伊藤エミは沢田研二の奥さんで結婚した理由は?馴れ初めなども紹介
今回は伊藤エミさんについて紹介します。伊藤エミさんは、ザ・ピーナッツとして活躍していた女性です。伊藤エミさんがどんな風に芸能界に入ったのか、引退を決めた理由などもまとめます。また伊藤エミさんの結婚についてもみていきましょう。
目次
伊藤エミってどんな人なの?
今回は歌手の伊藤エミさんについて紹介します。伊藤エミさんという名前だけではピンとこない人もいるかもしれませんが、伊藤エミさんと伊藤ユミさんのデュオ、ザ・ピーナッツの名前は知っているとい人が多いでしょう。
伊藤エミとは?
伊藤エミさんの結婚などについてみていく前に、まずは伊藤エミさんがどんな女性だったのかをまとめていきましょう。伊藤エミさんの簡単なプロフィールを紹介します。
伊藤エミのプロフィール
本名 | 伊藤日出代 |
生年月日 | 1941年4月1日 |
享年 | 71歳(2012年6月15日没) |
出身地 | 愛知県 |
活動内容 | 歌手 |
所属グループ | ザ・ピーナッツ |
所属事務所 | 元渡辺プロダクション |
主な作品 | 映画「モスラ」 |
伊藤エミさんと伊藤ユミさんのデュオ、ザ・ピーナッツは、歌手として主に活動をしていましたが、女優としても少し活動をしていました。映画「モスラ」の小美人役は、今でも覚えている人がいるでしょう。
伊藤エミの経歴
それでは伊藤エミさんの経歴も簡単にみていきましょう。伊藤エミさんは、どうやって芸能界にデビューをして、どうして引退する事になったのでしょうか。
双子の妹ユミと一緒にスカウトされる
伊藤エミさんは愛知県出身の三女として生まれています。10歳の時には双子の妹である伊藤ユミさんと一緒にNHK名古屋放送局の唱歌隊に所属をしていました。
その後、名古屋市のレストランで伊藤シスターズとして歌っていた時に、渡辺プロダクションの社長にスカウトされています。
1959年にザ・ピーナッツとして歌手デビュー
渡辺プロダクションの社長にスカウトされた伊藤エミさんと伊藤ユミさんは、1959年2月に「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手としてデビューをしました。
ザ・ピーナッツでは、伊藤エミさんがハーモニーで伊藤ユミさんがメロディーを担当しています。ちなみに2人の見分け方はほくろで、ほくろのある方が伊藤エミさん、ない方が伊藤ユミさんです。
双子の可愛い女性である事と素敵なコーラスが人気で、レコード会社は争奪戦になったようです。ビクターレコードとキングレコードが最後まで候補となっていたようですが、最終的にはキングレコードと契約をしています。
女優としても活躍
歌手としてデビューをした伊藤エミさんと伊藤ユミさんですが、女優としても活躍をされています。女優として活動する時には、個々で出演する事よりもザ・ピーナッツとして2人で出演される事の方が多かったようです。
映画「モスラ」は代表的な作品となりましたが、他にも映画「私と私」や映画「若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん」などに出演されました。
1975年に芸能界を引退
デビューをしてからザ・ピーナッツとして人気があった伊藤エミさんですが、1975年に人気絶頂の中芸能界を引退する事を発表されました。渡辺プロダクション社屋で記者会見を開いています。
伊藤エミさんは引退後結婚をして、伊藤ユミさんはファッションデザイナーとして活躍されることになるのです。
ザ・ピーナッツ引退は人気が落ちたからだとか結婚するからだという噂がありましたが、伊藤エミさんには人気絶頂の時に、惜しまれながら引退をしたいという思いがあったようです。
伊藤エミの主な作品
伊藤エミさんといえば、ザ・ピーナッツでの活躍は経歴から外す事はできません。ザ・ピーナッツの時代、伊藤エミさんはどんな楽曲を届けていたのでしょうか。
恋のフーガ
ザ・ピーナッツのヒット曲の1つが「恋のフーガ」です。作詞は小説家としても活躍していたなかにし礼さん、作曲はゲーム「ドラゴンクエスト」の曲でも有名なすぎやまこういちさんが担当していました。
名曲と言われる楽曲で、小柳ゆきさんやW(ダブルユー)などがカバー曲をリリースしています。
情熱の花
「情熱の花」もザ・ピーナッツのヒット曲です。どこかで聞いた事がある曲調に感じるのは、アレンジ曲だからです。情熱の花はクラシックである、ベートーヴェン「エリーゼのために」のメロディーをアレンジして作られた曲でした。
