豊田商事会長刺殺事件の真相!犯人や関連人物の現在とその後

1985年6月に起きた豊田商事会長刺殺事件は、永野一男会長が取材陣の前で刺殺される様子がテレビで生中継されたことでした。被害総額2000億円という昭和の日本最大級の詐欺事件と豊田商事会長刺殺事件の真相と犯人や関連人物の現在とその後に迫ってみましょう。

豊田商事会長刺殺事件の真相!犯人や関連人物の現在とその後のイメージ

目次

  1. 1豊田商事会長刺殺事件は日本史上最悪の結末を迎えた詐欺事件
  2. 2豊田商事会長刺殺事件の概要を解説
  3. 3永野一男や豊田商事について
  4. 4豊田商事会長刺殺事件での報道陣について
  5. 5豊田商事会長刺殺事件被害者の感情
  6. 6豊田商事会長刺殺事件の関連人物の現在とその後
  7. 7豊田商事会長刺殺事件の関連書籍・作品
  8. 8豊田商事会長刺殺事件の真相は闇の中

豊田商事会長刺殺事件は日本史上最悪の結末を迎えた詐欺事件

1981年に設立された豊田商事は、社員が訪問した先で資産運用として「金」や「金の延べ棒」の購入を誘う商法の投資会社でした。 しかしその実態は、現物を手にすることのない「ペーパー商法」と言われる詐欺で高齢者が主なターゲットにされていました。

被害者の会も結成された大きな詐欺事件へと発展し、幹部の豊田商事会長を主犯格として、真相を突き止めるべく連日マスコミが取り上げるほど日本国内中で大騒ぎとなりました。

そんな中に起きた豊田商事会長刺殺事件は、永野一男会長が多くの報道陣がいる前で起きた刺殺事件で、テレビで生中継されるショッキングな事件でした。刺殺される原因となった豊田商事事件は、被害総額2000億円という日本最大級の詐欺事件です。

被害総額は2000億円・被害者は3万人

1985年初頭、「金」の現物が手に入らない事に疑問を抱いた被害者家族たちから国民生活センター等への相談が急増して、豊田商事の現物まがい商法が明るみになり詐欺事件が社会問題化します。すぐに豊田商事事件関連の被害者相談窓口も設置されました。

4月には、関連会社だった鹿島商事の社員が逮捕されたことをきっかけに詐欺事件の捜査が本格化しました。豊田商事事件の被害者は3万人、被害総額は2000億円ともいわれ、戦後最大級の詐欺事件としてマスコミが連日のように大きく取り上げました。

詐欺事件の実行犯が刺殺された豊田商事会長刺殺事件

「金」を使った現物まがいな悪徳商法による詐欺事件の黒幕として、真相究明の取り調べを警察から連日受けていた、豊田商事会長永野一男が大阪府の自宅マンションで多数の報道陣がいる中で、大胆にも刺殺された殺人事件で有名になりました。

豊田商事会長の永野一男は当時32歳という若さでした。刺殺事件前日の6月17日にも警察の取り調べを受けていました。刺殺事件当日は自宅マンションに多数の報道陣が詰めかけていたため出られず、ひとりで部屋にいました。

午後4時半頃、自称右翼の二人組の男が突然現れて事件が起き偶然にも、その事件の一部始終は日本国内に生中継されてしまうショッキングで未曾有な大事件となりました。

豊田商事会長刺殺事件の概要を解説

豊田商事は社員による現物まがい商法の悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に大きく注目されていました。

しかしながら、肝心の幹部だった会長永野一男が刺殺されたことによって、資金の流れ等の詳細は不透明で、現在でもその事件の真相は何だった、黒幕は誰だったのか解明されていません。

資産運用に注目が集まっていた1980年代

1980年代は今で言うと「バブル時代の初期」にあたり、現代社会と違って、残業は当たり前の時代でもあり、バンバン働き、がっつり稼ぐ風潮にあり「24時間働けますか?」という流行語まで飛び出した景気の良い時代でした。

そして、資産運用という言葉が飛び交い、投資することが一種のステイタスでもあった、そんな時代背景があります。顧客から運用資金を預かり、「金」や「ダイヤモンド」などの貴金属類を取引してその資金を運用していたのです。

