名古屋妊婦切り裂き事件の真相!犯人や子供のその後や今現在に迫る
名古屋妊婦切り裂き事件の真相とは?名古屋妊婦切り裂き事件という残酷かつ真相が謎に包まれた事件がありました。この名古屋妊婦切り裂き事件の犯人や妊婦のお腹の中にいた子供、そして残された家族の現在やその後について取り上げていきます。
目次
名古屋妊婦切り裂き事件とは?
名古屋妊婦切り裂き事件とはどのような事件だったでしょうか。事件からすでに30年以上が経過しているこの事件ですが、多くの謎が残ったままになっています。
どのように事件が起こったのか、その概要を事件前から追ってご紹介します。また、被害者の残酷な殺害状況や犯人についての話題も取り上げます。
さらに、「名古屋妊婦切り裂き事件のその後」や「被害者遺族のその後と今現在」についてもご紹介しますので、1つずつチェックしていきましょう。
名古屋妊婦切り裂き事件の概要
まずは、名古屋妊婦切り裂き事件の概要についてご紹介します。概要をチェックしたあとにそれぞれ注目すべき点を深掘りしていきますが、まずは「どのような事件だったのか?」という部分を確認します。
名古屋妊婦切り裂き事件とは、その事件の名前のとおり1988年(昭和63年)に名古屋で起こった「妊婦が切り裂かれる」という非常に残酷で悲惨な事件になります。
現在の名古屋市中川区供米田にあるアパートで発生した猟奇殺人事件として知られ、「未解決事件」となっています。その詳細をご紹介しますので、確認してみてください。
事件5日前が出産予定だった妻
名古屋妊婦切り裂き事件というくらいなので、被害者は子供を妊娠中の女性でした。そしてこの妊娠中の女性は事件があった3月18日の5日前、つまり3月13日に子供を出産予定だったのですが、遅れていた状況でした。
夫は仕事の合間に電話
名古屋妊婦切り裂き事件当日も夫は妊婦の妻に見送られながら普段どおりに仕事に出かけています。ただ、前述のとおりすでに子供の出産予定日を5日も過ぎているので、夫は仕事の合間に電話をかけるようになっていました。
出産予定日が近くなってきた段階から仕事中でも妊婦の妻の様子を気にするようになっていたので、これは事件当日だけではなく、仕事中に合間を見つけては妻に連絡を入れているような状況でした。
退社直前の電話に出なかった妻
名古屋妊婦切り裂き事件当日の昼の12時過ぎにも夫は会社から妻に電話しましたが、そのときは特に異常なく「何事も変わりない」という報告を受けるだけの電話でした。
そしてその後、退社する直前の18時50分ごろに再び妻に電話をかけましたが、その時は誰も電話に出ませんでした。
夫が帰宅・施錠されず灯の消えた部屋
退社前の電話には誰も出なかったものの、それほど大事には考えておらず、「自分が帰るころには妻も家にいるだろう」という程度の考えで夫は帰路につきました。
家についたのは19時40分ごろ。普段は鍵をしているはずの玄関ドアの鍵がかかっておらず、しかもその状況なのに部屋の電灯が消えていることを不審に思いながらも夫は家に入りました。
変わり果てた妻の姿と赤ちゃん
夫は普段とは違う状況を不審に思いながらも寝室に行きスーツから着替えました。そのときに奥の居間から赤ん坊の泣き声が聞こえたため「子供が生まれたのか」と思いながら居間に向かいます。
そして居間の照明をつけると目に入ってきたのは、後述する「妻の変わり果てた無残な姿」と、その足元にいた生まれたばかりの小さな赤ちゃんでした。
1階の住民に電話を借り通報
この状況を確認して、夫は電話をしようとしましたがダイニングキッチンにあるはずの電話がなかったため慌てて部屋を出て1階の住民から電話を借りています。
帰宅した数分後の19時43分に名古屋市消防局消防指令センターへ「救急車をすぐ回してほしい」と119番通報しています。
被害者である妻の残酷な殺害状況
名古屋妊婦切り裂き事件では殺害された妊婦の妻が非常に残酷な状況で殺害されていたことが話題となりました。最初の報道では、「妊婦女性が切り裂かれて殺害されていた」という程度の報道でした。
しかし、少しずつ真実が明るみになっていくと、「切り裂かれていた」というだけではなく、犯人の行動は「猟奇的」と言えるもので、悲惨な殺害状況だったことが分かっています。
後ろ手に縛られ首を絞められる
名古屋妊婦切り裂き事件の被害者女性の直接の死因は犯人による絞殺とされています。発見時はこたつの電気コードで首を絞められ、後ろ手に縛られた上で腹部を裂かれて仰向けで横たわっているという状況です。
このときの血の量から「犯人に腹を裂かれたのは絞殺された後」と推測されています。また、衣服には刃物で切断された跡がなかったため「犯人はマタニティドレスをたくし上げた上で下着・妊婦帯をずり下げて腹を裂いた」と推測しています。
