金川真大の生い立ちは?金川死刑囚の父親も紹介【土浦連続殺傷事件】
金川真大の生い立ちや金川死刑囚の父親についてご存知でしょうか。名前は、聞いたことがないが土浦連続殺傷事件なら聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか。今回は、そんな金川真大の生い立ちや金川死刑囚の父親について紹介していきたいと思います。
目次
土浦連続殺傷事件とは?
土浦連続殺傷事件について皆さんは、ご存知でしょうか。土浦連続殺傷事件は、金川真大が起こした事件で、最終的に金川真大が死刑判決を受けた事件です。その詳しい概要やその後について皆さんは、ご存知でしょうか。
どうしてこのような事件が起きてしまったのか、狙われた人たちには、どういった理由があったのか、金川真大は、どのような環境で育ってきたのでしょうか。それらを知ることで様々な意味で犯罪に巻き込んだり巻き込まれたりしにくくなるはずです。
今回は、そんな土浦連続殺傷事件とは何かということや土浦連続殺傷事件の概要、事件犯人・金川真大の生い立ち、金川真大の家族、金川真大が事件を起こした原因、土浦連続殺傷事件の裁判と判決、土浦連続殺傷事件のその後について紹介していきたいと思います。
土浦連続殺傷事件の概要
土浦連続殺傷事件の概要についてご存知でしょうか。今回は、土浦連続殺傷事件の概要について紹介していきたいと思います。
最初の狙いは小学校
土浦連続殺傷事件の概要の一つ目は、最初の狙いは小学校です。金川真大は、最初は、小学校を狙って襲撃しようとしていました。ですが、実際は、小学校よりも先に狙っていた人物がいました。それは、実の妹です。
実の妹を殺してそのまま小学校を襲撃しようとしていました。ですが、その結構予定日当日の朝に妹が既に外出をしていたことにより、殺害と襲撃の二つの予定を一日延期することになりました。ですが、次の日の朝も妹は、既に外出していました。
それでもこの日は、小学校に向かいました。その日は、終業式で周りに大人が大勢いたことにより失敗する可能性が高いと感じて、小学校の襲撃をやめて、学校以外のターゲットを探すために住宅街をマウンテンバイクで走り回りました。
72歳の男性を殺害
土浦連続殺傷事件の概要の二つ目は、72歳の男性を殺害です。金川真大は、最初の狙いの小学校を諦めた後、住宅街をマウンテンバイクで走っている途中で一軒の家の住人から自転車の空気入れを借りました。
その住人がこの72歳の男性です。空気入れを借りて、その後空気入れを返して72歳の男性が受け取り、背中を向けたタイミングで72歳の男性の首筋に向かって包丁を突き刺しました。突き刺した後は、自分の足で走り抜けました。
一度乗り物を回収しようとしましたが、すぐに救急車のサイレンが聞こえてきたため、断念してそのまま徒歩で自宅へと帰宅しました。自宅に着くと、自身の部屋に連続殺人であることを表すマークを書いて、その後に着替えて移動しました。
丸坊主となりビジネスホテルへ
土浦連続殺傷事件の概要の三つ目は、丸坊主となりビジネスホテルへです。金川真大が自宅から出た後に向かった場所は、理髪店です。そこで丸坊主にしました。丸坊主にした理由は、二人目を殺すまで捕まらないためです。
金川真大には、連続殺人をしなければいけない理由があったのです。それについては、金川真大はなぜ事件を起こしたのかというところで紹介しているので気になるという人は、是非、そちらもチェックしてみてください。
丸坊主となった後は、ビジネスホテルにチェックインしてそこでニュースを見て、72歳の男性が死亡したことを知りました。連続殺人を達成したかった金川真大は、ここで「死んで良かった」と思ったそうです。
JR荒川沖駅構内で第二の犯行
土浦連続殺傷事件の概要の四つ目は、JR荒川沖駅構内で第二の犯行です。金川真大は、第一の犯行をした後に被疑者として名前が上がり、その後に警察を挑発するメールなどを送ったことにより、指名手配されてしまいました。
そして、途中のホテルでチェックインする際に自身の本名を書きそうになってしまい、逮捕されるのももうすぐだろうと考えて、その次の日に何が何でも大量殺人を行うと心に決めて計画をしっかりと立てはじめました。
そして、その場所としてJR荒川沖駅構内が選ばれて、JR荒川沖駅構内で第二の犯行が行われました。8人が襲撃されて、その中には、警官も含まれていました。全員首を狙ってナイフで襲撃されているため、明確な殺意があります。
交番から自ら通報
土浦連続殺傷事件の概要の五つ目は、交番から自ら通報です。金川真大は、JR荒川沖駅構内で第二の犯行をした後、自首をするために交番に向かいました。その道中で複数の人とすれ違いましたが、そこでは、殺人は、起きませんでした。
