東大阪集団暴行殺人事件の犯人の小林竜司の現在!東大阪大学の生き埋めリンチ事件

東大阪集団暴行殺人事件は、女性をめぐる喧嘩が発端となった、リンチ殺人事件です。被害者の藤本翔士と岩本哲也は無残にも生き埋めになり、犯人の中でも主犯の小林竜司には死刑判決が下されています。東大阪集団暴行殺人事件の全貌と、小林竜司の生い立ちを紹介します。

東大阪集団暴行殺人事件の犯人の小林竜司の現在!東大阪大学の生き埋めリンチ事件のイメージ

目次

  1. 1東大阪集団暴行殺人事件とは
  2. 2東大阪集団暴行殺人事件の関連人物
  3. 3主犯格・小林竜司の生い立ち
  4. 4東大阪集団暴行殺人事件の発端
  5. 5小林竜司が犯した残酷なリンチ殺人
  6. 6東大阪集団暴行殺人の事件発覚と小林竜司の逮捕
  7. 7東大阪集団暴行殺人事件犯人に下された判決
  8. 8東大阪集団暴行殺人事件・小林竜司のその後
  9. 9東大阪集団暴行殺人事件のような事件が2度と起こらないように

東大阪集団暴行殺人事件とは

東大阪集団暴行殺人事件は、2006年に起こった残虐なリンチ殺人事件です。事件の発端となったのは、藤本翔士と徳満優多が1人の女性をめぐった喧嘩です。友人同士の喧嘩でしたが、互いの仲間を巻き込む結果となりました。

徳満優多は、仲間の佐藤勇樹に相談して同行してもらったが、藤本翔士は岩上哲也をはじめとする仲間を呼んでおり、徳満優多と佐藤勇樹は、藤本翔士や岩上哲也をはじめとする5人の男達にリンチされ、車で5時間ほど連れまわされたあげく現金を奪う結果となります。

しかしそれだけでは終わりませんでした。徳満優多と佐藤勇樹は、中学生の同級生である小林竜司と広畑智規に相談をもちかけ、事件は複雑化していきます。最終的には事件の発端とは逆の立場の藤本翔士と岩上哲也がリンチ後生き埋めになってしまいます。

東大阪集団暴行殺人事件の関連人物

東大阪集団暴行殺人事件は、非常に複雑化したくさんの人間がかかわってる事件です。事件の全貌を見ていく前に、集団暴行事件に関わった人物(犯人・被害者)を整理しておきましょう。

加害者(主犯格):小林竜司

小林竜司は、岡山出身で、東大阪集団暴行殺人事件の主犯になります。犯人の小林竜司は、岩本哲也と藤本翔士をリンチし、生き埋めにしたことから、当時ヤクザとの関係を疑われていましたが、極悪の人間ではなかったと言います。

加害者(主犯格):広畑智規

広畑智規は、もう1人の犯人です。元大阪府立大生で、写真からは明るい性格なのが読み取れます。小林竜司と共に殺害を共謀し、生き埋めする際に「穴が浅いんじゃね?」などと発言し、佐藤、徳満を暴行するように指示したと検察側は主張していました。

加害者:徳満優多

続いては、徳満優多です。徳満優多は、東大阪集団暴行事件の発端となった人物です。当時21歳でアルバイトをしていた彼は、藤本翔士の友人でした。同じサッカーのサークルに所属しており、その中でも特に仲が良い友人同士だったそうです。

加害者:佐藤勇樹

佐藤勇樹は、先ほど紹介した徳満優多の友人側の人間です。当時東大阪大学の3年生だった佐藤勇樹は、徳満優多から相談をもちかけられた始めの1人です。その後、藤本翔士に会いに行く際に同行しています。

加害者:白銀資大

白銀資大も、東大阪集団暴行事件に関与した犯人の1人です。広畑智規らと共に、リンチし生き埋めしたとされています。当時、大阪商業大生でした。

加害者:佐山大志

犯人の佐山大志も東大坂集団暴行事件に関与したとして、小林竜司、広畑智規と共に逮捕されています。積極的にリンチに関わっていなかったにせよ、その場におり、藤本翔士の殺害は十分予測できる場にいたと考えられます。

