美輪明宏の昔の若い頃の画像は?ハーフなの?年齢なども紹介!
重厚な人生経験をもとに、数々のスピリチュアルな名言を生み出している美輪明宏さん。現在も素晴らしい美声と年齢不詳の美貌を誇っていますが、若い頃はいかほどの美しさだったのか、気になります。美輪明宏さんの若い頃の画像や、活躍をご紹介します。
目次
美輪明宏の若い頃の画像やエピソードを紹介
芸能界の生き字引、人生の達人のような美輪明宏さん。性別も年齢も超えた神秘的な佇まいは、唯一無二と言っても過言ではありません。
長年続いている人生相談では、含蓄のあるアドバイスで多くの人の心を救っています。戦争体験を経て、数多くの著名人とも親交があった美輪明宏さんの人生は波瀾万丈。そんな美輪明宏さんの若い頃のエピソードを、若い頃の画像と共にご紹介します。
美輪明宏とは?
類まれなる美貌を持ったシャンソン歌手として、一世を風靡した美輪明宏さん。LGBTなんて概念がかけらも存在しない戦後の日本の芸能界で、その存在は物議を醸しました。
世間に受け入れられず、不遇の時代も過ごした美輪明宏さんですが、自分の生き方を貫き、多くの著名人と親交を結び、影響を与えました。
スピリチュアルな観点から発せられる、豊富な人生経験にもとづく助言の数々は多くの人の人生を救い、希望を与えています。
美輪明宏のプロフィール
本名 | 丸山明宏(まるやま あきひろ)・幼名 臣吾(しんご) |
生年月日 | 1935年5月15日 |
現在の年齢(2019年現在) | 84歳 |
出身地 | 長崎県長崎市 |
血液型 | A型 |
活動内容 | シャンソン歌手・俳優・作家・演出家・タレント |
所属グループ | |
所属事務所 | オフィスミワ |
主な作品 | 「メケメケ」「ヨイトマケの唄」舞台『黒蜥蜴』『椿姫』『双頭の鷲』 映画『黒薔薇の館』『雪之丞変化』 |
戦後、進駐軍やゲイバーでシャンソンを歌いながら生活していた美輪明宏さん。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で頭角をあらわすと、国籍、性別不明の美貌で人気を博しました。
1957年、フランスのシャンソン『メケメケ』を日本語でカバーすると爆発的にヒットし、一躍時代の寵児となりました。しかしその人気は長続きせず、同性愛を公表したことなどもあって不遇の時代を迎えました。
原爆症を発症し、健康に不安を覚えるなかで作詞、作曲を続け、1966年、「ヨイトマケの唄」で再ブレイクを果たしました。親交のあった著名人の助力もあり、舞台や映画にも出演。1971年に芸名を「美輪明宏」に改め、現在に至ります。
美輪明宏の現在の年齢
さすがに10代、20代には見えませんが、実年齢が見かけからはまったく予想がつかない美輪明宏さん。見るほうの心持ち次第で、若いようにも歳をとっているようにも見えます。
美輪明宏さんは、昔故郷の長崎で原爆投下に遭遇し、その後原爆症に苦しみました。戦前生まれの美輪明宏さんは、今年84歳です。かくしゃくとした姿からは、とても80歳を過ぎているとは思えません。
もしかしたら美輪明宏さんは、スピリチュアルなパワーに守られ、一般の時の流れからは隔絶した世界に生きているのかもしれません。
美輪明宏の若い頃の美しすぎる画像
銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で美少年歌手として人気を博した美輪明宏さん。一目見たら忘れられないほどの美貌に、多くの著名人、有名人も夢中になりました。
現在の芸能界にもイケメンはたくさんいますが、若い頃の美輪明宏さんのような、正真正銘の美少年はめったにいません。神々しいばかりに美しい美輪明宏さんの昔の画像をご紹介します。
ジョジョ似の美輪明宏
10代後半の美輪明宏さん。血の通った生身の人間とは思えないほどの美しさです。美容整形の技術も現在ほど発達しておらず、一般的ではなかった昭和の時代、そんな昔にこれほどの美貌は、奇跡とも言えるほどです。
