ダウンタウン浜田雅功の出身高校は日生学園!経歴や偏差値も紹介

ダウンタウン浜田雅功の出身高校とは?お笑いコンビ「ダウンタウン」として活躍している浜田雅功さんについて、簡単なプロフィールとともに出身高校や偏差値などをご紹介します。また出身高校である日生学園でのエピソードなども取り上げています。

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目次

  1. 1浜田雅功の高校時代のエピソードが壮絶だった
  2. 2浜田雅功とは?
  3. 3浜田雅功の出身高校はどこ?
  4. 4浜田雅功が高校に日生学園を選んだ理由とは?
  5. 5浜田雅功の高校時代の学園生活がやばい
  6. 6浜田雅功の出身高校の現在は?
  7. 7世間から隔離されて「浦島太郎」状態に
  8. 8浜田雅功の高校時代は予想の上をいく壮絶さだった

浜田雅功の高校時代のエピソードが壮絶だった

お笑いコンビのダウンタウンとして活躍している浜田雅功さんは、芸能界で大成功している1人として多くの人に認識されている人物ですが、その高校時代が凄まじかったということはあまり知られていません。

浜田雅功さん自身が色々なエピソードを持っているということもありますが、出身高校自体が世間で注目を集めたほどの高校であり、それと合わせて「壮絶」だということです。

そこで今回は、そんな浜田雅功さんの出身高校や壮絶なエピソード、そして出身高校の今現在などをご紹介します。また、浜田雅功さんの簡単なプロフィールも合わせてご紹介しますのでチェックしてみてください。

浜田雅功とは?

浜田雅功さんは、1963年5月11日生まれの2019年現在56歳、兵庫県尼崎市出身でお笑いコンビ「ダウンタウン」のツッコミ担当として、そして俳優、歌手、司会者として活躍している男性芸能人です。

ダウンタウンの相方は松本人志さんで、妻はタレントの小川菜摘さん、長男はOKAMOTO'Sのベーシスト・ハマ・オカモトさんです。

昔から物怖じしない性格で、先輩芸人や大御所芸能人に対しても臆することなく叩いたり、タメ口を利いてツッコミを入れるのも特徴で、こういった振る舞いがダウンタウンの躍進に繋がったとも評されています。

浜田雅功のプロフィール

本名 濵田雅功(はまだ まさとし)
生年月日 1963年5月11日
現在の年齢(2019年現在) 56歳
出身地 兵庫県尼崎市出身
血液型 O型
活動内容 お笑い芸人、タレント、俳優、歌手、司会者
所属グループ ダウンタウン
所属事務所 吉本興業
主な作品 【バラエティ番組(レギュラー)】
浜ちゃんが!
プレバト!! 
ごぶごぶ
ジャンクSPORTS
そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?

【テレビドラマ】
普通の結婚式
パパとなっちゃん
ADブギ
十年愛
人生は上々だ
竜馬におまかせ!
Friends
明日があるさ
検事・鬼島平八郎

【映画】
ポップコーン LOVE
昭和鉄風伝 日本海
スペーストラベラーズ
明日があるさ THE MOVIE

【CM】
日本コカ・コーラ「ジョージア ZOTTO」
JR東日本「JR Ski Ski」
サントリー「V.O」
サントリー「キレ味[生]」
森永製菓「ウイダーinゼリー」
アサヒビール 「クリアアサヒ」

浜田雅功さんの簡単なプロフィールについては上記のようになっております。主な作品でご紹介しているものは一部抜粋であり、ダウンタウン名義は除外して浜田雅功、もしくは本名の濵田雅功名義のものとなります。

お笑い芸人、お笑いタレントとしてデビューし、多くの笑いを作ってきましたが、それだけではなく歌手や俳優としても多くの活動をしています。

また、ソロでもダウンタウンとしてでもメインMCとしての立ち位置が多く、司会者として活躍している場面が多くなっています。

浜田雅功の出身高校はどこ?

浜田雅功さんの簡単なプロフィールを確認したところで、続いてはここでの本題ともいえる出身高校についてチェックしていきましょう。

浜田雅功さんの高校時代のエピソードが壮絶だったと言われる、その「出身高校」はいったいどこだったのでしょうか。

日生学園第一高等学校に入学

浜田雅功さんの出身高校は「日生学園第一高等学校」となっています。こちらの高校は三重県伊賀市にある全寮制の高校で、今現在は桜丘高等学校となっています。

2年生から日生学園第二高等学校へ転向

浜田雅功さんが入学したのは日生学園第一高等学校なのですが、1980年の2年生のときに日生学園高等学校の兄弟校となる、こちらも全寮制の日生学園第二高等学校が開校しています。

そして、そのときに浜田雅功さんはそちらの日生学園第二高等学校に移動しています。こちらは三重県津市にあり、現在は青山高等学校となっています。

高校の偏差値は?