被害者:藤本翔士

続いては被害者の2人の紹介をしておきます。藤本翔士は、徳満優多と共に事件の発端を作った男です。当時21歳で東大阪大学4年生だった藤本翔士は、徳満優多と同じサッカーサークルに所属しており、当時付き合っていた彼女がいました。

この彼女を巡って喧嘩になったことから、集団暴行事件へと発展していく訳ですが、事件の始まりは彼女をめぐる喧嘩だったようです。

被害者:岩上哲也

もう1人の被害者は、岩上哲也です。藤本翔士が徳満優多と女をめぐる喧嘩になった時、始めに相談した友人5人の中の1人です。

山口組のヤクザと知り合いという発言をし、脅しをかけたのがこの男性です。その後、徳満優多と佐藤勇樹に50万払うことを約束させました。

被害者の友人の会社員

藤本翔士が相談した男は、岩上哲也以外に3人いたと言います。徳満と佐藤をリンチした際に、その場におり、リンチに参加しました。

立場が逆転しリンチ、生き埋めにされ殺害されたのは、藤本翔士と岩上哲也のみですが、友人の会社員は、運転手として小林竜司たちにリンチされた際にいたと言います。

ただ1人殺害されなかった会社員ですが、拉致された後に警察には言わない約束で解放されたそうです。

主犯格・小林竜司の生い立ち

事件は女性をめぐる喧嘩から始まり、思わぬ展開に向かっていきました。最終的には脅してた側が被害者となる訳ですが、無残にリンチ・生き埋めされ、藤本翔士と岩上哲也は殺害されてしまいます。その主犯格として名前が挙がったのが小林竜司です。

その残虐な犯行手口から、ヤクザへの関与や極悪人のイメージがありますが、実は母親思いの一面もありました。ここからは、小林竜司の生い立ちを探っていきます。

ギャンブル好きの両親と虐待

小林竜司の両親はギャンブル好きでした。そのため弟の面倒はいつも彼が見てたと言います。さらには父親から虐待されてたという話もあります。家庭では辛い思いをして育ち、弟を守るため良い兄でいようとしていたようです。

学校でのいじめ

家では父親から虐待を受けてた犯人の小林竜司ですが、実は学校でも良い思いをしてませんでした。小学校の頃からいじめにあっていたと言います。そのいじめはなんと中学生になるまで続き、家庭でも学校でも辛い思いを抱えながら生きていたようです。

常に被害者側だった小林竜司。弟思いなところもあり、とても東大阪集団暴行殺人事件の犯人とは思えない生い立ちです。

佐藤勇樹は中学時代の同級生

佐藤勇樹は徳満が始めに相談をもちかけた男です。事件が発展していき、次に助けを求めたのが小林竜司になります。実は、2人は中学校の同級生だったと言います。

小林竜司は先ほどもお話ししたように中学時代までいじめにあっていました。その中でも、大人になっても助けを求められる関係とあれば、よほど親密な関係だったと言えるかもしれません。

もしかしたら、いじめられてた経験から、困ってる同級生を見過ごすことができなかったのかもしれません。いずれにせよ、佐藤勇樹の助けになることを決め、東大阪集団暴行殺人事件へと発展していきました。

母親思いな面もある

東大阪集団暴行殺人事件が起きた当時、小林竜司は21歳で無職でした。ギャンブル好きの両親の元で育ちましたが、唯一の心の拠り所は母親だったのかもしれません。裁判中にも母親を気遣う言葉を何度も口にしており、母親に深い愛情を抱いていたことが読み取れます。

父親から虐待を受けてましたので、辛い日常の中、母親がいることが励みとなり、なんとか前向きに生きてこれたのかもしれません。もちろん、母親からしたらどんな殺人を犯していても、子供であることに変わりありません。

親子の関係は永遠です。彼にとっては母の愛こそが救いで、それはずっと心に生き続けるのではないでしょうか。

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東大阪集団暴行殺人事件の発端

今でも記憶に残ってる人が多い、東大阪集団暴行殺人事件ですが、事件の発端は女性をめぐるトラブルです。始めは女性をめぐっての喧嘩でした。21歳ぐらいの男性であれば、そのような経験がある人も多いと思います。

そんな些細なことがなぜ、東大阪集団暴行殺人事件のような大きな事件へと発展してしまったのでしょうか?ここから事件の全貌を詳しく見ていきたいと思います。まずは、事件の発端からです。

