アナタハン島の女王事件の真相は?比嘉和子と男32人のその後【画像】

アナタハンの女王事件を皆さんはご存知でしょうか。少なからず平和であったアナタハン島で起きてしまった男女トラブルによる悲惨な事件です。今回はアナタハンの女王事件がなぜ起きてしまったのか、アナタハン島で起きた事件の真相やその後などを詳しくご紹介します。

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目次

  1. 1アナタハン島女王事件とは?
  2. 2アナタハン島女王事件の関連人物【画像】
  3. 3アナタハン島女王事件の真相
  4. 4比嘉和子はどうやってアナタハン島から脱出した?
  5. 5アナタハン島女王事件関連人物たちの帰国
  6. 6アナタハン島女王事件の比嘉和子のその後
  7. 7アナタハン島女王事件を題材にした映画
  8. 8アナタハンの女王事件へ世間の反応
  9. 9アナタハンの女王事件は色々な原因が重なり起きてしまった事件

アナタハン島女王事件とは?

戦後に起きてしまった男女のトラブルによる事件、「アナタハンの女王事件」をご存知でしょうか。アナタハンの女王事件とは、太平洋戦争が行われていたときにサイパン島の北側にある「アナタハン島」に自給自足で暮らしていた32人の男性が、たった一人の女性のために悲惨な殺し合いを行っていた事件です。

今回は、アナタハンの女王事件について詳しくご説明します。何故このような事件が起きてしまったのか、このアナタハン島で起きてしまった事件の真相、事件が起きた後の生活などをご説明します。

アナタハン島女王事件の関連人物【画像】

まず最初に、このアナタハンの女王事件の主な関連人物をご紹介します。この事件の主人公ともいえる女性の説明から、その女性によって惑わされ狂っていく男性31人の説明を詳しくしていきます。

比嘉和子

比嘉和子さんは、この事件の主人公とも言うべき立場の女性です。沖縄出身の女性で、お兄さんが出稼ぎに出ていたサイパン島に移ります。その後は隣にある島の食堂で働いていました。ここで会社員をしていた比嘉正一と結婚をしました。結婚当時は23歳。

容姿は美人とは言い難かったのですが、この女性がこのアナタハン島で起きてしまった事件の「原因」でもあります。

比嘉正一

比嘉正一さんは南洋興産会社で働いていた方で比嘉和子さんの夫でした。二人が結婚をしたあとに比嘉正一さんがの転勤が決まったため夫婦でアナタハン島に移り住みました。この出来事によって思ってもいなかった事件が起きてしまうことになります。しかし、比嘉正一さんはこの事件には直接関与していません。その理由は後程、ご説明します。

比嘉菊一郎

比嘉菊一郎さんは正一さんが働いていた会社の上司でした。アナタハン島には夫婦で暮らしており平和に島の暮らしを満喫していました。

のちに比嘉菊一郎さんの奥さんと子供は日米の戦争が太平洋側に移り変わっていったことをきっかけに、アナタハン島から発ちます。この出来事によって菊一郎さんと奥さんはもう再開することはありませんでした。

カツオ漁船乗組員男性31人

この事件の次の主人公たちとも言えるのが、この「カツオ漁船乗組員男性31人」です。この31人の男性たちは全員日本人で、ある出来事をきっかけに比嘉和子さん等が住んでいたアナタハン島にたどり着きます。この31人がアナタハン島で暮らすようになることで、このアナタハンの女王事件は起きてしまいます。

アナタハン島女王事件の真相

アナタハンの女王事件の関連人物たちをご紹介したところで、次にさっそくアナタハンの女王事件の真相をみていきましょう。偶然の出来事と31人の男性の思惑、比嘉和子さんの存在などのあらゆる原因によって次々に残忍な殺人が起きていきます。

比嘉正一・和子のアナタハン島での生活

比嘉和子さんは比嘉正一とアナタハン島で生活していました。その生活はとても貧しくて、また、米軍による攻撃から身をひそめるために怯えていました。

だんだん、日米の戦争が激しくなり太平洋の島々が危険になっていたことから比嘉正一さんはパガン島で暮らしていた妹の存在が心配になり、迎えに行きます。しかし、迎えに行った際に米軍からの攻撃に巻き込まれ、消息不明になってしまいました。ほんの少しの結婚生活でした。

比嘉和子の妊娠と流産

比嘉和子さんには正一さんの子供を妊娠していましたが、戦争によるケガやストレスなどで流産してしまいます。妹を迎えに行った夫の消息不明と、流産の影響で和子さんの心は憔悴していきます。寂しさに耐えられなかった和子さんは正一さんの上司である比嘉菊一郎さんと男女の関係になります。

31人の乗組員と比嘉和子の出会い

カツオ漁船乗組員の31人は、海を渡っていた際に米軍の攻撃にあってしまい船は沈没。必死の思いで海を泳ぎ、比嘉和子さん等が暮らしているアナタハン島にたどり着きます。そこで、和子さんと31人の男性は出会ってしまいます。

