青山吉伸弁護士の今現在!オウム真理教幹部の仮出所後のその後も紹介

オウム真理教幹部だった青山吉伸弁護士の今現在について調べてみました。今から20年以上前、日本中を震撼させたオウム真理教事件は覚えているでしょう。オウムに入信し弁護士で幹部の青山吉伸はどうですか?彼は懲役13年の刑を受け2014年に刑期満了になりました。

青山吉伸弁護士の今現在!オウム真理教幹部の仮出所後のその後も紹介のイメージ

目次

  1. 1青山吉伸は今どうしてるのか?
  2. 2青山吉伸とは?
  3. 3天才と言われた青山吉伸の経歴
  4. 4青山吉伸の若い頃の画像を紹介
  5. 5青山吉伸が関与した事件
  6. 6青山吉伸の裁判はどうなったの?
  7. 7青山吉伸の仮出所後は?
  8. 8青山吉伸は当時のことをどう考えているのか
  9. 9青山吉伸の現在は?
  10. 10青山吉伸は刑期を終え普通に暮らしていた

青山吉伸は今どうしてるのか?

今から20年以上前、日本中を震撼させたオウム真理教事件は覚えているでしょう。では、オウムに入信し弁護士で幹部の青山吉伸はどうでしょう。

青山吉伸は、オウム真理教の幹部で広告塔だった上祐史浩の隣にいつもいました。弁護士の職を逆手に取り「魂を売った」男、青山吉伸は懲役13年の刑を受け、2009年に仮出所、今現在は2014年に刑期満了になりました。 

オウム真理教幹部だった青山吉伸弁護士の経歴や、出所した後の今現在何をしているのか、について調べてみました。

青山吉伸とは?

では、青山吉伸とは一体どんな人物なのでしょうか。青山吉伸は、オウムの会見ではいつも横に座っていたので、当時は目にする事も多かったと思います。まずは基本情報からお伝えしていきます。

青山吉伸のプロフィール

本名 青山吉伸
生年月日 1960年3月9日
現在の年齢(2019年現在) 59歳
出身地 柏原市
出身大学 京都大学法学部
オウム真理教の役職 顧問弁護士
法務省大臣
ホーリーネーム アパーヤージャハ
判決 懲役12年(刑期満了)
関与した事件 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
公証人役場事務長逮捕逮捕監禁致死事件

青山吉伸は、1960年3月9日生まれで今年59歳になります。大阪の柏原市が出身で、父親はアパレル会社を営んでいました。

実家の業績はよく、比較的裕福な暮らしをしていた青山吉伸は、勉強もできたようで京都大学法学部を卒業、全国最年少で旧司法試験に合格という偉業を成し遂げます。

実家にとっては自慢の息子だったに違いありません。しかし、なぜかオウム真理教に入信することになり、そこから他人の人生を破滅させ逮捕される事になります。今現在は出所していますが果たして反省はしているのでしょうか。

天才と言われた青山吉伸の経歴

このままいけば優秀な弁護士として世の中の役に立っていた青山吉伸は、なぜオウム真理教に入り犯罪に手を染めるようになってしまったのでしょうか。天才と言われた青山吉伸の経歴を説明しましょう。今現在の様子についても後程説明します。

父親は上場企業の創業者

先に述べたとおり、青山吉伸の父親はトミヤアパレルという洋服の会社を営んでいました。大正時代から続く会社で子供服から紳士用のシャツの製造販売をおこなったのちに、会社を拡大し東京に本社を構えるまでになりました。

1991年に二部に上場したトミヤアパレルですが、父親が死亡後は青山吉伸の叔父の木田社長が後任になりました。

しかしその後は経営状況が悪化してしまい、2009年に160億円もの負債を抱えることとなりついに倒産してしまいました。倒産手続きはかつての青山吉伸の弁護士事務所の弁護士が行ったそうです。

京都大学法学部を卒業

小学校時代は内気な性格だった青山吉伸は、大阪府立高津高等学校を卒業後、京都大学法学部に進みます。

京都大学法学部は今現在もそして昔からも歴史ある名門難関大学です。在学中は鈴木茂嗣の指導を受けながら、21歳にして「全国最年少」で旧司法試験に合格しました。相当優秀だったのですね。

全国最年少で旧司法試験に合格

21歳にして「全国最年少」で旧司法試験に合格した彼は大学を卒業後、正式に弁護士になりました。弁護士になったきっかけは、今現在でも語り継がれている歴史的なスモン公害訴訟問題で被害者と関わったことです。

そして、1984年に大阪市の「なにわ共同法律事務所」に入所することとなります。以降、西淀川公害訴訟などに関わりました。西淀川公害訴訟とは、大気汚染物質を排出したとされる「計726人」が原告となった大規模な裁判でした。