横恋慕から始まった事件

事件は藤本翔士と徳満優多の喧嘩から始まります。喧嘩の原因となったのは、藤本翔士の彼女です。藤本には当時付き合っていた彼女がいました。藤本と徳満は、同じサッカーサークルに所属おり、友人同士でした。

徳満は、藤本翔士の彼女に恋をしてしまったのです。藤本と付き合ってることを知りながら、猛烈にアタックしました。もちろん、藤本は面白くありません。徐々に徳満に対して怒りを募らせていきます。

女性を巡り殴り合いの喧嘩

藤本翔士は、徳満に対する怒りを友人にもこぼすようになりました。その怒りは止まることを知らず、遂に2人は殴り合いの喧嘩になってしまったのです。1回目の喧嘩では、藤本翔士が勝ちましたが、藤本の怒りは収まりませんでした。

明日また決着をつけようと、時間と場所を指定し、その日は解散したようです。

被害者からの集団リンチ

そこで徳満優多は、佐藤勇樹に相談をもちかけます。腫れあがった顔を見て、ほっとく訳にはいかない!と佐藤も立ち上がります。徳満側は2人で藤本翔士との待ち合わせ場所にいきます。しかし、藤本は岩上哲也を含む4人の男を連れてきたのです。

当然、喧嘩する前から数では藤本側が有利です。ここから5対2のリンチが始まったのです。当然、徳満と佐藤はボコボコにやられてしまい、半殺し状態。

しかし、藤本翔士の怒りは収まりません。そのまま車で5時間ほど連れまわり、ガソリン代として5千円奪います。

被害者が慰謝料を要求

さらに、「これで終わりやないからな。来週までに慰謝料50万持って来いや!」と藤本が叫びます。岩上はヤクザの山口組との関係をほのめかし、「払わんかったら殺すぞ!」などと脅し、50万払うことを約束させ、やっと2人は解放されたようです。

小林竜司に助けを求める

徳満と佐藤は岩上哲也が山口組と関係があるとほのめかしたことで、かなりビビっていました。21歳で学生だった2人に到底50万なんてお金が用意できる訳がありません。

2人は必至で考えました。そこで、佐藤は中学の同級生だった小林竜司と、広畑智規に相談することを決めたのです。小林竜司は、相談した時点で怒りを爆発し、「上等じゃ、向こうがその気ならこっちだってやったろーやないか!」と発言していたようです。

徳満と佐藤は、慰謝料を払うと藤本翔士に伝え、岡山まで一緒にお金を取りに行く約束を交わします。

小林竜司が犯した残酷なリンチ殺人

いよいよ、ここからは犯人・小林竜司たちの復讐が始まります。岡山まで車で向かった際、藤本側は、岩上哲也と運転手の3人でした。徳満側は、佐藤勇樹と2人です。5人で車に乗り込み大阪から岡山へ向かいます。

一方の小林竜司と広畑智規たちは、指定の場所で待ち構えていました。ではここから、残虐なリンチ殺人事件の全貌を詳しく見ていきます。

バット・金槌・鉄パイプで容赦ない暴行

藤本翔士側は、岩本哲也と運転手の3人。一方徳満側は、小林竜司を含め、藤本側を上回る人数が揃っていました。一旦は藤本翔士たちにリンチされ慰謝料を請求されましたが、今度は徳満側が圧倒的に有利な状態です。

そこから、小林竜司の指揮のもと、リンチが始まります。小林竜司がまず岩上哲也の頭を殴り、悲鳴とともに倒れこみます。そこから、小林側の人間が一気に襲いかかていきました。バット・金槌・鉄パイプを使い、倒れているところを数人で蹴りました。

藤本翔士と岩本哲也の顔はみるみる腫れ上がり、見るに耐えない状態になっていったのです。

怖気づく徳満・佐藤を嗾ける

当の本人である徳満と佐藤は、怖気づいて見てるだけでした。そこへ声をかけたのは広畑でした。2人をけしかけるような発言をし、小林竜司が2人にバッドを渡しました。

「誰のためにやっとると思うとんねん!」と小林竜司が言い、倒れた藤本翔士の顔を持ち上げて、「オラ、やれ!」と徳満に声をかけます。藤本翔士にはまだ意識がありました。しかし、その声を遮るようにバッドを振りおろし、藤本の顔を横殴りしたのです。

