福田孝行(大月孝行)の現在や生い立ち!山口県光市母子殺害事件の犯人とは?
福田孝行という人物は、山口県光市母子殺害事件の犯人です。死刑判決が下されましたが、現在はどうしているのでしょうか。光市星殺害事件がどんな事件だったのか、犯人の福田孝行がどんな人物でありどんな生い立ちで育ったのかについて紹介します。
目次
光市母子殺害事件とは?
山口県で起きた光市母子殺害事件を覚えているでしょうか。とても残酷な殺人事件で、被害者や被害者の遺族の苦しみが計り知れないほど強い事件でもあります。
この事件の犯人こそが、福田孝行です。福田孝行は18歳のときに光市母子殺害事件を起こしてしまいました。そのため、この事件は未成年の少年による少年事件でもあるのです。
今回は、事件の概要や事件の判決、犯人の現在などについて見ていきましょう。
光市母子殺害事件の概要
光市母子殺害事件の概要をまずはチェックしましょう。福田孝行が起こした事件そのものの概要です。驚くところもあったり、理解ができないことも多い事件です。
小さな子供までも殺されてしまった事件であり、残酷さはとてつもないものです。犯人の身勝手で殺された人がいる事件なので、心が締め付けられる思いにもなるでしょう。
排水検査を装い部屋に侵入した犯人
光市母子札が卯事件の犯人である福田孝行は、排水検査を装って被害者の家に侵入しました。なぜ、この被害者の家を狙ったのかというと、福田孝行が被害者女性に興味を持っていたからです。
以前から、「素敵な人だな。」と好感を得ていて、被害者女性のことを好きになっていたのではないでしょうか。また、排水検査で家に侵入すると怪しまれると思ったことから、他の家にも立ち寄っています。
とにかく怪しまれることなく家に入ることが第一の目的だったのでしょうか。
強姦しようとし被害者に抵抗され殺害
福田孝行が、被害者の家に排水検査を装って侵入した理由は、被害者の女性を強姦することが目的でした。そのため、被害者の女性を倒して馬乗りになり、襲いかかろうとしました。
しかし、思いのほか被害者の女性が激しく抵抗してきたため、福田孝行は被害者女性の首を絞めて窒息しさせたのです。抵抗されたことにビックリしたというよりも、抵抗されたことが頭にきたのでしょう。
被害者を屍姦し生後11ヵ月の乳児も殺害
その後、殺害した女性を屍姦しました。屍姦というのは、死体の体を弄ぶことです。殺害した後にこの好意に及んでいるということは、異常なところがあったといえるでしょう。
そして、母親の近くで泣き続けていたのが生後11ヶ月の赤ちゃんでした。その赤ちゃんのことも気に食わなかったのか、床に叩きつけたり首に紐を巻きつけて首を絞めて殺してしまったのです。
犯人の福田孝行は、女性1人と赤ちゃん1人の合計2人もの命を自分の欲のために奪ってしまったのです。
被害者の遺体を隠し財布を盗んで逃走
その後は、被害者の女性の遺体を押入れの中に隠し、赤ちゃんの遺体を天袋に隠してその場を逃走しています。また、逃走するときに家にあった財布を盗んでいるのです。
人を殺した上に、その家にあるお金まで盗んで逃走するという非常に卑劣で人間の心がないのではないか?と疑いたくなるような犯行です。
そして、盗んだお金を持ってゲームセンターにいってゲームを楽しんだり友達の家に行ったりもしていたのです。
事件から4日後に犯人逮捕
犯人である福田孝行は、事件を起こした日から4日後に逮捕されました。4日間、どんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。
もしかしたら、捕まらないと思っていたという可能性も否めません。
犯人・福田孝行(大月孝行)の生い立ち
犯人の福田孝行の生い立ちについて紹介します。どんな家族の中で福田孝行は育ってきたのでしょうか。
犯行に及んだときはまだ18歳でした。そのため、福田孝行がこんなにも悲惨な事件を起こしてしまうというのは、生い立ちが強く関係している可能性もあるのです。
光市母子殺害事件の犯人となった福田孝行の父親や母親について見ていきましょう!