豊田商事の詐欺の手口【ペーパー商法(現物まがい商法)】

豊田商事の取引方法は、現物は引き渡さずに豊田商事が預かる形を取り「純金ファミリー契約証券」という証券を代わりに渡す形式を取っていました。投資した客は現物の「金」を持ったことはありませんでした。

「金」に投資した客は現物を自分の目では確認することも、手に入れる事も出来ないままで、実際に投資した客が手に入れたのは「証券」という紙1枚のみでした。この商法はのちに「ペーパー商法」と呼ばれ「現物まがい商法」で、いわゆる詐欺でした。

永野一男が報道中に刺殺される(1985年6月18日)

豊田商事会長刺殺事件は、1985年6月18日、豊田商事会長だった永野一男(当時32歳)の大阪北区にある自宅マンションで唐突に起きました。

自称右翼の自営業・飯田篤郎(当時56歳)とその社員だった建築作業員・矢野正計(当時30歳)が突如現れて室内に乱入しました。何人ものマスコミがいたその目の前で、会長だった永野一男を刺殺しました。

あまりに突然の出来事だったためか、犯人を目の前にしていながら、40数人もいたとされたマスコミ報道陣の誰一人として、その瞬間を止めに入る者はいなかった、あっという間の出来事でした。

永野一男や豊田商事について

豊田商事の営業拠点には「ニセモノ」の金の延べ棒が多数積まれていたようですが、今となっては自転車操業の虚構であったことが明らかですが、詐欺事件の真相を知る社員もいなかったようで解明する事が出来なかった最大級の詐欺事件です。

豊田商事会長刺殺事件の主犯

豊田商事会長刺殺事件の裁判では、犯人2人にはそれぞれ懲役刑にされたもののその後わずか10年で出所しています。2人は「被害者から頼まれたから来た。永野をぶっ殺せと頼まれた」などと叫びながら、永野会長宅に報道陣を押しのけて侵入しました。

犯人は窓を割って部屋に侵入したにもかかわらず、この間、2人の行動を制止する報道陣はいませんでした。その上でこの騒然とした光景をマスコミ各社はワイドショーの生中継をしていました。犯人2人はまもなく駆けつけた警察官に殺人の現行犯で逮捕されます。

しかし取り調べで分かっていることは、この犯人2人は豊田商事事件の詐欺事件の直接の被害者でないことが判明していることから、黒幕は別にいるとも言われていますが、釈放されて真相は明らかになっていません。

豊田商事について解説

1981年に設立された豊田商事は、社員によって次々と客をだまし続けながらも全国に60店舗にまで増え、従業員数は7500人に増えていきました。永野会長はこの高齢者の資産を狙う手法で、わずか4年間で2000億円もの資金を集めました。

豊田商事の社員、営業マンたちの給料は、高額だったとされ日給2万円の社員もいれば、月給1,000万円以上の社員もいたようです。当時32歳だった永野一男会長自身、小型飛行機やクルーザー、高級外車などを所有していた時期もありました。

1985年に入ると、いつまで待っても元金も支払われず、「純金ファミリー証券」の会員たちは豊田商事に不満を抱き始めました。財産を失った老人の自殺や、関連企業の社員が逮捕されるなどのトラブルが目立ち、マスコミなどに注目され始めました。

口封じ目的か?豊田商事会長刺殺事件の真相は?

豊田商事がマスコミなどに注目され始め、詐欺事件の黒幕として永野会長は一気に有名になりましたが、被害が明るみになったことで逆に豊田商事の営業成績は急激に悪化して、1985年6月には営業停止状態となっていました。

創業からわずか4年余りで豊田商事が集めた資金のほとんどが、流用されて残っていなかったことが判明しますが、黒幕とみられた最高幹部の永野会長が死亡したために、お金の流れに関しての解明が難しくなってしまい、現在でも真相は藪の中です。

結果的に捜査に支障をきたし原因究明も出来ず、未解決の迷宮入りになったことから、豊田商事会長刺殺事件の真犯人はほかにいて、口封じのために殺人を依頼したのではないかといった憶測も流れました。現在でも黒幕が別にいるとの噂があります。

つまり、連日のように取り調べを集中的に受けていた永野一男会長も、実は裏で操られており、黒幕である真犯人が、口封じ目的で自称右翼の2人に刺殺を命じたのではないかと言う憶測も事実ありました。