何かに似ていると思ったら、人気漫画『ジョジョと奇妙な冒険』の主人公ジョジョ。2017年公開の実写版映画ではイケメン俳優の山崎賢人さんが演じ話題になりましたが、劇画のくっきりと濃いキャラクターは、美輪明宏さんのビジュアルそのものです。
『ジョジョの奇妙な冒険』が少年漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』に掲載され始めたのは1986年で、30年ほども昔になりますが、若い頃の美輪明宏さんをモデルにしたのではないかと思われるほど、主人公のジョジョのビジュアルは若い頃の美輪明宏さんにそっくりです。
日本人離れした美輪明宏
まだ、ハーフが「混血」と呼ばれ珍しがられていた時代、美輪明宏さんのような、鼻筋が通って彫が深い、ギリシャ彫刻のような顔立ちの日本人はほとんどいませんでした。
そのため、美輪明宏さんの日本人離れした美貌はひときわ目を引き、進駐軍のキャンプやキャバレー、ゲイバーでも引っ張りだこの人気者で、シャンソン歌手としてデビューした際も、国籍不明の謎の歌手として人気を博しました。
性別不詳の美輪明宏
若い頃からユニセックスな衣装に身を包み、神秘的なオーラを放っていた美輪明宏さん。もちろん男性ですが、デビュー当時は性別不詳で、女優として舞台や映画でも活躍しました。
昔の舞台や映画に登場する美輪明宏さんは、宝塚の男役トップスターも裸足で逃げ出すほどの麗しさです。
若い頃の美輪明宏が美人なのはハーフだから?
神のいたずらかと思えるほどの美しさを持つ美輪明宏さん。細く吊り上がった目、低くてどっしりとした鼻、薄い唇、平坦な顔が平均的だった日本人から見れば、まさに奇跡です。
美輪明宏さんが、若い頃それほどまでに美しかったのは、実は日本人ではなかったからなのでしょうか。美輪明宏さんは、ハーフだったのでしょうか。
本名は丸山明宏
美輪明宏さんの父親は丸山作一さん、母親はヌメさんで、美輪明宏さんの本名は丸山明宏さんです。1971年までは、本名の「丸山明宏」名義で芸能活動をしていました。美輪明宏さんは10人兄弟ですが、兄の一人を除いて全員腹違いという複雑な家庭環境でした。
実家は長崎市内にあった「丸山遊廓」という繁華街の近くでカフェや料亭を営んでおり、幼少期は比較的裕福だったそうです。
歌手を目指して国立音楽高等学校に進学するため上京しますが、実家が傾き、高校を中退。幼い兄弟たちの生活費を稼ぐため、キャバレーやバーで歌い始め、やがて「銀巴里」で注目を集めるようになったそうです。
美輪明宏は純日本人
その容貌からは思いもよりませんが、生い立ちからもわかるように、美輪明宏さんは生粋の日本人です。ただし、色街近くで育ったため、美に対する関心は高く、性的にも早熟で、知識も経験も豊富だったそうです。
若い頃の美輪明宏はモテモテだった
中学1年生の時に男子の先輩と初体験を済ませたという美輪明宏さん。その美しさは地元では知らぬ人はいないくらいで、付き合う相手に不自由することはなく、中学3年生のときには恋人はとっかえひっかえ状態だったそうです。
歌手としてブレイクした20代前半に受けた雑誌のインタビューでは、「付き合っている人は20~30人」と豪語していました。一般人の感覚からはちょっと理解できないほどのモテっぷりだったようです。
周りには常に数十人の男性がいた
男性的でもあり、女性的でもある美輪明宏さんの独特の美しさは、性別を超えた妖艶さで多くの人を魅了しました。
各界の文化人や知識人にも多くの影響を与え、三島由紀夫さんをはじめ、吉行淳之介さん、野坂昭如さん、大江健三郎さん、中原淳一さん、遠藤周作さん、寺山修司さん、なかにし礼さんなど、昭和の文壇を彩るそうそうたるメンバーが美輪明宏さんを取り巻いていました。
なぜ結婚しなかったの?
