小松博文の現在!容疑者の判決は?茨城県の日立母子6人殺人事件を解説
茨城県日立市で起きた、母子6人殺人事件を覚えていますか?事件発生からこの秋で2年。妻と5人の子どもを殺害し、住居に放火して逮捕された小松博文被告は現在どうしているのでしょうか。幼い子どもの命まで奪った小松博文被告にはどのような判決が下されるのでしょうか。
目次
小松博文容疑者の現在は?
妻と5人の子どもを手にかけ、アパートに火をつけて殺害した小松博文。事件後逮捕され、起訴されています。事件から間もなく2年が経とうとしていますが、被告人小松博文は、現在どうしているのでしょうか。
小松博文が起こした日立殺人事件とは?
世間に大きな衝撃を与えた茨城県日立母子6人殺人事件ですが、次々と大きな事件が起こる中で、人々の記憶は薄れがちです。愛する家族を無残に殺害し、密集する住宅地で火を放った凶悪事件、茨城県日立母子6人殺人事件の概要を、あらためて振り返ってみましょう。
2017年に茨城で住宅火災が発生
事件は2017年10月6日の午前4時40分ごろ発生しました。現場は何棟もの県営住宅が立ち並ぶ住宅地の一角で、夜明け前に突如起こった火災に、近所は騒然となりました。
現場周辺は、類焼を恐れる近隣住民ややじ馬でごった返していましたが、このときはまだただの住宅火災だと思われていました。
焼け跡から一家6人の遺体を発見
火災発生から間もない午前5時ごろ、日立署に男が車であらわれ、「家族を刺して火をつけた」と自首します。午前5時20分ごろ、駆けつけた捜査員が煙に気付き、消防に通報します。
消火が進むと、焼け跡からは5人の遺体が発見され、10代と見られる女性1人が病院に搬送されました。その後、病院に搬送された女性も死亡が確認され、被害者は6人にのぼりました。
死亡した6人は、全員寝室で発見され、刃物で刺された跡がありました。解剖の結果、死因は刃物で刺されたことによる失血死と、一酸化炭素中毒と判明しました。
殺害されたのは小松博文の妻と子供
自首した男は、火災現場の茨城県営住宅に住む小松博文。ただの住宅火災が一転、殺人事件となり、被害者はこの小松博文の妻で事件当時33歳の小松恵さん、恵さんの連れ子で11歳の長女、7歳の長男、5歳の次男、3歳の双子の三男と四男と断定されました。
小松博文が自供して逮捕される
小松博文は、6人を次々と包丁で刺した後、ガソリンをまいて火をつけ、車を運転して日立署に向かい、自首しました。
小松博文は、事件当日の10月6日に、まず長女に対する殺人容疑で逮捕され、その後、10月26日に妻の恵さん、長男、次男、三男、四男の5人の殺害と現住建造物等放火の容疑で再逮捕されました。
犯行の動機は?
小松博文容疑者は、逮捕直後から容疑を認め、犯行の動機は、「妻に離婚を切り出されたから」と語っています。実際、小松博文と恵さんの間では離婚が決まっており、恵さんは周囲の人に「これで幸せになれる」と話していたそうです。
小松博文とは?
身勝手な理由から、妻ばかりか罪もない幼い子どもたちの命まで奪った小松博文。小松博文とはどのような人物なのでしょうか。
小松博文のプロフィール
本名 | 小松博文 |
生年月日 | |
現在の年齢(2019年現在) | 35歳 |
出身地 | 千葉県八街市 |
血液型 |
ギャンブル好きで若い頃から仕事を転々としていた小松博文。生まれ育った八街市から逃げるように茨城県に移り住みます。子煩悩な一面もあったといいますが、近所からの評判は芳しくありませんでした。
小松博文の生い立ち
逮捕拘留後、朝日新聞の記者に87枚もの手紙を託し、手記を公表した小松博文。手紙には、小松博文の生い立ちや、事件に至るまでの様子が丁寧な細かい文字でびっちりと書き込まれていました。
手記によると、小松博文は、父親に溺愛されて育ったと言います。甘い父親の元で好き勝手に悪事を重ねた小松博文は、停学を繰り返した挙句高校を中退。その後は定職にもつかず、怪しい仕事をしながら親の脛をかじって生活していました。
小松博文は幼くして父親を亡くし、幼少期から20歳ごろまでを施設で過ごしたと言われていますが、事件か事故を起こして故郷の八街市にいられなくなった小松博文が、茨城県に移り住んだ直後に父親が亡くなっているとする説もあり、正確なことはわかりません。
いずれにせよ、小松博文は、モラルやルールに対する意識が低く、嫌なこと、辛いことからは逃げるばかりで、自立できない男です。
