西川正勝(金田正勝)死刑囚の現在は?【スナックママ連続殺人事件】
スナックママ連続殺人事件を知っていますか?1991年(平成3年)の年末から西川正勝(金田正勝)が起こした犯罪で、被害者全員で5名の事件です。スナックママ連続殺人事件の詳細と死刑囚となった西川正勝の現在を徹底的に調べてみました。
目次
スナックママ連続殺人事件とは?
スナックママ連続殺人事件とは、どのような事件だったのでしょうか。毎日色々な事件がニュースで報道され、ほとんどの人が記憶に残ってないと思いますが、年末から年始にかけて話題となった事件なので詳しくご紹介していきます。
スナックママ連続殺人事件の概要
スナックママ連続殺人事件とは、1991年(平成3年)の12月12日に兵庫県姫路市で、21日に島根県松江市、26日に京都府京都市、28日にも京都市で起こった強盗殺人事件です。わずか17日間で4人の命を奪うという事件です。犯人は西川正勝で、被害者は全員スナックの経営者でした。
西川正勝は、全国に指名手配されますが、年末には捕まることなく翌年1月7日に捕まります。警察の取り調べでは全面自供しますが、裁判では全面否認。西川正勝は犯行を否認しますが、死刑を宣告され死刑囚となり、再審請求を出していました。しかし、再審請求を出して審査している途中の2017年7月13日死刑が執行されるのです。
西川正勝(金田正勝)の生い立ち
死刑囚となり死刑を執行されてしまう西川正勝はどのような生い立ちで犯罪をしてしまったのでしょうか。西川正勝には、かなり複雑な生い立ちがありました。ここでは西川正勝の生い立ちについてご紹介していきます。
5人姉弟の末っ子として生まれる
西川正勝は、5人姉弟の1番下で、4人姉がいる末っ子として生まれます。西川正勝の父親と母親は、どうしても男の子が欲しかったみたいです。7人家族ですが、5人が女性という少し特殊な環境で育ちます。かなりの甘えた子供でした。
当時子供が5人もいるとなかなか生活は苦しく、さらに母親は病気がちになり4人の姉が面倒を見てくれていました。
母親は他界・父親は行方不明
西川正勝の母親は、西川正勝が9歳の時に病気になり、他界してしまいます。このころから5人姉弟を父親1人で育てることになってしまうのです。父親1人で育てていたのですが、父親は土木作業員で出稼ぎに行ってお金を稼いで帰ってくる状況が続きます。
しかし、ここでも西川正勝に悲劇が起こります。1人で5人の子供の世話をしていた父親が、家に帰ってこなくなり出稼ぎに行ったまま行方不明になり、蒸発してしまうのです。一家が子供だけになってしまいます。叱ってくれる人もいなく、ほめてくれる人もいない状態になってしまいます。
中学から非行に走る
西川正勝は、小学校の頃はおとなしかったものの、中学生になるとどんどん悪くなり非行に走ってしまいます。近所の小学生を脅して西川正勝が欲しいものを買いに行かせたり、下級生をいじめたりするようになるのです。
さらに刃物で女子生徒を脅していたずらしたり、窃盗事件も起こしました。両親がいなかったので、西川正勝を叱ってくれる人は全くおらず、面倒を見てくれる人もいなかったのです。結局色々な問題や事件を起こしては、養護施設や中等少年院に入ったり出たりを繰り返していました。
18歳で最初の殺人・10年服役
西川正勝は、18歳で最初の殺人事件を起こしてしまいます。1974年西川正勝は、鳥取県鳥取市内のスナックのママを殺害してしまいます。殺害の理由は、スナックのママの営業のスマイルや話の内容を信じて、西川正勝が関係を迫ったのに断られたからです。
西川正勝は当時18歳ですので、本当は懲役5~10年だったのですが、殺人をして逮捕されてから出所するのにちょうど10年かかりました。10年以内に出れたにも関わらず時間がかかったのは、西川正勝には身元引受人がいなかったからです。4人の姉は、全く関わりたくないという状況でした。
出所後2ヶ月で強盗致傷事件
10年松江刑務所で服役した西川正勝は、わずか約2ヶ月後に強盗致傷事件を起こします。1984年島根県松江市の旅館従業員の女性を襲い、金を奪ってけがを負わせて懲役7年の実刑判決を受けます。ここでも身元引受人がおらず、ちょうど7年後に出所してくるのです。
最初の殺人事件で懲役10年、次の強盗致傷事件で懲役7年合わせて西川正勝は、18歳の時から17年間刑務所で服役しており、出所したときには35歳になっていました。
7年服役後に犯した連続殺人
1991年10月に出所した西川正勝は、ついにスナックママ連続殺人事件を起こしてしまいます。まず兵庫県で次に島根県、京都府で2人とスナックのママを襲ってお金を奪い、首を刺して命を奪ってしまいます。
わずか3週間ほどで4人の命を奪うという行動を起こすのです。今回は生まれ故郷の鳥取県内ではなく、場所を少し関西方面に移動させての犯行でした。
なぜ西川正勝(金田正勝)はスナックママを狙ったのか?