美輪明宏さんは、20代のころから同性愛者であることを公表しています。その影響もあって、人気は急落し、罵倒されたり化け物扱いされたりと不遇の時代を過ごしましたが、同性愛が病気か災いのように言われていた時代に、己を曲げずに信念を貫いた勇気と意志の強さには頭が下がります。
若い頃の美輪明宏と三島由紀夫の関係とは?
昔から美輪明宏さんの周りには多くの取り巻きがいました。中でも才能あふれる文化人たちは、美輪明宏さんの美貌に刺激を受け、数々の名作を生みだしました。
作家の三島由紀夫さんもそんな一人です。同性愛の青年の赤裸々な告白と苦悩を描いた『仮面の告白』などで知られる三島由紀夫さんは、自身にも同性愛傾向があることを認めていますが、美輪明宏さんとの関係はどのようなものだったのでしょうか。
2人の出会いはシャンソン喫茶
三島由紀夫さんの作品『禁色』に登場するゲイバーのモデルとなった「ブランスウィック」で、美輪明宏さんがアルバイトをしていた16歳のころ知り合い、美輪明宏さんがシャンソン喫茶「銀巴里」の専属歌手になると、そこにも通い始めた三島由紀夫さん。
美輪明宏さんと三島由紀夫さんは親交を深め、親友として交際を続けていました。
美輪の美少年ぶりを「天上界の美」と表現
当時マスコミから、「神武以来の美少年」ともてはやされていた美輪明宏さんに対して、三島由紀夫さんは、「丸山君(当時の美輪明宏さん)の美しさは『天上界の美』だ」と称賛しました。
三島由紀夫さんは、美輪明宏さんとのラブシーンがあるという理由だけで舞台『黒蜥蜴』に出演したこともあるほど、美輪明宏さんにぞっこんでしたが、その交友はプラトニックなもので、美輪明宏さんに対して、「君の欠点は、僕に惚れないことだ」と言っていたそうです。
三島脚本の舞台「黒蜥蜴」で主演に抜擢
江戸川乱歩氏の『黒蜥蜴』は、正体不明の女盗賊「黒蜥蜴」と名探偵明智小五郎の対決を描いた人気小説で、何度も舞台化、映画化、ドラマ化されています。
三島由紀夫さんが戯曲化した舞台『黒蜥蜴』の主演に抜擢された美輪明宏さんは、絢爛たる三島作品特有のセリフを、「見事に肉体化し切る表現者として稀有な存在」と絶賛されました。
舞台『黒蜥蜴』は、美輪明宏さんの代表先となり、丸山明宏時代から何十年にも渡って主演を務めました。近年では主演にとどまらず、演出・美術・衣装・音楽・人選にいたるまで自ら手がけています。
三島由紀夫自殺で美輪明宏は大ショック
三島由紀夫さんといえば、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した「三島事件」が有名ですが、親交が深かった美輪明宏さんも、大きな衝撃を受けた一人です。
三島由紀夫さんが自決する数日前、三島由紀夫さんは美輪明宏さんのコンサートの楽屋に抱えきれないほどのバラの花束を持ってあらわれ、「君には感謝している」と言い残したそうです。
そのとき、美輪明宏さんは、ただならぬものを感じたそうですが問いただすことができず、それが今生の別れになってしまったと語っています。
美輪明宏は天草四郎の生まれ変わり?
美輪明宏さんは、「銀巴里」で『メケメケ』を歌っていたころ、霊感があるという学生に、「背後に血だらけの侍が見える」と言われたことがあり、その後もたびたびそんなことがあったそうです。
昔は気にしていなかったそうですが、30代になったころ、ある人から「あなたは天草四郎の生まれ変わり」と言われ、自分でも自覚するようになったそうです。
スピリチュアルブームもあって注目が集まる美輪明宏さんですが、美輪明宏さんの例能力は本物との評判が高く、アドバイスを求める有名人も後を絶たないそうです。
美輪明宏は美の化身
美輪明宏さんの昔の美しさは神がかり的ですし、現在もとても80代とは思えません。「神武以来の美少年」「天上界の美」という称賛は、誇張でも何でもありません。
霊的なパワーに守られた美輪明宏さんの美しさは、いつまでも永遠に変わらないような気さえしてきます。もしかしたら美輪明宏さんは、本当に現世にあらわれた美の化身なのかもしれません。