市橋達也や家族の現在!リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の真相は?

今から約11年前に起きたリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は、前代未聞の凶悪事件である。リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害の犯人である市橋達也は整形を繰り返しながら約2年7カ月に及ぶ逃亡生活を送った。市橋達也には懸賞金が掛けられ、日本中を巻き込む大事件となった。

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目次

  1. 1残忍な手口と前代未聞の逃亡劇
  2. 2リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件
  3. 3市橋達也(当時28歳)の経歴
  4. 4リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の概要を解説
  5. 5市橋達也の奇妙な行動・逮捕後に二週間の絶食
  6. 6リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件が社会に与えた影響
  7. 7リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件【加害者家族】
  8. 8リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件【被害者家族】
  9. 9リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件関連書籍
  10. 10事件の残した爪痕
  11. 11事件に関する記事はこちら

残忍な手口と前代未聞の逃亡劇

リンゼイ・アン・ホーカー殺人事件は、凶悪で残忍な殺害の手口、犯人市橋達也の3年近い期間の逃亡、市橋達也に懸賞金が掛けられるなど、世間を騒然とさせた。

凶悪犯である市橋達也の逃亡は2年7ヶ月にも及ぶ長期間に渡り、身柄を拘束されるまで様々な憶測が飛び交い、日本中を恐怖に陥れた。

殺害事件の犯人でもある市橋達也を「イケメン」と崇める女性がファンクラブを作るなど、逮捕後も異様な展開を見せた。市橋達也には無期懲役の判決が言い渡され、現在も服役中である。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件

2007年3月、千葉県市川市のマンションのベランダに置かれた浴槽から殺害された全裸のイギリス人女性の遺体が発見される事件が起こり、世間を震撼させた。彼女が被害者のリンゼイ・アン・ホーカーさんであった。

警察の捜査によって、この事件で殺害された被害者の女性は英会話学校の講師リンゼイ・アン・ホーカーさん、殺害の犯人は千葉県市川市在住の市橋達也であると判明した。

犯人の市橋達也は逮捕を逃れるため、顔を整形するなど様々な手段を使い逃亡を続け逮捕までに2年7か月の時間を要した。市橋達也はには無期懲役の判決が下された。

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リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件から11年

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は11年前の2007年3月26日に発生した凶悪な殺害事件である。殺害された被害者のリンゼイ・アン・ホーカーさんは、犯人である市橋達也の自宅マンションのベランダに置かれた浴槽内で全裸の状態で発見された。

市橋達也は自宅の浴槽をベランダに移動させ、その中にホームセンターで購入した園芸用の土を入れ、彼女の遺体を埋めた。司法解剖の結果、彼女の死因は首を絞められたことによる窒息死と判明した。

市橋達也は事件の数日前から行徳駅前で彼女に声をかけ、連絡先を交換し、彼女から個人的に英会話のレッスンを受ける約束を取付けていた。

犯人・市橋達也の逃亡の開始

事件当日、被害者宅から市橋達也の電話番号・メールアドレス・リンゼイさんや彼女の似顔絵の描かれたメモが発見され警察は市橋達也の自宅の家宅捜索を行った。

捜査員が市橋達也の自宅(マンション4階)に入ろうとすると、市橋はすぐに非常階段を駆け下り東京メトロ東西線行徳駅に向かって逃走した。非常階段にも捜査員は配置されていたが市橋達也は捜査員の手をかいくぐり逃走した。

この日から約2年7ヶ月に及ぶ市橋達也の逃亡生活が始まった。当時交際していた彼女にはしばらく会えない旨のメールを送信している。

市橋達也(当時28歳)の経歴

事件当時28歳であった犯人の市橋達也は、大学を卒業後、ニートとして両親の仕送りを頼りに生活していた。市橋は家族構成が、両親が医師・歯科医師という恵まれた環境で生まれ育った。

