会話が苦手な原因とは?人と話す・喋るのが苦手な人って?
どんなに文明が進んでも、おしゃべりは人類最高の娯楽です。仕事には会話がつきものであり、契約に至るまでの会話のための会話の手続きを踏まねばなりません。ましてや営業接待においておや。大人なら「私、人と話すのが苦手な人」なんて言ってられません。苦手を楽しみましょう。
目次
人とお喋りするのが得意?それとも苦手?
会って人と話すことを会話といい、くだけて、おしゃべりともいいます。得意なことは問題にならないので、苦手な人の話をしていきます。会話といっても様々な状況が想定されます。人間関係の第一歩である家族と会話するのが苦手な人は、問題の根幹が違ってくるので別の機会にゆずります。
残ったのは、生きていくために必要な仕事。それと並行して日常を潤す友人関係。最終的に新しい家族を構成して、子孫をつくる異性との関係。この三つになります。ここでは差し当たって最も生存に必要な仕事面について、主にアプローチしていきたいと思います。
その前に…コミュニケーションは必要か?
近年、会話=コミュニケーションの必要性が声高に叫ばれていますが、これって「私って~の人じゃないですか」と、同じじゃないですか。「その前提はどこから来たんだ」「初対面なのにいきなり失礼だろ、コミュ障か?」と言いたくなります。コミュニケーション=会話といっても色々なのに。上で示した三つの内、どれなのでしょうか。
さも昔から日本人は会話をして来たみたいですが、むろん、おしゃべりは当然ありました。今だって仕事や学校を離れ、家族との会話が不足しがちでも、その「話術に」困る人はい少ないはずです。仕事上の会話は対話であり、その終点は契約ですが、そこへ至るまでの関係づくりのおしゃべりこそ、人付き合いの醍醐味(だいごみ)でもあります。
また、コミュ障とレッテルを貼られるヲタクの人たちは、実はとても「おしゃべり」です。話題をそちらに振り向ければ饒舌(じょうぜつ)になります(事故るほど、というのは偏見でしょう)。その特徴とされる早口も、めったにない趣味を人と話す機会を得た喜びと、この時間をムダにすまいという焦りに過ぎないのです。
顏真っ赤にして何が言いたいのかといえば「要するに、お金でしょ」ということです。肥大化した資本主義の末路としての、格差から解脱への、お説教でマウントとるための、啓蒙(けいもう)に名を借りたブルースが加速する叩き合いへの強制参加です。その隠微(いんび)な戦闘スタイルこそ会話なのです。契約へと至るまでの和やかなムードを含め。
しかし、会話=対話はそれに留まらず、世界中の宗教や哲学では、神や真理へと導く手段でした。それは利用された後、棄却(ききゃく)されるのがパターンで、捨てられない者や物は未到達の証として描かれるのも、またパターンでした。しかし、困ったことに日本人はその文化の歴史がなく、あっても、せいぜいガラパゴスな禅問答くらいでした。
どんなにその必要性が叫ばれようが、本気で議論をふっかければ子ども扱いをされるのがオチ。それを本能で知っているのが日本人です。この風土をわきまえない、明治以来の欧米かぶれの啓蒙家が、意識高い系と揶揄(やゆ)されるます。そこには当然、日本人の大人なら持たねばならぬイラダチが欠落していることへの、イラダチがあるからです。
人と会話するのが苦手な人の特徴《男性編》
そんな、くちばしの黄色い(子どもじみた)ことを言っていても、始まらないので形而下(けいじか)へ降りて、より具体的例から始めましょう。ただし、そのフィクションが受け入れられている状況を踏まえてのフィクションの会話も含みます。
いっても始まらない
無口な男性がいるものです。口数の少ない人。このような人の場合、会話が苦手なのでしょうか、それとも、おしゃべりが嫌いなのでしょうか。両方とも考えられますが、無口で実力のある人(少なくとも当人はそう思っている)の場合は、だんだん口数が減って行った経緯が考えられます。
社会の矛盾と突き当たるうち「いっても始まらない」、と自分に言い聞かせる。もはや、その信条が血肉と化していることが多いようです。子供のときからすでにそうだった場合もありますが、社会に出て経験を積む上でそのようになるのでしょう。男性は年齢とともに、おしゃべりが消える傾向がみられます。孤高とも拗(す)ねともいえます。
ヲタク的こだわりの強さ
強いこだわりがなければ一流の仕事人にはなれません。女性に職人がおらず、男性に自閉症スペクトラムのアスペルガーが多いのもうなづけます。ヲタクであることを通らずして、どのジャンルでも良い仕事はできませんから。