金遣いが荒く妻や子に暴力を振るう父親
福田孝行の父親は、とても金遣いが荒く、妻や子供に対して暴力までふるう男性でした。また、この父親ですが福田孝行の母親を強姦して産婦人科に入れています。結果的には結婚したのですが、強姦を父親までもしていたという事実があるのです。
福田孝行は、兄弟がいますが、おそらく母親が違うのではないかとも言われています。父親の暴力の中で育ってきてしまった福田孝行は、父親に対する恐怖とともに、歪んだ感情までもが育ってきてしまったのではないでしょうか。
福田孝行が小さいときから、父親は家庭内暴力を繰り返していたのです。また、ギャンブルばかりをして借金を作っていたことも分かっています。
暴力により精神を病んだ母親が自殺
父親からの暴力を福田孝行が庇っていたのですが、母親はその暴力に耐え切ることができなくなり、精神を病ませてしまいます。そして、その後自殺してしまいました。
母親を守りたくて仕方がなかった福田孝行ですが、守りたい存在のものがいなくなってしまったことで、心がさらに歪んでしまった可能性があります。自宅のガレージで首を吊って母親は死んだのですが、その遺体の片付けは福田孝行がしたのです。
父親が福田孝行に片付けろと命じたとされています。福田孝行は18歳で事件を起こしたのですが、精神鑑定では12歳程度で止まっていると言われています。その原因が母親を亡くしたことによるのではないかと見られているのです。
フィリピン人女性と再婚した父親
父親はその後、フィリピン人女性と再婚をします。元妻が自分のせいで死んだということに対しては何とも思っていなかったのではないでしょうか。
母親を失った福田孝行は、フィリピン人女性と再婚した父親に対して、さらに嫌悪感を深めたのではないかと言われています。
ここから、福田孝行は家出を繰り返すようになったのです。
止むことがない父親の暴力
父親の暴力は、フィリピン人女性と再婚した後も止まることがありませんでした。福田孝行に対しても暴力を働き、気が済むまで殴るのです。
福田孝行は、小さなころからずっと父親の暴力と隣り合わせに生きてきたということです。いつも何かしらの痛みに耐えていたのでしょう。
高校卒業と同時に水道配管設備会社に就職
高校を卒業した福田孝行は、水道配管設備会社に就職します。ここまでは、歪んだ父親の元で育ってきたけどどうにか就職までできたと安心することもできたのではないでしょうか。
しかし、既に心は壊れていたようです。
就職後10日目に事件を起こす
福田孝行は、就職してから10日目に事件を起こしてしまいます。なんと福田孝行の父親と、被害者女性の旦那さんは同じ会社で働いていたというのです。そして、福田孝行の父親も「あの女とやりたい。」ということを言っていたというのです。
福田孝行は、父親よりも自分が被害者女性とやることで父親に勝った気持ちにもなりたかったのではないでしょうか。結局は、女性1人と赤ちゃん1人を犠牲にしてしまったのです。
生い立ちが事件に関係することはあるのか?
福田孝行の生い立ちを見ると、決して恵まれていたようには感じません。そのため、生まれ育った環境が悪いせいで事件を起こしたのか?と思う人もいるでしょう。実際のところは、生い立ちが多少関係することもあると言えるでしょう。
常識がズレてしまうとか、心が歪んでしまう、愛されていないことからおかしくなってしまうということがあります。ただ、生い立ちが恵まれていなくても事件を起こさない人もいれば、自分で幸せになれる道を掴む立派な人もいます。
しかし、全てが生い立ちのせいではないにしろ、多少どこかで生い立ちが関わっていることも否めません。
同情できない生い立ち…逮捕後の福田孝行の言動
犯人の福田孝行の生い立ちを見ていると、「福田孝行の父親がおかしい!」と思う人も多いでしょう。もちろん、福田孝行の父親がおかしいという気持ちは間違っていません。
しかし、だからといって、殺人事件を起こした福田孝行の生い立ちに同情することはできないでしょう。逮捕後、福田孝行はまるで反省していないともとれるような言動を残しているのです。
この福田孝行の言動を聞いていると、光市母子殺害事件は残虐的な事件というのを通り越したひどい事件であることが分かるでしょう。
友人宛てのふざけた手紙
光市母子殺害事件の犯人である福田孝行は、友人に向けて手紙を書いています。その手紙の内容が、「私を裁けるものはこの世にはおらず…。」とか、「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出ずぎてしまった。」などです。
本村さんとは、被害者の名前です。さらに、「刑務所の現状に興味がある」などのようなことも友人への手紙に書いてあったのです。また、自分の刑期を自分で想像したようなことも書かれています。