事件発覚後もイケメンと騒がれるほどの容姿にも恵まれながら、市橋達也がなぜこのような凶行に及んだのか、まずは犯人である市橋達也の経歴や現在について紹介していく。

市橋達也の経歴・仕事について

市橋達也の家族については、両親が父親が医師、母親が歯科医師という裕福な恵まれた環境で生まれ育った。両親の期待もあり、市橋達也も幼少の頃から医者を目指していた。

中学ではバスケ部で副キャプテン、高校では陸上部に入り足の速さは学年トップ。地元名門校に進学し成績も優秀、運動も得意で絵が上手く、更に生徒会役員も務めていた。

高い身長とイケメンとされる端正な顔立ちで校内でも人気者であった。

しかし、医学部を目指すも挫折を経験し結局4浪の末千葉大学園芸学部に入学した。両親の期待に応え医師になったこともあり、強い挫折感を味わった。

大学卒業後は就職することもなく、両親から仕送りを受けて生活していた。両親所有の3DKのマンションで月15万円の仕送りを受けていたが、一向に働こうとない息子を心配した両親は、事件直前に仕送りを止めると伝えていた。

事件発覚後、この両親の仕送りを止めるという行為がリンゼイさん殺害の動機になったのではないかと一部の人間からバッシングを受けた。

市橋達也の逆上しやすい性格

犯人市橋達也の家族に対する取材で母親は、取材記者の質問に答える中で、市橋達也は聞き分けの良い素直ないい子を演じる反面、幼い頃から筋が通らないと気が済まない性格であったと答えている。

また、自分で何かおかしいと感じたり、裏切られたと感じたりするようなことがあると、感情を抑えられない場面はたくさんあった。いわゆるキレやすい性格だったと答えた。

この市橋の性格がこのような事件を生み、事件を通して、被害者やその両親や家族はもちろん、犯人である市橋達也の家族・両親の人生も著しい変化を現在まで余儀なくされている。

市橋達也の現在は?

事件の犯人である市橋達也は2012年、無期懲役判決を受け、現在服役中である。現在服役している刑務所の場所に関しては、確かな情報は公開されていないが、長野刑務所で一緒だったという証言があり、現在は長野刑務所に収監され服役しているという情報が有力である。

無期懲役判決が下されてはいるが、刑務所内で模範的な囚人であったとすると将来市橋が社会に戻ってくる可能性もある。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の概要を解説

2007年3月20日、東京メトロ東西線行徳駅前で、市橋達也はリンゼイ・アン・ホーカーさんに声を掛けた。その後彼女の自宅に押しかけ、メールアドレスを交換した。

数回のメールのやりとりのあと英会話の個人レッスンを受ける約束をし、事件当日の3月26日2人は行徳駅前の喫茶店に向かった。その後市橋達也の自宅に向かい、リンゼイ・アン・ホーカーさんは殺害された。

事件の詳しい概要を解説していく。

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英国人女性殺人・死体遺棄事件

事件当日、リンゼイさんと市橋達也の2人は市橋の自宅に向かった。市橋の自宅に到着すると、市橋達也は彼女の手足を結束バンドで拘束し、暴行を加えた。その後取り外し可能な浴槽を和室に移動し、その中に彼女を入れ監禁した。

拘束を解くように懇願するリンゼイさんを殴るなどした上、監禁から約16時間後首を絞めて殺害した。リンゼイさん殺害後、市橋達也はホームセンターで園芸用の土や発酵促進剤、消臭剤などを大量に購入している。

そして、ベランダに移動した浴槽の中に彼女の遺体を移動し、ホームセンターで購入した土などを投入した。

美容整形で容姿を変えるなど961日に渡る逃亡生活

リンゼイさんの遺体をベランダの浴槽に遺棄した直後、彼女のルームメイトから通報を受けた警察が市橋達也の自宅の家宅捜査として市橋の自宅を訪れた。市橋は複数の警察官や捜査員を振り切り裸足で逃亡した。

