湯木博恵(新沼謙治の嫁)の死因は?病気だった?元バドミントン女王を紹介
60年代から70年代のバドミントン界に、女王として君臨していた湯木博恵さんは、引退後も名コーチとして活躍しバドミントン界に貢献しました。しかし、2011年に亡くなってしまい、大きなニュースとなったのです。今回はそんな湯木博恵さんに迫っていきましょう。
目次
湯木博恵の死因は何だったの?
60年代から天才バドミントン選手として注目された湯木博恵さんは、日本女子バドミントン界の女王という異名を持っている人物です。引退後も後進育成に情熱を傾け、多くの名バドミントンプレーヤーを育て上げました。
そんなパワフルな湯木博恵さんは、2011年に62歳で亡くなってしまいます。突然のバドミントン女王の死は、世間に大きな衝撃を与えました。今回は湯木博恵さんの死の真相や輝かしい経歴などを、詳しく取り上げていきたいと思います。
湯木博恵とは?
60年代から70年代にかけて圧倒的な強さを見せ、日本バドミントン界の女王とまで呼ばれていた湯木博恵さん。現役選手を引退してからも、後進の育成に全力を注ぎ、日本の女子バドミントン界に大きく貢献しました。
人気演歌歌手の新沼謙治さんと結婚し、子供も設けた湯木博恵さんは理想的な引退生活を送っていたのです。
しかし、50代の頃に重い病気を発症し、62歳で病死してしまいます。多くの後輩たちに慕われ、素晴らしい成績で多くのファンを得ていた湯木博恵さんの死は、大きく報道されました。
湯木博恵のプロフィール
本名 | 湯木博恵 |
生年月日 | 1948年11月15日 |
享年 | 62歳 |
出身地 | 広島県 |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 元プロバドミントン選手 |
所属グループ | 無し |
所属事務所 | 無し |
主な作品 | 全英オープン4回優勝 |
広島県安芸市で誕生し、岡山県で育った湯木博恵さんは、バドミントン好きな快活な少女だったそうです。どんどんバドミントンの実力を伸ばしていった湯木博恵さん。高校時代にはインターハイに出場し、圧倒的な力を見せつけ優勝するのです。
その後、バドミントン選手になると、国内の大会だけでなく、国外の大会でも目覚ましい成績を次々と収めていきます。大きな国際大会にも何度も出場し、優秀な成績を出し続けた湯木博恵さんは、バドミントンの女王として全国に知られる存在になりました。
引退後は有名演歌歌手の新沼譲治さんと結婚し、子宝にも恵まれ、後進の育成に携わりながら充実した生活を送っていたようです。しかし、2011年に62歳で病死してしまい、多くの人が悲しみました。
湯木博恵の経歴
湯木博恵さんは圧倒的な実力のある女子バドミントン選手として、数多くの伝説を残しています。以下では、そんな湯木博恵さんの素晴らしい経歴を、解説していきましょう。
幼少期からバドミントンを始める
湯木博恵さんは岡山県内で一般家庭に生まれ、元気に育ちました。幼い頃から運動が好きだった湯木博恵さんは、小さい頃から特にバドミントンに興味を示し、小学校や中学校ではバドミントン部で活躍していたそうです。
高校時代にインターハイで優勝
山陽女子高校に進学した湯木博恵さんは、バドミントンぐのエースとして活躍し、3年生の時にインターハイで優勝を果たします。この活躍で、注目される若手バドミントンプレーヤーとなった湯木博恵さん。
高校卒業後は日本女子体育大学に進学し、大学のバドミントンサークルでも大活躍するのです。大学2年生になった湯木博恵さんは、当時バドミントン界の世界大会であった全英オープン選手権に出場し、優勝トロフィーを獲得します。
バドミントン女王の異名を持つ
大学生の時にバドミントンの世界大会を制覇した湯木博恵さんは、日本以外の国からも注目されるプロバドミントン選手となります。その後も、全英オープンで4回の優勝という偉業を果たし、通常は優勝者で持ち回される純銀製の優勝盾が贈られたのです。
全英オープンだけでなく、ミュンヘンオリンピックや世界女子団体選手権にも出場し、優秀な成績を収めた湯木博恵さん。さらに、日本バドミントン選手権大会では5年連続の優勝も達成し、バドミントンの女王という称号で呼ばれるようになるのです。
五輪や世界大会に何度も出場
湯木博恵さんは現役選手の頃に、何度もオリンピック世界大会に出場しています。特に、1972年に開催されたミュンヘンオリンピックでは、銅メダルを獲得し日本で大きく報道されたのです。
また、ユーバー杯とも呼ばれていた世界女子団体選手権には複数回出場し、3回優勝を果たしています。これらの国際大会での素晴らしい活躍で、湯木博恵さんは海外でも伝説的バドミントン選手として、称えられる存在になったのです。
現役引退後は指導者へ
湯木博恵さんは33歳の時に、体力の衰えから引退を決意します。引退後は後進の育成に集中していました。引退から5年後に人気演歌歌手の新沼譲治さんと結婚し、2人の子供を出産します。
出産後も日本女子体育大学のバドミントン部のコーチとして、バドミントン界に貢献し続けたのです。2002年には、国際バドミントン連盟の日本人初の殿堂入りメンバーに選出されました。
湯木博恵の若い頃の画像を紹介
湯木博恵さんの若い頃の画像は、ネット上には残っていませんでした。湯木博恵さんは、若い頃から笑顔が可愛い純朴な雰囲気のある女性だったそうです。バドミントンをしている時に可愛らしい仕草をすることも多く、アイドル的な人気もありました。
ちなみに、バドミントンの女王と呼ばれ大柄なイメージを抱かれていた湯木博恵さんですが、意外と身長は低く小柄だったそうです。
湯木博恵の子供の頃の驚くべき逸話
当時小学生だった湯木博恵さんには、練習試合中にコートの幅が5㎝ほど広くなっていることにすぐに気付いたという逸話があります。
3本ほどアウトと思い見送ったシャトルがインの判定だったことから、湯木博恵さんはすぐに審判にコートの幅の計測を依頼したそうです。計測すると本当に僅か5㎝ほど幅が広くなっていました。
バドミントン選手としてバルセロナオリンピックに出場した陣内貴美子さんが、丁度その時の様子を目撃していたそうです。陣内さんは、後に当時の湯木博恵さんの把握力と感覚の鋭さに驚いたと語っています。
湯木博恵の死因は?
