沢田雅美の現在や若い頃は?夫で俳優の赤松秀樹に関しても解説
数々のドラマや映画に出演し、名わき役として有名な女優さんに沢田雅美さんがいます。沢田雅美さんはテレビドラマに出演中に突如として降板したり大きな病気をするなど、話題も提供してきた人ですが、今回はデビューからの軌跡を辿りつつ紹介していきます。
目次
女優の沢田雅美とは?
大人気のテレビドラマである「渡る世間は鬼ばかり」の小姑役で評判が高かった日本の女優さんに、沢田雅美さんがいます。若い頃にデビューしていらい演技派の女優としてテレビで舞台で活躍されてきました。
ひところテレビから完全に姿を消してしまって色んな噂が立ちましたが、現在はまたテレビにも復活して元気な姿を見せてくれています。
では、名脇役として名高い女優、沢田雅美さんのデビューから現在にいたるまでを、順番にエピソードも交えて紹介していきましょう。
沢田雅美のプロフィール
本名 | 澤田雅美(読みは芸名と同じ) |
生年月日 | 1949年7月11日 |
現在の年齢 (2019年現在) |
満70歳 |
出身地 | 神奈川県 |
血液型 | O型 |
活動内容 | 女優 |
所属グループ | 石井組 |
所属事務所 | アクトレインクラブ |
主な作品 | 「渥美清の泣いてたまるか」「渡る世間は鬼ばかり」 「結婚志願」「ありがとう」 |
若手の頃から石井ふく子さんのプロデュース作品に常連で出演しているため、「石井組」の一員とみなされていたようです。
1990年から放送された「渡る世間は鬼ばかり」では小姑役で評判になりましたが、1994年に突然降板、それ以降はテレビドラマにはほとんど出演しなくなってしまい、舞台などで細々と活動していたようです。
しかし2005年に「渡鬼」の第7シリーズで復帰、また現在に至るまでテレビなどで多数出演するようになりました。
沢田雅美の経歴
難しい役柄をこなし、存在感を見せ付ける女優の沢田雅美さんですが、では続いてデビューからのことを見ていきましょう。
彼女がまだ若くして女優で出発したのは、中学3年生の時のことでした。
15歳でドラマデビュー
沢田雅美さんは15歳のとき、ドラマ「ただいま11人」でデビューしています。このドラマが石井ふく子さんがプロデュースした作品で、沢田雅美さんは兄のすすめでオーディションを受けて合格しました。
これ以来、沢田雅美さんは石井ふく子さんたちに可愛がられ、彼女の作る番組の常連女優になっていきます。
石井さんが沢田さんを可愛がっていたというエピソードの1つに、高校に「芸能人だから」という理由で入学を断られた際、石井ふく子プロデューサーが自ら乗り込んで直談判した、という話があります。
その後も数々のドラマで活躍
「ただいま11人」でデビューを済ませると、1968年には「肝っ玉かあさん」、1970年から74年の「ありがとう」、1974年の「女と味噌汁」、1975年の「明日がござる」、1979年「女たちの忠臣蔵」などドラマで活躍します。
沢田雅美さんは石井ふく子さんがプロデュースする作品の常連女優さんでした。そして、1990年から1994にかけて大ヒットドラマである「渡る世間は鬼ばかり」に、主人公の嫁ぎ先の小姑である久子役で登場します。
久子は問題ばかりを持ち込むトラブルメーカーで、しかも主人公のイビリ役にも関わらず人気が出ました。この役で彼女はお茶の間のおなじみ女優さんとなります。
「渡る世間は鬼ばかり」を降板した理由とは?
