2019年02月19日公開
2019年02月19日更新
眼福の意味とは?眼福ですなどの使い方を例文で紹介
眼福の意味とは?眼福というのはどのような意味になっているのか、そもそもの意味や読み方、由来などをご紹介します。また、眼福を使った例文を用いて「眼福の使い方」についてもお伝えしています。「眼福とはなんなのか」こちらの記事を参考に確認してください。
「眼福」の意味や使い方を学ぼう!
「眼福」という言葉がありますが、これの意味や使い方とはどのようなものになっているのでしょうか。まずはそもそもの「眼福の意味とは?」というところから、読み方、由来などもご紹介します。
また、より意味を深く理解できるように「眼福の使い方」を例文を交えてご紹介します。具体的にどのような場面で、どのように使うのかを知ることで、言葉の意味はより理解しやすくなります。
「眼福」の意味とは?
まずは、そもそもの「眼福の意味とは?」というところを理解しましょう。眼福とは、その字が表しているとおり「眼」に「幸福」が訪れる様を表している言葉となります。
美しいものやキレイなもの、貴重なものや自分自身が好きなもの、愛してやまないものなどを「眼で見る」ことによって、「幸せ」な気持ちになる、「福」が訪れることを意味している言葉です。
キレイな絵画や風景、自分が憧れている人物や美しいと思える人物などを見た際の「幸福な気持ち」を表現するときに、「眼福」という言葉を使います。
「眼福」の読み方
「眼福」という字の読み方とはどのようなものになっているでしょうか。これは「がんぷく」と読みます。ときどき「がんふく」と読んでしまうケースがありますが、正しくは「がんぷく」になります。
「福」という字は単体で見ると「ふく」としか読めず「ぷく」と読むことはないので、「常用ではない」読み方となります。特殊な読み方となり、読み間違えも多くなっていますので、注意しましょう。
「眼福」の由来
「眼福の由来」とはどのようなものがあるのでしょうか。これは中国から伝わってきた言葉とされています。もともと「漢字」というもの自体が中国から伝わってきたものなので、「よくある」由来とも言えます。
もともと中国では、「眼」というのは「両目でじっと見ること」という意味があり、「福」については日本で意味するところと同じように「幸福」を意味しています。
ですから、「眼福」といえば「両目でじっと見つけることで、眼から幸福を取り込む」というような意味になり、それが「眼福」の由来と言われています。
「眼福」の使い方
「眼福」の使い方とはどのようなものでしょうか。眼福という言葉のそもそもの意味や由来などはご紹介しましたので、実際に「眼福」という言葉を使う場面、使い方というものをご紹介します。
さきほど意味をご紹介したように「眼福」とは、何かを見て、それによって幸福を得るような意味になるので、まさに何かを見たときに幸福を感じるような場面で使うというのが眼福の使い方です。
絵画を見て感動と幸福を得たのであれば「眼福を得た」というような使い方をしますし、キレイな風景を見て幸福を感じれば「眼福です」と言うようなものが、眼福の使い方になります。
「眼福」を使った例文
「眼福」という言葉をどのような使い方をするのかはさきほどお伝えしたとおりなのですが、実際に使う際の「例文」を交えてさらに詳しい使い方をご紹介します。
例文があることによって実際のシチュエーションを想像しやすいので、そこから使い方のイメージすることができます。「眼福」という言葉を使うイメージをして参考にしてみてください。
例文①眼福です
「眼福です」というのはとてもシンプルな表現方法で、またこの表現を使う場合には誰か相手がいて、その人にその気持を伝える場合に使うことが多くなります。
たとえば、おすすめの絵画を見せてもらったときや、おすすめの風景、おすすめの女性などでも「これはすごいですね」とか「とてもキレイですね」と伝えるよりも、「これは眼福ですね」と伝えたほうがより見た時の感動を伝えられます。
見て「幸福を感じる」というほどの意味を込めた言葉になりますので、おすすめした相手にとっても嬉しい言葉ですし、本人の所有物や知人・友人などであれば、最高の褒め言葉となるでしょう。
例文②眼福を得る
「眼福を得る」というのは、見て幸福な気持ちを得ることができた、という表現になりますので、特定の誰かに伝えるような場面ではなくとも使う表現となります。