一度捜査員に羽交い絞めにされたが、その捜査員からも逃れることに成功している。

その後、警察の目を免れる為、公衆トイレで自分の鼻を縫い人相を変えた。自分の下唇をハサミで切り落とすなどして何回も自己整形を試みている。

この前代未聞の事件はマスコミの報道が過熱し、日本中の注目を集めるなか、犯人の市橋達也は自宅のある千葉県から東京に移動し、その後埼玉・群馬・茨城へと逃亡し、静岡・青森・岡山・四国を渡り歩いた。

逃亡の先々で自分の指名手配のポスターを目にした市橋達也は、逮捕されるのは時間の問題と考え無人島での生活を構想し、沖縄県のオーハ島を拠点として選択した。しかし無人島での自給自足の生活は過酷を極め、挫折し大阪に渡った。

大阪では建設現場などでの働き、貯めた給料で整形を繰り返し逃亡を続けた。大阪で目にした自身の指名手配のポスターに顔の特徴として2つのホクロが記載されていた為、自らホクロを切り取っている。

懸賞金による情報公開捜査が行われた

この事件は警察が、当初3万枚余りのポスターを刷り100万円の懸賞金を懸けて捜査協力を呼び掛けた。犯人の市橋達也の逮捕とそのきっかけとなる情報を広く呼び掛けると共に、新たに製作された手配ポスター約6000枚を配布し、報奨金額は最終的に1000万円まで引き上げられた。

警察は市橋が髪を茶髪に染め眼鏡を掛けた画像と、女装したイメージ画像を掲載したポスターを新たに公開した。A3版を約4000枚掲示し、A4判チラシ約3万枚を配布した。

さらに市橋が描いた被害者の似顔絵、市橋の遺留品のリュックサックや靴の写真を公開し情報提供を呼び掛けた。指名手配のポスターが配られると市橋達也はイケメンであるとネット上で発言する女性が多く出現した。

「自首しても刑は軽減されない」

逃亡の途中、四国では香川県高松市から徒歩で徳島県から高知県、愛媛県とお遍路を歩いている。これは自分の犯した罪への贖罪の意味があったとしている。

一方で指名手配犯は、自首しても減刑にならないと知り、自主的な出頭は考えていなかった。お遍路の先々でも指名手配のポスターを目にし、沖縄の無人島での生活を考え始めた。

沖縄へ向かう途中に市橋達也が逮捕される

整形の手術を担当した医師が、ホクロを取った痕跡を不審に思い、以前ニュースで見た市橋達也の特徴と一致することに気付き警察に通報した。この通報がきっかけで整形後の市橋達也の顔が公開されたことを受け目撃証言が相次いで寄せられた。

手術後の新しい指名手配の報道を見て、市橋が住み込みで働いていた建設現場から警察に通報があった。市橋は偽名を使って働いていた事、顔が整形されていたことなどから当時は気付かなかったという事だった。市橋はこの建設現場の寮で生活していたが、無断で退去していた。

福岡に滞在中、自分の足取りを警察が掴んだことを知った市橋達也は再度沖縄への逃亡を試みた。しかし、フェリー乗り場の職員が、通常沖縄行きの便の乗客はたくさんの荷物を抱えているが、沖縄行きのフェリーを待つ客の中に手ぶらでいる人物がいるのを不審に思った。

連日のニュースを見て市橋ではないかと考えた職員は、夜の便まではまだ何時間もあるにも関わらず手ぶらでその場を動かない様子を観察を続けるうち、市橋達也だと確信し警察に通報した。

2009年11月10日、神戸から沖縄に向かうフェリー乗り場で、とうとう逮捕の瞬間が訪れた。

市橋達也の奇妙な行動・逮捕後に二週間の絶食

市橋達也は逮捕後2週間に渡り一切食事を摂らないという常軌を逸した行動に出た。2週間の絶食は当然、普通の人間が成し得ることではない。

この不可解な行動の意図とは一体何だったのだろうか?

自殺を考えていた?