大気汚染物質を出した企業と、自動車の排気ガス汚染を出した原告として、道路公団も訴えられた事が特徴でした。自動車の公害は認められなかったものの、他では訴えが認められ最終的には和解に至っています。

1989年にオウム真理教の顧問弁護士へ

優秀な成績で弁護士となり、公害問題に取り組んできた青山吉伸は、1989年にオウム真理教の顧問弁護士になってしまいます。

きっかけは、腰痛を解消する目的でヨガに通い始めたものの、それが運悪くオウム真理教主催する道場で、麻原彰晃の著作を読んだからです。ヨガで腰痛がスッキリと治った事もあり段々とオウムを信じるようになったのです。

また、歌が好きで上手だった彼は、オウム真理教の音楽コンサートにも大変感動し、それも入信のきっかけになります。なにわ共同法律事務所を退所して「青山法律事務所」を開設、その後出家をして、1989年にオウム真理教の顧問弁護士になりました。

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青山吉伸の若い頃の画像を紹介

ここで、青山吉伸の若い頃の画像を紹介します。出家してオウム真理教の顧問弁護士の地位に就いた彼は、上祐史浩の会見の際にいつも隣にいました。

上祐は犯罪者組織のメンバーだったにも関わらず、イケメンで弁が立ったことから人気があったのに比べ、青山吉伸は地味な存在でした。

しかし、意外な事に青山吉伸のファンもいたのだそうです。オウムのしてきたことを考えればファンを公言する人達の気がしれませんがいろいろな価値観を持つ人がいるのですね。

青山吉伸が関与した事件

ここで、青山吉伸が関与した事件についておさらいしておきましょう。彼は数々のオウムの弁護側に立ちました。したがって、本来なら罪は重いはずです。

しかし、実際に殺人事件に関与したのは1件だけで、未遂に終わっていることや直接手を下していないこと、首謀者ではないことなどから、刑期は軽いものとなりました。

坂本一家の事件は、後になってからオウムが関与していることが明らかになりました。しかし、本人いわくオウムが関わっていたとは思っていなかったのだそうです。

滝本太郎弁護士サリン襲撃事件

滝本太郎弁護士サリン襲撃事件とは、坂本堤弁護士の後継だった「滝本太郎」の殺害未遂事件です。青山吉伸が直接関与したもっとも有名な事件で、弁護士が弁護士を襲撃したことでも話題になりました。青山吉伸は滝本弁護士をおびき寄せる役目でした。

弁護士になるきっかけがスモンの被害者だったにもかかわらず、自らがサリンという化学兵器に関与する事件を起こしてしまったのです。

ちなみに、滝本太郎の前任だった坂本堤弁護士は教団と真っ向から対峙しオウムからは、恐れられていました。教団幹部によって横浜市磯子区の自宅で殺されています。子供と妻も殺害され一家3人別々の場所に埋められるという残忍極まりない事件でした。

宮崎県資産家拉致事件

宮崎県資産家拉致事件は、オウム真理教による資産強奪拉致事件です。オウム真理教の信者だった娘が、親(旅館経営)の資産を強奪しようとしたのです。

信者である四女が父親に眠剤を飲ませ監禁、薬剤投与したのちに銀行から貯金を引き出そうとしましたが、失敗に終わります。監禁されていた父親はオウムに入信し財産を投げ打つ振りをして解放された後、教団や青山吉伸を告訴したのです。

旅館経営やその弁護人の会見では、信者である娘が「お父さんの方が騙されている!」と会見場に乗り込む一幕もありました。客観的に見ればオウムのしたことは薬剤を強制的に投与するなど悪質極まりないものです。洗脳とは恐ろしいですね。

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件は、事務長の娘がオウム真理教に入信した事がきっかけとなり起こった殺人事件です。

教団に入り多額のお布施をしていた事務長の娘でしたが、父親の全財産を奪うように言われ教団を逃げ出す事を決意、父親にかくまってもらいます。

これを知った幹部らが、父親を拉致監禁し致死量の薬剤を投与し死亡させた事件です。青山吉伸が直接かかわった事件ではありませんが、これもオウム真理教が起こした事件の中では有名です。

国土利用計画法違反事件

国土利用計画法違反事件とは、教団施設建設のための土地取得の際に起きた事件で、これにより上祐被告や教団顧問弁護士の青山吉伸が、偽証罪や森林法違反などの罪で逮捕されています。

青山吉伸の裁判はどうなったの?

