池田容之の生い立ち!横浜バラバラ強盗殺人事件は生きたまま電動ノコギリで斬首
2009年に世間を震え上がらせた横浜バラバラ強盗殺人事件は、現在も多くの人の記憶に残っているでしょう。事件の実行犯であった池田容之は、息のある被害者の首を電動ノコギリで切断しています。今回は、残忍な池田容之の現在や事件の概要などについて解説しましょう。
目次
池田容之とはどんな人物なのか?
皆さんは、2009年に発生した横浜バラバラ強盗殺人事件を覚えているでしょうか?まだ生きている被害者の首を、電動ノコギリで切断するという類を見ない残忍さから、当時は社会を揺るがせる事件として大きく報道されたのです。
その事件の実行犯とされる池田容之には、死刑判決が下りました。しかし、その後その死刑が実行されたのか、事件の首謀者はどうなっているのか、気になっている人は多いと思います。
そこで、今回は横浜バラバラ強盗殺人事件の概要や犯人の現況などについて、詳しく調査していきましょう。
池田容之は横浜バラバラ殺人事件の犯人
池田容之は、被害者が電動ノコギリで斬首されたという横浜バラバラ強盗殺人事件の実行犯とされています。
以下では、そんな惨い殺人を犯した池田容之のプロフィールや、池田容之が所属していた犯人グループ、主犯格の人物などについて、取り上げていきましょう。
池田容之のプロフィール
本名 | 池田容之 |
生年月日 | 1978年?月?日 |
現在の年齢(2019年現在) | 41歳 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
血液型 | 非公開 |
池田容之は横浜市内の、経済的に余裕のある家庭で誕生しています。父親は銀行員として働いており、池田容之は真面目でごく普通の少年だったそうです。
公立の中学校と高校を特に問題なく卒業した池田容之でしたが、高校卒業後に働き始めてから粗暴にふるまうことが増えました。
しかし、池田容之は22歳の時に結婚し、娘も設けています。結婚直後は真面目な態度になったものの、結婚後しばらく経つと元に戻ったようです。数年ほどでその妻と離婚すると、慰謝料や養育費を元妻に送るようになります。
そのお金を工面するために、覚せい剤や暴力団が関わっている危険な仕事を引き受けるようになり、2009年に横浜バラバラ殺人事件を犯すに至るのです。
池田容之は犯人グループ8人のうちの1人
犯行当時池田容之は、横浜バラバラ強盗殺人事件の犯人と思われる8人組グループに所属していました。その犯行グループは主にベトナムから覚せい剤を密輸するビジネスを行っており、高給の仕事を探していた池田容之はリーダーの近藤剛郎に誘われたようです。
犯人グループは覚せい剤の密輸組織
犯人グループは事件発生当時25歳であった近藤剛郎が率いており、海外から麻薬を密輸していたそうです。近藤以外のメンバーには、近藤よりも年上の人物もいましたが、全員近藤に付従っていました。
池田容之は特にリーダーの近藤に心酔しており、近藤の命令には従順だったそうです。近藤もそんな池田容之を気に入っており、池田容之に頻繁に命令していました。
主犯は近藤剛郎
横浜バラバラ強盗殺人事件の主犯格は、犯行グループのリーダーであった近藤剛郎とされています。近藤は当時横浜のとある麻雀店の経営権を巡り、被害者と激しく対立していました。
被害者に覚せい剤密輸の事実を警察に密告すると言われた近藤は、口封じのために池田容之に被害者の殺害を命令したのです。
近藤は直接被害者の首を切った訳ではありませんが、残忍極まりない横浜バラバラ強盗殺人事件の主犯として、現在も警察から追われています。
近藤剛郎の気になる半生
残忍な殺害方法で日本の犯罪史に残る事件、横浜バラバラ強盗殺人事件の主犯とされる近藤剛郎は、一体どのような人生を歩んできた人物なのでしょうか?実は、近藤剛郎は幼少期から賢く、難関の早稲田大学の法学部に入学しているのです。
法律に詳しかったことから、近藤剛郎は麻薬グループのリーダーにまでのし上がることができたと考えられます。しかし、在学中に既に麻薬密輸組織に関わっていた近藤剛郎は、その事実が大学側に伝わり、2008年に早稲田大学から除籍処分を受けているのです。
除籍処分を受けた後は、どんどん麻薬密輸ビジネスにのめり込んでいった近藤剛郎は、その頭の良さと法律の知識から麻薬組織の元締めとなります。カリスマ性があり、時には30人の部下を従えていたこともあるそうです。
横浜バラバラ殺人事件の概要