浜田雅功さんの出身高校である日生学園の当時の偏差値は40以下だったと言われています。これはいわゆる「底辺の不良」が通うレベルの偏差値で最低ランクといえるものです。

ただ、日生学園自体が勉強をいい加減にしていたか?というとそういうことはなく、テスト前では普段の消灯時間を過ぎても勉強する時間が設けられていたりと、しっかりと勉強にも力を入れていたようです。

浜田雅功が高校に日生学園を選んだ理由とは?

浜田雅功さんが中学卒業後の進学先高校として日生学園を選んだ理由にはどのようなものが挙げられるでしょうか。

実は、特に仲良しで今現在の相方として存在している松本人志さんが同じ高校ということもなく、「お受験」などに力を入れていない中学生がやってしまいがちな「仲間と同じ学校を選んだ」などではありません。

まず、先に挙げた「偏差値」の問題でこの学校を選んだという部分もありますが、他にも理由がありますのでご紹介します。

中学時代の浜田雅功はヤンチャだった

浜田雅功さんは、今現在の人物像を見ても想像しやすいですが中学生時代も「ヤンチャ」な存在でした。

このような理由からそれほど勉強ができたわけでもなく、いわゆる「内申」が良いという状況でもないために「普通レベル」の高校への進学というのは難しかったということもあります。

中学卒業、そして高校進学が迫っているからと言って、そこから取り戻すように勉強を熱心にやるような生徒でもなかったために、日生学園を選んだという部分もあります。

中学時代の担任が父親に日生学園を勧める

ただ、先にお伝えしたような理由で「選んだ」という部分もないことはないのですが、実際に大きな理由となっているのが、中学時代の担任の先生が浜田雅功さんの父親に日生学園を勧めた、ということになります。

逸話として、当時から仲の良かった松本人志さんらと友人の家に遊びにいった浜田雅功さんですが、その家が留守だったために家の扉をノコギリで切って破壊して家に入るというヤンチャをやらかしたことがあります。

そういった悪事やヤンチャをきっかけとして、当時全寮制で「スパルタ」な教育がウリだった日生学園を担任の先生が薦めたということです。そこで「公正」させようと考えたということでしょう。

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浜田雅功の高校時代の学園生活がやばい

浜田雅功さんの出身高校が日生学園第一高等学校、そして日生学園第二高等学校だということ、そしてその高校を選んだ理由をお伝えしました。

そして、その高校での学園生活が「やばい」というエピソードをここよりお伝えしていきます。これは「浜田雅功がやばい」のではなく「浜田雅功の出身高校がやばい」というエピソードです。

前提としてこの日生学園は、住み込みで働く教師たちと「全寮制」で生活することと「スパルタ教育」だということで有名な高校です。

起床は朝4時

浜田雅功さんの出身高校である日生学園は先にもお伝えしているとおり「全寮制」なので、起床時間や消灯時間というものが存在しています。

そして、この日生学園で決められている起床時間は「朝4時」となっています。しかも掃除や洗顔などを15分で済ませるというスピード感も求められます。

その後は、学生寮からの集団登校、校歌斉唱、点呼など様々に決められた行動を「テキパキと全力&大声を出しながら」行なうようになっています。

起床後と放課後はランニング

また、日生学園では朝4時に起きるというだけではなく、その寝起きの状態から2キロのマラソンが課せられていて、これを毎日行います。

さらに朝イチのマラソンだけではなく、放課後にもランニングする時間があり、こちらにいたっては10キロのランニングとなっていました。

いちおう水曜日と日曜日「以外は」朝4時起きということなので、水曜日と日曜日だけは少々楽に過ごせる時間も用意されています。

トイレ掃除は素手で便器を磨く

また、浜田雅功さんの出身高校である日生学園に入学した、もしくは卒業してる芸人や有名人は何名かいるのですが、そこでよく挙げられる有名な話に「トイレ掃除は素手で便器を磨く」というものがあります。

特にゴム手袋のようなものを使うこともなく、またトイレ用の柄の長いブラシを使うようなこともなく素手で行なうのが「日生学園の伝統」のようになっていたと語っています。

また、浜田雅功さんによると「トイレに付いている汚れとかも爪で削って落としたり…」ということを言っていて、このような掃除方法が伝統的に強いられてきたということです。