教団顧問弁護士だった青山吉伸は、さまざまな罪で起訴されることとなりましたが、その後の裁判の経過はどうなったのでしょうか。

1995年に別件で逮捕

青山吉伸は、まずはじめに1995年に別件で逮捕されています。別件逮捕とはメインとなる事件の取り調べのために、軽い罪で逮捕して身柄を確保する目的で行われます。

別件逮捕に関しては、えん罪逮捕につながりやすいとの批判もありますが、この逮捕がきっかけとなり殺人未遂での逮捕につながったので、有益だったと言えるでしょう。

その後殺人未遂罪で起訴

別件で逮捕されたのち、青山吉伸は滝本太郎弁護士サリン襲撃事件の殺人未遂罪で起訴されることとなりました。

2002年に懲役12年が確定

青山吉伸は逮捕された後も反省することなく、曖昧な態度で質問をかわし続けました。そのため東京地方裁判所は「弁護士の良心を捨てた」と判断し「懲役12年」の実刑判決を言い渡します。

青山吉伸は直ちに控訴しますが2002年1月31日に控訴棄却となり判決が確定しています。最初に別件逮捕されたときに、「宗教弾圧だ」と本を書いていた青山吉伸は、自分のしたことの罪の重さを分かっていなかったようです。

弁護士資格は失効

懲役刑が確定した際に「弁護士法第7条」に基づいて弁護士資格も失効することとなりました。最年少で司法試験に合格するという才能を持ちながら、転落人生を歩んでしまった青山吉伸は、当時どんなことを考えていたのでしょう。

青山吉伸の仮出所後は?

青山吉伸は2009年に仮出所後し2014年に刑期満了となり一市民として暮らしています。出所後はどのような暮らしぶりなのでしょうか。

2009年に仮出所

控訴が棄却され刑が確定した後は、刑務所で過ごしていた青山ですが、2009年に仮出所となります。仮釈放とは、刑期が終わる前に社会に出て社会生活をする事です。

仮出所には身元引受人が必要で、出所後に再度犯罪をしないよう更生の手伝いをするものです。

マラソン大会に出場

仮出所ののち、2014年に刑期が満了となりますが、それまでの間に三重県で行われたマラソン大会に出ていたことが分かっています。2012年の事でした。

マラソン大会に出場するには、普段の走り込みも多少は必要です。スポーツをするのは健全な心と体を作るためには大切なので目標を持って運動習慣をつけたのなら、それは良い事だと思います。

2014年に刑期満了

仮の出所後は、再犯を犯すことなく2014年に無事に刑期満了となりました。これで晴れて自由の身になったのです。

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青山吉伸は当時のことをどう考えているのか

青山吉伸は当時のことをどう考えているのか、反省をしているのかが気になると思います。彼の関わった犯罪は、たまたま殺人未遂で終わったことなどから、死刑は免れ、懲役刑もかなり軽いものでした。

法廷では、曖昧な態度を貫き反省の色が全く見えませんでしたが、その後滝本弁護士には謝罪の言葉と共に賠償金の支払いもしています。オウムとの関係も完全に断っているそうなので、かなり洗脳は解けたのかもしれません。

刑期中に警察による不当逮捕を糾弾する本を書いているので、本当の心の内は分かりません。オウムの犯人は「一度罪を認めてしまうと罪悪感から来る地獄が待っている」そうです。しかし、自分のしたことの異常さを心から分かってほしいと思います。

青山吉伸の現在は?

青山吉伸は現在は何をして暮らしているのでしょうか、わかる範囲で書いてみたいと思います。

弁護士活動はしていない

青山吉伸の弁護士資格ですが、まだ失効したままで活動はできない状態です。したがって、弁護士として働くことはしていません。普通に考えればもう一生弁護士としては働けないでしょうね。

父親の残した遺産で生活している

彼の親は二人とも亡くなっています。しかし、暮らしていけるほどの遺産は残していってくれたようです。そのため、生活はできているそうです。働かなくても食べていけるのは幸せですね。

結婚して子供もいる?

青山吉伸には嫁と子供もいるそうです。結婚したのは入信する前からか、後になってからか分かりません。奥さんはもちろん信者ではないようです。

青山吉伸は刑期を終え普通に暮らしていた

オウム事件に関与し重要な役職についていた青山吉伸のその後について調べて見ました。青山元受刑者は、刑期を終え嫁と子供と共に普通に暮らしていました。

優秀だった彼がオウム真理教に入信し洗脳されていたことは確実です。前述したとおり、オウムの信者たちは一度罪を認めてしまうと、罪悪感から抜けられなくなる地獄が待っていると言います。そのため洗脳から脱出できない者もいたようです。

現在の青山の心の内を知る事はできませんが、オウム真理教を信じてしまった、そして多くの人を傷つけ弁護士としての理念と反対の事をしてしまった罪の重さに心から気づいて反省してほしいと思います。

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