最初はただお互いに同じ島に住んでいるだけの存在でしたが、あらゆることが原因で31人の男性たちは少しづつ狂わされていきます。

終戦・日本人だけになったアナタハン島

激しかった日米の戦争は終戦になりましたが、アナタハン島に住んでいた日本人は終戦を全く信じようとせず、アナタハン島から出ようとはしませんでした。そんなことが続いたあと、米軍はアナタハン島の原住民を連れ去ってしまいます。

原住民が居なくなったアナタハン島には日本人だけが暮らすようになりました。つまり、男性32人に対して女性が1人という不思議な状況が出来上がりました。

米軍の戦闘機の残骸から見つけた拳銃

1946年に島に墜落してしまった米軍の戦闘機を和子さんは見つけます。墜落した戦闘機を男性にも伝えました。そのとき2人の男性AとBが戦闘機の残骸から、4挺の拳銃と実弾を見つけました。

2人はこの4挺の拳銃を解体し、2挺の拳銃を作りました。そこで1挺づつ2人で持つことに。この出来事こそがこのアナタハンの女王事件が起きてしまう原因でもありました。

不審な事故死と最初の殺人

男性たちは和子さんのことについて日ごろから喧嘩していたり口論していましたが、その中でも拳銃を手にしたAとBと仲が悪かった男性、Cがいました。その日もCと2人は喧嘩になり、持っていた拳銃でCを殺害してしまいます。これが島で起きてしまった最初の殺人でアナタハンの女王事件の始まりでもあります。

この事を島の皆には「Cが木から落ちて亡くなってしまった」とあくまで事故死だと伝えました。そのあとも不審な事故死は続きます。

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比嘉和子を巡る男たちの争いと死

島に存在する女性は和子さんだけで男性が恋愛をすることは出来ません。和子さんには菊一郎さんの存在もありましたから他の男性は手を出せません。

しかし、ある時和子さんと菊一郎さんは正式な夫婦ではないということから、男性たちの間で和子さんを奪うという感情が芽生えてきました。Aは拳銃で和子さんに脅すような形で誘い出します。恐怖もあり和子さんは拒否できす、その後、拳銃を持っていたBにも誘われてしまいます。

そうしてAとB、そして菊一郎さんの3人で凄まじい争いが起き、アナタハンの女王事件が本格的に始まることに。まず、BがAを射殺。そして、菊一郎さんがBを海に落とし殺害。さらには、菊一郎はほかの男性のDに殺害されます。このすべては島の皆には不審死として扱われました。

正式な結婚と海に捨てられた拳銃

和子さんを手にする権限の象徴になってしまった拳銃。そして、その拳銃を手にすることで必然と和子さんを手にすることに。菊一郎さんを殺害したDもまた、殺害されてしまいます。この時、島にいる男性は23人にも減ってしまいました。

このままで次々に人が亡くなり、収拾がつかなくなるということから和子さんは正式な結婚を決めます。相手は前に駆け落ちしようとしていたE。正式な結婚をEとして拳銃も海に捨ててしまい、ようやく争いは終わるかと思われましたが、アナタハンの女王事件はこれだけで終わりませんでした。

終わらない争い

海に捨てた拳銃と正式な結婚で、ようやく平和になるかと思われてたのですが島の男性は依然として争いをやめませんでした。もはや、完全に収拾がつかなくなっていたようです。和子さんを狙っていた男性たちが亡くなってしまうなど、平和は終わりません。中では健康面で影響で亡くなった方もいましたが、結局13人になりました。

比嘉和子はどうやってアナタハン島から脱出した?

上記がアナタハンの女王事件の真相と詳しい内容です。女性が1人しか島にいなかったことからこの争いは始まり、拳銃の出現によってその争いは激化してしまいました。収拾がつかない状態になってしまいましたが、比嘉和子さんは島を抜け出そうとします。

男たちから逃げた比嘉和子

男性たちの争いや殺害、行方不明は終わらず男性は13人になってしまいました。そんなことから男性たちはいつしか、この争いの原因である「和子さん」を処刑しようという考えが男性の間で広まります。

また、正式な結婚をしたEは和子さんに暴力をしていたことから、和子さんは自分の身に危険が迫っていると感じ男性たちから逃げ出そうと決意します。

アメリカ軍の船に救助

男性から逃げ出すことを決めた和子さんは、男性から逃げ回ります。1カ月ほど島を逃げ回っていると、アナタハン島を巡回していたアメリカの船を見つけます。和子さんは米軍に救助を求め、なんとか助けてもらいました。

1年以上経って19人の男たちも救助

和子さんが米軍に助けてもらってから約1年後、和子さんの情報により島に残った19人の男性たちも救助されました。男性たちの家族がたくさん送った手紙を男性たちが受け取ると戦争が終わったことが本当であったと分かり、男性19人全員が、投降しました。

アナタハン島女王事件関連人物たちの帰国

上記によって、アナタハンの女王事件が終わりました。決して少ないとは言えない人数が殺されてしまいました。アナタハンの女王事件自体は終わったものの、関連人物たちの帰国後は大変でした。

