千葉祐太郎死刑囚の生い立ちから現在!宮城県の石巻3人殺傷事件の犯人

世間を震撼させた凶悪事件は残念なことにたくさんありますが、石巻3人殺傷事件もその内のひとつです。犯人の千葉祐太郎は死刑を宣告されていますが、なぜあの事件は起きたのでしょうか。千葉祐太郎の生い立ちから順番に紹介していきます。

千葉祐太郎死刑囚の生い立ちから現在!宮城県の石巻3人殺傷事件の犯人のイメージ

目次

  1. 1石巻3人殺傷事件とは?
  2. 2石巻3人殺傷事件犯人・千葉祐太郎の生い立ち
  3. 3千葉祐太郎と被害者女性の関係
  4. 4千葉祐太郎と殺害された女性の姉と友人
  5. 5千葉祐太郎の言いなりだった共犯の元無職少年
  6. 6千葉祐太郎に下された判決
  7. 7千葉祐太郎の現在
  8. 8少年に対して死刑判決が出た事件
  9. 9暴力は連鎖する

石巻3人殺傷事件とは?

いつの世にも凄惨は事件というのはなくなりませんが、それは「良い人ばかりの国はない」ので仕方ないことかもしれません。巻き込まれないように自助努力も必要ですが、恋愛が絡んでしまうと逃げるにも逃げられないこともあります。

そのような凄惨な事件の1つが、平成22年、2010年に宮城県の石巻市で起こった「3人殺傷事件」です。この犯人は結果的に裁判員裁判で死刑判決を受けて確定、裁判員裁判では初の少年死刑囚となりました。

では、この事件の詳細や犯人の現在について、詳しくみていきましょう。

石巻3人殺傷事件の概要

2010年の2月10日、当時18歳だった千葉祐太郎が、元交際相手の少女をめぐってその少女の姉や知人3人を殺傷した少年犯罪殺人事件です。

少年は2月の4日に少女の祖母宅で、少女を鉄の棒などで何度も殴った上、火のついたタバコを額に押し当てるなどの暴行を働き、全治1ヶ月の怪我をさせます。その後、少年は別の無職の少年を誘い、少女の実家へ押し入ります。

2階で寝ていた少女の姉と少女の友人女性を刃物で複数回刺して殺害、一緒にいた20歳の男性も右胸をさされて重症となります。少女を誘拐して車で連れ去りますが、昼過ぎには身柄を確保、現行犯逮捕となりました。

石巻3人殺傷事件犯人・千葉祐太郎の生い立ち

犯人の当時18歳だった少年は、千葉祐太郎という解体工でした。少女に対する暴力で少女が逃げたことから犯行に及びますが、では、なぜこのような暴力的な人間に育ってしまったのでしょうか。

裁判では彼の生い立ちが悲惨だったことが原因と死刑は不当との話になりましたが、裁判官は生まれ育ちはこの犯行に直接関係していない、と拒否しました。

では、現在は死刑囚として収監されている千葉祐太郎の生い立ちから順番に紹介していきます。

5歳の時両親離婚

千葉祐太郎は一般的な家庭の元には育っていません。現在では離婚する家庭は珍しくありませんが、彼も5歳の時に両親が離婚しています。

両親の離婚によって、トラック運転手の父親ではなく、彼は母親に引き取られます。

母親の再婚・離婚

両親の離婚後母親と彼が暮らしていたとき、全く幸せな子供時代ではなかった、と言われています。母親は別の男性と再婚し、千葉祐太郎の父との離婚の翌年には娘を出産。

ですが最初の夫の子供である千葉祐太郎はその相手と馴染むこともできず、母は二人目の夫とも彼が10歳の頃には離婚、彼は小学生の時に祖母のもとへ引き取られます。

母親による虐待

祖母と暮らすことで暮らしは落ち着きを取り戻したようですが、母親と暮らしていたときには悲惨な生活だったようです。

母親は今でいう毒親であり、千葉祐太郎を小学校1年の時から虐待していました。それも犬のように首輪をつけたり食事を与えなかったりと、かなり酷い内容だったようです。

更に母の交際相手からのDVもあったようで、彼は孤独の中怯えてくらし、小さな心も体もいつでも傷だらけでした

自らも暴力で荒れだす

大きくなって力がついてくると、彼は荒れだします。2007年に県立高校に進学しますが、高校生になると母親や祖母に対して暴力を振るうようにもなりましたし、高校では生徒にも暴力を振るっていたそうです。

それがきっかけとなり、高校はわずか2ヶ月で退学処分になりました。虐待は連鎖するといわれますが、千葉祐太郎はそれを体現した結果となりました。

傷害事件で保護観察処分

高校を退学になったことで箍が外れたのか、千葉祐太郎の素行はどんどん悪くなっていきます。今までは何とか抑えていたものがあふれ出したのかもしれません。退学してからは傷害事件を起こし、保護観察処分を受けています。

