佳那晃子の今現在!病気で闘病中?結婚して旦那はいる?
佳那晃子という方を皆さんはご存知でしょうか?ドラマを中心に活躍した女優さんです。ただ、今現在病気で闘病中だと囁かれています。佳那晃子さんは結婚しているのでしょうか?お子さんはいるのでしょうか?その真相について調べてみました。
目次
佳那晃子とは?
佳那晃子さんは、舞プロモーションを経て、現在のオフィスPSCに所属。1974年から2013年まで映画、テレビドラマ、演劇界で活躍した女優さんです。今現在は病気を克服するため、静岡県東伊豆町で闘病生活を送っておられます。
佳那晃子のプロフィール
本名 | 関田 祐子 |
生年月日 | 1956年3月8日 |
現在の年齢(2018年現在) | 62歳 |
出身地 | 東京都八王子市 |
血液型 | O型 |
活動内容 | 女優 |
所属事務所 | オフィスPSC |
佳那 晃子の経歴
佳那晃子さんは東京都八王子で生まれ、東京都立日野高等学校を卒業後、短大在学中のミスコンが芸能界デビューのきっかけとなります。それでは、女優・佳那晃子さんの華々しい経歴を見ていきましょう。
NTV主催のミス水滸伝コンテストに入選して芸能界入り
佳那晃子さんは短大在学中、NTV主催のミス「水滸伝」コンテストに入選して芸能界入りをしました。1974年の映画「襤褸の旗」が女優としてのデビュー作ですが、当時は大関優子という名前を使っていたようです。
映画「ザ・ウーマン」から芸名を佳那晃子とする
1980年に公開された映画「ザ・ウーマン」から、現在の芸名の佳那晃子に改名しています。男心をそそる美貌と魅力たっぷりの主人公を、佳那晃子さんは女優として堂々と演じきっています。
「魔界転生」の妖艶な細川ガラシャが話題となる
1981年に公開された映画「魔界転生」で、細川ガラシャ役に抜擢され話題となりました。病気降板した高瀬春奈さんの代役でしたが、佳那晃子さんの目鼻立ち・妖艶な色気・脱ぎっぷりの良さで女優としての人気を集めました。
主に2時間ドラマで活躍
細川ガラシャを演じてから一躍有名人になった女優・佳那晃子さん。以降は「火曜サスペンス劇場」や「土曜ワイド劇場」など、いわゆる2時間ドラマがヒットしている中で、数々のドラマ作品に出演されています。
佳那晃子の主な出演作品
女優・佳那晃子さんは、映画「犬神家の一族」「鬼龍院花子の生涯」の他、ドラマでは「銭形平次」「桃太郎侍」「水戸黄門」など、若い方でも一度は耳にしたことのある有名な作品にも多数出演されています。
その中でも佳那晃子さんの代表作を見ていきましょう。
佳那晃子出演の映画
まずは、佳那晃子さん出演映画を3作品ご紹介します。各作品の内容と役どころも合わせてどうぞ!
四季・奈津子
博多の郊外で平凡で幸福な生活を送っていた四姉妹の次女・奈津子。3年間付き合っている、地元の中小企業の跡取り息子との結婚に踏み切れずにいました。
ある日、四女と観た劇団公演でカメラマンの男性と知り合います。今の自分を変えるべく、自分のヌード写真を撮ってもらうことを頼むのでした。
平凡なOLが自分の殻を破り、自分と違った生き方をしている人間と出会うことで、自分の人生を模索していく物語です。佳那晃子さんは、博多郊外の小峰家に嫁いで貞淑な妻となっている四姉妹の長女「波留子」を演じています。
1980年公開、監督:東陽一、脚本:五木寛之、主演:鳥丸せつこ
魔界転生
寛永15年、島原の乱で殉死したはずの天草四郎が雷鳴とともに甦りました。自分と同じように不本意の死に追いやられた人々を集めて、徳川幕府に復讐を企てます。徳川家綱へ復讐を開始しますが、彼らの前に柳生十兵衛が立ちふさがるのです。
さて、最後に笑うのはどちらでしょうか。佳那晃子さんは、復讐を企てる一員として家綱に接近する「細川ガラシャ」です。お玉の方に扮して大奥に入り、家綱はその妖艶な体に溺れていきます。
1981年公開、監督:深作欣二、脚本:野上龍夫、主演:千葉真一・沢田研二
極道の妻たち
現在服役中の巨大暴力団・堂本組の傘下の粟津組組長の妻で、夫に代わって組を率いる環。環は、貧しい工場を経営する父と暮らす妹に縁談を持ちかけます。
そんな時、堂本組総長が急死。跡目は若頭に決まりますが、これに不満を持つ舎弟頭の蔵川は、補佐の小磯らと朋竜会を結成し、若頭の暗殺を企てます。
一方、アルバイト先のスナックで口説かれていた環の妹は、バカンスを楽しむグアム島で偶然彼と再開。無理やり抱かれるのですが、若頭暗殺のための拳銃の試射に来ていたのでした。