横浜バラバラ強盗殺人事件は、10年前の事件なので、あまり記憶に無いという人もいるでしょう。そこで、以下では世間を騒然とさせた横浜バラバラ強盗殺人事件の概要について、説明していきたいと思います。
近藤剛郎が被害者とトラブルになる
当時犯行グループのトップにいた近藤剛郎は、被害者である水本大輔さんと、麻雀店の経営権に関してもめていました。水本大輔さんは暴力団に所属していたことがあり、その時期に近藤剛郎と知り合っていたそうです。
しかし、当時水本大輔さんは暴力団と縁を切り、麻雀店の店長として再出発していました。その麻雀店を以前経営していた近藤剛郎は、水本大輔さんに経営権をしつこく要求します。
水本大輔さんはその要求を跳ね除け、近藤率いる密輸グループの存在を警察に報告すると言い渡したのです。
近藤剛郎が池田容之に殺害を命令
近藤は水本大輔さんの密告によって、自分の悪事が発覚してしまうことを恐れ、最も従順であった池田容之に水本大輔さんの殺害を命じます。この時、近藤は具体的な殺害方法は指定していなかったようですが、証拠を残さないようにと念を押していたそうです。
池田容之が被害者2人を監禁
池田容之は近藤からの命令に従い、面識の無い水本大輔さんと、その部下の高倉順一さんを殺害するために監禁します。近藤の名を語る池田容之によって、2人は巧みに千葉県内のとあるホテルで拘束されてしまいました。
ちなみに、高倉順一さんも元々暴力団に所属していましたが、当時はすでに堅気の生活に戻っており、穏やかな家庭も築いていたそうです。
生きたまま電動ノコギリで斬首
2人を監禁した池田容之は用意していた刃物で、最初に高倉順一さんを殺害します。さらに、その後電動ノコギリを取り出し、恐怖を煽ってから水本大輔さんの首を生きたまま切り落としたのです。
この時、2人は必死に命乞いをしており、電動ノコギリで斬首された水本大輔さんは、殺してから首を切ってくれと懇願しました。しかし、池田容之は冷酷に淡々と2人を殺害したのです。
さらに、池田容之は殺害後2人から合計1,300万円を奪い取っています。
遺体はスーツケースに入れて山中に遺棄
2人の遺体は犯行グループメンバーの宮原直樹と伊吹真吾、三田恭志郎によってバラバラに損壊されます。3人はリーダーである近藤の証拠を残さないようにという命令を忠実に守り、バラバラにした遺体はスーツケースに収め、山梨県内の山に捨てたそうです。
池田容之の生い立ち
被害者の遺体の一部が横浜港で見つかると、バラバラ殺人事件として大きく報道されました。池田容之が逮捕され事件の全貌が明らかになって来ると、池田容之の残酷すぎる殺害方法は社会を震撼させたのです。
池田容之の常軌を逸した残忍さに、絶句した人もいるでしょう。以下では、池田容之の生い立ちについて、詳しく見ていきたいと思います。
実家は裕福だった
池田容之はエリート銀行員の父親と主婦の母親の間に生まれ、経済的に恵まれた幼少期を過ごしています。意外にも、優等生であったという池田容之は、中学校では何と生徒会長も務めていたのです。
公立高校に通っていた時もごく普通の生徒であり、当時の池田容之を知る人々は事件を知って驚愕したでしょう。
高校卒業後は就職
池田容之は地元の公立高校を卒業すると、進学では無く就職を選びます。当初は真面目に働いていたものの、次第に職を頻繁に変えるようになり、ホストとして働いていた時もあるようです。
そんな時に知り合った一般女性と、池田容之は22歳の時に結婚することになります。
22歳で結婚するが離婚
池田容之は22歳の時に、仕事先で知り合った女性と結婚しています。結婚後にはすぐに一人娘が誕生し、しばらくは安定した生活を送っていたそうです。
しかし、次第に生活が乱れ、収入も安定しなくなります。結局数年ほどで離婚に至り、池田容之は娘とも離れ離れになりました。
夢は麻薬王
妻と離婚した後の池田容之は、妻へ送る養育費や慰謝料を稼ぐ生活を送ります。しかし、どうしても仕事が長続きしなかった池田容之は、次第に短期間で大金を稼ぐことができる危険な仕事に手を染めていくのです。
その時に麻薬密売によって莫大な利益を得ていた近藤に、犯行グループのメンバーになることを勧められ、池田容之はグループに入ってしまいます。
実は、池田容之は2007年公開の映画「アメリカン・ギャングスター」を観て以降、映画に登場した麻薬王に憧れを抱いていたそうです。
そのため、麻薬王そのものであった近藤に、池田容之は出会ってすぐに心酔したと思われます。年下の近藤の命令に絶対服従だった池田容之には、このような背景があったのです。
横浜バラバラ殺人事件のその後は?