傷害事件を起こす前にも他人に暴力を振るっていたそうなので、すでに暴力に対して麻痺していた可能性があります。この時周囲に相談にのって諭す大人がいれば、彼の将来はまた違うものになっていたかもしれません。

ちなみに石巻の事件を起こしたときにも、実母に対しての保護観察中でした。

千葉祐太郎と被害者女性の関係

では、被害者となってしまった女性との関係について見ていきましょう。未成年同士の係わり合いが凄惨な殺人事件になってしまった背景とは、どのようなものだったのでしょうか。

友人の紹介で交際し子供も誕生

少女と千葉祐太郎は2008年に友人の紹介で出会い、交際に発展します。二人の間には子供も誕生しています。

彼女が妊娠した時には、少女側の家族からの反対にあって二人は東京へ駆け落ちしています。この時は4日ほどで警察に補導されて連れ戻されていますが、二人はお互いを必要としていた時もあったのです。

後にメディアに対し、彼はこの駆け落ちの時のことを思い出して語り、微笑んだそうです。

千葉祐太郎の度重なる暴力

幼い頃から暴力が身近にあった千葉祐太郎ですが、彼女に対しても気に入らないことがあればすぐに暴力をふるっていたようです。毎日過剰な暴力を受けることに耐えかね、少女は姉に相談したり警察に相談したりしていました。

暴力がいやで別れを切り出すと、鉄アレイで殴られたり首を絞められたりした、と語っています。

しかし後の裁判で、少女も千葉祐太郎に対して暴力をふるって応戦していたことがわかっています。若い二人は過剰な暴力と知りつつも、そこから抜けられない共依存状態だったのではないか、と推察されています。

女性は娘と共に実家に逃げていた

生まれていた娘を守るためにも、少女は実家へ逃げ帰っています。そこに千葉祐太郎が怒鳴り込んでくることもあったため、姉は警察に通報したりして妹を匿っていました。

少女はしばらく祖母宅へ避難していたようですが、そこにも事件後死刑囚となってしまう千葉祐太郎が現れたので、実家へ隠れていました。

千葉祐太郎と殺害された女性の姉と友人

少女を通じて千葉祐太郎と姉、その知人男性は知り合いでもありました。

しかし彼女が実家へ帰ってしまい、会いにいっても姉が出てきてあわせてくれない、ということで、千葉祐太郎は少女とのその娘ではなく、姉に対して不満がたまっていたようです。

事件発生前日に女性の実家に押し掛ける

事件発生前日にも女性の実家に押しかけており、そこでも姉が対応して妹は出さなかったようです。姉は千葉祐太郎に直接注意をすることもあり、かなり危険に思っていたようでした。

この頃から周囲に対して助けを求めるような発言を繰り返しています。

女性の姉が警察に通報

実家に押しかけて少女にあわせろと押し問答を繰り返したため、姉は警察に通報します。警察が来る前に千葉祐太郎は立ち去っていましたので、警察は少女を連れて戻り、被害届を出すように説得します。

少女は10日にも被害届を出す予定だったそうです。

事件が起こる前には少女は合わせて12回も警察に相談していましたが、千葉祐太郎からの報復を恐れた彼女が被害届を出さなかったため、警察は口頭での注意のみの対応でした。

女性の姉と友人に対する逆恨み

自分の家族を奪って隠す相手として、少女の姉とその友人に対し、千葉祐太郎は恨みを募らせていたようです。

実際に事件の時、姉妹が千葉祐太郎を恐れて泊り込みをお願いしていたために現場に居合わせた知人男性は、「全員ぶっころしてやる!」と叫んで刃物を振り回す千葉祐太郎死刑囚の姿を証言しています。

千葉祐太郎の言いなりだった共犯の元無職少年

この石巻3人殺傷事件には共犯者の元無職少年Bがいます。彼は千葉祐太郎の下僕として扱われており、この事件の前にも万引きや暴行への加担など、色んなことに付き合わされていたようです。

元無職少年は脅されて共犯に

千葉祐太郎死刑囚に子分のように扱われていた無職の少年Bは、事件の時にも彼を脅して加担させていました。

「逃げたら殺す。家族がどうなってもいいのか」などと脅したと話しています。少年Bは後々になって、千葉祐太郎と一緒にいた頃が人生で最も辛かった、と話しています。

罪を全部着せられる予定だった

それまでも万引きなどをさせていた少年Bをこの事件の実行犯にさせるつもりだったことがわかった、千葉祐太郎。武器の調達なども含めて少年Bに押し付けることを画策していました。

Bの指紋をつけた刃物で刺し、返り血を浴びることを想定してBのシャツを自分の服の上から着ていたのです。そして捕まった後も「少年Bがやった、俺は関係ない」と断言していました。

このことが裁判員の心証を決定的に悪くし、死刑判決に繋がったのです。

実は犯行そのものも少年Bにさせるつもりでしたが、Bが直前になってこれを拒否、すると千葉祐太郎死刑囚は「俺がやる」と言って合鍵を使って少女の実家に押し入りました。

弁護士団は千葉祐太郎は衝動的に犯行したのであって、計画的ではなかった、と主張しましたが、これらのことが明るみに出たため、衝動的ではなく計画的で強い殺意があったとみなされたのです。