佐藤には、「お前はこっちじゃ!」と言い、岩本哲也の顔を殴るように命令しました。佐藤も躊躇しながらも、バッドを振りおろし顔面を殴りました。そこから再びリンチは激しくなっていったようです。

産業廃棄物処理場で穴を掘り生き埋め

リンチは続き、凶器でメッタ打ちしてるところ、女性の悲鳴が聞こえます。このままでは警察に通報されると思った男たちは、場所を変えることに決めます。半死状態の藤本翔士と岩上哲也を車に乗せ、かつて小林竜司が働いていた産業廃棄物処理場に移動します。

そこは、岡山市と玉野市の県境の山間部にある場所で、先ほどの現場から5kmほど離れた場所でした。すでに日付は変わっていました。車のヘッドライトが現場を照らし、まだリンチが続きます。

徳満と佐藤は不安になっていました。「このままでは死んでしまう」と。しかし小林竜司は容赦しません。そこで穴を掘るように仲間の1人に命令し、穴を掘ってる間の見張りや役割分担をしたのは、広畑でした。

被害者友人の会社員も殺人に加担させる

運転手としてきていた被害者の仲間の会社員は一部始終をずっと見ていました。そこで小林竜司は「こいつを殴れ。手加減したらお前も殺す。」と仲間の会社員に藤本翔士を殴るように命令します。

会社員は泣きながら、藤本を殴りました。さらには、穴の中に藤本を落とせと命令されます。一度は出来ないと断りますが、小林竜司が仲間に「穴もう1つや!」と命令したのを聞き、自分も生き埋めされると察知した会社員は、藤本翔士の背中を押します。

「お願いやから殺さんといて・・」と涙ながらに訴えた藤本でしたが、聞き入れられることはなく、そのまま会社員の手によって穴の底に落ちていきました。

知り合いのヤクザに今後のことを相談

運転手は小林たちの命令に従うしかありませんでした。その後も藤本翔士に向かって石を投げさせられ、石とコンクリート片を投げ入れた後、全員で土砂をかけていきます。

その段階で、まだ藤本翔士は生きていました。藤本は無残にも生き埋め状態になり、窒息死させらたのです。1人目の殺害が終わった後、小林竜司は岡山市の暴力団関係者に相談をもちかけます。相談相手からは、金が取れないなら生きて帰すなと言われます。

「やっぱりこいつも埋めるしかねーな。」と小林竜司は言い、岩上哲也も同じ場所に埋めることにしました。

2人目を生き埋め

再び岩上哲也を車のトランクに乗せ、先ほどの現場に戻ることにしました。藤本翔士を埋めた場所から5メートルほど離れた場所に穴を掘り、両腕・足を粘着テープのような物で縛った状態の岩上哲也を穴の底に突き落とします。

重機を使って土を被せられた岩上哲也は、藤本翔士同様、窒息死で死亡。ただ1人殺されなかった運転手は、しばらく監禁された後、警察には通報しないことを約束させられ解放されました。

東大阪集団暴行殺人の事件発覚と小林竜司の逮捕

東大阪集団暴行殺人事件の全貌を見てきましたが、いかがでしたか?元々は50万円の慰謝料を請求した側が、リンチにあい、殺される結果になってしまった残虐な事件です。ここからはどのように事件が発覚し、犯人逮捕に至ったのかをお話ししていきます。

被害者友人の会社員が出頭

唯一殺されなかった運転手は、監禁されたのち警察に通報しないことを約束し、解放されました。しかし、いつ小林竜司たちに拉致されるかわかりません。そんな恐怖の中で日々を過ごすのは不可能でした。

被害者友人の会社員は、警察に出頭しすべてを話すことを決意しました。一部始終を警察に話し、小林竜司は指名手配されることになります。

小林竜司を指名手配

小林竜司は、事件後、数日間逃げ回っていたようです。指名手配されたのを知ったからか、逃げ回ってる内に冷静になり、母親に電話し、すべてを打ち明けます。母親からは自首をすすめられました。しかし、そのまま連絡は途絶えたようです。

一旦冷静になり考えた結果、翌日母親に連絡が入りました。「これから自首する。一緒に来てほしい。」と母親に同行を求めました。

母親に付き添われ小林竜司出頭

翌日、親子は近くの神社で待ち合わせし、母親と車に乗り警察に向かいました。小林竜司は自首する前に、母親に「母さんの子で幸せでした。」とメールを送ったそうです。母親も「長生きしてな。」と言葉をかけたと言います。