西川正勝は、殺人をするのに誰でもよかったわけではなく、西川正勝に殺された人は全員スナックのママだったという大きな特徴があります。なぜ西川正勝は、殺す相手がスナックのママだったのでしょうか。ここではなぜスナックのママだったのか、その理由に迫ります。
年上女性が好みだった?
中学生の頃から非行に走っている西川正勝の恋愛対象は、年上の女性だったのです。18歳の時から刑務所に入っている西川正勝は、服役した後当時流行っていた場所、バーやディスコには目もくれず、すぐにスナックに飲みに行きます。
スナックのママが自分より若いと、西川正勝はたった1杯だけお酒を飲んですぐに出ていくほどでした。逆に自分より年を取っていると何杯も何杯もおかわりをするのです。西川正勝は、スナックのママと話しするわけでもなく、じっと見ているだけでした。
幼くして母親を亡くした心の傷か?
西川正勝は、9歳の時に母親を亡くしており、母親からの愛情をあまり受けていません。甘えたい年頃に母親がいなくなったので、西川正勝は甘えることを知らずに大人になりました。裁判の中でも人格形成に多大な影響を与えたとされています。
さらにスナックのママと一緒に寝るつまり添い寝したいと思いながら、何杯も何杯もお酒を飲んでいました。その欲望が歪んでしまい、スナックのママを連続で殺害した理由となっています。しかし、お金を奪って殺人をしていますので、本当のことは西川正勝にしかわかりません。
18歳以降の社会生活は人の命を奪っただけ
西川正勝の人生は、18歳で10年、28歳で7年刑務所に入っていましたので、普通の社会生活したのは18歳以降2ヶ月半と約3週間と逃げていた1週間ほどです。合わせても約5ヶ月ぐらいになります。
社会生活している5ヶ月間に5人を殺害しておりさらに1人を傷つけて、西川正勝の社会生活は人の命を奪っただけです。結局、18歳で1人、35歳で4人連続で命を奪っています。スナックママ連続殺人事件で捕まった後は1度も社会に出ることなく一生を終えることになります。
西川正勝(金田正勝)に殺されかけた桂あやめ
実は、西川正勝に殺されかけた人物がいます。落語家の桂あやめさんです。桂あやめさんは、当時桂花枝(かつらはなし)という名前で落語をやっており、大阪市天王寺区のマンションで一人暮らしをしていました。桂あやめさんが西川正勝に命を奪われかけた事件についてご紹介していきます。
隣人を装い電話を借りに
桂あやめが西川正勝に命を奪われかけた事件は、年が明けて1993年のお正月に起こります。桂あやめが住んでいたマンションの隣人を装い、電話を貸してほしい、引っ越してきたばかりで電話がないと言って玄関で電話をするふりを西川正勝はします。電話にでませんでしたと報告すると、すぐに桂あやめの首を絞めたのです。
首を絞められて桂あやめは、気絶してしまいます。時間が経って、気が付くとそこにはまだ西川正勝がタバコを吸ってまだいました。西川正勝は、お金を要求し桂あやめは殺されると思い、14万円差し出しました。
なぜ桂あやめは、首を絞められて死ななかったのでしょうか。その理由は落語にありました。落語は首を動かすことが多く、自然に首の筋肉が鍛えられています。落語家の首は意外と筋肉がついているのです。だから、首を絞められても桂あやめは死ぬことはありませんでした。
さらに西川正勝は桂あやめを襲うことを何日か前から考えており、桂あやめの部屋の横のガスメーターが置いてある部屋に何日間か潜伏もしていました。
話術で西川正勝を落ち着かせる
殺されかけた桂あやめですが、落語家なので話術で西川正勝の気持ちを解きほぐしていきます。すると西川正勝は、自分のやってきたスナックママ連続殺人事件について話をし始めます。桂あやめが驚くほど優しい口調になり、西川正勝は2度と罪はしない、あんたいい人やなぁ、自分が出ていって10分後に警察に電話したらいいと話しました。
その後、すぐに西川正勝は桂あやめの部屋を出ていきました。桂あやめは西川正勝が階段を下りていく足音を聞いて全身の力が抜けてしまいました。しばらく経って警察に電話してスナックママ連続殺人事件を起こした犯人と分かります。
桂あやめを襲った2日後に逮捕