それは、JR荒川沖駅構内で第二の犯行により大量を消費していたからです。そして、交番まで辿り着いた後に交番から自ら通報しました。警察が到着すると、抵抗は一切なく、そのまま現行犯逮捕をされました。
金川真大は、この際に自分が死刑になるということが確定ではないためにイライラしていました。ここで自首するのも死刑が確定でないということにイライラするというのも意味がわからないという人は、いるでしょうが、それは、後程理解できるはずです。
事件犯人・金川真大の生い立ち
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちについてご存知でしょうか。今回は、事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちについて紹介していきたいと思います。
幼少期は海外で生活
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちの一つ目は、幼少期は海外で生活です。金川真大は、幼少期は、上海、そしてニューオーリンズで生活をしていました。
土浦市への引っ越し
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちの二つ目は、土浦市への引っ越しです。海外での生活の後は、土浦市への引っ越しをして、横浜市内の公立校の小学校に通いました。父親は、忙しく、ほとんど母親一人で育児をしていました。
おとなしかった中学時代
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちの三つ目は、おとなしかった中学時代です。金川真大は、中学時代は、おとなしく、普通なら訪れるであろう反抗期などもなかったそうです。出身中学は、土浦市立土浦第三中学校と言われています。
高校時代は弓道部に所属
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちの四つ目は、高校時代は弓道部に所属です。高校時代は弓道部に所属していた金川真大は、ナンバー2と言われるほどの実力を持っていました。そして全国大会などにも出場していました。
ですが、高校時代の途中から少しずつ金川真大は、おかしくなっていきました。おかしなことに興味を持ったり、作文の内容が人類を敵視しているものだったりと、少しずつおかしな言動などが増えていったのです。
そのときに父親から与えられた一冊の本が金川真大が死刑になるために殺人を起こすということのバックボーンになったと言われています。
卒業後の進路が決まらず
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちの五つ目は、卒業後の進路が決まらずです。金川真大は、大学に合格できる成績でしたが、突如進路を就職希望に変えて、教諭に紹介された市内の会社に応募して面接に向かいました。
ですが、面接ではなく見学だけで帰されて、不採用となりました。金川真大は、プライドが高いのか、自分で面接を降りたとずっと言い続けていました。ここからさらに金川真大の堕落は、始まっていくのです。
卒業に必要な単位も揃わずに卒業しなくても良いとすら言って、自分のプライドと現実と戦っていました。その結果、無事卒業までは、いけましたが、就職は、せずに結局卒業後の進路は、決まっていませんでした。
ゲームに明け暮れゲーム大会にも出場
事件犯人・金川真大死刑囚の生い立ちの六つ目は、ゲームに明け暮れゲーム大会にも出場です。この時代は、まだパソコンゲームやスマートフォンゲームなどが主流ではない時代なので、ゲームをするのにもお金が必要でした。
なので、金川真大は、ゲームをするお金を得るためにアルバイトをして、お金が溜まったらアルバイトをやめるということを繰り返していました。そして、ゲームに明け暮れた日々を送って、ゲーム大会にも出場しました。
そのゲーム大会では、準優勝という結果を残しましたが、それから少しして金川真大は、自分の生きる目的というものを見失ってしまいました。これが土浦連続殺傷事件のきっかけとなってしまったのです。
金川真大の家族
金川真大死刑囚の家族についてご存知でしょうか。今回は、金川真大死刑囚の家族について紹介していきたいと思います。
外務省ノンキャリアの父親
金川真大死刑囚の家族の一人目は、外務省ノンキャリアの父親です。この父親は、家族とのふれあいは、全くなかったと言います。
子煩悩な母親
金川真大死刑囚の家族の二人目は、子煩悩な母親です。母親は、子煩悩であり、それでいて子育てについて悩んでいました。父親の協力があれば、もしかしたらこの事件は、起こらなかったのかもしれません。
不登校の妹弟
金川真大死刑囚の家族の三人目は、不登校の妹弟です。妹弟も不登校でしたが、不登校同士で意気投合するなどはなく、皆がそれぞれの不登校ライフを過ごしていました。
金川真大はなぜ事件を起こしたのか?