ただ、こだわりのあまり妥協ができなくなります。宮崎監督は飛行機オタクで、寝る前何十年間も同じ飛行機の本をポロポロになるまで見つづけ、奥さんに呆れられたとか。最初は戦闘機を見ていたのに、だんだんと輸送機などの地味な機体に目が行くようになったと語っていました。
彼は部下の仕事が気に入らないと、会話などやめてしまい、さっさっと自分で描いてしまう。後になって、黙って絵が差し替えられていたことに気づき、プライドを傷つけられたスタッフがたくさんいたそうです。
興味がない
男性にはごくまれに、会話などの世事にうとい人がいます。女性には信じられないかもしれませんが、本当に興味がないのです。彼らだって時には寂しくなりますが、優先順位が違うのです。カッコ良い例を挙げれは、「仮面の告白」を書いた三島由紀夫の「沈める滝」の主人公、城所昇みたいな鉱物的な男がそれに近いかもしれません。
これは実際にあった話ですが、アメリカ人のRichard Proennekeさんは、軍人、重機オペレーター、大工、整備士など多種多様な仕事を経て、アラスカのツインレイクに自らログキャビンの家を建て、40年間一人で住みました。おしゃべりの相手は、小鳥たちたけでした。
また最近でも、その時点で82歳の日本人、MASAFUMI NAGASAKIさんは、23年間砂の島で一人で住んでいました。裸の動画画像が出てしまうので、ここには直接貼れませんが、ユーチューブで「The naked Japanese. 29 years on a desert island | FULL DOCUMENTARY」というタイトルで当たってください。
是非もなく、彼らにとっては、そうあることが自然なのでしょう。
プライドが高い
性、狷介、自ら恃む所頗る厚く(せい、けんかい、みずからたのむところすこぶるあつく)、とは中島敦の「山月記」に登場する李徴(りちょう)を評した言葉です。狷介とは、ガンコで自分を強く固辞し、他人にゆずらず心を開かないことです。要するにプライド高杉問題です。
秀才だった李徴は俗物として生きるのを潔(いさぎよ)しとせず、勝ち組の官吏(公務員)を辞め、高踏(こうとう)な詩人を目指しました。しかし、どんな世界も世俗のチリにまみれているもの。彼は真っ青な空と海のあおにも染まらない鴎(かもめ)になれず、虎となって山へ引っ込みました。
サルトルは「地獄とは他者である」といっています。なぜなら、圧倒的多数で自分の思い通りにならないだけでなく、気ままで法則性がないからです。こんなものを相手にしたら必敗は明らか。他者と戦ってはいけません。負けて見せるが勝ち組です。
人と会話するのが苦手な人の特徴《女性編》
アスペルガー障がいは約8対1~2で男性に多いようです。しかし、少ないとはいえ、いることはいます。何にだって例外があります。知的に問題がなくとも、何気ない会話を苦手とする高次機能障害の人がいるのです。
女性の場合、人と話すことが苦手、おしゃべりが嫌いという人は少ないでしょう。しかしそうであるがゆえ、男性のように超然とはしていられません。男性には荒野を切り開く力がありますが、女性は関係性の中でしか生きられないからです。
不幸にしてその能力に恵まれず、女性の中で少数派におちいった人たちの特徴をみていきたいと思います。
秘められた反抗
言わずと知れた「ちびまる子ちゃん」の野口さん。まるちゃんは、普通の男子を全員呼び捨てにしますが、女子には「ちゃん」づけか「さん」づけです。
どう見ても野口さんはクラスの女子カーストの最下位レベル、ミドルクラスのまる子より劣位にいますが、「さん」づけです。もし、野口さんがまる子のように、彼女を呼び捨てにしたらどうなるでしょう。まる子は例の引きつり笑いを浮かべるしかないでしょう。野口さんもそれは知っています。だから「クックックッ」と笑うのかもしれません。
その無口と独特の笑い方には、反抗が秘められています。また、それには自分の弱さに対する怒りも含まれていのるです。
共感なき「からっぽの世界」
山田花子という漫画家をご存知でしょうか。1992年5月24日、山田花子こと高市由美は実家だった団地の11階から飛び降り、まもなく死亡しました。死亡推定時刻午後7時30分、飛び降りた時間は午後5時30分から午後6時30分と推定されました。享年24歳。統合失調症からの退院直後でした。
自らを特殊漫画と称し、「私はオチやストーリーなんか必要ないと思っている。」と日記に書いたように、まったく売れないガロ系の作家でした。私小説的エッセイ漫画しか描けない「黒いちびまる子ちゃん」とでもいうべき作風でした。代表作は「からっぽの世界」など。
以下は彼女と同年代の女性漫画家の、独断的かつ恣意(しいてき)なバイオグラフィーです。