生きていた比嘉正一は別の女性と再婚

最初に書いた、和子さんの夫、比嘉正一さんは消息不明でしたが実は生きていました。しかし、比嘉正一さんは沖縄で和子さん以外の女性と結婚をしていました。このアナタハンの女王事件には関与していないという理由が、島を離れ別の女性と結婚していたためです。

19人の男たちの家族の混乱

悲惨で残忍なアナタハンの女王事件が起きた後19人の男性たちは帰国しましたが、混乱に陥ってしまいました。

19人の男性の家族は、男性たちが亡くなったものと扱っていて遺影などを作っており、男性たちが帰国後、自分の骨壺や遺影と対面している写真も広まりました。また、男性の家族の中には愛人を作ってしまっていた妻もいてまさに混乱状態に。

世間の注目の的となった比嘉和子

男性たちから逃れた比嘉和子さんは、世間の注目となりました。アナタハン島から帰国した和子さんによってアナタハン島で起きていたことが明るみになり、それは全世界で報道されました。

初めは可哀想な女性というように扱われていましたが、話が大きくなる報道によって「アナタハンの女王」と言われてしまうように。ここからアナタハンの女王事件とも言われるようになったようです。

アナタハン島女王事件の比嘉和子のその後

アナタハンの女王事件が起き、なんとか帰国することが出来た比嘉和子さんのその後はどのような人生だったのかを見ていきましょう。色々と世間の話題になってしまった和子さんの人生は順風満帆とはいかなかったようです。

アナタハン島事件の映画に出演

アナタハンの女王事件から和子さんは完全に注目の的になりましたが興行師がその熱が冷めないうちに、和子さん自身が演じるアナタハン島が全国を営業して回るように働きました。さらには「アナタハン島の眞相はこれだ!」にも和子さんが主演しました。

沖縄でカフェをオープン

和子さんは自信が演じた舞台や映画で今までよりも話題になりましたが、その人気はすぐさま落ちてしまいます。それでも報道は独り歩き状態を続けます。人気が落ち着いたころに和子さんは生まれ育った沖縄でカフェをオープンしました。しかし、やはりひどい報道のせいで沖縄を離れることになります。

興行師に騙されてストリッパーに

沖縄を離れた和子さんは、興行師に騙されてしまい全国のストリップ劇場で働くストリッパーになりました。しかし、その収入は貧しく心もボロボロになり酒に溺れてしまいます。こういったことから「転落してしまった女王」というレッテルを貼られることに。

沖縄で子持ちの男性と再婚

アナタハン島から帰国した和子さんは、順調ではない人生を送りました。苦労も多く精神的に辛くなることばかり。しかし、沖縄に戻った和子さんは子持ち男性と恋に落ち、再婚されました。それからは家族とたこ焼き屋を営んで幸せに暮らしていました。

1974年脳腫瘍で他界

沖縄で再婚されたこ焼き屋を営み幸せに暮らしていましたが、夫が亡くなり連れ子と二人きりに。しかし、1974年、51歳の時に和子さんは脳腫瘍で亡くなりました。連れ子である子供に対しての愛情が少ないと自分自身で語っていたようです。

アナタハン島女王事件を題材にした映画

アナタハンの女王事件は映画の題材にもなりました。その映画をいくつかご紹介します。あくまでアナタハンの女王事件を題材にした映画なので全ては事実ではありませんが、ぜひ見てみてください。

「アナタハン」

1953年に公開された「アナタハン」は、監督がジョセフ・フォン・スタンバーグ、脚本は日本人が担当していて日本とアメリカで公開されていました。この映画のあらすじは、アナタハンの女王事件とほぼ同じような内容になっていて、映画でアナタハンの女王事件を見てみたいという方はいかがでしょうか。

「グラマ島の誘惑」

グラマ島の誘惑は1959年に公開されました。こちらは、大勢の男性の中に女性一人という内容ではなく、数名の男性と数名の女性が島で共に自給自足で過ごす物語です。しかし、アナタハンの女王事件を題材としているので似ている部分はあります。

「東京島」

東京島はアナタハンの女王事件を題材にした小説が映画化されたもので2010年に公開されました。比較的最近の映画のようです。島に1人の女性と大勢の男性が色々な理由で暮らし始め、女性は自信の魅力を武器に島を生き抜くといった内容です。

アナタハンの女王事件へ世間の反応

アナタハンの女王事件のあと和子は相当話題になり、「アナタハンにしてまして…」という、久しぶりに会った相手に言う言葉も使われていました。また、過熱した報道によって和子さんは「女王蜂」や「アナタハンの女王」と非難されることもありました。

初めは可哀想だと報道していたものがやがて、女の武器を使って殺し合いをさせたと誹謗中傷されることになりました。世間の反応が和子さんは辛かったようです。

アナタハンの女王事件は色々な原因が重なり起きてしまった事件

アナタハンの女王事件の真相から事件が起きた後の和子さんの人生をご紹介しました。誰かのせいで事件が起きてしまったというより、極限の状態とあらゆる原因によって起きてしまった事件でしょう。また、女性が1人だけじゃなかったらここまで残忍な事件は起きなかったかもしれません。

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