被害者女性と自分を犬に例えて、「可愛い犬と出会ってやっちゃったことが罪なのか?」ということまでも書いているのです。やはり、おかしい考え方しかできない人であることがこの手紙から分かるでしょう。
「死刑になって来世で被害者の夫になる」
福田孝行は、「死刑になって被害者女性と赤ちゃんに出会う。」とか「来世で被害者女性の夫になる可能性がある。そうなったら遺族の夫に申し訳ない。」などの発言もしています。
さらには、「被害者女性は、夫が怒っているのを喜んでいない。」などの発言もしていて、まるで自分が悪いことをしていないような感覚なのか?、それとも事件を客観的にも見ているかのような感覚なのか?と思わせるようなことを言っているのです。
福田孝行が、事件後に被害者や被害者家族のことをこんな風に語っているというのは、被害者家族にも伝わっております。とても残酷なことまで被害者家族は知ることになったのです。
遺体を隠したのはドラえもんを信じていたから
光市母子殺害事件では、犯人の福田孝行が遺体を押入れに隠しています。なぜ隠したのかと聞かれたとき、犯人の福田孝行は、「ドラエもんを信じていた。」とか「ドラエもんになんとかしてほしかった。」と語っているのです。
当時18歳の少年がドラエもんを信じていたという発言をするということは、やはり12歳程度で成長が止まっていると見るのは妥当なのではないでしょうか。あまりに幼稚すぎる発言をしているのです。
また、赤ちゃんを殺したことは覚えていなく、被害者女性に屍姦をした理由は生き返らせるためだったという発言までしています。
光市母子殺害事件の裁判と判決
光市母子殺害事件の裁判と判決について紹介します。光市母子殺害事件は、人が亡くなっている事件です。そのため、慎重に裁判が行われたことでしょう。
光市母子殺害事件の裁判はどんな風に行われて、判決はどうなったのかについて見ていきましょう。
時間がかかった裁判
光市母子殺害事件の裁判は、判決が出るまで非常に時間がかかった裁判とされています。というのも、死刑判決が出たりもしたのですが、死刑はおかしいという声があったりと時間を要せられることが多くありました。
光市母子殺害事件を起こした当時の年齢が18歳だったということもあって、死刑判決というのがどうなのか?と言われていたのです。
殺意を否定する福田孝行
福田孝行は、最初に無期懲役の判決が出された後に、死刑判決へと変わったのですが、自分は殺意がなかったと否定しています。そのことも含めて、再審がされたりしたため、時間がかかる裁判にもなったのです。
福田孝行は、被害者と自殺した自分の母親を重ねてみてしまったと発言しています。本当は、優しくしてほしかっただけであり、母親のような愛情を自分に与えてほしくて抱きついたら騒がれたから殺したというのです。
そのため、計画的な犯行ではなく、殺すつもりなどなかったのだと主張しています。
計画的な強姦を否認する弁護団
福田孝行の弁護団も、計画的な犯行ではないとし、死刑判決を不服として再審を申し出ていたのです。弁護団からすると、父親からの幼いころからの虐待と母親が自殺してしまったことがこの事件のきっかけだというのです。
そのため、最初から殺してやるという恨みがあったわけでもなく、光市母子殺害事件において計画して行ったとは言いがたいとしているのです。
未成年者の許し難い犯行への判決に注目
また、福田孝行が犯行当時18歳という年齢だったことから、死刑判決はどうなのか?とか未成年の子供には未来があるのに死刑判決はおかしいのではないか?という声も多く上がったのです。
未成年の死刑判決というのは、戦後で見ると4人だけです。前例が少ないことからも死刑判決にする難しさというものがあったのでしょう。未成年が起こした事件であることで、より裁判が厳しく、色んな意見の中で執り行われないといけなくなったのです。
2013年3月に死刑が確定
光市母子殺害事件の裁判はとても長い時間がかかりましたが、結果的に死刑判決が確定しました。何度も死刑判決はおかしいとか、更正の余地があるのではないかということが言われてきましたが、判決は死刑です。
様々な少年事件の中でも非常に卑劣で極悪な事件だったことが分かるでしょう。死刑判決で納得する人も納得できない人もいる可能性もあります。しかし、光市母子殺害事件は犯人の死刑判決という結果が出たのです。
被害者家族は、犯人に対して、しっかりと判決をうけとめてほしいと発言しています。福田孝行はどんな気持ちだったのでしょうか。
犯人・福田孝行の家族のその後
福田孝行の家族のその後について紹介します。殺人事件を起こしたのは福田孝行本人です。しかし、殺人事件を起こした犯人がいるとなると、その家族も生きていくのが大変になるでしょう。
家族は現在どうしているのでしょうか?事件当時は、父親、再婚相手、祖母、兄弟などと6人で住んでいたといわれています。
祖母は孫の犯行を知って急死
福田孝行の祖母は、孫が殺人事件を起こしたことを知り、急死したと言われています。あまりのショックで弱ってしまったのではないでしょうか。