金川真大はなぜ事件を起こしたのか、金川真大死刑囚が事件を起こした原因についてご存知でしょうか。今回は、そんな金川真大死刑囚が事件を起こした原因について紹介していきたいと思います。
自殺願望
金川真大死刑囚が事件を起こした原因の一つ目は、自殺願望です。ゲームに明け暮れゲーム大会にも出場というところでも書いていますが、ゲーム大会で準優勝という結果を出した後に金川真大は、自分の生きる目的というものを見失ってしまいました。
そして出た答えが死にたいということです。ですが、確実に死ねる方法以外の死ぬ方法というのは、無駄に痛みを伴ったり、死にきれなかったり、死ぬ以上の苦痛を受けたりと、中々思い切りがつかないものです。
そこで金川真大は、ある発想に行きつきました。その発想により、死ぬのが金川真大だけでなく、周りの人も巻き込まれるという事態になってしまったのです。
死刑になりたい
金川真大死刑囚が事件を起こした原因の二つ目は、死刑になりたいです。金川真大が行き着いた発送とは、死刑です。死刑になることで死を選ぶ際に不手際や失敗が起きることなく、確実に死ぬことができるからです。
なので、死刑になるためにこの土浦連続殺傷事件を起こしたのです。死刑になるためには、人を一人殺す程度ではダメで、複数人殺す必要があったのです。周りを巻き込むという中々に迷惑な自殺です。どうすれば、これは、防げたのでしょうか。
日本では、安楽死が認められていません。安楽死を認めるようなことになれば、こうは、ならなかったのかもしれません。もしかしたら安楽死を求めてこういった事件が複数起きる可能性などを考えるととても怖いものです。
土浦連続殺傷事件の裁判と判決
土浦連続殺傷事件の裁判と判決についてご存知でしょうか。今回は、土浦連続殺傷事件の裁判と判決について紹介していきたいと思います。
精神鑑定
土浦連続殺傷事件の裁判と判決の一つ目は、精神鑑定です。金川真大が死刑になりたいという理由を述べたため、精神鑑定をされました。結果は、自己愛性人格障害であると診断されて責任能力を認めました。
謝罪の気持ちはなし
土浦連続殺傷事件の裁判と判決の二つ目は、謝罪の気持ちはなしです。金川真大は、死刑になりたいから殺害したということを述べただけでなく、人を殺すのは、悪ではないということを話していました。
謝罪の気持ちは、一切なく、面会した大学教授などからも人格のゆがみを指摘されていました。
下された判決は死刑
土浦連続殺傷事件の裁判と判決の三つ目は、下された判決は死刑です。弁護人は、死刑を求めている金川真大に対して死刑を下すのであれば、刑罰として機能していないと弁論をしましたが、下された判決は、死刑となりました。
今後、確実に自殺をしたいという人がこの事件に影響されて同じような悲劇が繰り返される可能性もあります。金川真大は、死刑が決まった後、「完全勝利と言ったところでしょうか」ととても満足そうな顔をして話しました。
土浦連続殺傷事件のその後
土浦連続殺傷事件のその後についてご存知でしょうか。今回は、土浦連続殺傷事件のその後について紹介していきたいと思います。
父親は被害者に直接謝罪
土浦連続殺傷事件のその後の一つ目は、父親は被害者に直接謝罪です。父親は、複数の被害者たちの家を訪れて直接謝罪をしていきました。家族と向き合うことのできていなかった父親の罪悪感は、凄まじいものでしょう。
2013年金川死刑囚の刑執行
土浦連続殺傷事件のその後の二つ目は、2013年金川死刑囚の刑執行です。このとき金川真大は、29歳でその同日に別の事件の二人、合わせて計三人の死刑が執行されました。
金川死刑囚の最後の言葉は?
土浦連続殺傷事件のその後の三つ目は、金川死刑囚の最後の言葉です。金川死刑囚の最後の言葉は、死刑が決まったことに対する喜びの「完全勝利と言ったところでしょうか」です。
命について考えて
今回は、金川真大の生い立ちや金川死刑囚の父親について紹介していきました。この事件は、金川真大の生い立ちが悪かったというよりも自殺したいという人に対しての適した対処方法がないということが一番の問題です。
無責任に生きろということは、簡単ですが、そういった言葉がこういった事件を巻き起こしてしまいます。今一度命についてしっかりと考えましょう。必要なのは、自分一人の見方ではなく、幅広い多くの見方です。
どちらが必ずしも正しい、間違っているというわけではありません。ですが、選択の余地がないというのは、こういった事件が起きてしまう原因となります。当たり前だと思わないでしっかりと考えてみましょう。