豊田商事会長刺殺事件での報道陣について

1985年6月18日、大阪市北区にあった豊田商事会長・永野一男の自宅マンションの玄関前には「主犯格の永野一男、今日逮捕」との情報を聞きつけて多くの報道陣が集まっていました。

殺人現場を生中継!マスコミ関係者は助けに入らなかった

同日16時30分過ぎ、自称右翼の男2人が永野一男の部屋の前に姿を現した。2人は豊田商事側が雇った私設のガードマンに「永野に会わせろ」としつこく要求したため、ガードマンは連絡を取るためにその場を離れてしまった。

男2人は詐欺事件の被害者6人から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたのだと報道陣に語っている。その後の取り調べでは、この犯人2人は豊田商事事件の直接の被害者ではないことがわかっている。

そして通路に面した玄関横の窓ガラスを割って侵入、永野一男の頭部など全身数箇所を銃剣で刺した。多数のマスコミが生放送したが、そこにいた数十人の報道陣の誰もが止めようとはしなかった。

部屋から出た犯人らは、「おい警察呼べよ。俺が犯人だ」と叫び、その後、マンションから出たところで大阪府警察に現行犯逮捕された。

当時はまだ、携帯電話が普及していなかったため、事の重大さに気づいた、数人のマスコミ関係者が慌てて近隣住民に駆け寄り、通報を依頼したとされています。

子供には見せないでください!

豊田商事会長永野一男が刺殺された際の怒声などの音声や、犯人の侵入シーン、ストレッチャーで運ばれる様子など緊張の生々しい場面は、NHKニュースや民放テレビ各局で一部始終が生中継された。

この時「子供には見せないでください」と慌ててアナウンサーが呼びかけるなど、異例尽くしの生々しい光景だった。その後、週刊誌「フォーカス」が、犯人と永野会長の遺体、もう1人が銃剣を持つ生々しい現場写真を載せて発売された。

豊田商事会長刺殺事件被害者の感情

膨大な被害額を前に、真相も真犯人もつかめず、黒幕説もあった中で、弁護士も、被害者を救う手立てがなかなか見えない難しい詐欺事件だったようです。

老後の資金としてためた貯金を投資に充てて、騙されてしまったのですから、被害者の感情意識は相当なものでしょう。

孤独な高齢者を狙った残酷な手口

豊田商事の社員による勧誘方法とは、主に孤独な高齢者が狙われたのも被害を大きくさせた要因でした。まず電話で無差別に勧誘し、独居老人だと判断すると相手の家を訪問する。

家に入り、身の上話しを聞いたり、親切に身辺の世話をしたり、世間話しをしたり、寂しい独居老人の心の中にと入り込んでいき、「息子だと思ってくれ」と人情に訴え足りしていく内に、巧みに契約を結ばせた。

金利のつかない銀行に預けるよりもはるかに儲けが出る、と言われれば誰でも手を出してしまう、被害者たちの多くはこうした豊田商事社員の巧みな口車に乗せられてしまった。

弁護士の中坊公平による債権回収

被害者の会が発足したものの、破産同然の豊田商事に対する、資金回収の見込みがほぼ望めない難しい案件で、弁護を引き受ける弁護士がなかなか見つからない状況下で、債権回収に立ち上がった1人の弁護士が名乗りをあげました。

その弁護士とは、千日デパート火災事件や森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者側に救いの手を差し伸べて、徹底的に闘い尽力した中坊公平弁護士です。

残念ながら中坊弁護士の活躍は限度がありました。豊田商事の金庫に残っていたわずかな現金と、賛同した1000人以上とも言われる弁護士団が救済金の回収に尽力したものの、被害者に戻ってきたのは被害額の1割強にとどまりました。

トヨタ自動車のグループ企業を語った風評被害

そもそも「豊田商事」という社名自体、トヨタ自動車のグループ企業と錯覚させるために「トヨタ」とつけられたものでした。最初から詐欺で一儲けしようとした黒幕の一人である会長永野一男が名付けたとされています。

トヨタを盗用した理由には、永野一男の最初の就職先がトヨタ自動車のグループ企業の日本電装(現在のデンソー)だったからと言われていますがその真相は定かではありません。

豊田商事は、当然ながらトヨタグループとの資本関係は全くありませんでしたが、豊田商事の宣伝には芸能人を使ったCMではトヨタグループだという印象付けを大々的にアピールしたのです。