切り裂かれた腹部に受話器とキーホルダー
名古屋妊婦切り裂き事件は、「妊婦が腹部を切り裂かれている」というだけでも十分に残忍な事件と言えるのですが、これだけではありませんでした。
犯人によって切り裂かれたお腹の中に受話器とキーボルダーが入れられていたのです。夫が妻を発見したときに自宅の電話が見当たらなかったのはこのためです。
なくなった被害者の財布
名古屋妊婦切り裂き事件では、被害者の財布が現場からなくなっていて、家の中にあるタンスも物色されていたことから、犯人は物取り目的で侵入した者として捜査されました。
残忍な殺害になったのは、物取り目的で侵入し、そのとき被害者に見つかってしまったので殺害。その後、犯人が「猟奇性に目覚めて」腹を引き裂いたり受話器やキーボルダーをお腹の中に入れるという行動を取ったという推測です。
事件当日の被害者の足取り
名古屋妊婦切り裂き事件の被害者である妊婦の妻はその事件当日どのような行動をしていたのでしょうか。「事件当日の被害者の足取り」を追っていきましょう。
15時頃まで知人女性と談笑
名古屋妊婦切り裂き事件の被害者女性と生前に最後にあったのは犯人を除いてはこの「知人女性」となります。「被害者女性の友人で愛知県海部郡蟹江町在住の30歳代女性」とされています。
この知人女性は、事件当日の13時50分ころ、3歳の娘とともに乗用車で被害者宅を訪問しました。いちごを手土産に持参し、 15時ごろまで被害者宅で被害者女性と談笑していたとされています。
施錠せずに駐車場で知人を見送る?
名古屋妊婦切り裂き事件の最後の目撃者である被害者女性の知人女性は、被害者宅を15時ごろに出ています。
そして、その知人女性を見送るために被害者女性はアパートの駐車場まで一緒に来ていたとされています。そして、その時に家の鍵は閉めていなかったということです。
一部の説では、このときに犯人が家の中に侵入し、帰ってきた被害者女性と鉢合わせになることで殺害に及んだのではないかと言われています。
犯人は誰?様々な犯人像
名古屋妊婦切り裂き事件は、前述したとおり「未解決事件」なので犯人が分かっていません。犯人が分かっていないので、逮捕もされていないということです。
ただ、当然ながら捜査の段階で「誰が犯人なのか?」というところは調べられますし、有力な情報や有力な人物像も挙がってきます。それらについて取り上げていきましょう。
最初に疑われた夫
警察が初動捜査で知人関係から嫌疑をかけるのは多く見られるケースで、名古屋妊婦切り裂き事件でも最初に疑われたのは夫である男性でした。
疑わしいと思われたのは、「施錠されていない玄関」、「明かりのついていない家」にもかからず、帰宅後すぐに妻を探さずにスーツから着替えていることなどがあります。
また、報道陣の前でもあまりにも落ち着き払ったパフォーマンスをしたように見えたことから疑われましたが、後述する「不審な男」などの登場で、外部犯による犯行という見方が強くなりました。
事件当日階下の住民を訪ねた怪しい男
名古屋妊婦切り裂き事件の当日の15時頃、被害者宅の階下、アパートの1階の住民を訪ねた怪しい男がいました。この男は「ナカムラさんのところを知りませんか?」と尋ねています。住民は「知りません」と答えてドアを閉めたが、男に落ち着きがなく不審だったと感じています。
また、現場付近に「ナカムラ」姓の住民は住んでおらず、この部屋は「道路から駐車場を挟んで奥まった場所」にも関わらずわざわざ訪ねにきたため、「道を尋ねる風にして室内の様子を窺っていた」という線が強まりました。
これに加えて、被害者女性は前述の知人女性に対し「自分たちの隣の部屋は空き家状態だが、たまに見知らぬ男性が出入りしているから不安だ」という趣旨の話もしています。
小学生2人の目撃談
名古屋妊婦切り裂き事件現場の近隣に住む小学5年生と3年生の男児2人が当日16時半ごろに事件現場付近で見知らぬ不審な男性を見かけたと証言しています。
「ときどき道路北側の家を窺うようにコートの襟を立てて顔を隠すような姿勢で俯き加減に、両手はポケットに入れて歩いていた」と証言したとされています。
少年犯罪説
この事件の直前に名古屋アベック殺人事件という残忍な少年犯罪があり、さらに「妊婦の腹部を切り裂いてその中に物を入れる」という猟奇性から「命の尊さ・怖さを知らない子供による犯行」という説もありました。
この説は記者が挙げたものでしたが、その言葉に対して捜査員が「犯人は家の中に土足で上がっていて、その靴のサイズが大人のものだった」という理由を挙げて少年犯罪説を否定しています。