評判も高かった「渡る世間は鬼ばかり」の久子役でしたが、1994年の3月に突然「久子はアメリカで暮らしている」という設定に変更され、沢田雅美さんは降板となります。以来、ドラマだけでなく表舞台から姿を消してしまいます。
「渡鬼」の長い歴史の中で降板となった俳優・女優は多いのですが、レギュラーだったために彼女の突然の降板で番組ファンも騒ぎました。では、実際には何があったのでしょうか。
当時の様子からみていきましょう。
内縁の夫である赤松秀樹の存在
重要な役であるにも関わらず長期間久子が出ないことでさすがに騒ぎになり、「沢田雅美は石井組を追放された」などと言われだします。そこで週刊誌が石井プロデューサーに取材をしたところ、明かされた事実がありました。
沢田雅美さんが5年間付き合っており、内縁の夫であった舞台俳優の赤松秀樹さんが、「舞台の降板」を申し出ていた沢田雅美さんを説得しようとした石井ふく子さんとの電話口に乱入したのです。
そして「雅美は俺の女だから俺が食わせる」などといい、石井ふく子さんを「ばかやろう」などと罵倒したというのです。さすがの石井ふく子さんもこれには腹をたて、絆を切った、と報道されました。
しかしその後、沢田雅美さんが記者会見を開いて「全ては自分の勘違いだった。石井先生が彼の仕事を干している、と聞いて離れようと思ったのだがそれは間違いだとわかった」と話しました。
沢田雅美さんは夫といってもよい関係の赤松秀樹さんの仕事を石井プロデューサーが邪魔しており、その内雅美も切ると言っている、という心無い噂を信じてしまい、それなら自分から断る、と行動したようです。
お世話になっている恩師とはいえ自分の恋愛を邪魔し、さらには仕事を使うなんてと怒ったわけですが、実際はただの噂だったと説明、記者会見を開きました。
橋田壽賀子に干された?
プロデューサーへの勘違いであったことを述べたので、これで沢田雅美さんはまた「渡鬼」に復活か、と思われました。しかしそれにストップをかけたのが、脚本家の橋田壽賀子さんです。
散々お世話になった石井ふく子プロデューサーをあんな形で裏切ったのだから、と配役に沢田雅美さんの名前を書くことを拒否したのです。橋田さんは自分の気に入らない役者は作中で殺す、と公言している脚本化でもあります。
久子は病気などで亡くなったわけではありませんが、ニューヨークに行ってしまったという設定になって結局復活は叶わず、沢田雅美さんは他のテレビドラマにもほぼ出演できないままでした。
この間は、舞台やテレビショッピングの司会などで活動していました。
しかし、2005年になると12年ぶりに「渡る世間は鬼ばかり」の第7シリーズ最終回に出演することになり、2006年の第8シリーズからレギュラーとして復帰を果たしました。石井さんと橋田さんとも和解したと報じられます。
沢田雅美の性格や若い頃の画像を紹介
演じているドラマの配役なみにドラマチックな芸能人生を送ってきた沢田雅美さんではありますが、ではそんな彼女の性格や若い頃の姿はご存知でしょうか。
続いては、沢田雅美さんの性格や若い頃の画像を紹介します。彼女にまつわる色んなエピソードから推察できる性格は、こうでした。
沢田雅美の性格
ドラマでは気難しい役柄が多いことで、少し意地悪なイメージが多い沢田雅美さんですが、実際にはお笑い番組が大好きな笑い上戸だそうです。そしておちゃめである、というのが同じ舞台を経験している人たちからのコメントにあります。
明るく楽しい人で、趣味の日本舞踊や小唄などは師範免許もあるようですので努力家でもあります。そして、内縁の夫である赤松秀樹さんとの話をみる限り、仕事より恋を優先する、という情熱的な一面もあるようです。
現在でも赤松秀樹さんを「夫」として立て、休日のウォーキングなどを一緒に行いながら、日々笑いつつ生きている、と話しておられます。
沢田雅美の若い頃の画像
まだ若い沢田雅美さんが、プールで泳いでいるときの姿です。「すごい美人というわけではないが、東京の下町娘の素朴さを出せば抜群」と言われた彼女ですが、やはり可愛いといわれていました。
天真爛漫な笑顔がキュートです。
沢田雅美の現在は?