男たちのかげで女はどう生きているのか。佳那晃子さんは朋竜会の一員、小磯明正の女房「小磯泰子」を演じています。対立している姐さんを慕う役です。
1986年公開、監督:五社英雄、脚本:高田宏治、主演:岩下志麻
佳那晃子出演のドラマ
次に、佳那晃子さん出演のドラマ作品です。2時間ドラマ枠も多数出演されていますが、今回は連続ドラマの代表作をご紹介いたします。
金曜日の妻たちへ
主人公・中原宏と久子は結婚して8年目。2人の子供にも恵まれ郊外のテラスハウスを購入しました。村越家の妻は久子の短大の同級生、田村夫妻は中原家が以前住んでいた団地の住人仲間。
10年前からこの3組の夫婦の付き合いが始まり、それぞれ子供が出来てもそれは変わらず、時期を同じくしてニュータウンに越してきました。しかし、村越が離婚を切り出したことによって6人の関係は大きく変わっていきます。
「金妻(キンツマ)」なる流行語を生みだし、不倫の恋や人妻の浮気という危ない関係が世の女性たちの注目を集めました。佳那晃子さんは、中原に気があり、幸せな家庭に対して嫌悪感と強い羨望を持つあまり、何かと問題を引き起こす女「斉藤佳代」を演じます。
1983年放送、監督 : 飯島敏宏・松本建、脚本:鎌田敏夫、主演:古谷一行
間違いだらけの夫選び
ベビー用品輸入販売会社の東京営業所の社宅には、所長、課長、係長の家族5所帯が暮らしています。主任の村上一也は結婚して6年、出張に行くたびに常務秘書と浮気を重ねていました。
一方、妻の恵子は夫の肩書で左右される社宅妻達の序列にうんざり。そんな中、東京営業所が突然閉鎖。これにより退社した一也は同僚らと共にハウスクリーニング業を始めます。一也を追うようにして上京してきた浮気相手が、その代表取締役となるのでした。
30代の主婦たちが持っている夫の理想と現実のギャップ、そして夫の言い分と心理をテーマとした話題作。佳那晃子さんは、社宅に住む係長夫人でごまをすり合う「民子」を演じています。
1985年放送、脚本:松原敏春、主演:市毛良枝
はるちゃん5
舞台は信州・浅間温泉の潰れかけ老舗旅館「信州屋」。伝統第一とする大女将と、若者向けにリニューアルしたい若女将が対立します。
嫁姑問題も絡み、次々と巻き起こる騒動。主人公で中居のはるちゃんパワーにみんなが引っ張られ、力を合わせて旅館を再生していく様子を描いています。
はるちゃんが各地の温泉旅館で活躍する姿を描いたシリーズ第五弾。佳那晃子さんは、夫に先立たれ大女将と対立する若女将「丸谷かなえ」役を演じます。
2001年放送、脚本:深沢正樹・吉村ゆう・清水喜美子、主演:中原果南
佳那晃子の若く美しい画像
1976年ドラマ「大都会」で杉山のぶ子を演じた時の写真です。20歳の頃と思われますがとても綺麗です!
1981年、映画「魔界転生」でガラシャを演じた時の写真です。切れ長の目が見るものを惹きつけます!
1983年、ドラマ「長七郎江戸日記」であかねを演じた時の写真です。先程の写真は妖艶な女性ですが、こちらはキリッとしていてカッコイイです。1994年にはヘアヌード写真集「幻想」を発売されています。
佳那晃子は結婚してるの?旦那は誰?
これだけ綺麗ですと、世の男性が放っておかないでしょう。現在結婚して旦那はいるのか、旦那はどんな人なのか、とても気になります。さかのぼって調べてみました。
1990年に放送作家と結婚
1990年、佳那晃子さんが33歳の時に放送作家の「源高志さん」とご結婚されてます。2人は数年前から同居していましたが、当時結婚していた源さんの離婚成立を待っての入籍となりました。
旦那さまの全盛期の年収は、3億円以上とも言われていた超売れっ子作家です。今でも凄い額だということがわかります。当時もセレブ婚と話題になりました。
結婚後すぐに借金4億円
結婚から半年後。旦那さまの経営していたテレビ会社がバブル崩壊後に倒産。6000万円の負債を抱えることとなります。旦那さまと住んでいた高級マンションが差し押さえられ、4台あったベンツは売り払い、収入のほとんどは借金返済に当てられたそうです。
銀行や知人にお金を借りて従業員の給料支払いに当てましたが、肝心の借金までは手が回りません。最終的には高金利の利子含めて4億円まで借金が膨れ上がり、ガスや電気が止められたこともありました。
弁護士からは自己破産を勧められたそうですがそれを断り、10年かけて旦那さまと二人で返済したそうです。
子供は?
