フランキー堺の死因は?息子は誰?テレビドラマや映画で活躍

ドラムを演奏していたことをきっかけに芸能界入りしたフランキー堺さん。ここでは、ドラム演奏者として、俳優として、コメディアンや司会者としての才能も次々と開花させていきエンタテイメント界で輝き続けたフランキー堺さんの活躍を振り返っていきます。

フランキー堺の死因は?息子は誰?テレビドラマや映画で活躍のイメージ

目次

  1. 1フランキー堺はどんな人?
  2. 2フランキー堺は日本のエンターティナー!コメディアンから司会者まで
  3. 3フランキー堺は喜劇俳優としての顔が有名
  4. 4フランキー堺のプライベート!息子や妻は?
  5. 5フランキー堺の死因は肝不全?
  6. 6輝き続けた昭和の名エンターティナーは努力の賜物

フランキー堺はどんな人?

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フランキー堺さんをご存じですか?フランキー堺さんはとても多才で、ドラム演奏者・コメディアン・司会・俳優として日本のエンターテイメント界で活躍し、さらに活躍の場を広げ、執筆活動、大阪芸術大学教授として演劇論を教えていた人物です。

ここでは、様々な才能を発揮し、エンターテイメント界で輝き続けたフランキー堺さんの芸歴や家族(妻・息子)のこと、早すぎた彼の死因を振り返るとともに、才能あふれる彼の魅力をご紹介していきます。

フランキー堺のプロフィール

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本名 堺正俊(さかいまさとし)
生年月日 1929年2月13日
現在の年齢(2018年現在) 1996年6月10日没・67歳(死因:肝不全)
出身地 鹿児島県
血液型 不明
活動内容 俳優・コメディアン・ドラマー
所属グループ フランキー堺とシティースリッカーズ
所属事務所 日活(1956年~)・東宝映画(1958年~)

フランキー堺は日本のエンターティナー!コメディアンから司会者まで

才能溢れる日本のエンターティナー、フランキー堺さん。彼はどんなきっかけで芸能界入りをして、その才能を開花させていったのでしょう。

フランキー堺さんの活躍を、芸歴を振り返りながら見ていきましょう。

進駐軍のジャズ・ドラマーが芸能界入りのきっかけ

慶應大学在学中、フランキー堺さんは進駐軍でドラムを演奏していました。このことがきっかけとなり、フランキー堺さんは芸能の世界に足を踏み入れることとなりました。

シティースリッカーズで冗談音楽を演奏

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1954年、自らのバンド『フランキー堺とシティースリッカーズ』を結成したフランキー堺さん。

冗談音楽と言われるコミカルな演奏で人気を博したビッグバンドのメンバーは、ピアノの桜井千里さん、トロンボーンの谷啓さん、ギターの植木さん(後に国民的大スターになるクレイジー・キャッツのメンバー)です。

フランキー堺とシティースリッカーズとして、およそ3年間活動されましたが、次第にフランキー堺さんが俳優業に目覚め、活躍の場をシフトチェンジしていったことから、やがて同バンドは解散となりました。

伴淳三郎との出会いで役者への道を進む

音楽活動から活躍の場を俳優業へとシフトチェンジしていったフランキー堺さんは、俳優として日勝と専属契約を結んだ翌年の1956年には年間11本の映画に出演、その後も数々の映画やテレビドラマに出演し、輝かしい功績を残していきました。

そんな中でアジャパーでおなじみの伴淳三郎さんと出会い、フランキー堺さんは「喜劇俳優」としての才能を開花させ、喜劇・コメディー役者として知られるようになっていきます。

フランキー堺は喜劇俳優としての顔が有名

フランキー堺さんと言えば『喜劇俳優』としての顔を思い浮かべる人は多いのですが、多才なフランキー堺さんが俳優としての才能を開花させ、活躍した作品を振り返ってみましょう。

喜劇俳優として『幕末太陽』『駅前シリーズ』で活躍

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喜劇俳優としてフランキー堺さんが一躍有名になったのは1957年に出演したテレビドラマ『幕末太陽』でした。

この作品はブルーリボン賞を受賞しており、そののちに出演した『駅前シリーズ』などの喜劇もヒット、当時まだ20代だったフランキー堺さんは若くして喜劇界のトップスターへと昇り詰めていきます。

彼の演技はミュージシャンとしてドラムを演奏していただけあって、とにかくリズム感に長けており、笑いの技術も当時最も高かったと言われています。

社会派俳優へのきっかけは『私は貝になりたい』

ドラム演奏者から転身、喜劇俳優として若くして才能を開花させ成功をおさめたフランキー堺さんですが、彼は目指していたのは社会派俳優でした。喜劇俳優としての成功に満足していなかったのです。

彼が社会派俳優として知られることになった作品が1958年に放送されたテレビドラマ『私は貝になりたい』です。作品の舞台は第二次世界大戦中の日本。大きな反響を呼び1994年には所ジョージさん主演でリメイクされ、2度の劇場版(映画)も公開されています。

映画の主演は1959年版がフランキー堺さん、2008年版の映画は元SMAPの中居正広さんでした。

有名ドラマは『赤かぶ検事奮戦記』

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フランキー堺さん主演の有名なテレビドラマといえば『赤かぶ検事奮戦記』で、このシリーズのテレビドラマでフランキー堺さんは1980年~1992年という長い期間主演を務めています。