恵さんと出会い長男が生まれたときには、「これで父親に顔向けができる」と、父親の名前の一字を子どもの名前につけていますが、その1か月後には無免許運転で逮捕されています。
しかも、4年前に起こした交通事故の執行猶予が明けていなかったため、刑務所に入ることになりました。4年前の事故の執行猶予が残っていたということは、執行猶予はおそらくは5年。
小松博文と恵さんが出会ったのが2009年ですから、小松博文は、20歳になるやならずのときに、3年以下の懲役刑がつくほどの事故を起こしていたことになります。もしかしたら、この事故がきっかけで、八街市にいられなくなったのかもしれません。
小松博文の生い立ちは、悲惨なものでも、同情すべきものでもありません。もっとひどい境遇で育っても、立派に人生を歩んでいる人は大勢います。小松博文が、仮に施設で育ったのだとしても、情状酌量の余地はありません。
小松博文の信じられない生活ぶり
妻子6人を惨殺した凶悪な殺人犯として逮捕された小松博文。センセーショナルな事件は世間の注目を集め、報道によって小松博文のめちゃくちゃな生活ぶりが明らかになっていきました。
パチンコ三昧
2011年に仮出所した小松博文は、茨城県の恵さんの元に帰ります。小松博文は、水道工事の仕事につきますが長続きせず、半年で辞めてしまします。小松博文と恵さんは入籍しておらず、恵さんが2か月に一度もらう母子手当を生活費の一部にあてていました。
半年後、ようやく小松博文は建設現場に職を得ますが、生活は楽にはなりませんでした。そんなときに恵さんが妊娠し、第三子となる次男が誕生します。次男が生まれてしばらくすると市に同居がばれて母子手当を打ち切られてしまい、生活はますます困窮しました。
小松博文と恵さんの間では、お金がないことでしばしば喧嘩が起こっていたといいます。けれど小松博文と恵さんの関係は続き、双子を授かります。小松博文は、今度こそ心を入れ替えたかのように、昼夜を問わず働き、生活は安定するかに見えました。
しかし、こらえ性のない性格からか、小松博文は、就職しても長続きせず、2015年には福島に原発作業員として半年ほど行っています。
その後、免許を再取得した小松博文は、茨城県内で条件の良い職を得ますが、そこも、大型免許取得の条件に満たないことが発覚するのを恐れて逃げるように退職してしまいます。
経歴からは、働く意志はあるものの、何かあるとすぐに辞めてしまい、目先のことだけを考えて楽なほうへ楽なほうへと逃げてしまう、小松博文の未成熟な人間性が見て取れます。
一時期は恵さんの収入と合わせて一般家庭程度の収入があったはずですが、そこからは転落の一途で、ハローワークに行く傍ら、パチンコで生活費を稼ぐ毎日。子どものおもちゃを売り払って軍資金を捻出し、パチンコに行くこともあったそうです。
嫁のヒモ状態
せっかく就職しても長続きしない小松博文は、恵さんの収入に頼って生活する状態が続くこともありました。夫婦そろって無職の時期もあり、パチンコで日銭を稼ぎ、足りない分は借金を重ねるという生活を送っていました。
しかも、次男が生まれてからしばらくたっても籍を入れず、母子手当を当てにしていた体たらくぶりです。双子の妊娠を機に入籍し、一念発起して働き始めますが、やっぱり長続きせず、恵さんの収入や借金に頼って暮らしていました。
趣味は車の改造や購入
小松博文は、短期間に次々と車を買い替えては改造していました。ただこれは、改造車を販売して収入を得るなど、闇ブローカー的な仕事をしていたこともあり、単に趣味で車を買い漁っていたのではないのかもしれません。
妻へのDV
生活が困窮すると夫婦の間で喧嘩が絶えなくなるというのは良くある話で、小松博文と恵さんの間にも、ときには暴力を伴った喧嘩があったと言われています。
日常的なDVがあったかどうかは不明ですが、近隣住民は、争い合う夫婦の様子を見聞きしており、夫婦間で何等かの暴力的なトラブルがあったことは確かです。
ご近所ではトラブルメーカー
小松博文は、大きな体躯と威圧的な風貌から、近隣住民からはあまり好意的には見られていませんでした。
子どもを連れて出かける姿も良く目撃されていますが、DVが疑われるような夫婦げんかの騒音が聞こえたりして、「子煩悩な良いお父さん」というより、昼間からぶらぶらしている得体の知れない人との認識のほうが強かったようです。
とくに車に関しては苦情が相次いでいたようで、猛スピードで敷地内を走り抜けたり、駐車料金を滞納したり、他人の敷地に無断駐車したりして度々問題になっていました。
小松博文の妻はどんな人だったの?