今のところ佳那晃子さんにお子さんはいないようです。4億円もの借金を返済することは並大抵のことではありません。女優としても忙しかったことでしょう。育てる余裕がなかった、というのが正直な所かもしれません。
佳那晃子と病気
借金返済にようやく目途がついた矢先、佳那晃子さんは手足のむくみを感じ病院を受診します。そこで診断されたのが「ネフローゼ症候群」という病気でした。ここから闘病生活が始まりました。
ネフローゼ症候群とは
原因不明の腎臓の難病です。尿に大量のタンパクが流れ出てしまうことで血液中のタンパクが減少。その結果、体中がむくんでしまう病気です。高度になると肺やお腹、さらに心臓や陰嚢にも水がたまります。
また、低タンパク血症は血液中のコレステロールも増やします。その他にも腎不全、血栓症(肺梗塞、心筋梗塞、脳梗塞など)、感染症などを合併する危険性があります。
4年間の闘病生活
佳那晃子さんは重度のネフローゼ症候群を患います。発症当時は疲れやすく、外出後はむくみも出るほど病気は悪化していきました。
さらに肺水腫を患い緊急入院。入院後すぐに検査と食事療法や投薬治療が行われましたが、一進一退で結果が出ずに苦しんだといいます。
半年の入院を経て約4年にも及んだ闘病生活を乗り越え、佳那晃子さんは女優復帰を果たします。2009年12月19日、東京・渋谷のセルリアンタワー能楽堂で上演の『名作語り 高野聖』の朗読劇にて女優業に復帰したのでした。
佳那晃子のオフィシャルサイト
旦那さまを中心に西田和昭を始めとする、有志による佳那晃子オフィシャルサイト「佳那晃子が病院から歩いて帰って来るまでのサイト」が公開されました。当時は支援金の口座を開設し、支援グッズの販売も行い、多くの善意が集まったようです。
今現在は閉鎖
同サイトの旦那さまのブログには、佳那晃子さんが倒れた2013年1月10日からの内容と、2013年12月1日からの内容が併記する形で毎日更新されていましたが、今は全て閉鎖されています。
佳那晃子の現在
闘病生活を余儀なくされた佳那晃子さん。旦那さまも含め、今現在もメディアでその名を耳にすることはありません。今現在はどうしているのでしょうか。
くも膜下出血により今現在も闘病中
2013年1月10日、佳那晃子さんは自宅のトイレで突然倒れます。旦那さまが異変に気付きトイレに駆け込むと、佳那晃子さんはいびきをかいて倒れていたそうです。意識不明の重体、くも膜下出血でした。
「佳那晃子・脳死宣告」という報道が流れました。ネフローゼ症候群という病気から女優復帰して、わずか4年後の出来事でした。
医師からは病状が最も重い「重度5」であり、脳死もしくは植物状態であると診断されます。意識を取り戻し回復する確率は限りなくゼロに近いと言います。
自らの意思で手足を動かすことは出来ず、かろうじて自発呼吸は出来るものの、喉には管が入っているので食事はそれを使って流動食を流し込みます。旦那さまは病気と向き合い、諦めることなく看病を続け、今現在も闘病生活は続いています。
最初に入院した病院からリハビリ施設に移り、状態も徐々に回復し、しゃべることは出来なくても瞬きで返事が出来るようになったといいます。表情の変化も見られ、回復の兆しが少しずつ見えているようです。
女優としての復活を信じたい
佳那晃子さんと同じく、くも膜下出血という病気から復帰を目指し、現在も闘病生活を送っているのは歌手のKEIKOさん。都内の施設でリハビリに励み、外泊できるまで回復しています。
歌手の星野源さんも同じ病気を患い、闘病生活を乗り越え、今では元気に活躍されていらっしゃいます。
佳那晃子さんの闘病生活は永きにわたっていますが、奇跡的に回復している様子を知ることができました。リハビリ生活を頑張っていらっしゃる証なのでしょう。女優としての復帰を信じたいです。
源高志が語る佳那晃子への想い
ある記事で旦那さまの源高志さんが佳那晃子さんへの想いを語っていらっしゃいます。「くも膜下出血の症状でも最悪のレベル5。そこから歩けるまでに回復する患者は4%。何とかその4%に入れてやりたい。」
夫婦二人三脚で病気を克服して、佳那晃子さんがドラマで活躍される日が来ることを、視聴者の一人として切に願います。美しい女性は、いくつになっても美しいものですから。