たたき上げの検事、柊茂(フランキー堺)の法廷対決や作品の特徴となる方言も話題となり、1994年からは橋爪功さん主演、2009年からは中村梅雀さん主演のリメイクドラマが開始されています。

テレビのクイズ番組『霊感ヤマカン第六感』で名司会者に

「世界で一番楽しい番組ですよ!今週の目玉商品!」というフランキー堺さんの言葉から始まる『霊感ヤマカン第六感』は1974年~1984年に放送された芸能人対抗のクイズ番組で、2代目の司会者となったフランキー堺さんは司会者としての才能を開花させます。

フランキー堺さんは名司会者と言われ『霊感ヤマカン第六感』は長く親しまれました。

横溝正史シリーズのミステリーにも多数出演

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フランキー堺さんは『横溝正史シリーズ』『獄門島』『江戸川乱歩シリーズ明智小五郎』などのミステリー作品にも多数出演されています。

ドラム演奏者から俳優の世界へと飛び込み、テレビやドラマで活躍、司会者としても才能を開花させたフランキー堺さん。努力あってこその結果です。

フランキー堺のプライベート!息子や妻は?

芸能界で輝かしい活躍をしたフランキー堺さんですが、彼のプライベートはどのようなものだったのでしょうか。

フランキー堺さんの生い立ちや、彼の妻となった谷さゆりさんとの出会い、彼女と築いた家族のこと、息子さんの結婚相手、そしてフランキー堺さんの死因を見ていきましょう。

鹿児島県の由緒ある家族の中で育つ

父親は士族の家系出身、おじは大正時代に浅草の喜劇王として知られ、映画『ノンキナトウサン』の主演などを務めた曾我廼家五九郎(そがのやごくろう)、鹿児島県の由緒ある家系で育ったフランキー堺さん。

現在の鹿児島大学教育学部付属小学校である鹿児島県師範学校付属小学校在学中はボーイソプラノの歌い手として注目を集めていたフランキー堺さんは、NHKの合唱団の一員としてラジオ番組にも出演していました。

小学校在学中、家族で東京都に引っ越し、池上第二小学校、私立麻生中学校、慶応義塾大学の法学部を卒業しています。

フランキー堺の息子は推理作家で有名「和久俊三」の娘と結婚

フランキー堺さんの妻は元日劇ダンシングチームダンサーの『谷さゆり』さん。2人の出会いは日劇のステージでした。

2人が出会った当時、フランキー堺さんは慶応大学法学科の学生でありながら、人気ジャズオーケストラの人気ドラマーでもありました。このジャズオーケストラの一員としてステージに上がったことが出会いのきっかけとなったそうです。

そんな二人の間には2人の息子さんがいらっしゃいますが、フランキー堺さんと同じく慶応大学出身の長男の妻となったのは推理作家で有名な「和久俊三」の娘さんです。

フランキー堺の息子

フランキー堺さんと妻である谷さゆりさんは二男一女の子宝に恵まれています。

赤かぶシリーズで実の息子さんと共演されたことも話題になりました。長男の俊哉さんは実際にフランキー堺さんの一族が家族として共演した『わが輩ははなばな氏』でフランキー堺さんと共演されたこともあり話題になりました。

2人の息子さんはフランキー堺さんの母校である慶應義塾大学を卒業されており、お嬢様も慶應義塾大学病院副院長の秘書とあり、フランキー一家は慶應一族とも言えるのです。

フランキー堺の次男の奥さんは福沢諭吉に関係?

慶應と繋がりの深いフランキー堺さんのご家族ですが、フランキー堺さんの次男・大祐さんの選んだ結婚相手も運命的なものであったのか…?慶應と深いつながりを持っています。

次男・大祐さんの妻となった人の父親の名前は杉山巌さんで慶応大学出身、そして母親の名前は杉山範さん。この母親の方がなんと福沢諭吉の曽孫です。

福沢諭吉と言えばお札の人…というイメージが強い人が多いのではないかと思うのですが、福沢諭吉は『慶應義塾大学の創立者』。不思議な縁があったのです。

フランキー堺の死因は肝不全?

フランキー堺さんは1996年6月10日の深夜、67歳という若さでこの世を去っています。

その死因は『肝不全』で、東京都港区の済生会中央病院で亡くなりました。亡くなる前の年にも俳優としての仕事をこなしていたフランキー堺さんですが、その頃には顔色も悪く、調子が良いとは言えない状態だったと言われています。

フランキー堺さんの死因となったのは『肝不全』ですが、あまりにも早すぎる死に日本中が悲しみに包まれました。

輝き続けた昭和の名エンターティナーは努力の賜物

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昭和を駆け抜けた日本が誇る名スター、フランキー堺さん。彼が愛した家族のこと、息子さんの妻となった女性のこと、早すぎたフランキー堺さんの死因を、彼の活躍を振り返るとともにご紹介しましたが、いかがでしたか?

さまざまなジャンルで才能を開花させ、愛嬌のある笑顔とドラム演奏者だっただけあってリズム感のあるとても軽快な喋りや演技で人々を魅了し、第一線で活躍し続けたフランキー堺さん。

彼が才能を開花させ、挑戦し続けたその人生は、彼が愛した家族があったからこそなのかもしれません。

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