母親に付き添われ玉野署に出頭、小林竜司が逮捕された後、残りの犯人も全員逮捕されました。

東大阪集団暴行殺人事件犯人に下された判決

小林竜司が自首した3日以内に、東大阪集団暴行殺人事件に関与した犯人全員が逮捕されたようです。小林竜司には、死刑判決が出ていますが、他の5人に下された判決も簡単に振り返っておきたいと思います。

小林竜司への判決

小林竜司は自首し、反省している様子を見せてるものの、判決は厳しいものでした。一審で死刑判決を下され、上告しますが、二審においても、死刑判決が出ます。その後、最高裁に上告するも却下され、死刑判決は揺るがない物となりました。

2人の人間をリンチし、殺人を犯した犯人です。しかも穴に埋めた状態の時、まだ息もあったと言います。その残虐な殺人の主犯とあれば、死刑判決になっても当然かもしれません。

しかし、中にはその判決は重すぎる。と言う意見もあるようです。と言うのも事件の発端は、友人の事を助けるためでした。さらに裁判中は反省の色を見せ、礼儀正しい一面もあることから、同情の声も寄せられているようです。

広畑智規への判決

小林竜司と共に、仲間たちを引っ張り、殺人を主導したことから、死刑とまではいきませんでしたが、無期懲役の判決が出ています。広畑智規はリンチする際にほとんど手を出しておらず、殺人に直接関与していた訳ではないようです。

ただ仲間たちをまとめたり、監視役を買って出ていましたので、厳しい判決になっています。

徳満優多への判決

徳満は、この事件の発端となった人物です。当然、藤本翔士の彼女を好きになって、猛烈にアプローチしてなければ、東大阪集団暴行殺人事件に発展していくことはなかったかもしれません。

始めは手を出していませんでしたが、途中からはバッドで藤本たちを殴り、殺人に加わっています。しかし、小林の指示のもと動いていたことから、死刑などの重い判決にはならず、懲役11年という判決が下されたようです。

佐藤勇樹への判決

佐藤勇樹は、徳満から相談を受けた始めの人物です。殺人に加担はしていますが、始めは躊躇しており、小林の指示により動いています。そのため、死刑などの重い判決にはならず、懲役8年と言う判決が出ています。

白銀資大への判決

小林竜司の指示で動いていたとは言え、白銀資大は自ら積極的にリンチ殺人に参加したと言います。死刑などの重い判決にはなりませんが、自らの意思でリンチ殺人に積極的に参加していたとあって、懲役20年という若干長めの判決が下されています。

佐山大志への判決

佐山大志はリンチ殺人の際に、見張り役をしていたと言います。積極的に参加はしておらず、小林らの指示ので動いていたため、死刑判決などにはならず、懲役7年という判決が下されています。

東大阪集団暴行殺人事件・小林竜司のその後

東大阪集団暴行殺人事件で、死刑判決を受けた小林竜司ですが、その後はどのように過ごしているのでしょうか?現在の小林竜司について調べてみました。

大阪拘置所で死刑執行を待つ日々

東大阪集団暴行殺人事件という、大きな事件の主犯だった小林竜司。死刑判決を受けてから、大阪拘置所で死刑囚として収監されています。彼の現在に関しては、情報があまりなく、写真等も出回っていません。

現在でも判決が重すぎる。という意見も出回っていますが、死刑と言う判決が下された以上、この判決が変わることはありません。死刑が執行されるその日まで、自分の行いを悔い、穏やかに日々を過ごしているのではないでしょうか。

東大阪集団暴行殺人事件のような事件が2度と起こらないように

東大阪集団暴行殺人事件の全貌を紹介してきました。ニュース等で見てきた人も多いと思いますが、女性をめぐる喧嘩が発端で発展していった残虐な事件です。

小林竜司に対しては同情の声も寄せられていますが、2人を生き埋めし、殺害した犯人であると言う事実は変わりません。起こってしまったことは、もう変えることができないのです。では、私たちに今何ができるでしょうか?

東大阪集団暴行殺人事件のような残虐な事件を繰り返さないためには、事実をしっかり受け止め、語り継いでいくことが大事です。まだまだ語りきれなかったことはあります。興味ある人は、事件についてぜひ調べてみてください。

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