特に文章などで使いやすく、「私は素晴らしい風景を見て眼福を得ることができた」などの使い方ができます。もちろん、素晴らしい絵画を描いた作家本人に対して「作品を見て眼福を得ることができました」などと伝えることもできます。
「これを見るだけで幸せな気持ちを得ることができた」ということを表現することができるので、「すごいと思った」とか「キレイだった」などの表現よりも、どれほどの感動だったかを伝えやすい言葉になります。
例文③眼福に恵まれる
「眼福に恵まれる」という表現は、見て感動して幸福を得たという結果に対するものだけではなく、「そういった機会に恵まれる」という意味でも使うことができる表現方法になります。
「これほど素晴らしい作品を見ることができるなんて、私は眼福に恵まれている」などの例文を挙げることができます。
見たもの自体の評価はもちろんなのですが、「素晴らしいもの」、「珍しいもの」、「特別なもの」を『見る機会に恵まれる』という意味の使い方をするケースが多くなります。
例文④眼福の極み
「眼福の極み」という言葉は、「極み」という言葉でも分かるように、見たものが素晴らしすぎて幸福の極みにまで達しているというような非常に強い表現になります。
ただ、普通の口頭で「極み」という言葉を使う機会はそれほどありませんので、こちらは文章表現として使うケースのほうが多くなっています。
もちろん、「これほど美しい女性がいるなんて。近くで見られるだけで眼福の極みですね。」というような使い方もできますので、口頭で使う機会がまったくないというわけではありませんが、文章表現のほうが多いでしょう。
「眼福」の類語
・目の保養 |
・目の薬 |
・目の正月 |
「眼福」について、意味や由来、さらに実際に例文を交えての使い方などをご紹介しましたが、その「眼福」と似たような意味を持つ言葉として上記のようなものがあります。
これらもさきにご紹介したような「眼福」と意味は似ているのですが、少しの違いがありますので、それらについて次から具体的にご紹介します。
目の保養
「眼福」という言葉の類語としては、「目の保養」という言葉があります。何かキレイなものや美しいものを見て「幸せな気持ちになる」という部分は「眼福」も「目の保養」も同じ意味になります。
「眼福」との違いといえば、「眼福」はなにか「特別なもの」を見たときにも使う表現ですし、「眼福に恵まれる」のように、そういった機会があること自体に幸福を覚えるというような表現もするのに対して、目の保養は見たときのみのものです。
また、特別なものというよりは、「キレイなもの」を見た時に使うことが多く、「キレイな風景」、「キレイな夜景」、「キレイな女性」、「カッコいい男性」などを見た時に、「目の保養になる」などの表現で使います。
目の薬
「眼福」という言葉の類語には、「目の薬」という表現方法もあります。これは「薬」という表現の部分で「眼福」との違いが分かりやすいものとなっています。
何かを見て得られるという部分は同じなのですが、目の薬というのは、「疲れている時に元気が出る」とか、「キレイな風景を見て癒やされる」など、「癒やし」や「元気」というものを得られるようなものが主になります。
「仕事に疲れて帰ってきても、子どもたちの笑顔が目の薬になる」とか、「ストレスが溜まるといつもこの山に来て景色を見ている。ここの景色は自分にとって目の薬だ」などの使い方になります。
目の正月
「眼福」という言葉の類語には、「目の正月」という表現もあります。これは、お正月ということで「めでたい」というイメージから来ている言葉で、何か素晴らしいものや美しいものを見て楽しむ、というような意味があります。
お正月を迎えることは「めでたい」ことで「縁起が良い」ことなので、そのイメージのとおりの意味を、「見たとき」に感じるという意味になっています。
また、「眼福」という表現よりは堅苦しくなく、気軽な使い方ができるので、「眼福」だけではなく「目の正月」という表現方法も覚えておくことで、似たようなシチュエーションでも言葉にバリエーションを持つことができます。
「眼福」以外の似た表現方法
「眼福」という言葉は「見て」幸福を得るという言葉になりますが、これと似た表現方法で別の瞬間に幸福を感じることを表す言葉があります。