恋のバカンス
「恋のバカンス」もどこかで聞いた事があるという人が多い、大ヒットした名曲になります。日本国内でも何度もカバーされていますが、ロシアなどでもカバーされた名曲です。
伊藤エミは沢田研二の元奥さん
ザ・ピーナッツとして活躍をしていた伊藤エミさんは、引退後に結婚をします。伊藤エミさんの結婚相手が、歌手の沢田研二さんでした。ここからは伊藤エミさんの結婚についてまとめていきます。
沢田研二とは
伊藤エミさんと結婚をした沢田研二さんは、最近コンサートのドタキャン騒ぎでも話題となった男性歌手です。1948年6月25日生まれで、「ジュリー」の愛称で人気がありました。
1975年に結婚
伊藤エミさんと沢田研二さんは、1975年6月に結婚をしています。芸能界を引退してから2か月後の事でした。結婚式は、比叡山延暦寺で挙げ話題となっています。
2人の馴れ初め
伊藤エミさんと沢田研二さんは、7歳差です。同じ歌手であった2人の出会いは、どのように出会ったのでしょうか。
詳細は公表されていませんが、伊藤エミさんと沢田研二さんは、同じ渡辺プロダクションに所属していたので、顔を合わせる機会は多かったようです。
伊藤エミさんと沢田研二さんは、結婚するまでに6年の交際期間があったと言われています。伊藤エミさんは、引退を決めるかなり前から沢田研二さんとお付き合いをしていたようです。
子供は息子が1人
伊藤エミさんと沢田研二さんは、1979年3月にお子さんが1人生まれています。男の子だという事はわかっていますが、現在は一般人として生活をしているため、名前や顔写真は公開されていません。
この時に授かった息子は、晩年の伊藤エミさんの心の支えにもなっていたようです。「息子を育てるのが趣味」だと語っています。
1987年に離婚
1979年には子供も生まれた伊藤エミさんと沢田研二さんですが、1987年に離婚をすることになります。この時、伊藤エミさんは沢田研二さんから18億1,800万円の慰謝料を受け取っています。
当時の芸能人カップルの慰謝料では最高額だと言われました。離婚後、子供は伊藤エミさんが引き取っています。
離婚理由は?
伊藤エミさんと沢田研二さんの離婚理由については、色々な噂がありましたが、沢田研二さんの不倫が原因なのではないかという説が強いようです。
沢田研二さんは不倫をしていて、その女性と一緒に生活するために、離婚届にサインをして家を出てしまったと言われています。
沢田研二さんの不倫相手は、映画で共演していた女優だったようです。週刊誌にもツーショット写真が掲載されていました。
伊藤エミは離婚後も澤田姓を使っていた
18億1,800万円の慰謝料を受け取って離婚をした伊藤エミさんですが、離婚後も澤田姓を使っていたようです。
伊藤エミさんが澤田姓を使っていたのは、沢田研二さんの事がまだ好きだったからなのかもしれません。しかしおそらくは、息子のために澤田姓のままだったのではないかと思われます。
息子の名前はわかっていませんが、現在でも澤田姓で生活をしているようです。息子の戸籍が汚れないようにという、母親の配慮だったのかもしれません。
伊藤エミの死因は?
沢田研二さんとの離婚後、伊藤エミさんが公共の場に姿を現す事はありませんでした。そして2012年に、伊藤エミさんが亡くなった事が伝えられたのです。
2012年に死去
伊藤エミさんは2012年6月15日に亡くなり、その12日後に世間に公表されました。ザ・ピーナッツのファンだった人にも衝撃が走ったようです。
死因は癌
伊藤エミさんの死因については、癌であったとだけ伝えられています。何の癌だったのかまではわかっていませんが、伊藤エミさんが亡くなる1か月前に癌である事が発覚したそうです。
癌である事がわかってから亡くなるまでの期間が短い事から、肝臓か膵臓の癌だったのではないかとも言われています。
葬儀は密葬だった
伊藤エミさんの葬儀がどこで行われてのかはわかっていません。生前、伊藤エミさんが家族葬を望んでいた事から、密葬という形で葬儀が行われたそうです。
伊藤エミさんは、亡くなる3か月前に愛犬を亡くしており、その前の年には実母も亡くしています。家族が次々に亡くなった事から、自分の死についても考えていたのでしょう。
伊藤エミは自分らしく生きた女性だった
今回はザ・ピーナッツで活躍をした伊藤エミさんについて紹介しました。伊藤エミさんは、芸能界デビューから引退、結婚に離婚、さらに葬儀まで、自分らしく生きた女性だったようです。