福田孝行の祖母は、まさか孫がそんなことをするとは思ってもみなかったはずです。大きなショックとともに亡くなってしまいました。
2つ下の弟は家を出て連絡が取れず
福田孝行の弟は、家を出てしまい連絡がとれなくなりました。弟にとっては、福田孝行よりも若くて未来もあるため、家族と一緒にいられないと思ったのではないでしょうか。
誰も知らない場所に行って人生を送っている可能性があります。しかし、弟も環境がとても悪い場所で育っています。その環境からも逃げ出したかったのではないでしょうか。
弟は、何も悪いことをしていないので、兄のことや父のことを考えてしまうでしょうが、自分の人生を生きるべきです。
被害者夫と同じ会社だった父親は辞職
父親は、被害者の夫と同じ会社で働いていたために辞職しています。当然のことですが、一緒に働くことはできないでしょう。
被害者の夫も、犯人の父親のことを許す気持ちにならないはずです。その後も、どこかに就職してはいますが、2回もやめているという情報があります。
事件についてマスコミの取材を受けた父親
犯人の父親は、マスコミから取材を受けています。しかし、「息子が責任をとるべき。」、「親は何もしてやれない。」などのことを発言しているのです。マスコミが親としての責任放棄だというと、「じゃあどうしろと?」という発言までしているのです。
また、「息子が事件を起こさなければ…。」などのように全てを息子のせいにしているところも見られます。息子が逮捕されてからはほとんど会いにいくこともないと言われています。
戦い続けた被害者夫・本村洋さんのその後
突然妻を亡くしてしまった、被害者の夫である本村洋さんのその後についても紹介します。とても大変な戦いを長い間してきた本村洋さんのその後が気になる人もいるでしょう。
2009年会社の同僚と再婚
本村洋さんは、同じ会社の女性と再婚しています。再婚することで、被害者女性のことを忘れたのではありません。本村洋さんは生きていかなければなりません。
この再婚は、生きていく上で自分の支えとなり、また、自分も支えてあげられるという生き甲斐を見つけたものでもあったのではないでしょうか。
再婚した後も、少年犯罪についての公演などを行っています。
2018年犯罪被害者の会「あすの会」を解散
犯罪被害者の会である「あすの会」というのは、本村洋さんらが作った会です。この会は2018年に解散しています。この解散は、一定の目的を果たしたことが理由です。
2004年に制定された犯罪被害者等基本法は、このあすの会の力があったからこそ成立した法律であるともされています。本村洋さんは、本当に必死に戦ってきました。
これからも殺害事件を思い出すことがあるでしょう。そのため、一生戦いは続きますが、本当に遺族として立派に戦ったといえます。
犯人・福田孝行のその後と現在
犯人の福田孝行が現在どうしているのかについても見ておきましょう。死刑判決がされた今、どこにいるのでしょうか。
広島拘置所に収監
福田孝行は、広島拘置所にいます。死刑囚として、広島拘置所にて収容されているのです。そのため、現在は死刑囚として拘置所の中で仕事や生活をしているのでしょう。
本を出版
福田孝行の本名などが入った本が出版されます。著者は増田美智子です。これに対しては、また問題となり出版を止めることを求められたり賠償金を支払えと著者に言われることもありました。
しかし、福田孝行本人が了承をしたということから、出版は止められませんでした。
養子縁組により大月孝行に
大月純子という人物が、福田孝行を養子縁組しました。そのため、福田孝行は大月孝行に名前を変えているのです。今は、大月孝行という名前で死刑囚となっています。
大月純子は、福田孝行の支援者の1人とされています。支援者といえども、殺害事件の犯人を養子縁組するというのは、かなり覚悟がいることだったのではないでしょうか。
死刑執行を待つ日々
現在の大月孝行は、もう死刑を執行されるのを待つのみです。死刑執行にも時間がかかるものなので、死刑だと分かっていながらも生きているのはとても恐ろしいことなのではないでしょうか。
しかし、自分がした罪は死刑に値することだというのを十分に理解しなければならないでしょう。
福田孝行は人生を誤った
光市母子殺害事件は、被害者や被害者家族だけでなく、この事件を知った人の全てにショックを与えたものでした。未だにこの事件のことを忘れていない人も多くいるはずです。
福田孝行は確かに恵まれていない家庭で育ち、かわいそうな幼少時代を送っています。しかし、自分の人生を誤ってしまったのは自分自身でもあります。もう死刑が確定しているので、これ以上どうしようもありません。
こんな事件が二度と起きないようにと願うことしかできないでしょう。福田孝行のように人生を誤らない生き方をしようとこの事件を知った若者全てが思うことを願います。