桂あやめを襲った西川正勝は、桂あやめに2度と罪はしないと言っていたにも関わらず、2日後同じ大阪市天王寺区の別のマンションに強盗に入ってそこで説得され、強盗することはできませんでした。そのマンションから逃げようとしたところ、大阪府警に西川正勝は、逮捕されてしまいます。逮捕された時は逃げることもせず、素直に捕まりました。
もし、大阪府警が取り逃がしていたらと考えるともっと被害者が増えていた可能性があります。実は、桂あやめが働くスナックでも西川正勝は、金額は少ないですが約35000円奪っていました。
西川正勝から桂あやめへの伝言
襲われた桂あやめの知人が、大阪拘置所から出てきた時に西川正勝と同じになり伝言を預かったそうです。その伝言とは、あやめちゃんに会ったらごめん言うといてというものでした。一応西川正勝から桂あやめへの謝罪になります。
しかし、桂あやめは西川正勝を許せず、事件を世の中から忘れさせてはいけないと思い、襲われた時の事をネタに落語をしています。
スナックママ連続殺人事件の裁判と判決
逮捕された西川正勝ですが、スナックママ連続殺人事件での裁判、判決はどのようなものだったのでしょう。スナックママ連続殺人事件の裁判の様子と判決についてご紹介します。
全面無罪を主張した西川正勝
逮捕されてから西川正勝は、スナックママ連続殺人事件を認めたのですが、裁判になると一転無罪を主張し始めます。身に覚えがないと言ったり、さらには大阪拘置所で自殺を2回図ります。しかし、自殺も成功することなく終わってしまいます。
西川正勝は第一審の大阪地方裁判所で死刑の判決を1995年9月に言い渡されます。ここで西川正勝は死刑囚となります。死刑となった理由は、矯正は期待できないというものでした。実際に殺人で18歳から5人の命を奪い、3人を強盗でけがをさせているので世の中も死刑になると思っていました。
2005年死刑確定
西川正勝は死刑囚になった後、高等裁判所に控訴しますが棄却されます。さらに死刑判決を受けてから西川正勝は最高裁判所に上告しますが、この上告も棄却され2005年に死刑が確定し、死刑囚として刑務所に入れられてしまいます。
さらに死刑囚から死刑を執行されるまでの間、死刑囚となった西川正勝は再審請求をします。殺人はしたが、殺すつもりはなかった。だから死刑は重過ぎる、もっと軽い罪でいいはずとの主張で裁判のやり直しを求めていました。
西川正勝(金田正勝)死刑囚の現在
死刑判決を受けた西川正勝死刑囚の現在は、どんな様子なのでしょうか。西川正勝死刑囚の現在について紹介します。
死刑確定後に姓を「西川」に戻す
西川正勝は死刑判決が確定するまで、養子縁組で西川正勝から金田正勝に名前を変えています。金田正勝と名乗っていたのがいつの頃かは分かっていません。控訴、上告している間は、ずっと金田正勝という名前で収監されていたのです。
しかし、死刑判決を2005年に受けて死刑執行されるまで金田正勝だったのですが、死刑執行された時はまた西川正勝に戻っていました。最後は、本当の名前で死刑を受けたかったのでしょうか。真実は本人にしか分かりません。
2017年7月死刑執行
死刑囚となった西川正勝が、裁判のやり直しを求めている真っ最中の2017年に西川正勝は、死刑執行されてしまいます。1991年に事件を起こしてから26年後の死刑執行となりました。西川正勝はこのとき61歳です。裁判のやり直しを求めている時の死刑執行は、あまり行われないのですが西川正勝は執行されてしまいました。
西川正勝の社会生活は、生まれた時から中学生になるまでと刑務所を出てからの約5ヵ月ほどです。西川正勝は人生のほとんどを刑務所の中で過ごしていたことになります。
スナックママ連続殺人事件は残忍な事件!
西川正勝の起こしたスナックママ連続殺人事件は残忍な事件で、被害者が分かっているだけでも5人います。年末から年始にかけて世の中を賑わせた西川正勝は死刑を執行されましたが、このような残忍な事件は少なからず起こっています。
このような残忍な事件が、2度と起こらないように犯罪を起こした人を温かく見守れる社会になる努力をみんなでしていけたら残忍な事件は起こらないようなきがします。