ペンネーム | 本名 | 生年月日と死没日 | 死因 |
山田花子 | 高市由美 | 1967年06月10日~1992年05月24日 | 飛び降り自殺 |
ねこぢる | 橋口千代美 | 1967年01月19日~1998年05月10日 | 首つり自殺 |
さくらももこ | 非公開 | 1965年05月08日~2018年08月15日 | 乳がん |
矛盾をはらんだ会話への不信感
2002年に出版された「臨床描画研究」で、香川医科大の石川元氏は彼女の漫画を分析し、彼女に発達障害の可能性をみています。その漫画の大きな特徴は相手の言葉に振り回されることだといいます。コミュニケーションにおける矛盾と、その一貫性のなさに。
「神様の言う通り」においてヨーコは家庭教師に教わっています。彼女はテレビに映るスターに好感を持っていますが、家庭教師に一蹴されます。彼女は教師の言う「ダサさ」に一旦同調しますが、教師はおそらくヨーコをおもんばかって「でも、こいつのアホなところががいいんだよなァ、うんうん」と手のひらを返します。
このような健常者の無自覚な世渡りに、彼女は一々ショックを受けるのです。男性のアスペルガー障がいにおいても一貫性への「こだわり」がみられますが、女性である彼女には、会話面におけるそれが顕著(けんちょ)でした。
彼女は幼少の頃、手塚治虫のような昆虫博士だったそうです。もし、彼女同じがアスペルガー的な特徴を持つ植物学者の牧野富太郎博士のように、そちらへこだわりを向けていたらと考えずにはいられません。
上の画像のように、三つ編みで赤いベレー帽をかぶり、手提げかばんを持った写真が、父親の編集した「自殺直前日記」の表紙に載っていました。表紙には彼女が日記の中で吐きつづけた「共存不可。」などの、自分と世間へのズレ、罵詈雑言(ばりぞうごん)が装飾的にちりばめられています。
だれも悪くなかったゆえに、救いの無かった彼女の死。「問題児」という短編で、彼女は本物の障がい者を侮蔑(ぶべつ)しまくります。社会的に認知された、レッテルの貼ってもらえた、知的障害児に対し、ああはなりたくはないが、なって私も楽になりたいという、裏問題児の密かな羨望(せんぼう)が垣間見えるのです。
人と話すのが苦手な人の原因とは?
カロリー高めの重い話題が続いたので、ここからは、なるべく軽めのタッチでいきたいと思います。以下、会話の苦手な原因を、断片的に取り上げていきます。
会話の苦手意識1「こだわり」
仏陀が何より偉かったのは何もいってないことです。ただ一言「こだわりを捨てろ」、これだけ。後は全部、後世のでっち上げです。古代の偉人の特徴は、よく会話=対話したとところにあります。仏陀も例外ではありません。
ところで、負けるが勝ちではなく、負けて見せるが勝ち。こちらの方が、実はこだわりが少ない理由がわかりますか。後者の方が、より自分に妥協しているからです。こだわりというのは、外側にはありません。自分に期待しすぎる人は結果、相手を見下しています。苦手なものは他人に押しつけましょう。
会話の苦手意識2「おそれ」
相手に期待しすぎています。自己責任が存在するのは、自分でコントロールする楽しさがの方が勝るからです。仕事量を増やしましょう。
会話の苦手意識3「身勝手」
これには自覚がないのが特徴です。こだわりと身勝手は似ているようで違います。こだわりには自己を縛る一貫性があり、むしろ自分が縛られていますが、身勝手には法則性がありません。場当たりの感情がすべて。こだわりには対処のしようがありますが、こちらは亀になって通り過ぎるのを待つだけです。周りの人は、あきらめましょう。
会話の苦手意識4「思い込み」
思い込みは、ある意味、身勝手なのかもしれません。苦手を数少ない会話体験で判断するのは早計です。人と話すことに完璧さなんか求めてはいけません。相手は案外忘れています。その軽率さを、たわいもない、おしゃべりにいかしましょう。
苦手意識5「たいした話題がない」
自信のなさによる「おそれ」、完璧主義の「こだわり」等にも通じますが、思いつきで良いのです。タモリ流会話術では糸口の見いだせない相手には、目に付いたものだけで会話します。いわく、「髪切った?」とかね。でもこれって、タモさん言ってないとかも聞きますが。
ちなみに、エセ外国語もこの手法が使われました。目に付いたモノのイントネーションを変え、られつするだけと「徹子の部屋」で話していました。
会話が苦手な人が受けるデメリット
人と話すことが苦手な人が被る損害は計り知れません。コネ、仕事、お金はダイレクトに繋がっています。関節的にも、人生を潤す友情は時に仕事をもたらしてくれます。恋愛成就もそうです。会話が人生の勝ちを占めるといっても過言ではありません。