医療知識のある者説
名古屋妊婦切り裂き事件では、妊婦の腹部が38cmにわたりカッターナイフのような薄い刃物で2、3回同じ箇所をなぞって切られる」という手際の良い方法で切り裂かれていました。
さらに、臍帯(へその緒)もしっかり切断されていたため、「医学の知識をある程度持った人物」として、医者・医学生による犯行」という可能性も挙げられました。
ただ、名古屋妊婦切り裂き事件での腹部の切り裂き方は実際の帝王切開の手順や手際とは大きく異なるということが分かり、、医療関係者による者という線はなくなりました。
アムウェイがらみの恨み説
名古屋妊婦切り裂き事件の被害者の妊婦女性は「アムウェイ」をサイドビジネスとしてやっていて、家庭用品販売をしていたとされています。
サイドビジネス自体は問題ありませんが、アムウェイは多少ネットワークビジネス的な要素があるので、「サイドビジネスがらみの怨恨殺人」という説も浮上しています。
名古屋妊婦切り裂き事件のその後
2019年現在で名古屋妊婦切り裂き事件発生からすでに30年以上経過していますが、事件のその後はどのようになっているでしょうか。
その後ということで、今現在というわけではなく、「事件捜査のその後」という事件から近いその後についてもご紹介しますので、チェックしてみてください。
2003年3月公訴時効が成立
名古屋妊婦切り裂き事件が発生したのは、1988年(昭和63年)3月18日であり、事件発生から丸15年経った2003年(平成15年)3月18日に公訴時効を迎えて未解決事件となりました。
この名古屋妊婦切り裂き事件は、殺害状況などが残忍で非常に猟奇的なことから、愛知県警察が約4万人の捜査員を投入して懸命の捜査を行なっています。
しかしそれでも有力な手がかりが得られないままときが過ぎ、被疑者逮捕に至りませんでした。
未だに事件の真相はわからず
そして、2003年に公訴時効が成立してからも、名古屋妊婦切り裂き事件については様々なところで取り上げられ、その真相に迫ろうとその後も動いていた機関や人もいました。
しかしながら、現在においても未だに名古屋妊婦切り裂き事件の真相はわからないままになっています。
被害者遺族のその後と今現在
現在未解決となっている名古屋妊婦切り裂き事件の殺害被害者は妊婦だった妻ですが、その後の被害者はどうしているのでしょうか。被害者遺族のその後と今現在についてご紹介します。
奇跡的に助かった子供
名古屋妊婦切り裂き事件で犯人にお腹の中から取り出された子供は奇跡的に助かっています。当時は母親の腹部が切り裂かれるときに一緒に追った傷とそのまま放置されたことで衰弱していました。
しかしながら、懸命な治療の甲斐もあり、一命を取り留めて現在も無事なままに生活をしています。
被害者家族はハワイに移住
被害者女性の夫は子供を自分の実家に預け、事件発生から1年が経過した1989年3月時点でも事件現場アパートで独り暮らしをしていました。子供はしばらく父親の実家で育てられましたが、父方の祖父が1991年に胃癌で死去。
その3年後、子供は小学校入学の時に父親・父方の祖母とともに母親である被害者女性の実家近くのアパートに引っ越しました。その後、父親はしばらくして勤務先を退職し、会社を友人と共同経営するために準備を進めました。
1999年4月、子供が小学校6年生に進級したことをきっかけに父親・祖母とともに日本を離れています。場所はアメリカ合衆国のハワイで、そちらに移住しました。
被害者のお墓もハワイに
被害者女性の実父がインタビューに答えた際に、「娘の墓・仏壇はハワイにあるからここ(自宅)にはない」と答えています。
このインタビューは公訴時効成立直前の2003年2月、「中日新聞」と「読売新聞」の取材に対し、事件に関する様々な心境を述べているときのものです。
懸命な捜査をしていたが「性別」すら不明
名古屋妊婦切り裂き事件では、先述したように約4万人の捜査員を投入して懸命の捜査を行なっていましたが、事件の真相は掴めませんでした。
それどころか、「犯人は男性」ということすらも曖昧な状況で、聞き込み先の人からは「まだやっているんですか?」と厳しい言葉をぶつけられるようにまでなっていたと言われています。
名古屋妊婦切り裂き事件の真相は闇の中
名古屋妊婦切り裂き事件の真相は「説」というものは挙げられているものの、捜査の末に「確定」できたものはほとんどないままに、公訴時効となり未解決事件となりました。
2019年現在と同じように捜査の技術や化学が進歩している状況であったなら真相が掴めていた可能性もあります。ですが当時ずさんな捜査だったというわけではないので、謎の深い事件と言えるでしょう。