33歳の若さで5人の子どもとともに命を落とした恵さん。SNSには可愛い子どもたちの様子が頻繁にアップされていました。なぜ小松博文のような男と関係を持ってしまったのか。一家の家計を支えつつ懸命に子どもを育てていた恵さんは、どのような人だったのでしょうか。
薬剤師として働いていた
ネット上では、被害者である小松恵さんは薬剤師として家計を支えていたとの情報が出回っていますが、それは間違いです。
小松博文と恵さんが出会ったのは2009年、その少し前に恵さんは離婚し、長女を連れて実家に戻っていました。恵さんは24歳前後で、恵さんの長女は3歳か4歳。つまり恵さんは20歳前後で長女を出産したことになります。
薬剤師になるには薬学部で6年間学び国家試験に合格しなくてはなりません。順調に薬学部を卒業し、国家試験に合格したとしても、24歳。妊娠出産のブランクを考えれば、恵さんが薬剤師であったというのは考えられません。
恵さんは病院に事務員として勤務していた経歴があり、同じように薬局で事務の仕事についていたことがあったことから薬剤師と誤認され、ネットに拡散されたようです。
小松博文との出会いも、作業現場で怪我をした小松博文が、恵さんが事務員として勤務する病院を訪れたことがきっかけだといいます。もっとも、小松博文と恵さんはインターネットの出会い系サイトで知り合ったとする記事もありますから、何が本当かはわかりません。
しかし、薬剤師ではなかったにせよ、小松博文が働いていない間、家計を支えていたのは恵さんであったことに間違いはありません。
夜の飲食店でもバイトしていた
小松博文の仕事が長続きしないせいで困窮していた小松家の生活。恵さんの契約期限が切れ、夫婦そろって無職という期間もありました。子どもが5人もいるとなれば、昼の仕事以外に恵さんが夜の仕事をしなくてはならないのは仕方がなかったのかもしれません。
しかし、小松博文がようやく定職を得て、恵さんに夜の仕事を辞めるように言っても、恵さんは「気晴らしのため」と言って、辞めようとはしなかったといいます。
浮気をしていた
茨城県日立母子6人殺人事件の直接の原因は、犯人小松博文の妻恵さんの浮気でした。夜の仕事を始めてから徐々に帰宅時間が遅くなる恵さんに、小松博文は不信感を持っていましたが、母親が不在の間は子どもたちの世話をするなど、献身的に家庭を支えていました。
小松博文が住んでいた県営住宅周辺では、幼い子どもの世話をする、小松博文や長女の様子が度々目撃されています。
しかし、恵さんは、勤め先で出会った男性と恋愛関係に陥り、離婚を考えるようになりました。子どもたちの運動会の日に恵さんの携帯電話を盗み見た小松博文は、浮気に気付き、恵さんは離婚を切り出しました。この6日後に事件は起こります。
妻の言い分と小松博文の手記の食い違い
小松博文は、逮捕後に手記を八量していますが、生前恵さんが周囲の人にこぼしていた内容とはいくつもの食い違いが見られます。
恵さんは、小松博文が子どものおもちゃを売り払ってパチンコに行っていると話していましたが、小松博文は、パチンコには恵さんも一緒に行っていたと記しています。小松博文が次々と仕事を辞めた際も、夫婦で相談して決めたと、独断ではなかったことを強調しています。
このように、手記には、自分に甘い、幼稚な小松博文の性格が良く表れています。小松博文が何を主張しようと、日立母子6人殺人事件は、大切なものを奪われることに耐えられなかった小松博文の暴走に他なりません。
日立殺人事件のその後は?
凄惨な茨城県日立母子6人殺人事件からこの秋で丸2年が経ちます。愛する我が子を手にかけた小松博文は、今何を思うのでしょうか。
小松博文は後悔の念を口にしていた
小松博文は、手記の中で、盛んに後悔の念を口にしています。いつまでも罪悪感を持ち続けることが、贖罪であるという趣旨のことも述べています。犯した罪の重さを自覚しているのでしょうか。しかし、何を言っても失われた命は戻りません。
学校の友達と遊ぶことより、半分しか血のつながらない弟たちの世話を優先させたという長女、パチンコの費用にするためにおもちゃを取り上げられても文句ひとつ言わなかった長男、まだあどけない次男と双子の弟たち。
人生のすべての局面で、ひたすらに逃げて来た小松博文にとっては、死刑すら「楽な方」への逃げなのではないでしょうか。
現在は裁判待ち
事件発生から間もなく2年が経とうとしていますが、起訴されたとは言うものの、小松博文の裁判の予定は立っていません。2018年には詐欺や公文書偽造の容疑で再逮捕されています。
死刑判決が出るのか?
いかに日本の司法が親族間の殺害に対して甘いとはいえ、6人もの死者を出した茨城県日立母子6人殺人事件において、死刑判決は免れないといいのが、大方の意見です。
小松博文については、公判前の鑑定で、刑事責任に問えるとの判定が出ているので、責任能力の欠如による無罪判決はないでしょう。
家族間の殺傷事件については比較的甘い判決が出ることが多いのですが、死亡者が6名にも及ぶこと、殺害理由に状情状酌量の余地がないことからも、死刑判決は免れないものと思われます。
子どもには罪はない
強面でいかつい容貌にもかかわらず、亡くなった5人の子どもは、いずれも小松博文になついていたようです。とくに恵さんが夜の仕事を始めてからは、子どもの世話は主に小松博文がこなしていました。
夫婦間の軋轢は、子どもには預かり知らぬことです。何の疑いもなく慕ってくれていた5人の子どもたちを無慈悲に手にかけた小松博文は、鬼畜と断罪されても仕方がないのかもしれません。
「生かしておいてもかわいそうだ」などという殺害理由は、身勝手過ぎていささかの同情も湧きません。身勝手な大人の都合に翻弄された幼い子供たちがひたすらに哀れです。