自給自足なら清貧と心の安定を得られますが、現代では、ほぼ不可能です。出来たとしても、あらゆる貧しさに甘んじなければならず、普通の人にとって良いことは、まずありません。
会話が苦手なだけでなくすもの「お金」
無くすのは現金や預金ではありません。現在ではなく未来です。可能性の幅を縮める事になります。残念ですが、人の実力が直に収入に反映されることはありません。必ず評価がともないます。どんな人でも身内には甘く、手っ取り早く身近な人に声をかけるものです。
おしゃべりが苦手なだけでなくすもの「世界観」
すべてが繋がっています。世界観とはコネのことです。人の持つ世界観は、自分が自由になるものに拘束されます。お金では不充分、信頼は買えませんから。ムダ話で得た友情で、他者を動かせるメリットは計り知れません。福田恆存(つねあり)は大学に行く理由として、自分を助けてくれるコネづくりといっていました。
人と話すことが苦手なだけでなくすもの「恋愛の機会」
しつこいようですが、すべて繋がっているのです。お金、仕事、友情、恋愛など、個別に存在していません。人はとても狭い範囲で生きています。セレブなどの結婚相手を見ても分かるでしょう。みんな各々が帰属する村から相手を選んでいます。かつて、ベッカムの結婚相手にクエスチョンマークを感じたのは、私だけでしょうか。
会話が苦手なことを克服する方法
まず、必要と必須をはき違えてはいけません。あくまで、生活のための必要最小限の必要です。人と話すこと、おしゃべりは、宗教ではないのです。克服という言葉も害になります。忘れてください。ここでは克服というより、わずかでも「楽」へ寄せるやり方を無責任にあげ連ねてみます。
苦手なものを中抜きする
手を抜いて、ちょうじり合わせで、借り物して、低空飛行で行きましょう。抜け目なく楽しみつつ。いちいち、誰も憶えちゃいませんて。(実際の飛行は、空気の密度の低い高高度の方が燃費が良いし、安全ですが)
すっとぼけて苦手をやりぬく
上でやらかしたら、すっとぼけながらも、いさぎよく辞めないことてす。少しは人から怨(うら)まれましょう。
苦手な他人を利用する
あなたの数すくないコネを使いまくりましょう。「立っている者は親でも使え」です。社会的に名を残した人の人生を、つぶさに見て下さい。たいがい鬼畜ネタが転がっているものです。まずは親から始めて、縁の薄いコネを使いまくりましょう。なければ、ねつぞうしてください。バレても犯罪にならない交友関係とか、いくらでもあります。
すっとぼけて苦手をいなす
上でバレることは、おり込み済みです。友達の友達だと思っていたら勘違いだった、で終わりです。見ろよ青い空、白い雲、そのうち何とかなるでしょう。
会話が苦手な人に向いている仕事
朗報です。会話が苦手な人に向いている仕事なんてありません。すべて程度問題です。始めに、あきらめありき。こだわりが消えたところで0から始めましょう。
1.思い切って接客業に就く
好きなことを仕事にすると、不幸になる場合が多々あります。あなたに自覚的障がいがなく、人と話すのが苦手なだけなら、ここは思い切って接客業に就くのも手です。こだわりの強い人なら、なおさら向いています。好きではないから割り切れるのです。その態度は他人にとって、さわやかに映るでしょう。
亡くなった萩原流行さんは、無名時代のアルバイトで完全に良い人を演じる練習をしていたそうです。家電販売店で好成績を収め、このまま就職するよう強く誘われたと語っていました。
おそれの強い人はその繊細さを生かせば、相手から好感を得られるかもしれません。自分の意志ではなく、脅迫されてやっていると思ってください。人は割り切ったら強くなれるものです。
2.興味のもてない仕事に就く
上と被りますが、好きなことには、こだわってしまいます。ベストは、それに興味はないが、なぜか得意なものを選ぶことです。これはアスペルガーの人の職業あっせんで良くいわれることです。得意に勝る適正なし。
3.具体的な量を取る
人は効率を求めがちですが、ただのおしゃべりが苦手な人は、それを求めてはいけません。この世でも最も効率が良い稼ぎは金融です。他者に具体性を押しつけ、自分はそこから離れるほど効率が良くなります。
ひらひらと舞う蝶(ちょう)のごとき、他人を羨(うらや)んでも、ビタ一文にもなりません。あきらめて、量が質を生む日を忘れて待ちましょう。
地獄と極楽のかんばせーしょん
会話、人と話すおしゃべりほど、人の運命を左右するものは無いでしょう。逆にいえば、それをしないと何も始まりません。始まらないというのは地獄すら超越しています。一方、たったそれだけで、とてつもない豊かさを不当に享受できたりします。