているのでしょうか?畠山鈴香受刑者の家族の現在と、畠山鈴香受刑者本人の現在の様子を、調べました。

畠山鈴香の母親と弟の現在

畠山鈴香受刑者には弟がいました。畠山鈴香受刑者が事件を起こす前は運転代行業者で勤めていたようです。しかし、連続殺害事件の後は、お客さんから姉について色々言われる事も増え、2007年に退職しています。

その後は、母親と共に生活保護を受けながら生活し、畠山鈴香受刑者の判決が出た後はハローワークに通っていたものの、なかなか就職は決まらないと言われていました。

現在、畠山鈴香受刑者の母親と弟の二人ががどうなっているかは、分かっていません。しかし、当時は痩せ細ってしまっていたそうで、心労や周囲からの目に悩んでいたと言われています。

畠山鈴香は福島刑務所で服役中?

畠山鈴香受刑者は現在も服役中です。無期懲役は、「無期」と付いているため、いつか出所するのではと考える人もいるでしょう。

無期懲役とは、確かに「期限を決めずに懲役刑に処す刑罰の事」であり、一生刑務所から出られないということはありません。しかし、「無期懲役」を言い渡された犯人は、実はほとんど釈放されることなく現在も服役しているのです。

無期懲役で仮釈放になる可能性は、0.3%程度です。また、仮釈放になっても警察の監視下に置かれ続け、保護観察所に月に2回行かなければなりません。現在服役中の畠山鈴香受刑者がもし仮釈放になることがあっても、自由になれるわけではありません。

なぜ罪のない子供が犠牲になるのか

秋田児童連続殺害事件で被害に合ったのは、畠山鈴香受刑者の実の娘とその友人の児童でした。この連続殺害事件のように、動機があやふやな事件などでは、たびたび罪のない児童が被害に合います。

秋田児童連続殺害事件以外にも、酒鬼薔薇事件の名前で有名な神戸連続児童殺傷事件など、未成年者が起こす殺害事件でも被害者になるのは児童であることが多いです。自分よりも力の弱いものをターゲットにするのは卑劣としかいいようがありません。

現在は児童が犠牲になる事件は、親による虐待事件がたびたび起きています。

秋田児童連続殺害事でも、彩香ちゃんが家庭できちんとした食事がままなっていないことや、家から追い出される時間があったことに大人がもっと気づいてなにか対策をとっていれば、連続殺害事件は起こらなかったかもしれません。

現在も、同じような事件が起こる可能性はあり、子供を社会全体で守っていく必要があるでしょう。また、現在もあちこちでいじめは起こっています。かつての畠山鈴香受刑者のように、いじめ被害に合っている児童を救うことも求められています。

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秋田児童連続殺害事件の犯人は現在服役中

秋田児童連続殺害事件の犯人である畠山鈴香は、無期懲役になり現在服役中です。畠山鈴香には、幼少の頃から家庭や学校でも居場所がなく、周囲から愛情を与えられてこれなかった過去がありました。

そのため、自分の子供を愛そうと思っても上手くいかなかったのかもしれません。しかし、だからといって身勝手な殺害が許されるわけでは決してありません。

過去の事件はもうどうにもできませんが、現在や未来の事件を未然に防ぐことはできるはずです。子供を社会全体で守っていくこと、孤独に追い詰められる人に目を向けることを、忘れないようにすることが大事なのかもしれません。

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