悪徳商法の関連企業には、親会社とされる銀河計画、ゴルフ会員権を売りつけて社員が逮捕された鹿島商事、ねずみ講で倍々方式で被害を生み出したベルギーダイヤモンドなどがありました。

風評被害に遭った企業は、山口県の紙製品業者「豊田商事株式会社」がありました。こちらは1948年法人化し。社名は創業者の名前から由来したもので、トヨタグループとも無関係でとばっちりを受けた企業の一つです。

豊田商事会長刺殺事件の関連人物の現在とその後

巨額の資金の全容を知る黒幕と見られていた、永野会長が刺殺されたことによってその解明は困難になり、現在では真相は闇の中ですが、豊田商事会長刺殺事件の関連人物の現在とその後を調べてみました。

刺殺事件の主犯格とされる飯田篤郎

主犯格とされる飯田篤郎は当時56歳で大阪豊中市で鉄工所を営み、工場では高齢者や身体障害者を積極的に雇用していたそうですが、下請けにだまされたことや不景気などが原因で、1984年に5億円の借金を抱えて倒産しています。

飯田は豊田商事の詐欺事件の直接の被害者ではなく、犯行動機には、知り合いに頼まれたことと高齢者をターゲットにした豊田商事が許せなかったとも供述しました。誰かに雇われただけで犯行に及んだ黒幕説もあります。

また供述では、当時のマスコミに対して自分の犯行を止めなかった責任を求めていました。その後の現在は80代後半で家族とひっそり暮らしているとされています。

刺殺事件のもう一人の犯人の矢野正計

飯田の部下で当時31歳だった矢野正計は現在60代となり、その後の現在は、広島で5人の子供に恵まれ静かに暮らしているとされています。

一部週刊誌で、矢野は常に「自分はやっていない」というのが口癖で、事件後に矢野と飯田は仲たがいしたとも言われています。

豊田商事幹部だった前田英仁の現在

はなまるうどんの創業者である前田英仁は、豊田商事の元幹部でした。はなまるの上場申請の際に、週刊誌の報道で創業者の経歴に豊田商事社員だったと明かされています。現在は吉野家ホールディングスの傘下だそうです。

伝説の弁護士だった中坊公平

京都大学法学部卒業、大阪に籍を置いた弁護士で、1975年に乳児130人の命を奪った森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者弁護団長を務めました。豊田商事事件のその後は、90~92年に日本弁護士連合会会長を務めました。

その後、弁護士として引き受けた住宅金融債権管理機構での債権回収方法では、詐欺行為があったと認めた形で、2013年に弁護士を辞めています。現在は故人です。

豊田商事会長刺殺事件の関連書籍・作品

センセーショナルな豊田商事会長刺殺事件は、詐欺事件とともに永野会長が黒幕としてドラマや小説の題材として取り上げられ、多くの関連書籍や映像作品が生まれました。そのいくつかをご紹介します。

地獄の黄金 小説・豊田商事

豊田商事事件を題材にした大下英治の小説です。取引があったとされる暴力団関係や新興宗教団体などが仮名で出てきており、かなり真相に迫った内容です。

マネーゲーム

豊田商事事件を扱った小説「マネーゲーム」は1987年、第24回文芸賞佳作を受賞した久間十義の作品です。

コミック雑誌なんかいらない!

1986年に公開された日本映画で、ワイドショーのリポーター役の内田裕也の視点で、1985年に起きたロス疑惑事件、日航機墜落事故など実際に起きた数々の事件を描いた中での、豊田商事会長刺殺事件の犯人役をビートたけしが演じ真相に迫りました。

金の夢は血に濡れて

ペーパー商法で大きな社会問題となった豊田商事事件をヒントに、片岡鶴太郎が黒幕の会長役として、金に憑かれた淒まじい生きざまや詐欺商法の内幕を描いた1992年のテレビドラマです。

豊田商事会長刺殺事件の真相は闇の中

豊田商事会長刺殺事件は、殺人事件でもあるにもかかわらず、たった10年という軽い刑でした。そのことから黒幕説が消えない、不可解な事件の一つです。

また豊田商事詐欺事件においては、現在でも未解決である日本国内では戦後最大級の詐欺事件があったことも忘れてはいけません。

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