2009年に起きた横浜バラバラ強盗殺人事件は、その後の捜査ですぐに池田容之の所属する犯行グループの存在が明らかになります。
池田容之や他のメンバーも逮捕されました。以下では、横浜バラバラ強盗殺人事件のその後の展開を見ていきましょう。
判決は死刑
事件発覚後、覚せい剤使用の罪で逮捕された池田容之は、強盗殺人だけでなく死体遺棄や傷害など、9種類もの罪で裁判にかけられます。裁判員裁判制度が施行されたばかりだったため、裁判員に選ばれた人々は惨い事件の内容に衝撃を受けました。
裁判では池田容之は終始無言無表情でしたが、実母からの手紙が読み上げられると、涙を流すこともあったそうです。2010年11月10日には、池田容之に求刑通りの死刑が言い渡されます。
史上2度目の死刑判決
横浜バラバラ強盗殺人事件の実行犯池田容之は、裁判員裁判で極刑の死刑を言い渡された初めての犯人となりました。
裁判員裁判で検察側から死刑を求刑されたのは、「新橋ストーカー殺人事件」の犯人が初めてであり、池田容之は裁判員裁判で死刑を求刑された2人目の人物にもなったのです。
そのため、池田容之の裁判には多くの注目が集まり、死刑判決は日本の司法の歴史に深く刻まれたのです。裁判には被害者の妻や母親、妹や婚約者が出廷し、強く池田容之の死刑を裁判員たちに求めました。
近藤剛郎は海外へ逃亡
横浜バラバラ強盗殺人事件の主犯である近藤剛郎は、何と現在も逃亡中なのです。事件発覚後すぐに海外に逃亡しており、逮捕が困難になってしまいました。現在近藤は国際指名手配されているのです。
麻薬密輸のビジネスでよく訪れていたというタイやベトナムに潜伏しているのではという噂もありますが、確かな根拠はありません。
事件後の池田容之の家族
事件の裁判では、池田容之の母親と妻の供述が弁護人によって語られています。池田容之の妻は遺族への深い謝罪の気持ちを表明しながらも、元夫の池田容之の帰りを待ちたいと手紙に綴っていました。
池田容之の母親も弁護士に託した手紙の中で、息子への愛と遺族への罪悪感で苦しい胸の内を語っています。死刑判決が確定した後は、池田容之の家族に関する情報は流れていません。
池田容之の元妻は穏やかな生活に戻り、再婚を果たしている可能性もあるでしょう。娘に関する情報は、裁判の時から一切公開されていません。娘の将来のことを考え、元妻がしっかり情報を管理しているのでしょう。
池田容之の現在は?
池田容之の死刑はすでに執行されているのかどうか、気になる人は少なくないでしょう。以下では、池田容之の現在の様子について、詳しく調べていきたいと思います。池田容之の現在が気になる人は、ぜひしっかり確認してみてください。
東京拘置所に収監中
池田容之は2010年に死刑判決を受けています。当時裁判員に大きな心理的負担がかかったため、裁判長から池田容之に控訴を勧めるという異例の事態も起きました。
池田容之本人は控訴する意思は無かったそうですが、弁護人からの勧めもあり、控訴手続きを行っています。
しかし、2011年には池田容之自らが控訴を取り消し、死刑が確定したのです。死刑確定から8年経った現在、池田容之の死刑はまだ実行されていません。東京拘置所に留め置かれている池田容之は、現在何を思っているのでしょうか。
近藤剛郎はまだ逮捕されていない
主犯である近藤剛郎は、残念ながら現在も逮捕されていません。麻薬密売ビジネスでタイやベトナムに頻繁に訪れていたことから、海外に逃げている可能性が高く、国際指名手配されています。
麻薬密売に深く関わっていたことから、近藤剛郎は海外の犯罪グループにかくまわれている可能性もあるでしょう。遺族の無念を晴らすために、一刻も早く近藤剛郎は逮捕されなくてはいけません。
惨い殺害方法で死刑を下された池田容之
今回は横浜バラバラ強盗殺人事件の実行犯、池田容之について詳しく調査しました。被害者は当時20代と30代という若さで、妻や婚約者がいたそうです。
そんな被害者を生きたまま電動ノコギリで首を切って殺害した惨さと無慈悲さには、憤りとショックを覚えるでしょう。現在も逃走している近藤剛郎にも、厳罰が下ることを祈るばかりです。