バドミントン界の伝説的存在であった湯木博恵さんは、2011年に病死してしまっています。日本の女子バドミントン界の偉大な存在であり続けた湯木博恵さんの死に、教え子たちは大きなショックを受けたでしょう。
以下では、湯木博恵さんの死因について、詳しく取り上げていきたいと思います。
2004年に乳がんを発症
湯木博恵さんは56歳の時に、乳がんを発症したことを発表しています。しかし、この時には大事に至らず、治療は成功し、湯木博恵さんは完治後にいつも通りの姿を見せていたそうです。
2010年にがんが転移
2004年に発症した乳がんを乗り越えた湯木博恵さんですが、6年後の2010年にがんが再発してしまうのです。乳がん治療の時に除去しきれなかった癌細胞が、甲状腺に転移してしまっており、再びがんとの闘いが始まります。
家族も湯木博恵さんの治療に力を尽くしますが、癌細胞の増殖は止まらず、肺にも転移してしまっていたようです。1年の凄まじい闘病の末、湯木博恵さんは亡くなってしまいます。
死因は甲状腺がん
湯木博恵さんの直接的な死因は甲状腺がんのようです。2004年の時のがんが再発したと考えられます。乳がんは完治しても10年後に再発することもある恐ろしい病なので、完治後も定期的に診察を受け続ける必要があるのです。
湯木博恵の夫や子供は?
湯木博恵さんが亡くなった時、残された家族は憔悴した様子を見せていたようです。以下では、湯木博恵さんの家族の現況について、詳しく見ていきましょう。
夫は新沼謙治
湯木博恵さんの夫は演歌歌手の新沼謙治さんです。新沼謙治さんは湯木博恵さんより7歳年下だったためか、丸で親子のような仲の良い様子を周囲に見せていました。
湯木博恵さんが危篤状態になった時には、仕事で病院から離れた場所におり、病院に向かうタクシーの中から電話で必死に湯木博恵さんに声をかけていたそうです。
2人の馴れ初め
新沼譲治さんは長年の趣味であったバドミントンをきっかけに、湯木博恵さんと仲良くなったそうです。何度かデートを重ねて愛を育んだ2人は、お互い30代の時に結婚します。7歳年上の湯木博恵さんは、明るい姉さん女房として有名だったそうです。
子供は2人
新沼譲治さんと湯木博恵さんの間には、結婚後すぐに長男と長女が生まれています。長女の文那さんと長男の翔大さんは、明るい家庭で自由に育ったようです。二人は現在声優や歌手といった仕事に就いているという噂があります。
新沼謙治や子供の現在は?
湯木博恵さんの死去から8年経った現在では、新沼謙治さんや子供たちはどのように暮らしているのでしょうか?以下では、湯木博恵さんの子供たちや新沼謙治さんの現在について、解説していきましょう。
新沼謙治は再婚してる?
新沼謙治さんは現在再婚していないようです。新沼謙治さんは妻の死後、自分の故郷の岩手県大船渡市内に、妻の慰霊碑として「南無博江観音」を建てています。新沼謙治さんは、湯木博恵さんを今も大切に想っているのでしょう。
子供達は何をしているの?
長女の文那さんは現在声優として活動しているようです。
長男の翔大さんは一時期父親と同じ歌手として活動しており、新沼謙治さん主催のチャリティーコンサートで、新沼謙治さんの代表曲「嫁に来ないか」を歌っています。しかし、現在はDJとして活動しているようです。
現在も国内外で偉大なバドミントン選手として称えられる湯木博恵
今回は60年代から70年代に、バドミントン界の女王として大活躍した湯木博恵さんについて、詳しく説明しました。2011年に甲状腺がんによって亡くなってしまいましたが、湯木博恵さんは今も偉大なバドミントン選手として世界中で称えられています。
後進の指導に力を注いでいたという湯木博恵さんの技術や心意気も、多くの教え子たちの中に生き続けているでしょう。