当初、市橋達也のこの行動に対して「精神的なショック」あるいは「自殺しようとしている」と解釈されていた。

しかし、実際は市橋は自殺するつもりはなかった。市橋は死体遺棄容疑から殺人罪を立証できるのは自白だけであり、黙秘こそ無罪を勝ち取る唯一の方法だと理解していた。つまり、市橋が絶食によって自殺しようとしていたというのは警察の憶測に過ぎなかった。

市橋が黙秘を貫徹し公判で全面否認したとして、どうにか有罪に持ち込むための警察の思惑もあったが、市橋は自殺の意志を否定し、裁判で証言をした。

きっかけは捜査員とのささいなやりとり

市橋達也は逮捕後、2週間の断食をして更に世間を騒がせていた。様々な憶測が飛び交ったが、断食の理由は極めてささいな出来事であった。

逮捕直後、捜査員に「牛乳とパンぐらいなら用意できるけど食べるか」と聞かれ、市橋が「食べたい」と答えると、別の捜査員が「よくメシなんか食えるな」と言うやりとりがあった。

市橋達也の絶食はこのやりとりがきっかけとなり、捜査員へのに反発心から始まったと考えられている。母親が語った逆上しやすい性格、幼稚な内面が垣間見える行動と言える。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件が社会に与えた影響

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は市橋の逃亡中も、逮捕後も社会の大きな注目を集めた。被害者家族は何度も来日し捜査協力を呼びかけ、市橋逮捕に向けたテレビの特番も編成された。

逮捕後は市橋をイケメン、イケメンでかっこいいと崇める市橋ギャルと呼ばれる女性がファンクラブを作り、殺人犯をイケメンとする思想に反発するコミュニティも出現するなど、社会現象となった。

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裁判の判決

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件における2011年の初公判で、市橋達也は殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪で起訴された。この初公判には被害者の両親と姉妹の4人が参加し、結果として無期懲役判決となり、現在も服役中である。

検察側は市橋達也が事件の発覚を恐れ殺害したと主張したが、被告・弁護側は殺意を否定し殺人罪と強姦致死罪ではなく、傷害致死罪と強姦罪であると主張し、双方の主張は対立した。
 

検察側は、市橋に殺意があったのは明らかであると主張し、被害者の遺族は反省が見られない市橋に死刑判決を求めたが、市橋に前科がなく犠牲者が1人であることから無期懲役の判決が言い渡された。

初公判では検察側の求刑通り、市橋に無期懲役の判決が言い渡された。市橋の弁護側はこの判決を不服とし控訴した。弁護士との接見した際市橋は、自分の言っていることは事実であり、どうして信頼されないのかと不満をあらわに発言した。

東京高等裁判所での控訴審では、市橋の弁護人が殺意を否定したのに対し、検察側は一審の無期懲役判決を維持して控訴の棄却を求めた。東京高等裁判所は無期懲役判決を支持し市橋側の控訴を棄却し、控訴審はこの日のみで終了した。

その後上告期限まで検察・弁護側側共に上告をしなかった為、市橋の無期懲役判決が確定し判決が覆ることはなかった。弁護団が上告しない方針を伝えると、市橋もその方針に従い判決を受け入れる形となった。

市橋達也は「イケメン」・ファンクラブの存在

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は社会現象となり、市橋達也逮捕時直後には、市橋を「イケメン」「カリスマ」と崇拝しmixi内にファンクラブが出現する異様な事態となった。

ファンクラブには市橋をイケメンと崇める「市橋ギャル」と呼ばれる女性が多数参加し、ネット上で市橋は「イケメン」「かっこいい」など市橋を肯定する発言をした。

殺害事件の犯人である市橋をイケメンとして崇めるファンクラブを非難するコミュニティも多く作成され、イケメンと発言したユーザーが個々に攻撃されるケースも多数あった。

市橋をイケメンと呼ぶ声は逃亡中から存在し、両親が医師というバックグラウンドや千葉大学出身という高学歴であること、180cmを超える高身長であることなどから事件発覚当初からハイスペックなイケメンと認識する人も大勢いた。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件【加害者家族】