それは、「口福」と「耳福」というものになります。この漢字を見ただけでも「眼福」から意味を想定できるものとなっていますが、具体的に「口福」と「耳福」の意味や読み方をご紹介していきます。
口福
「眼福」に似た表現方法として、「口福」があります。これは「こうふく」と読み、「口」という漢字からも分かるように、「何かを口にしたとき」つまり「食べたとき」に幸福を感じるという意味の言葉になります。
「いつ食べても美味しいが、はじめてあの人の料理を食べたときには口福を感じた」などの使い方ができます。美味しいというだけではなく、「幸せを感じるほどの美味しさ」ということが伝わるので、より感動を伝えられます。
口頭で「こうふく」というと、「幸福」と勘違いされる可能性のほうが高いので、口頭で伝えようとしても伝わりづらいのですが、文章表現などでは伝えやすいものとなります。
耳福
「眼福」に似た表現方法として、「耳福」があります。これは「じふく」と読みます。こちらについても「耳」という感じを使っていることから分かるように、「聞いて幸福を得ることができる」ということを指している言葉です。
素晴らしい音楽を聞いたとき、自然の中で美しい鳥のさえずりを聞いたとき、川のせせらぎを聞いたとき、など、耳から入ってくる音のみで「幸福」と思えるほどのものを聞いたときに使う表現方法です。
「耳福」と言っても意味が通じない可能性がありますが、こちらも文章表現であれば漢字から意味が分かる表現となるので、それほど伝わりづらいこともなく、文章表現で使いやすいものと言えます。
「眼福」の英語表現
「眼福」や「目の保養」という言葉は英語で表現すると「feast my eyes」という表現になります。英語の「feast」は「~をもてなす」という意味になるので、直訳は「目をもてなす」というような意味になります。
こういった「眼福」や「目の保養」のような言葉は、英語表現にすると似たようで似ていないような違和感を感じるものも多いのですが、これは「目」にあたる「eyes」が入っているので、違和感なく「眼福」の英語表現と捉えることができます。
また、似たような表現に「eye candy」という言葉もあるのですが、これには「見る分にはいいけど、他にそれほど興味をそそられない」というようなネガティブな意味もあるので、眼福の英語表現としてはズレがあります。
「眼福」の対義語
「眼福」という言葉の対義語にはどのようなものがあるでしょうか。「見ることで幸福を得られる」という意味の言葉なので、「見るだけで不幸になる」というような意味合いを持つ言葉がそれに当たるでしょう。いくつかご紹介します。
見苦しい
「眼福」の対義語としては、「見苦しい」という言葉があります。見苦しいというのは、自分が間違っているのにいつまでも言い訳をしているような人に対して「見苦しい」と使ったりする表現になります。
まさに、「見ているだけでも嫌な気持ちになる」というものなので、見苦しいという言葉は「眼福」の対義語として考えられる言葉でしょう。
見るに堪えない
「眼福」の対義語としては、「見るに堪えない」という表現方法もあります。これも「見苦しい」に非常に似ていますが、たとえば「人が傷つけられている様を見ていて、見るに堪えない」という表現を使ったりもします。
こちらについても、「見ていること自体が苦痛に感じる」というものになるので、「眼福」の対義語と言える表現方法となるでしょう。
目も当てられない
「眼福」の対義語としては、「目も当てられない」という表現方法も挙げられます。これは、「見ることもしたくない」、「見たくもない」というような意味の表現方法になります。
「試験当日に緊張でお腹を壊してしまい、試験の結果は目も当てられないものとなった」というような使い方ができ、「見ることで嫌な気持ちになる」ことを表しているので、「眼福」の対義語と言えるものでしょう。
「目が幸せ」な眼福
「眼福」や「目の保養」という表現も使いますが、近年では「目が幸せ」や「耳が幸せ」などより伝わりやすいストレートな表現を使うことも多くなっています。
ですが、もともと「眼福」などの表現があることを知り、その意味を理解しておくことは、そういった表現を見たとき、また「目が幸せ」などの表現を使いづらい場面になったときのためにも役立ちます。ぜひ覚えておきましょう。