千葉祐太郎に下された判決

犯人が未成年にも関わらず、実名報道されたことでも世間を大きく騒がせた「石巻3人殺傷事件」ですが、犯人である千葉祐太郎に下された判決は、死刑でした。

次はそのことについて詳しくみていきましょう。

判決は死刑

殺人と殺人未遂、未成年者誘拐と監禁傷害の罪で起訴された千葉祐太郎は、更正する可能性と少年への死刑適用の可否が争点となっていました。

しかし、殺意は突発的に生じた、という弁護士の主張を裏切る数々の証言、証拠が出てきたため、裁判長は事件の残虐性や身勝手さを指摘した上で、検察側の求刑通りに死刑を言い渡しました。

弁護士団はこれを不服とし、控訴、しかし、3年後の高等裁判所での判決でも一審を支持して控訴を棄却、弁護団は即日上告しましたが、最高裁でも2016年に上告を棄却されました。

共犯の元無職少年への判決

共犯者として起訴された元無職少年Bは、逮捕されたときから全てを認めて供述をしました。しかし、殺人行為そのものを阻止したり犯行から離脱する機会は何度もあった、とされ、刑事処分相当と判断されます。

懲役3年以上6年以下の不定期刑を言い渡しました。

千葉祐太郎の現在

石巻3人殺傷事件を起こし、平成で始めての死刑判決、また裁判員制度で未成年が死刑判決を受けるという初の事件の犯人である千葉祐太郎は、現在はどうしているのでしょうか。

仙台拘置支所に収監

2019年現在、死刑囚である千葉祐太郎は宮城刑務所仙台拘置支所に収監されています。

2017年の12月には千葉祐太郎の弁護団は、死刑そのものを否定するのではなく、誤った事実認定で死刑に処されることが耐えられない、として、再審請求を出しています。

本人は死刑囚であることへの不満ではなく、間違った認識を正したい、と言っているようです。

事件の記憶がない

千葉祐太郎は今までにネットメディアの取材に応じています。その中で、現在では事件当時の記憶がないことを明かしました。

人間はあまりにも辛い記憶は脳が忘れるように処理します。幼少時からの虐待から続く暴力の連鎖が彼を追い詰めたことは間違いないでしょうけれど、記憶をなくしていることから彼は犯行時、極限状態だったことが推察されます。

娘への想いと後悔

千葉祐太郎死刑囚が刑務所の中で描いたイラストが話題になったことがあります。その絵の中で、彼は生まれた娘を抱いたときに泣いた、という話を書いていました。

そして後にネットメディアでの取材では、娘が今どんなふうになっているか気にしている、自分のような家庭には絶対したくないと思っていたのに、結果的に娘にははるかに厳しい環境にさせてしまった、と述べています。

身内との縁が薄かった幼少時代、やっと自分の家族を作れるとなったのに、それを壊したのは紛れもない自分であることを現在の千葉祐太郎は理解しているようです。

少年に対して死刑判決が出た事件

石巻3人殺傷事件の犯人、千葉祐太郎は平成生まれで初の死刑囚となりました。しかし、少年が起こす凄惨な殺人事件は度々起きています。石巻3人殺傷事件以外の、少年に死刑宣告が出された有名な事件を振り返ってみましょう。

光市親子殺害事件

1999年の4月に発生したこの事件は、当時18歳の少年によって引き起こされました。主婦とその乳児を殺し、死後に乱暴された悲惨な事件です。

1審と2審では無期懲役刑でしたが、最高裁では死刑判決が下されています。現在は再審請求中で刑は実行されていません。

市川一家4人殺人事件

女性関係で暴力団から脅しをうけたとして、お金を支払うために家に乗り込んで幼児を含む4人を殺害、その凄惨な事件現場で生き残った15歳の少女を強姦した事件です。犯人は当時19歳の少年でした。

この犯人は2017年に刑が執行されています。

永山則夫連続射殺事件

1968年には当時19歳だった永山則夫がアメリカ海軍施設から盗んだ拳銃を使い、4人の男性を射殺しました。動機が社会への復讐であるとされたことで世間を震撼させます。

1審で死刑判決が出され、それを不服として控訴し、無期懲役となりますが、最高裁で破棄、差し戻し控訴審で死刑判決が下されました。

1997年に死刑が執行されましたが、現在でも本人が書いた小説は販売されています。

暴力は連鎖する

「石巻3人殺傷事件」の犯人である千葉祐太郎は、幼少時から恵まれない家庭環境に耐えてきました。本人は虐待のお陰で強くなれた、と言ったそうですが、その結果、自らの家庭を壊し、殺人を犯して死刑囚となったのです。

暴力や虐待は連鎖する、とよく言われますが、この事件はそれを体現しているようです。

現在でも児童虐待事件は頻繁に起こっていますが、周囲の大人は目を光らせて、見えない子供のSOSを感じ取る努力が必要なのでしょう。

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