市橋達也には、両親と姉の計3人の家族がいるとされている。市橋達也の家族の現在を紹介する。

外科医部長の父親

医師である市橋達也の父親は、事件前まで岐阜県の病院で外科医部長をしていた。しかし、リンゼイさん殺害事件が発覚し、息子が指名手配された事を機に医師を仕事は辞めている。

父親の現在について確かな情報はないが、以前母親が取材に対し「(父親は)ずっと家にこもっている」と答えている。現在も医師の仕事に復帰していない可能性が高い。

歯科医師の母親

市橋達也の母親は事件前まで歯科医師をしていた。父親と同様、彼女もリンゼイさん殺害事件の後に歯科医師の仕事を辞めている。

市橋達也の逃亡が長引くにつれ、母親は息子は自殺していると思っていたという旨の発言をしている。市橋が整形を繰り返しながら逃亡していることを知った際彼女は、どうしてそこまでして逃げるのか、罪を償って欲しい、と発言している。

両親共に事件のあった当時から、現在も岐阜で暮らしている。

市橋達也は2人姉弟であり、彼女も両親と同じく医師であったと言われいる。市橋の姉はリンゼイさん殺害事件の当時結婚していたが、実の弟が指名手配されたことで離婚したと言われている。

彼女の現在については報道などもなく定かではない。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件【被害者家族】

当時22歳だったリンゼイさんの命がこのような形で突然奪われた被害者家族の精神的ショックは計り知れない。被害者家族は、犯人である市橋達也の逃亡中にも何度も来日し、必死に捜査協力を呼び掛けた。

被害者家族は現在も、市橋からの謝罪及び逃亡の日々を記録した手記の印税の受け取りを拒否している。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件が残した傷跡

被害者の家族は、市橋の逃亡中も事件現場に通ったり、駅でのビラ配りを行うなど、何度も来日し市橋逮捕への協力を訴えた。2007年には専用サイトを立ち上げ、市橋の顔をプリントしたTシャツを販売し、事件が風化しないよう何度もマスコミの取材を受けた。

家族の必死の捜査

当時駐日英大使も2007年、都内で記者会見を行い、市橋達也逮捕への協力を求めるとともに家族の活動を支援する姿勢を示した。

被害者家族の来日に合わせ市橋逮捕の為の特別番組が収録され、被害者両親も出演し日本全国に情報提供を求めた。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件関連書籍

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件が社会に与えた影響は大きく、のちに書籍化・映画化もされている。この事件を基に執筆された吉田修一氏の著書を紹介する。

吉田修一『怒り』

『怒り』の著者吉田修一氏は、インタビューの中で執筆の年頭には市橋達也のリンゼイさん殺害事件やその後の逃亡劇が念頭にあったと答えている。

この小説は一連の事件や逃亡劇、市橋達也など加害者について掘り下げるのではなく、自分の目の前にいる人間を信じるか信じないか、信頼と裏切りといった人間の微妙な心理模様を追求した内容となっている。

この小説はのちに同タイトルで映画化もされ話題となった。

事件の残した爪痕

市橋達也は恵まれた家庭環境や、イケメンと言われるほどの容姿にも恵まれた環境で育った。その反面、両親の期待に応えることの出来た姉へのコンプレックスや、良い子を演じる裏で逆上しやすい性格を持ち精神に闇を抱えていた。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は、被害者とその家族はもちろん、加害者の家族の人生に現在も消えない大きくて深い爪痕を残した。市橋達也の身勝手な犯行に翻弄され人生を狂わされた痛みは生涯消えることはない。

日本中の注目を集め社会現象ともなったこの事件の犯人、市橋達也は現在も無期懲役判決を受け服役中だが、模範囚であった場合今後社会に戻ってくる可能性は高い。

事件が社会に与えた衝撃や影響は計り知れず、今後こういった凶悪な犯罪が起こらないことを祈る。

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