脱走する生徒が多数

全寮制で常に周りとともに行動し、その中で「スパルタ」な教育方針が行われている日生学園は、その厳しさから「脱走」する生徒も多数いたといいます。

同じくお笑い芸人で日生学園の後輩でもある今田耕司さんは、その壮絶すぎる学園生活に耐えられず「脱走」してそのまま退学したといいます。

1年生の秋に脱走を決意しましたが、見つかると「すっげぇ怖いんで」計画を綿密にたてて実行したことを話しています。また、松本人志さんによれば浜田雅功さんも何度か脱走して松本人志さんの家に来ていたといいます。

先輩との上下関係が厳しい

また、このような厳しい学校では「当然」とも思えますが、先輩との上下関係は非常に厳しいものだったと言います。

先輩の多くは「面倒見が良い」のですが、それは学校の方針で先輩は後輩の面倒を見るというものもあり、勉強も先輩が後輩に教えるという習わしがあったそうです。

ただ、そこで後輩の成績が悪かった場合は「連帯責任」となり先輩にも正座やランニングが課されるため、先輩からの指導は「体罰」的なものも含む厳しいものだったと言われています。

甘いものの持ち込み禁止

さらにこちらの日生学園は全寮制のスパルタ学園で外界との接触機会が極端に少なく、娯楽や甘いものなどもありませんでした。

そして、校外への外出は月に1度だけ「自宅への帰宅」はできましたがそれ以外は禁止されていて、さらに校外から戻ってきた際には「持ち物検査」があり、余計なものの持ち込みはできないようになっていました。

日生学園の生活ぶりが分かる動画を紹介

ダウンタウンの浜田雅功さんが卒業している日生学園の当時の生活ぶりは先にご紹介したようになっていますが、実際に当時の様子が分かる動画をご紹介します。

この時代では同じように全寮制でスパルタ教育が徹底していた学校というのはいくつかありましたが、その徹底ぶりはこちらの日生学園が突出していたと言われています。

そのスパルタぶりに娯楽が「いじめ」くらいしかなくなり、先輩や先生からの体罰は日常茶飯事になっていたということです。

浜田雅功の出身高校の現在は?

先にご紹介した「浜田雅功の高校時代の学園生活がやばい」というところを見るとどれほど壮絶だったのかが分かりますが、その壮絶な出身高校の「今現在」はどのようになっているのでしょうか。

現在では逆に過剰ともいえるほどに生徒への指導方法が厳しく取り締まられている印象がありますが、この現代で日生学園のような「スパルタ」は続いているのでしょうか。

過去には自殺騒ぎが起きていた

先にもお伝えしましたが、同じような「全寮制」「スパルタ教育」の学校の中でも日生学園は突出していたとされますが、その厳しさゆえに「自殺騒ぎ」が起きていたこともあります。

このことが1986年に写真週刊誌に報道されて国会による国政調査が入ったこともあるということです。今ほど指導方法に厳しくないご時世であっても「さすがにやりすぎ」とされるほどの厳しさだったといえます。

そういった「行き過ぎのスパルタ」や時代の流れなどもあり、今では日生学園の教育方針も変化しています。

現在はスパルタ教育は廃止

こちらも先にお伝えしていますが、日生学園は現在は名前が変わっていて、名前だけではなく教育方針も変化しています。

こちらの学校の理事長が変わった1990年代にはこの「スパルタ方針」も変わって現在は「普通」の学校になっています。

現在では、日生学園第一高等学校は「桜丘高等学校」、日生学園第二高等学校は「青山高等学校」、日生学園第三高等学校は「自由ヶ丘高等学校」に名前を変えています。

世間から隔離されて「浦島太郎」状態に

当時の日生学園では新聞、テレビ、雑誌、ラジオなどの娯楽が一切禁じられていて、世間からの情報を仕入れることができません。

ですので、学校の規則で丸坊主にしているため、その散髪する際に床に敷かれていたのが新聞紙だったためそれを読んで始めて知ることも多かったといいます。

当時は石原裕次郎の入院をその散髪用の新聞で知ったり、帰省し友人と街へ遊びに行った際に三色の歯磨き粉が発売されていたことを知ったというエピソードがよく語られています。

浜田雅功の高校時代は予想の上をいく壮絶さだった

比較的、「学生時代が壮絶」などという話になるとヤンチャだったころの「武勇伝」のような話は「いじめ」などでの辛い過去の話が多くなります。

ですが、浜田雅功さんの壮絶はまるで軍隊のような刑務所のような規則とスパルタに縛られた生活ぶりのことだったことが分かります。

ただ、「今の浜田雅功」があるのもこの生活を乗り越えたからだという声もあります。そんな壮絶な高校時代を乗り越えた浜田雅功さんの今後の活躍にも期待していきましょう。

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