2019年現在、満70歳になる沢田雅美さんですが、現在はどんな状況なのでしょうか。度々病気についてやその闘病方法についてを公表しています。
夫との結婚に関して家族、そして公表された病気などについても紹介しましょう。
バセドウ病や胃がんの病気を告白
沢田雅美さんは2011年に、60歳を過ぎたあたりで体の調子が悪くなり、指に痛みを感じて震えが止まらなくなったこと、そして判ったのが片目だけバセドウ病になってしまった、と話されています。
更に2012年に胃がんが発覚し、2013年の4月には手術をして回復、6月には既に「徹子の部屋」で仕事も復帰しています。
胃がん発見は赤松秀樹さんに勧められての検診が原因ですし、手術の形態をどうするかで悩んでいるときにも夫の言葉で方法を選択したそうです。沢田雅美さんにとって赤松秀樹さんの影響は非常に大きいのでしょう。
子供はいない
夫の赤松さんと籍をいれているかは公表されていませんが、現在も赤松秀樹さんとは仲良く暮らしているようです。沢田雅美さんは赤松秀樹さんのことを「夫」と呼んでいますし、病気が見つかったときにも支えてくれたのは赤松秀樹さんでした。
二人には子供さんはいません。しかし騒動が起こったことでイメージの悪化もありましたが、その相手である赤松秀樹さんと仲が良いということで喜ぶファンの人もいます。
戸塚に住んでいるという噂がある
沢田雅美さんの姿がよく目撃されるのが、横浜の戸塚です。戸塚は横浜市の中で1番広い区であり、人口約25万人の大都市ですが、少し足をのばせば田園風景も広がるところです。
また福祉施設も充実しているようで、東京や横浜のベッドタウンとして人気の街となっています。戸塚の駅前やショッピングセンターなどで目撃情報がありますので、近所の人は出会うことがあるかもしれません。
沢田雅美の主な出演作品
続いて、沢田雅美さんの主な出演作品を紹介していきます。15歳でデビューして以来、難しい役どころなどを数々してきた女優さんですので、主な作品だけでもたくさんあります。
沢田雅美出演のドラマ
ドラマでデビューした女優さんですので、やはりドラマの出演がかなり多いです。そんな中でこれだけは押さえて欲しい、沢田雅美さん出演のドラマの役柄などを紹介しましょう。
渡る世間は鬼ばかり
明日がござる
「明日がござる」は1975年の10月から1976年の9月まで1年間TBS系列で放映されていたテレビドラマで、人気ドラマだった「ありがとう」のキャストが再集結したことでも話題でした。
東京は神楽坂の串料理屋が舞台で、様々なエピソードを繰り広げます。ある日老舗の料理屋である両親が、パリに支店を出す、と宣言したことから話は始まります。大慌てで反対する長女の集子は、なんとか店を切り盛りしますが・・・。
沢田雅美さんは主人公である世渡集子の妹で、世渡中(なかば)を演じました。大学生の中ですが、両親が急にパリに支店を出すと話しだし、大慌てで奔走する長女を支えます。
沢田雅美出演の映画
沢田雅美さんは舞台にも映画にも出演しています。次は沢田雅美さんの主な映画作品を紹介します。
俺は上野のプレスリー
「俺は上野のプレスリー」は東京に出た二人の青年が懸命に生きる姿を描いた作品です。山田洋次の原案を基にした、「俺は田舎のプレスリー」に続くプレスリーシリーズの第2弾でした。
沢田雅美さんは「道子」というキャラクターで出演しています。
おしゃれ大作戦
「おしゃれ大作戦」は1976年の1月に公開された東宝映画です。「仮名手本忠臣蔵」をモチーフにしたドレスメーキング学校を舞台にしたコメディで、登場人物全員が女性です。
洋裁専門学校が企画していたフェスティバルが陰謀に巻き込まれてなくなってしまい、それに乗じて好き勝手をする男性に対して生徒達が立ち上がり、学校の奪還を画策する、というストーリーです。
沢田雅美は堀部安子でキャスティングされています。堀部安兵衛の女性化であるキャラクターで、べらんめえ口調で酒飲みという設定です。
沢田雅美と借金の話
内縁の夫である赤松秀樹さんとの仲むつまじい話のエピソードの1つには、沢田雅美さんの借金の話が有名です。
これは沢田雅美さんの実家で、お芝居を全て自分達で主催したことが原因です。チケット販売や人件費などがつもりつもってしまい、沢田家は莫大な借金を背負うことになったようです。
沢田雅美さんはこのことで仕事相手や関係者などに謝罪をしたりで大変だったようですが、この借金も夫の赤松秀樹さんが力を合わせて完済までもっていってくれた、という話をテレビ番組でしていました。
実力派、演技派の女優さんである沢田雅美さんですが、実家は元々お金にゆるい家で、税金も借金して払っている、という話を番組でされていたようですから、この時は大変だったでしょう。
夫婦で力を合わせて危機を乗り切った、というこの話は有名です。
演技派女優でおちゃめな沢田雅美
60歳をこえてから様々な病気にも苦しんでいることを発表されていますが、現在も健康に気をつけながら元気でおちゃめな姿をテレビや舞台で見せてくれています。
昔の映画やドラマもリバイバル放送されていることがありますので、チェックしてみてください。
とにかく笑い上戸ということで、彼女の周囲にはいつでも笑い声が響いているといわれますので、そんな楽しい素敵な女性として、まだまだ長く活躍していただきたいという声もたくさん聞こえています。